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第32話 蠱惑の香り

 白い手が肩からゆっくりと胸を伝い、その背中に回される。フィアードは気が付けばヒバリに抱きすくめられていた。


「えっと……あの、俺のことはアルスから聞いてない……ですか?」


 声が震える。商売女とはかくも恐ろしいものであったのか。フィアードは身体の芯が痺れて動けなくなっていくのを呆然と感じていた。


(しろ)の村に用があるって聞いたけど……? 私の魔術を解析しようとするなんて。それに魔力が随分高いのね。人間にしか見えないのに、風の精霊が加護してるし……」


 両手が背中を這い回り、フィアードの髪に触れた。目くらましを維持できなくなったのか、徐々に髪の色が本来の色を取り戻す。


「……どういうこと? どうして薄緑(みどり)の欠片持ちが風の精霊の加護を受けてるのかしら?」


 白い手はフィアードの襟に手を掛けてゆっくりと服の中に侵入する。もう一方の手は容赦なくフィアードの腰から侵入してくる。


「……あの……これじゃあ説明どころじゃ……」


 身体中の血が沸騰しそうだ。ヒバリはその様子を見てクスクスと笑う。気が付くと服は殆ど剥かれていた。


「あら、始めてなの? かわいい……」


 露わになった肌にヒバリが赤い舌を這わせ始めた時、扉が乱暴に開いた。


「ヒバリ……俺が説明してやるから、そいつは開放してくれ」


 アルスの声だ。フィアードは助かった、と一瞬思ったが、ヒバリはやめる気配はない。アルスがツカツカと近付いてきて、フィアードの前に跪いていたヒバリの髪を掴んだ。


「あら……アルスも一緒にする?」


 ヒバリが悪びれもせずに振り返ったその瞬間、アルスの平手が彼女の頬を打った。

 パァン、と乾いた音が部屋に響く。

 フィアードは慌てて身を引き、ヒバリの手から逃れた。


「アルス……」


 ヒバリは打たれた頬を押さえてアルスの顔を見上げた。アルスが見たことがない程怒っているように見えて、フィアードは狼狽える。

 アルスは彼女を強引に抱き寄せて抱き上げ、そのまま扉に向かって歩いて行った。


 扉が閉まったことを確認したフィアードは、複雑な思いで乱れた服装を正した。

 中途半端に燃え上がった身体の火照りを無理やり沈めると、フツフツと怒りが湧いて来た。


「……あり得ねえ……」


 ヒバリがあまりにもあっさりと自分を放り出したので、男としての自信を喪失してしまいそうだ。

 フィアードは落ち着こうとティアナの安らかな寝顔を見て、何度も深呼吸した。


 扉の向こうからは何やら激しそうな音が聞こえてくる。本当に説明してくれているのか怪しいものだ。

 フィアードはティアナの隣の寝台に身体を横たえると、不貞腐れて眠ってしまった。


 ◇◇◇◇◇


 目を覚ますと、長椅子には一組の男女が一糸纏わぬ姿で抱き合って眠っていた。むせかえるような匂いを風で吹き飛ばし、フィアードは隣の寝台に眠るティアナの様子を見る。まだぐっすり眠っている。

 子供の目から隠すように二人に毛布を掛けようとすると、アルスが目を覚ました。


「お……悪いな」


 白髪の少女をそっと寝かせて立ち上がる。汗ばんだ逞しい肉体の所々に赤い名残が見える。よく見ると歯型のようだ。


「……怖っ……」


 フィアードはその激しさを想像して鳥肌が立った。アルスがあと少し遅ければ、昨夜の哀れな男達と同じようにボロ雑巾のようになっていたかも知れない。

 アルスは若干腰を庇いながら衣類を身に付け、ティアナの様子を覗き込んだ。


「……無事に治癒は出来たんだな」


「……お前、あれが治癒の前だったらどうするつもりだったんだよ」


 フィアードの顔が引きつる。ティアナの治癒を確認していなかったのか、この男は。その間にティアナの容態が悪くなったかも知れないというのに。


「悪かったよ。こいつがお前にあんな事するから……つい頭が真っ白になっちまったんだ。でも……却ってキツかったよな? やっぱり三人の方が良かったか?」


「……俺がお前らの体力について行ける訳ないだろ。勘弁してくれ。それより、ちゃんと説明してくれたのか?」


「あ~、無理だった。それどころじゃなくてな……」


 やはりアルスは説明が苦手だ。しかも女が絡むとからきしだ。フィアードは呆れながらも、何故あんな状況になったのか思い出してみた。


「そもそも、何であの男達とあんな事になってたんだ?」


 アルスは割と頻繁に通っている。それなのにわざわざ他の男を連れ込む必要があるのだろうか。


「もともとあいつらは時々俺達を覗いてたんだ。覗くだけならいいかと思って放ってたら……昨日ちょっと調子に乗ってこいつに手を出したらしい」


「なんだ……自業自得か。襲うつもりが、骨の髄まで吸い尽くされたって訳だ」


 あの男達はアルスと会うまで我慢していた彼女の引き金を引いてしまったのだ。それでは同情の余地はない。


「ああ。でもあいつらの子供が出来たら俺としては許せないだろ? ちょっとお仕置してやろうと思ったんだが……」


「代わりに噛みついてやったのよ。私を襲うかも知れない奴を放置する方が悪いじゃない?」


 アルスの後ろから空色の目がこちらを見ていた。フィアードはゴクリと息を飲んだ。まるで蛇に睨まれたカエルの気分だ。


「そんなに怯えなくても……。アルスがたっぷり愛してくれたから、今の私はただの女の子よ」


 女の子と言えるような歳でもあるまいに、とフィアードは毒づきながら、彼女に羽衣を手渡した。ティアナが起きた時に裸の少女を見るのは良くない。

 ヒバリは渋々羽衣を身に付けると、アルスの逞しい腕に抱きつき、無理やり長椅子に座らせた。


「説明してくれるわね、フィアード」


 アルスの身体を弄りながら、顔はフィアードに向けられている。


「結局、俺が説明するのかよ……」


 目のやり場に困りながら、フィアードは賢者の気分で説明することにした。自分が魔族総長の家の跡取りであり、薄緑(みどり)の欠片持ちであること。既に(あお)の村で風の精霊の加護を得たこと。そして、ヒバリの母親が治療しているのが彼らの敵である可能性について。


「母は、あと三日もすれば帰ってくるわ」


「どちらの方向から帰ってくるか分かるか?」


 ヒバリは黙って一方向を指差した。フィアードはその方向を見る(・・)


 ヒバリによく似た女性が、全身を包帯で巻いた男性と二人で歩いている。連れは見当たらない。


「……二人だけ……みたいだな」


 恐らく、包帯を巻いているのが患者であろう。その足運びは確かで、見た目程酷い状態ではなさそうだ。

 フィアードは更に範囲を広げるが、他に連れは見たらない。隠れている人影もない。


「アルス、多分……ダルセルノは一人だ」


「本当か!」


「包帯まみれだが、歩き方には問題なさそうだ。……何を治すために村へ向かっているのか知ってるか?」


 ヒバリは首を傾げた。


「さあ……。私からは連絡できるけど、母からは連絡を取れないから……母の手に負えないってことしか分からないわ」


 アルスの腕に抱きついていた筈のヒバリは、気が付けば身体をアルスに擦り付け、その手で彼の脚を触っていた。


「水の魔術には遠隔地との連絡を取るものはないのか……」


 フィアードはティアナが眠る寝台から二人の姿を隠すような位置に移動する。


「そうよ。だから、(あお)みたいに各地に散ったり出来ないのよ。みんな村から一歩も出ない。出て人間に見つかると面倒だしね……」


 確かに、治癒術師を手に入れた人間は多大な恩恵を受けるだろう。その為に(しろ)の魔人狩りが起きてもおかしくない。村の存在を隠しているのも当然だ。


「じゃあお袋さんはどうして治癒術師なんかしてるんだ?」


「父に会って私を産んで……私のせいで村にいられなくなったのよ。生活の為に治癒術師を始めたの」


 なんとなく察しはつく。今もアルスに身体を押し付けながら腰を緩やかに動かしている。その淫靡な動きを見るだけで身体が疼く。


「……村中の男が私の虜になってね。私は意識したことないのに、気付けばこうして……」


 アルスの内腿に白い手が伸びて蠢いている。どうやら特に男を翻弄するつもりはないらしいが、これでは男は耐えられないだろう。


「ヒバリ……ティアナが起きる……」


 アルスの声が掠れてきた。フィアードの前だからか、目を固く瞑って必死に衝動を押さえている。

 少し離れていても彼女から発せられる独特の甘い香りにクラクラして、その怪しげに動く細い腰に手が伸びそうになる。

 フィアードは頭を軽く振って意識を切り替えると、試しにヒバリの周りに結界を張ってみた。


「あら?」


 ヒバリの手がピタリと止まる。甘い香りが消えてアルスの目が徐々に平静を取り戻した。

 ヒバリはキョトンとしている。それまでの蠱惑的な色気が消えて、一見するとただの少女である。


「何をしたの?」


「あんたの周りの空間を結界で切り離しただけだ」


 同一空間にいる異性に触れていないと不安になるというのなら、空間を分けてしまえばいい、と強引に結論付けてみたが、思いの外効果が得られたようだ。


「凄いわ! こんなに近くに男がいるのに触らずにいられるなんて!」


 ヒバリは嬉しそうに自分の手足を見る。本当に無意識だったのか。フィアードはその事実に驚きを隠せない。


「凄え……こんなに近くにいるのに……」


 アルスは初めてヒバリを冷静に見ることが出来て驚いている。


「上手くいったな。これで村に出ても大丈夫だな」


 フィアードは自分の仮説が上手く立証されて満足した。


「ええ! これで私も相手を選べるわ!」


「……選ぶだけで、やることは一緒かよ……」


 ヒバリの言葉に脱力する。結局、体質だけではなく、その行為そのものが好きなのだろう。


「すれ違う男という男が襲いかかって来て、全部相手をしないと気が済まないのよ? 貴方にその辛さが分かって?」


「それは……いや、すれ違った男も気の毒だよな……」


 彼女の歩いた後には男達の死屍累々……。村から放り出されて当然だ。娼館ですら捌き切れず、薬に頼ってしまったのも無理はない。


「私に触れられて私を抱かなかったのは……父と貴方だけよ、フィアード」


 フィアードは苦い顔をした。ただその貞操の危機をアルスに助けてもらっただけであるが、男ではない、と言われた気がする。


「ふふ……冗談よ。貴方に抱かれなくて良かったわ。私はアルス以外の男の子供を産む気はないんだもの」


 そう言ってアルスに抱きついた。


「おい……」


「貴方に抱かれてたら、アルスは私を許してくれなかったかもね。そうでしょ?」


「これ以上、こいつと兄弟にはなりたくねえからな……」


 アルスの言葉にチクンと少年の胸が痛む。ツグミの姿を思い出してしまった。フィアードはアルスを睨み付けた。


「あら、初めてじゃなかったのね。ごめんなさい」


 ヒバリは悪戯な笑みを浮かべてそう言うと、朝食の支度をする為に立ち上がった。


「結界はどのくらい維持できるんだ?」


 アルスは新鮮な気持ちでその後ろ姿を見ながら、フィアードに尋ねた。


「さあ……、魔力の供給をヒバリにしたから、彼女がいらないと思えば消えるだろ」


 フィアードがことも無げに言うので、それがどれだけ高度なことなのかはアルスにはよく分らない。とにかく、彼としてはありがたいことなので、フィアードに改めて礼を言って、先程の失言も謝った。

 フィアードは苦笑しながら頷いて、ティアナの様子を見る。

 朝食の匂いにつられて目を覚ましたティアナは寝台から降りて不思議そうに部屋を見渡した。


「新しいお部屋?」


「アルスの家だよ」


 フィアードが言うと、ティアナはハシバミ色の目を見開いた。


「それから、この人がアルスのお嫁さんだ」


 朝食を運んできたヒバリをティアナに紹介すると、ティアナの表情が一瞬凍りついた。

 何かを思い出し掛けている……フィアードはその様子から、ティアナがヒバリを知っていた(・・・・・)ことを確信した。


 ヒバリは何も気付かずにティアナに笑い掛けると、朝食を配膳し、当然のようにアルスの隣に腰を下ろした。


「私から族長に貴方のことを連絡しておくから、母の患者については……そちらに任せるわ」

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