第三十四話:緋色の剣
憎まれはしても、改宗されるようなことをした覚えはない。
「魔女には誰も異議を唱えられない。それが当たり前の世界で、己の正義を貫く機会に恵まれた。だからこそ、巨悪の根源が誰であるのかを知った父と祖父は、魔女様を救うため私をこの教団へ送り込んだのです」
「教団を捜査するために改宗したんですよ」
さらりと言われて、ひよりはポカンと口を開けた。正義への執着とでもいうのか。反魔女と後ろ指を指されてなお、教団へ自身の娘…孫を送り込むなんて。私が言える立場ではないが、正直…狂っている、と感じた。
「それで、いいの?自分の意志じゃ…ないんでしょ?」
それなのに、どうしてそこまで私のために命をかけられるのか。その疑問が、ひよりの胸にじわりと広がる。
「私は正義のヒーローが好きです。魔法少女が悪の敵を倒してキラキラしてるのより、戦隊ヒーローが敵をタコ殴りにして血祭りに上げてるほうが好きです」
突然の方向転換にひよりは一瞬目を丸くしたが、硝子の目が冗談ではなく真剣そのものなのを見て、さらに言葉を失った。
「赤いマントをなびかせて、泣いている人に手を差し伸べる。ひより様、私は…ヒーローになりに来ました。心が泣いているあなたを、助けたくて…笑顔にしたくて来たんです」
「だって、ヒーローってカッコよくないですか?」
無邪気に笑う硝子。その姿に、ひよりの頬を伝う涙がポツリ、またポツリと落ちる。近くにいたのだ。ずっと、私を助けようとしてくれていた人が。その事実が嬉しくて、戸惑いもあって、そして申し訳なさもあった。
「…かっこいい」
ぶっ飛んだ家族だと思った。それでも、狂っていると思われるほど真っ直ぐに正義を追い求めるその姿は、間違いなくかっこよかった。
そう微笑むと、いつの間にかランタンは最後の一つになっていた。
「私はあなたの剣です。それと同時に、ひより様が間違った道に進みそうになったときは全力で止めます。それが私の役目ですから。これからも、よろしくお願いします」
差し伸べられた手を、ひよりは両手で包むようにぎゅっと握り返した。
「…うん!よろしくね」
これが、トラブルメーカーだと思っていた硝子への見方が、変わるきっかけとなった。
「あ、ひより様。明日から暇をいただいてもよろしいですか?」
突然の申し出に、ひよりはギョッとする。「暇をいただく」…たぶん休みがほしいという意味だろうが、そもそもここって会社だったっけ?と混乱する。
「い、いいよ?」
いや、良いといってしまってよかったのだろうか。菜摘に確認するべきだったのでは?と一瞬頭をよぎるが、もう遅い。「忘れよう」と自分に言い聞かせた。
「明日から、祖父がしらすの一本釣り漁に行くというので同行しようかと思って」
しらす?何それ、と頭に疑問符が浮かぶ。ひよりは、しらすが2cmくらいの稚魚だなんて知りもしない。
「沢山取れるといいね」
普通に考えれば、2cmの稚魚を一本釣りなんて頭がおかしいと思うところだが、ひよりは特に疑問に思わず笑顔を向ける。奏人だったら「わあ!いいですね!」なんて調子よく言いそうだ、と想像してしまう。
「いざとなったらタモを持って飛び込みますから、大量ですよ」
タモ…って何だろう?と首をかしげながら、海に飛び込む硝子を想像してしまう。
「泳ぐの上手なんだね」
「はい」
二人は、確かに少し距離が縮まった気がした。
しかし、お手洗いを探して徘徊していた直哉はこのやり取りをこっそり目撃していて、後にこう語っている。
「あれは、悔しいけど、俺にも分からない次元の話だったよ」
「悔しいのかよ」と菜摘が突っ込んだのは、また別の話である。




