1話 婚約破棄されたので、山を登ります!(プロローグ)
「あんなに頑張ったのに、パーティーで婚約破棄するなんてひどくない……!?」
私は今、王都近郊の山に登っている。
まともな装備がなくても登れる、頂上まで石畳で整備された山だ。
「どうして現実って、こうも理不尽なの!」
私には前世の記憶があり、何とか乙女ゲームの悪役令嬢としての破滅を回避するためにそれはもう頑張った。
その結果、婚約者とヒロインが懇意となり、パーティーでの婚約破棄へといたった。
「ヒロインの危機も救って、攻略対象の命も助けたのに! なんて報われない人生……!」
そして私は、シンプルな平民の格好をしながら山を登り始めたのだ。
公爵令嬢の私が、一人で山登りなんてとても正気の沙汰ではない。
「こんな時は登山で気分転換するしかないでしょ……! ここ、高尾山みたいなものだし」
裾をたくし上げながら、私は息をいきらして淡々と登り続ける。
頭のなかにこびりついているのは、あの婚約者とヒロインの顔。
しかし、歩みを進めていると、それが次第にぼやけて消えていく。
「はぁ……はぁ……。さすがにこの体で登山はキツいわね……」
前世では、北や南アルプスを中心にさまざまな山を登った。
しかし、令嬢として大切に育てられてきたため、今の私は体力はあまりないと言ってもいい。
「そもそも、この世界、登山そんなに普及していないのよね。まともな登山装備もないし、登山家とかも聞いたことがないわ」
この登山のために買った歩きやすい靴が、石畳の上を滑る。
私は何度目かわからないため息をついた。
「さすがにグリップ……足裏が滑るわね。今度自分用のオーダーメイド登山靴でも作ろうかしら」
汗を手の甲でぬぐいながら、私は視線を上げる。
木々の木漏れ日の向こうから、青空がのぞき見えた。
「あと少しで頂上ね……!」
無心で私は足を前後に動かす。
太ももは疲労で震え、明日筋肉痛になることを告げているようだ。
「着いた……!」
樹林帯を抜けた先。
山の頂上は広場となっており、まるで公園のように整備されていた。
「登山口から小一時間程度かしら。それにしても、人がいないわね」
しっかりと整備されているが、ここまで誰ともすれ違うことなく、頂上にも人気はなかった。
この国の登山人気を象徴しているようで、登山好きの私としては少し寂しくなった。
「まあ、ちょうどいいわ」
私は、頂上広場の端にある手すりまで歩み進んだ。
視界には、王都の街が広がり、中央に位置する王宮まで肉眼でとらえられた。
私は大きく息を吸う。
「婚約者も……ヒロインも……この物語も……ばっかやろおおおおおお!!!」
誰もいないことをいいことに、私は思い切り叫んだ。
小さな山塊では山びことならず、澄んだ空気の中に消えていくだけだった。。
「はあ……すっきりした! やっぱり、登山はいいわね!」
満たされた気持ちとともに、胸を広げて深呼吸をしていた時だった。
「何をしているんだ……シャイラ・モンテーヌ公爵令嬢」
「ひえ!!?」
振り返るとそこには、たおやかな銀髪を山風にたなびかせた青年が立っていた。
軽装ではあるものの、高級感のあるなめらかな生地が、彼がそれなりの地位にあることを示していた。
「だ、誰!?」
「俺はエベル・モンティ。侯爵家の次男……、今は王宮にも出仕している騎士だ。夜会で何度か会ったことがあるだろう」
「あ、あれ、そうだった……でしょうか? そういえば、会ったことがあるような……?」
夜会は笑顔を振りまくのに必死で、いつも記憶があいまいだ。
誰も彼もが同じような格好をしていて、正直顔だけは見分けがつかない。
必死に記憶をたぐり寄せながら、私は愛想よく微笑んで見せる。
「令嬢が急にいなくなったと、公爵家当主が大騒ぎしている。まさかこんなところにいるとはな……」
「っく、もうそんなことになっていたのね。……それにしてもエベル様。よくここがわかりましたわね」
「ここは俺のお気に入りの場所だからな。たまたま近く来たから寄っただけだ」
「え、ここが好き!? ま、まさか、登山が好きなの……!?」
私は思わず身を乗り出して、彼の胸元に迫ってしまった。
エベルは少し驚いたように、蒼の瞳で私を見下ろしてくる。
「……山は人気が少なく、登っていると頭が冴える。鍛錬にもなるから一石二鳥だ」
「わかります! 山の澄んだ空気の中、体を動かすと頭がクリアになって……モヤモヤもなくなるんですよね」
「そうだな。山の空気は、王都とはまるで違う。息を吸うだけで生まれ変わるようだ」
「ですよね! それに頂上に到達したときの達成感……。達成できたという充実感で体が満たされると、明日もまた頑張ろうってなるんです!」
まさかの山好きに出会えて、私は自分の状況を忘れて心が踊ってしまう。
彼も心なしか嬉しそうに目を細めているように見えた。
「でも、登山できる山って、この国じゃ少ないですよね……」
「ああ、近郊だとこの山くらいだ。峠を超える山道はあるが……」
私と彼は、同時に深いため息をついた。
せっかく登山が好きでも、それを活かせる場所がほとんどない。
「いや、ないなら作ってしまえばいい……?」
「……何を言っているんだ、シャイラ公爵令嬢」
「そう、そうよ! 決めましたわ、エベル様。私、この国で登山を普及させます! ちょうど悲しいことに時間もできましたし……、公爵家の権力を使いまくって、登山愛好家を増やしてみせます!」
「……そんなことが本当に可能なのか?」
「試しにやってみます! エベル様も楽しみにしていてくださいね!」
拳を天に掲げて気合を入れる私を見て、エベルは何か考えるように腕を組む。
すると無表情だった顔に、穏やかな微笑みが浮かんだ。
「それならば、俺にも協力させてくれ。侯爵家は幅広い事業を手掛けているから、きっと力になれるはずだ」
「え、心強いのですが……よろしいのですか!?」
「もっと色々な山に登ってみたいと思っていたからな。それに……君の見つめる未来を見てみたくなった」
彼の端正な顔立ちに浮かぶ笑顔は、まるで山小屋から見る朝日のように美しい。
とろけるような甘い声音に、顔が赤面しかけるが、すぐに気持ちを切り替えて彼に手を出しだした。
「では、これからよろしくお願いしますね、エベル様」
「私のことは呼び捨てでいい。シャイラ公爵令嬢」
「なら、私のことも協力者としてシャイラとお呼びください。がんばりましょうね、エベル!」
私とエベルは、山の頂上で手を取り合う。
国中に登山ブームを巻き起こすとはつゆ知らず、偶然の出会いに感謝しながら微笑みあった。




