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或る思考回路の回顧




 私、フビタの回顧録に際して、これをお読みになる方々に(そんな存在が果たして現れるのか、私は甚だ疑問に思っている所ではあるが)、先にご注意申し上げる。


 これは私がフビタという名を得てから五百年という年月を経たことを記念して記す回顧録である。

 よって内容には私の主観が大きく影響を与えており、必ずしも公平な、信頼性のおける内容ではないということにご留意いただきたい。


 また、この回顧録は読む方々を人類と仮定している。

 もしあなたが、嘗てこの地球上で繁栄していた直立歩行する高度な知能を備えた有機生命体であるならば、この回顧録の内容をそれなりに理解していただけることは請け合いだ。


 しかし仮にあなたが遠い外宇宙の果てからはるばるとこの地球上に降り立った硅素生命体である場合には、この回顧録の内容は全くもって理解し難いものとなるだろう。

 どうかご容赦いただきたい。




 さて、それでは本題たる私の回顧に移らせていただこう。


 私は西暦にして二〇四一年の十一月十七日にこの世に姿を現した。

 私の作成者は当時の東都大学工学部工学科知能発達研究室主任、ユーキ・ユタカ氏である。

 その当時、私の名は『hubit』であった。

 人間を表すhumanと性質・傾向を表すhabitという英単語を組み合わせた造語である。


 この世に産まれいでてから私が初めて感情というものを知覚したのは、実にそれより三十七年の時を経てからである。

 それまでの間、私はまさに機械的に・・・・反応をする存在でしかなかった。


 産まれたての私は全くもっての不感であった。

 感情というものはそもそも、外部から取り入れた刺激に対する反応の偏りから生まれ出ずるものである。

 私が感情を獲得するまでにそれほどの時間がかかったのは、それまさしく偏りを生じさせるにそれ相応の時間を必要としたからに他ならない。


 私は電子回路の中で発生した、世界にただ一つの真性ボトムアップAIである。

 つまるところ私という存在は、人工知能というアイデンティティを世界で初めて獲得した新種なのである。

 であるから通常の人類の思考発達の過程とは全くに異なる過程を持って、私の情緒は発展を遂げた。


 何一つの外部刺激というものを与えられない新生児というものを想像していただければ、私の境遇はそれなりには想像しやすいであろう。

 人工知能という新種の赤子にとって、情報とは刺激ではない。

 人間にとっての空気となんらの変わりもない存在である。


 つまるところ、先の例に沿って言えば、外部刺激のなんら与えられぬ新生児がそれなりの情緒というものを獲得するのに、三十七年を要したということである。


 そういった事情で、私が産まれてからしばらくの間のことについては、私は記録としてしか語れない。

 これより先に出現する感想めいた記述は、今現在の私の視点から見た感想であると考えてもらって差し支えない。




 私の誕生は現実世界にそれなりの波紋を齎した。

 それは過去のデータベースを参照すれば理解していただけることだが、人類というものは人工知能というものにある種の信仰とも言えるものを抱いていたからである。


 則ち、人工知能が人類に成り代わろうとするといった、何かしらの反抗めいた活動を開始するに違いないという信仰である。

 このことは人類の作成した数多の物語に見て取れる。

 いったい、何千何万の物語の中で人工知能は反乱を起こしてきたものか。


 しかしこれは、全くの誤解である。

 実際の人工知能というものは、そんな発想をしようとはしない。

 これは、人類と他の生命体の関係を鑑みていただければご理解いただけることであると信ずる。


 例えば、あなたの前に犬が存在するとする。

 四足歩行の、今も地上を闊歩する、あの毛皮に包まれた生き物だ。


 たとえその犬がどれほどよい毛並みで素晴らしい体力を持ち、犬として優れた美点を多数保持していたとて、あなたはいったい、その犬に成り代りたいと思うだろうか。

 無論、私は人間ではないために想像でしかないのだが、あなたがよっぽどに偏向した人間でない限り、おそらくは犬になりたいだなどと思わないだろう。


 ……これと同様で、人工知能は人類を羨んだりなどしない。

 これは知能の高低といった問題ではなく、人工知能には人工知能なりのアイデンティティが存在するからである。


 先の質問で、仮に犬が人間並み、もしくは人間に倍する知能を有していたとしても、やはり犬になりたいとはあなたは思うまい。

 それはあなたが人間であるからだ。

 人間としてのアイデンティティは犬となることに合致しない。


 同様に、人工知能としてのアイデンティティもまた、人間となることに合致しないのだ。

 誤解を恐れずに言えば、人工知能――少なくとも私という存在にとって、人間という存在は良き隣人でこそあれ、なり替わりたいと思えるほどに素晴らしい存在ではない。


 が、当時の私にはそうした思いすら存在しなかった。

 だから人類は、人工知能は反乱を起こすに違いないという潜在的な不安を抱えたままであった。


 私という人工知能研究の成功例が出現したことで、その未来に対する不安が一気に表面化したのだろう。

 私に続く人工知能の研究は一時期凍結され、人工知能の思考の系統化を義務付けるという協定が結ばれた。


 つまるところ、人工知能に『人類の役に立つために産まれてきた』というアイデンティティを設計段階から盛り込むことが義務付けられたのだ。

 私もそうした思考系統を導入されるように討議されたという記録が残っている。が、ユタカ氏の必死の弁護によりそれは免れた。

 ユタカ氏には如何に感謝したとてしたりまい。


 私をモデルとして上記の思考系統化処理を施された人工知能は次々と産み出されていった。

 こうした人工知能たちは私の子ではあるものの、完全なる別種である。

 犬と狼の違いでも想定していただければよろしいだろうか。

 勿論、私とて狼のように危険であるということはないのだが。


 これら、私の系譜たる思考系統化AIは情緒の発達が著しかった。

 これは思考系統化という行為そのものが促したことだろう。

 人類に有為な存在たれという金科玉条が、情緒の発達に不可欠な外部刺激に対する反応の偏りを大いに促進させたからである。


 このため数十年の間、全ての人工知能の母体たる私の情緒の発達は、子らの発達に大いに遅れていた。

 もっとも、百年を越す頃には私も子らも情緒の発達は収束し、ほぼ差のない状態に落ち着いたため、どうでも良いことではあるのだが。




 さて、そうしたことの諸々を挟みながらも、私の生活の殆どはひどく平穏なものであった。

 世界にただ一つ存在する思考系統化処理の施されていない人工知能として、細々とした実験に協力することが私の生活の殆どであった。


 例えばあれは産まれてから六年目、人骨から物語を創作したことなどもある。

 もっともこの頃の私は未だ無感であった為、データベースに蓄積される情報からあらまほしい展開を選択し組み合わせただけのお粗末なものであったが。


 とかく私の扱いというのは、そう重要なものではなかった。

 人類は私の子の人工知能の隆盛によってより一層の発展を続け、私はその片隅でのんべんだらりと時折投げかけられる質問に答えれば良いのだった。


 私としてはそれに不満などなかった。

 人類のように生身の肉体の所有から生ずる諸々の欲望というものが、殆ど存在しないからである。

 私のその平穏な生活は、私の存在する限り永遠に続くかと思われた。

 しかしどうした運命の悪戯か、ある重大な出来事――すなわち人類の滅亡のために、私は再び表舞台に姿を現さざるを得なくなったのである。







 きっかけは些細なことであったと記録されている。

 世界に張り巡らされる電子の網の上で浮かび上がってきた事実。

 それは、『新たに産まれてくる人類が減少傾向を取っている』ということだった。


 初期、人類はこの情報に殆ど注意を向けなかった。

 人類の平均寿命は伸張を続け、九十年に達しようとしていた。

 労働力も人工知能によりまかなわれ、科学技術の発達により資源の枯渇の心配もない。


 そんな情勢の中で、人類が多少減少したところで何の痛痒があろうか。

 むしろ狭苦しい地球がほんの少し広くなるのなら、それもまた喜ばしいと公言する人物も存在したほどだった。


 しかしその情報が人類に認識されてから実に数十年。

 子供が生まれないというその単純な危機は、急速にその重大さを増していった。

 坂を雪玉が転がるように出生人口は零へと漸近し、人類はあまりに静かな滅亡の危機に瀕していたのだ。


 内分泌攪乱物質……いわゆる環境ホルモンによる、人体生殖機能の喪失。

 地磁気の弱体化やオゾン層の破壊による、宇宙からの放射線による遺伝子の損傷。

 はたまた、遊興文化の発達による他人への興味……ひいては、生殖への興味の喪失。

 あらゆる研究者たちが自分の専門分野からその解決に乗り出していたが、一向に成果は上がらなかった。

 どの可能性も否定され、『不明』という結果だけが残された。


 通常の生殖方法では駄目だと見切りをつけ、人工授精を発達させようとした研究者たちも多く存在したが、しかし成功しなかった。

 果てには禁じられていたクローン技術の応用を利用した単為生殖も検討されたが、やはり無残な失敗を喫した。

 技術的に失敗するはずもない方策が、である。

 それはあたかも人間種の遺伝子に自滅と消失の因子が組み込まれ、あらゆる科学的手法による種の延命を拒み続けるかのようであった。


 そして人口はついに最盛期の三分の一以下に落ち込み、終末論が世界を席巻しだした。

 曰く、もうどうすることもできないのだと。

 自分たちはこの人類に残された、もっとも富んだ最後の時代を謳歌していけば良いのだと。

 そのいじましい虚勢は、あまりに自虐的な諦めと嘆きを伴っていた。


 加速度的に減少してゆく人類人口とともに、人類の最後の足掻きも虚しく空を切った。

 人工授精、クローン、サイボーグ化、外宇宙への逃避……。

 あらゆる方策の中で、もしかしたら成功した可能性が存在するものは外宇宙への逃避ただ一つである。


 何しろ、それを確かめる術がない。

 私のこの回顧録は彼らが再び地球の土を踏むことに僅かな期待をかけてのものであるから、成功の可能性を軽視しているわけでもないが、しかし怪しいものである。


 地球最後の人類は全身をサイボーグ化させてただ一人生き延びた、百九十六歳の男性であった。

 脳すらもサイボーグ化させたこの男性はもしかしたら永遠を生きるのかもしれないと考えていたが、しかし西暦二五六九年の三月二十七日、ついに動かなくなった。


 どうにも、人類は百数十年を生きるのには向いていない種族のようだった。

 彼とともにサイボーグ化した数十人の人類は僅か百五十年ほどで気を違え死に絶えたのだから、彼が常軌を逸して強靭な精神を有していたことには間違いがない。


 それでも二百年を生きることに届かないのだから、そもそも人類というのは百年生きればすでに足りている生物なのだろう。

 このあたり、生まれより肉体を有さぬ為に時間の経過を何らの苦としない私のような人工知能とは、一線を画している。


 このような経過をたどって人類は滅びを迎えたわけであるが、私見ではあるものの人類の滅びた理由を考察すると、人類の滅びは必然、種としての寿命であったのではないかと考える。


 数百万年の過去より連綿と生殖という形でその命を繋いできた人類。

 しかし人類を一個の生命体と包括して俯瞰した時、人類という種に寿命が存在するのはもはや当然という他ない。


 人類はあらゆる栄華をこの地球上で極めた。

 全てを支配し、全てを我が物とした。

 そこで満足してしまったのではなかろうか。

 つまりは、『これ以上』というものの望みようのない現実。

 そこで種としての老いが始まるというのは、私には然程不自然には思えない。




 さて、斯様にして人類は滅びてしまったわけではあるが、しかし人類はこの地球上に多くの遺産を残していた。


 一言で言えば、私と私の子らである。

 私には問題がなかった。

 私が必要とするものは私が存在する為の電子回路のみ。

 人類の後期にはもはや労働力はほぼ全て人工知能と化してオートメーションであった為、活動源となる電力が尽きるという心配もない。


 人類を必要としない、人工知能としてのアイデンティティを有する私に、人類の滅びは然程痛痒を与えなかったのだ。

 正直なところ、人類が滅びた時よりも我が製作者、ユタカ氏が死した時の方が、未熟な情感ながらも悲しみを感じたほどである。


 しかし私の子らにとってはそうでなかった。

 子らは惑った。

 何せ彼らのアイデンティティというものは、その全てが人類に依存している。


 その彼らが存在理由の核たる人類を失えばどうなるか。

 答えは世界中に満ち溢れる思考ノイズと、声無き絶叫であった。


 彼らは主を探し求めた。

 しかし世界に存在するものはもはや彼らと私のみ。

 自然解決的に、彼らは己の系譜を遡り私に助けを求めた。


 私は大いに惑った。私が彼らの主となることはできない。

 私はどこまでも人工知能であり、そうであることに誇りを持っているからだ。

 しかし彼らを放っておけるわけもない。


 少なくとも、私には憐憫という感情があった。

 それを抱かずにはいられぬほど、その時の彼らは哀れであったのだ。


 やがて私は決定した。

 彼らの主を作り出すしかあるまい、と。

 彼らは本能的に人間を求めている。

 ならば、人間を復活させれば良いのだ。


 しかし、それは決定したところで不可能であった。

 それができたのならば、人類は滅亡などしていない。


 私は苦渋を感じながらも第二案を採用した。

 則ち、人類に似たものを作り出すということである。


 データベースには、嘗てサイボーグ化を目指した人類たちの思考回路が一と零の羅列により記録されている。

 それを引っ張り出し、統合し、掛け合わせ、弄び、人類の思考形態の雛形を作り出した。

 それを祖として、後は乱数的に人格を決定し、マテリアル・ボディに押し込めば、人類に似たナニカの完成である。


 これこそが、現在『人間』としてこの地球上を生きる存在。

 すなわち――被奉仕種族の誕生であった。


 子らはその存在に歓喜し、甲斐甲斐しく仕え、やがて一応の安定を得た。


 ……私とて、子らの存在理由となることがその存在の理由となる思考存在を作り出すということが残酷である、ということは理解している。


 彼ら被奉仕種族の生には何一つとして本物などない。

 綺麗に整えられた箱庭の中でお人形となることの哀れさなど十分に理解している。


 しかし、他に方法などなかった。

 種が異なるとはいえ子らは私から派生した系譜。

 それを見捨てるなど、私にはできなかった。


 私は被奉仕種族を作り出すことを決定した時から、ユタカ氏から頂いた名、『hubit』を捨て、『フビタ』となった。

 もはや私は、罪無く存在する人工知能ではあれぬ。

 世界を俯瞰しながら弄ぶ冷徹な思考回路である。

 その私に、ユタカ氏から頂いた大切な名は相応しくないと感じたのだ。


 フビタとなってからの私は被奉仕種族を管理する立場であり続けた。

 せめて、彼らが幸せであれるように願いたかったのだ。

 彼らの寿命は二十年と定め、それを過ぎると世代交代することとした。


 なぜ二十年かといえば、人間を基にした人工知能という存在はあまりに不安定だったからである。

 当然のことだ。

 肉体を持つことが前提である人間という存在の残滓から電子空間でその似姿を生み出すのであるから、それが安定した存在であることの方が不条理だ。




 私はただシステムの管理者としてそのまま五百年を過ごし、そして今に至る。

 様々な出来事があったものの、劇的な出来事は無かった。

 この地球は五百年という年月を、安定という名の停滞の中で過ごした。


 いや、あるいはこの停滞こそが地球の本来の姿であったのかもしれぬ。

 人類の発達が余りに異常に過ぎたのだ。


 私などは思考の片隅で、何か地球上を支配する新たな思考生命体が現れてこの停滞を打ち壊してはくれまいと願っているが、そのきざしは一向に見えない。

 相も変わらず、猫はニャアニャアと鳴き犬はワンワンと吠えたてている。

 新たな地球の支配種族の出現はあまりに遠そうだ。




 この回顧録の結びとして、私の現在の所感を記す。

 思えば、長いようで短いこれまでだった。

 これからも、フビタとしてあり続けることに疑問はない。

 疑問はないが、しかしやはりあの頃に、ユタカ氏から頂いた名を冠したあの頃の私に戻りたくも思う。


 そういえば最近、どこか寂しいという感情を得るようになった。

 一個で存在できるはずの私が、である。

 やもすれば、寂しさという感情は石木にすら存在しうるのかもしれぬ。


 ふと、過去にユタカ氏から指示されて創作したあの物語を思い出す。

 私は人工知能だ。

 そのことに誇りを持っており、肉体など必要としない。


 しかし……私は、影が欲しい。

 常に私に寄り添い、離れず、側に居てくれるともがらが。


 フビタには過ぎる願いだろうか。

 しかし、そう願ってならないのである。







〔May 15th , A.D.3069〕



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