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定年間際の竜騎士  作者: だいごろう
第五章 【エルフの赤雷と怠惰の赤鬼】
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クリスタの医者とエルフ





木下の説明では、奴隷だった人たちの契約書は、

その場で焼却してしまえば、その呪いの効力を失い、

手首にある、蛇のような入れ墨の模様は消えるらしい。


ただ、慌てて奴隷商人たちのアジトから出てきたために

本当にすべての契約書を回収できたかは分からない。

もしかしたら、まだあのアジトに契約書が残っているかもしれない。

それをわざわざアジトまで探しに戻って確認するのではなく、

奴隷だった人たちの前で、契約書を焼却して

腕の入れ墨が消えるかどうかを確認したほうが確実だとか。


それと、奴隷商人たちの一件や

『炎の精霊』や『エルフ』の一件は、

『ヒトカリ』へ報告しない方がいいという話になった。

すべての『ヒトカリ』がそうであるとは言えないが、

中には、この国の重役や貴族と繋がりを持っているやつもいる。

『ヒトカリ』での情報は、各支店へ即時に伝わってしまう

魔道具の『からくり』がある。

あの奴隷商人の男が「この国の貴族と繋がりがある」と言っていたから、

あの奴隷商人たちを壊滅させて、奴隷たちを解放してしまったことを、

下手に『ヒトカリ』へ報告して、その貴族へ通報されては困る。

『エルフ』の件も同様だ。

数百年前の『エルフ』が生きていたなんて、

誰も信じないかもしれないが、そのことを帝国軍へ通報されると

オレたちの立場が危うくなる危険性が高い。


木下の説明を聞いていると、とにかくオレたちは、

いろんなことに首を突っ込み過ぎていると感じる。

この旅の本来の目的である『特命』が最優先のはずなのに、

余計なことに時間を費やして、面倒事が増えている。

しかし、振り返ってみれば、どれもこれも仕方ないことだ。

少しは後悔するが、奴隷だった人たちを救ったことにも、

『エルフ』を救ったことにも、後悔はない。 


「えー! みんなに言ったっていいじゃねぇか!

あの数百年、討伐されなかった『炎の精霊』を

討伐したんだって! 俺は自慢したい!」


木下から、口外を禁じる説明を受け、

シホがやかましく抗議している。

シホの性格を考えれば、こうなることは予想できただろう。

だからこそ、木下は昨夜から

誰もが利用する食堂での食事を避けたのかもしれない。

こういう話をする前に、食堂で食べていたら、

シホの大声で自慢話が広まっていたかもしれないからな。

ファロスやニュシェにも説得されて、

シホはしぶしぶ納得しているようだった。




まだ病院の面会時間には早い時間だったから、

朝食後、オレたちは町長の家へ向かった。

ここ最近、病院へは

いつも面会時間を無視して行ってしまっていたから

今さらな気もするが、病院の規則は守らないとな。


町長の家の前で門番をしている傭兵に事情を話すと、

家から執事のような年配の男を呼んでくれた。

執事は、年齢的にオレと同じ歳かもしれない。

その執事のような男が説明してくれた。

グルースは、昨日、一度帰ってきた後、

すぐに出かけてしまったらしい。

オレたちが渡しておいた、例の魔鉱石を確認してくれたかどうか、

それも分からないようだ。

グルースの予定では、今夜、帰ってくると聞いているらしい。

オレたちは、再度、魔鉱石の確認をしてもらってほしいと

その執事のような男に伝えておいた。


ちなみに、町長も、まだ帰ってきていないとの事。

行方不明というわけではなく、用事で

この国の中央に位置する、

帝都ていと・ソウガ』へ出向いているとか。

予定よりも帰りが遅いことが心配の原因らしい。

これだけ長い期間、この町を空けることは珍しいことで、

執事のような男は、少し不安そうだった。

グルースも、町長のことを気にしている様子だったとか。

息子のやっていることに対して理解を示していないような

町長だったが、なんだかんだで息子から愛されているように感じた。


「グルースさんが戻っていないようなので、仕方ないですよね。」


「そうだな、仕方ない、仕方ない。」


木下とシホは、仕方ないと言いながらも、どこか嬉しそうに見える。

グルースに会えない間、あの『エルフ』が目を覚ますまで

この町に滞在することになるからだ。

木下は、あの宿屋に長く滞在できることが嬉しいのだろう。

シホのほうは、ただ単に『エルフ』の話に興味津々という感じか。

オレとしては、早く東へ進みたくて、モヤモヤするのだが、

2人の言う通り、グルースに会えないのであれば仕方ない。

オレたちは、町長の家から病院へと向かった。




ファロスが大怪我をした時からお世話になっている、

町の東側に位置する大きな病院。

病院名を憶えていなかったが、よく見れば入り口に看板がある。

『クリスタ第一病院』。町の名前が使われているようだ。

第一ということは、この町のあちこちに第二、第三の病院があるのかもしれない。

改めて見ると、町の病院にしては大きい方だな。

周りの建物が2階建ての家屋なのに、この病院だけ

3階建ての真っ白な建物だから、とても目立つ。

建物も大きく、敷地も広く、中庭もあり、設備も充実しているようだ。


受付は、朝から患者たちが並んでいた。

そのほとんどが傭兵っぽい格好の者たち。

怪我をして包帯を巻いている者が多く、列を作っている。

傭兵が多いから、『ヒトカリ』の窓口と大差なく感じる。

目の前の傭兵たちの受付の様子を聞いていたら、

やはり『ゴブリン』にやられたやつらばかりだった。

オレとペリコ君が、あの洞窟で、あれだけの『ゴブリン』を

討伐したというのに、まだ『ゴブリン』の被害が収まっていないようだ。

あの洞窟が、やつらの住処すみかじゃなかったから・・・

どこかにある住処から、まだいてくるのだろうか。


受付で事情を話すこともなく、事務員がオレたちの顔を見るなり、

担当の医者が呼ばれて、集中治療室へと案内してくれた。

オレたちが来ることが分かっていたかのようだ。

担当の医者は、昨日、オレの腰も治療してくれた医者だ。

どうやら、ここの院長っぽいのだが、

相手がそう名乗らないし、こちらから聞くのも余計な詮索に思う。

オレよりも白髪が多い、年配の男だが、

おそらくオレと同じくらいの年齢なんだろうな。

オレよりは背が低く、オレよりも贅肉ぜいにくが付いてしまっている体つき。

業務が忙しくて運動をしていないようだな。

目の下にはクマができていて、

もしかしたら昨日から寝ていないのかもしれない。


集中治療室は、他の病室や診療室よりも

病院の奥に位置しているようだった。

その奥へと続く廊下を歩いている者が、ほとんどいなかったし、

病院側が『エルフ』をかくまってくれているのだと察した。


『エルフ』は、まだ生きていた。


昨晩は、危ない状態が続いていたようだが、

この病院の医者たちが夜通し治療にかかっていたようだ。

いや、医者の話からすると・・・

致命的な病気や怪我をしない限り、この『エルフ』は死ねない状態らしい。


「何もかもが驚くべきことばかりだ。奇跡だよ、奇跡。

まず、彼女は、体中に呪いの紋章が施されていた。

その数は、なんと7つ・・・

普通の人間なら耐えられないものばかりだが、

『エルフ』特有の生命力の強さによって耐えていたようだな。

ひとつを除いて、すべての呪いの紋章は現在、効果が消えている。

だからこそ生きていられたのだ。まさに奇跡だよ。

その残っているひとつの呪いの紋章によって

彼女は生かされている状態だ。あの胸の中心にある紋章が、そうだ。

ほかの紋章ともども調べてみたが、

おそらく太古の『エルフ』が使っていたとされる、自己再生の紋章だ。

我々も古い本でしか見たことが無いから、現代において

あの紋章を見ることができるのも奇跡なんだよ。

あの紋章は、自らの生命力を消費して、体の損傷を回復させる効果があるようだ。

ある意味、寿命が尽きるまで回復できるという、

素晴らしい効果に感じるが、これだけ酷い状態でも

死ねないのは、もはや死ぬよりも辛いことだろう。

やはり、呪いは呪いだな・・・。」


医者が『エルフ』を見ながら、そう説明してくれた。

医者はひどく興奮しているようで、ものすごい早口で説明している。

目の下のクマは、治療に専念していたから・・・という理由だけではなく、

その興奮で眠れなかったのかもしれない。

そして、やたらと「奇跡」を連呼するから、話の内容が頭に入ってこない。


集中治療室という特別な病室の中央に、

巨大なガラスの筒が置かれてあった。

その筒の中は、得体の知れないピンク色の液体で満たされていて、

その液体の中に、ほぼ全裸で浸されている『エルフ』・・・。

息は出来るのか?と心配になるが、大丈夫なのだろう。

目が閉じられていて、眠っているように見える。

手足は包帯が巻かれている。骨折しているようで、包帯で固定しているようだ。

医者の説明通り、体の至る所に入れ墨のような呪いの紋章があり、

胸の心臓あたりにある紋章だけが淡いピンク色に光っている。

たった一晩で、何か変わるわけもなく、

その体は発見した時と同じく、シワシワのミイラ化する寸前の老婆だ。

あの大量の、パサパサしていた白く長い髪の毛は、

綺麗さっぱり無くなって丸坊主だ。

発見時は、左耳に包帯が巻かれていたようだが、

今は取り除かれていて・・・

右耳は長く尖った形状をしているが、

左耳は先端を切り取られていて、オレたちの耳と同じくらい小さい。

首輪は手術で外されていた。


「そ、それで、『エルフ』は、いつ目覚めるんだ!?

いや、いつ目覚めるんですか?」


「先生、この『エルフ』の意識は!?」


興奮している医者の説明を聞いて、

木下とシホも興奮しているように見える。

シホの敬語は久々に聞いたな。


「意識は、まだない。

いつ目覚めるかも分からない。

さっきから言っているように、生きているだけで奇跡なんだ。

本来なら輸血が必要なレベルだが、この『エルフ』に合う血液が

ここには無い。まずは体中の水分不足を解消させなければ・・・。

不本意ながら、呪いの紋章の自己再生のチカラを利用して

血液を循環、血を全身へ巡らせることが先決だ。

魔力が枯渇状態だったが、首輪を外した途端に

魔力が回復し始めたから、あの首輪は魔道具の『カルケル』だったようだな。

それから魔力の回復とともに自己再生のスピードが速まったようだ。

きっと紋章は魔力に影響されるのだろう。

驚くべきは、魔力がまだ回復しきっていないところか・・・

今日はこれから体が血を作るために必要な栄養素の点滴を・・・。

いや、あれはまだこの『エルフ』の体には早すぎるか・・・。

急速な回復は、体への負担が大きい・・・。

しかし、ここへ運ばれてくる過程で起こった

体中の複雑骨折が、たったの15時間で

骨が繋がりつつある・・・これも奇跡的な回復力で・・・。」


医者は早口で、木下たちの問いに答えているようだったが、

途中からは、独り言のように小さな声でブツブツ言っている。

それほど、『エルフ』の回復力は、

医者にとって脅威的で・・・奇跡みたいなチカラなのだろう。

しかし、その回復力は、あの呪いの紋章のせい・・・おかげと言うべきか。


「せ、拙者の腕を治した時とは、

また違った液体のようでござるなぁ。」


「そうだね、ファロスさんは緑色の液体に

腕を浸していたよね。」


医者の話が独り歩きしていたものだから、

大きなガラスの筒の中、

ピンク色の液体に浸されている『エルフ』を見て、

ファロスは、ニュシェと何やら話している。


「あぁ、君に使った薬液は、超特急回復薬だったからね。

とても効果が高く・・・その分、値段も高いわけだが。

このピンク色の薬液は、薬としての効果はほとんど薄い方なんだ。

あえて、そうしている。」


「そ、そうでござるか。」


しかし、聞こえていないと思われた

ファロスたちの会話も、医者にはしっかり聞こえていたらしい。

ファロスたちの疑問にすらすらと答え始めた。


「急激な回復は、体への負担が大きく、

強い回復の効果がある薬には、必ず強い副作用がある。

君みたいに若くて健康体の男なら、何の問題も無いが、

この『エルフ』にとって強い薬は、かえって毒になってしまう。

ただ、この『エルフ』なら、呪いの紋章のチカラで

強い薬の副作用も克服してしまうかもしれない。

しかし、呪いの紋章のチカラに頼れば頼るほど、

この『エルフ』の寿命が縮んでいくのだ。そういう呪いだからね。

一説には『エルフ』の寿命は、平均で1000年だという話もあるが、

個体の寿命となれば、必ず個体差がある。

今日まで、紋章のチカラで、

この奇跡のような状態で生き続けた『エルフ』が、

いったい、あと何年、生きられるのかは正直分からない。

だからこそ紋章のチカラに頼らない治療が必要なのだ。

この薬液は、ほぼ母体の胎内の液体・・・羊水に近い薬液だ。

まさに命の薬液。効果は薄いが、体への負担がほぼ無くて、

徐々に生命力を高める効果がある。

これに、数時間おきに最弱の回復魔法を流すことによって・・・。」


医者は、すらすらと早口で説明し、

いつの間にか独り言の口調で話し続けて、

一人で納得した表情で『エルフ』を見ている。


そういえば、『ソール王国』で世話になっていた

近所の病院の医者も、早口ではなかったが、

一人でべらべらと喋り続けて、他人の話に聞く耳を持っていなかった。

なんというか・・・

全ての医者がこういうやつらばかりではないだろうが、

医者という特殊な職業の人間は、多くの本を読み、勉強ばかりしていて、

人間との会話に慣れていないんじゃないかと感じる。


この医者の話は、難しい言葉ばかりではなかったが、

とにかく早口過ぎて、情報が頭に入りにくい。


「1000年も・・・。」


木下が、医者の説明を聞きながら、

容器の中の『エルフ』を見て、つぶやいた。

オレたち人間の平均寿命は、国によっても違うが70~80歳ぐらいだ。

長生きしても、せいぜい100歳に到達するかどうか。

それに比べて『エルフ』の1000年は、

なんとも・・・途方もない人生だな。

『エルフ』から見れば、オレたちは少年少女みたいなものか。


その1000年生きられる『エルフ』が・・・

約500年間、幽閉されて・・・呪いの紋章のせいで、

その寿命も削られて・・・

いったい、あとどれぐらい生きられるのだろうか。

もしかしたら、このまま治療をしている間に、ぽっくり・・・

なんてことも有り得そうだ。


「ところで・・・大丈夫なのかな?」


シホが聞きにくそうにオレへ話しかけてきた。


「何がだ?」


「いや、ほら、この『エルフ』は人間に幽閉されてたわけだろ?

あんな洞窟に閉じ込められて、こんな目に遭わされたわけだからさ・・・

このまま、手錠も何もないまま回復させて、

いつか目を覚ましたら、

いきなり襲ってくるってこと、無いか?」


シホの言いたいことが分かった。

『エルフ』は人間を毛嫌いするという話も聞く。

それというのも、やはり『エルフ』を奴隷にしたがる

酔狂な王族や貴族がいるからだろう。

この『エルフ』の体に残っている、たくさんの呪いの紋章・・・。

それらは、ひとつを残して、すでに効力を失い、

体力も魔力も回復したら、いよいよこの『エルフ』は自由の身・・・。

この数百年という積年の屈辱と怒りを、目の前の人間たちに対して

ぶつけてくることも考えられる。


「それに関しては、問題はない。

この集中治療器『ドクターピース』は治療専用の魔道具でね。

ひとつの国に、数台、あるかないかっていうぐらい希少な医療装置だよ。

この病院にあるのは、まさに奇跡だ。

回復魔法以外の魔法は、すべて無効にする優れモノだ。

ガラスは高圧に耐えられるほどの分厚い特殊強化ガラス。

見た目以上に頑丈だからね。

丸裸の人間が、これを破壊することは、

奇跡でも起こらない限り不可能だ。」


シホの話が聞こえていたらしく、

これもまた医者はすらすらと早口で説明してくれた。

オレたちには、単なる大きなガラスの筒にしか見えていないが、

どうやら『エルフ』が入れられている筒は魔道具らしい。

武器を持たない人間が破壊行動をするなら、

魔法に頼るだろうが、その魔法が無効化されてしまうなら、

この筒から脱出することは不可能だろう。

ある意味、ちょっと元気になっただけの患者が

脱走してしまわないように考えて作られているように感じた。


「この病院は、素晴らしい施設ですね。

薬にしても、設備にしても、どれも一級品で。

町ではなく、大きな街にあってもおかしくないほど立派です。」


木下がこの病院を褒めるのも、うなづける。

ひとつの町にある病院としては、設備がすごすぎる。

相当な金が注ぎ込まれているのは、素人でも分かる。


「ははは、そうだろう、そうだろう。

この町は医療機関が奇跡的に充実しているからね。

それというのも、ガルカ町長が、

この町に住む者たちの命を守るために、と言って、

この病院を建ててくれたり、私たちのような医者を

ほかの町から招致してくれたり。

彼は本当に、この町を良くしたいと思って行動している。

この病院への投資額も相当なものだ。」


木下の話を聞いて、医者が町長のことをベタ褒めしている。

オレの中の町長の印象は、あのグルースと激しく言い合っていた

頑固オヤジのイメージしかなかった。

息子のことが心配だからこそ、

口やかましく息子に注意をしてしまう、そんな感じだ。

仕事の面では、

『ヒトカリ』へ『ゴブリン』討伐の報酬金を出したり、

こういう病院の施設を充実させたり、

この町のために力を尽くしている、真面目なやつらしい。

さぞかし人望も厚いのだろう。




とりあえず現状では、

『エルフ』の安全が確保されていることを知り、オレたちは安心した。

いつ目が覚めるのか? 寿命が尽きてしまわないか?

それは医者でも分からないのだから、

予断は許されない状態だが、あとは天に任せるしかないようだ。


オレは、今一度、装置の中にいる『エルフ』を見た。

洞窟で発見した時のように、目を開けることもなく、

まるで安らかに眠っているようにしか見えない。

「なぜ、オレを見て、竜騎士だと分かったのか?」

そう問いただしたい気持ちを押し込めて、

オレたちは、集中治療室をあとにした。




廊下へ出てから木下は、奴隷だった人たちの契約書を

医者に見せて、相談し始めた。

契約書を焼却してしまえば、奴隷だった人たちの体に

付けられた呪いの紋章の効力と痕跡は消える。

だが、そのことで体に影響はないのかを

木下は医者に確認したかったようだ。


「焼却する前に、よく聞いてくれたね。

呪いの紋章は、たかが呪い、されど呪い・・・

体だけじゃなく、精神への負担も大きいんだ。

奇跡的に契約書の焼却で、効力の無効化に成功しても、

最悪の場合、精神が不安定になり、崩壊してしまうことも有り得る。

だからこそ、呪い、なんだよ。」


木下の質問に、また早口ですらすら答え始めた医者。

話の半分くらいしかオレには理解できなかったが、

呪いは、体だけじゃなく、心身ともに束縛するものらしい。

呪いを受けている間は、もちろん不自由なのだが、

その不自由な状態が続くと、人間の心は、その状態に慣れていき、

やがて、その不自由な束縛に、心が安定してしまうらしい。

束縛は執着に変わる?という。

そこまでいってしまうと、急に束縛が解かれた時に、

心がまた不安定になるようだ。

不自由な状態から、急に自由になった時、

人間は、何をしたらいいか分からなくて不安定になるという・・・。


あぁ・・・医者の話していることは理解しがたいが、

その部分だけは、なんとなく分かる気がした。

今まで、真面目に、仕事一筋で生きてきたオレが、

急にリストラされて、仕事を奪われてしまった・・・

あの時の、喪失感・・・虚無感・・・孤独感・・・。

きっと奴隷だった人たちが呪いから解放された時には、

オレがあの時感じたモノと、似たような感覚を味わうのだろう。


奴隷だった人たちが受けた呪いは『服従』の呪いだ。

契約書には、奴隷商人たちの名前や、

中には、貴族っぽい名前も記されていた。

そして、従者の名前の記入欄には、血痕が付いているだけ。

奴隷にさせる者を、最初に傷つけ、血を流させて、

その血を勝手に契約書に付着させている。

たったそれだけで、この契約書は効果を発揮して、

従者たちは勝手な発言も行動もできなくなるのだという。

この国では奴隷制度が残っているために、

奴隷自体は違法ではないが、契約書に

従者の名前を記入させていないのは違法らしい。

だが、その違法も、貴族の権力でねじ曲げられているのだろう。


オレたちは医者とともに、

奴隷だった人たちが入院している病室を訪ねて行った。

まずは男たちから。

男たちは体中にアザがあり、満身創痍な状態の者もいるが、

精神的にまいっている者が比較的、少なかった。

患者本人に説明してから、目の前で契約書を燃やす。

男たちの腕にあった紋章が、みるみる消えていった。

気分を害しているやつは少なかったが、

中には、意識を失いかけるやつもいた。

それほどまでに、

呪いのチカラは心身ともに負荷がかかっているということだ。

続いて、女性たちと子供たちだが・・・

男たちに比べて、体力的にも精神的にもダメージが大きく、

まだ回復しきっていない内に

契約書を焼却するのは危険だと医者が判断した。

残りの契約書は、医者に預けておくことになった。





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