500年前の『エルフ』
オレと木下は、およそ500年前から『炎の精霊』が
侵入者を拒んでいた広場から、さらに奥の通路へと進んだ。
この数百年、誰も通っていなかった通路は、
ほかの通路となんら変わりない。
ジメジメしていて、通路の壁のあちこちに苔が生えている。
『炎の精霊』に守らせていたぐらいだから、
もしかしたら、ほかにも罠が仕掛けてあるかも、と
木下に言われて警戒しつつ歩いていたが、
特にそれらしきものは無かったようだ。
少し曲がりくねった通路を進んでいくと・・・
「こ、ここか?」
「た、たぶん・・・。」
広い空間へ辿り着いた。
数百年間、誰も足を踏み入れていないのが伝わってくるほど、
空気が澱んでいてホコリっぽい。
ほかの元・採掘場と似たような広場。
ただ、ほかと違っているのは採掘場だったとは思えないほど、
本棚がずらりと並んでおり、難しそうな本がおさまっていた。
テーブルとイスも多数、乱雑に置かれている。
本が並んでいない棚には、緑色や紫色、赤色など
何やら薬っぽい液体が入ったガラスの瓶が
何十本も立ち並び、その瓶の中には、小動物の死骸や
よく分からない臓器?のような、得体の知れないモノが入っていたり。
なんとも気味が悪い・・・。
瓶の縁には、びっしりとカビが生えていて、
近づくと少しツンとしたニオイを発しているようだった。
ただ、残念というか、オレの予想通りというか・・・
木下には悪いが、こうして広場の入り口に立っていても、
気配をひとつも感じられない。
この場には生きている者がいないと思われる・・・。
「おじ様、不用意に触らないでくださいね。
おそらく何かの薬液が入っているようなので。
毒の危険も有り得ますから。」
「う、うむ。」
木下に注意されなければ、うっかり触っていたかもしれない。
カビ臭いニオイ以外は臭っていないが、
あまり瓶の近くでニオイを嗅がないほうが良さそうだ。
並んでいる棚の奥へ進むと、ホコリが積もっていて
これまたカビ臭そうな、黄色っぽい茶色のベッドが何台も並んでいる。
元々は真っ白いシーツのベッドだったのかもしれない。
ベッドが並んでいる様子を見ていると
まるで、病院のような雰囲気がある。
「まるで・・・研究所みたいなところですね。」
木下は、オレとは違う雰囲気を感じ取っているらしい。
研究所というものがオレには分かっていないが、
言われてみれば、病院の病室よりは
本棚に難しそうな本がたくさん並んでいて、
液体が入った瓶が並んでいる様子は、
なにかの研究をする場所っぽいかもしれない。
そういえば、昔、息子・直人が大学へ進学した後、
研究とかなんとかいって、自分の部屋の棚に、
変な色の液体を入れた瓶とか、難しそうな本とか並べていたな。
「なんの研究だったのやら・・・。」
この場にしても、息子の部屋にしても、
見ただけでは、なんの研究をしていたのか、オレにはさっぱり分からない。
数台のテーブルの上には、書類らしき紙の束が
山積していたり、ところどころ
黒っぽい色に変色したテーブルやベッドもある。
「・・・。」
いや、黒っぽい色は、よく見ると赤黒い。
これは血が固まったものか。
以前、『レスカテ』のあの洞窟の奥の、
バンパイアがいた広場の地面の色が、まさにこの色だった。
数百年前に、何かの血が飛び散り、
それが、ずっとこびりついている感じだ。
さらに奥へ進むと・・・
「きゃっ!」
「!」
木下が思わず叫びそうになり、オレの腕にくっついてきた。
オレたちが持っていたランプの灯りに照らされて
浮かび上がったのは、天井からぶら下がっている鎖の手錠。
そのすぐ下の地面に横たわっている白骨の死体・・・。
おそらく、最初は手錠でぶら下がっていたが、
死後、皮と骨だけになって手錠から手の部分が抜けて
その場に崩れ落ちたのだろう。
ということは、こいつが?
「こいつが、『エルフ』・・・だったんだろうな。」
「は、はい・・・。」
オレの問いに、木下が震えた声で答える。
これまでも何度か白骨化した死体は見てきているはずだが、
急に、白骨を見たから驚いたのだろう。
肘に柔らかいモノが・・・いや、今はそれどころではない。
オレは、白骨の死体をランプの灯りで照らして、注意深く観察してみた。
本当に、囚われていた『エルフ』なのだろうか?
こうして白骨化してしまえば、普通の人間と変わらないな。
死体の周りの地面が赤黒い。
そして、死体は衣服を着ていない。
その周りにも、それらしき物が落ちていない。
ということは、こいつは
初めから裸のまま吊るされていたのだろう。
「こいつ・・・下半身が無いな。」
「え!?」
オレの言葉に驚いて、目を背けていた木下が
オレの肩越しに覗き込む。
白骨の死体は、横たわっている状態だが、
よくよく見れば、上半身の骨しか残っていない。
腰や足の骨が、この場に無い。
「ど、どういうことでしょうか?」
「どうもこうも・・・オレは専門家じゃないが、
こいつは、初めから下半身が無い身体障碍だったか・・・
地面に大量の血の跡があるから・・・、
もしかしたら、拷問を受けていたのかもしれないな。」
城門警備の仕事に就く際、
犯人と思われし者を捕えた時に自白させるための
拷問方法を、先輩たちから教えられた。
実際に、そういう状況になったことはなかったから
誰かを拷問したことは無いが。
「ご、拷問・・・。」
「あくまでも予想だけどな。
心臓から遠い体の部分から切り刻んでいくという
拷問の方法があるんだ。」
「ひぃ、き、聞きたくないです!」
「そ、そうか。」
『スパイ』である木下なら、この手の話は学校でも習っているだろうが、
こいつは学校でも、こうして耳を塞いで授業を聞いていなかった可能性があるな。
いや、それよりも・・・
そういう拷問方法があるとして、下半身が無くなるほど
切ってしまえば、囚人が死んでしまうのは当たり前のこと。
何か情報を聞き出したかったのなら、
死なない程度に切り刻むものだが・・・。
これが死因ならば、もはや拷問というより殺人だな。
いったい、ここで何が行われていたのだろうか・・・。
「しかし・・・
結局、真の主とやらは亡くなっていたわけだな。」
『炎の精霊』は、「好きにしろ」と言っていたらしいが、
こんな白骨の死体をどうしろというのか。
オレが、そう結論付けると
「い、いえ、おじ様、まだ結論には早いですよ。
囚われていた『エルフ』は2人のはずですから。」
木下が、そう答えた時、
ガザッ
「!?」
オレの足が何かを踏んだ音がした。
それまで地面を踏んでいた足音が、
まるで枯れ葉を踏んだような音をさせたので驚いた。
ランプで自分の足元を照らすと・・・
「おじ様? な、何を踏んだのですか!?」
「わ、分からん・・・。白いナニか・・・なんだ、これは?」
薄暗くて、よく見えないが、
真っ白な草のような・・・木の枝のような・・・?
聞こえてきた音と形状からして、それっぽいが、
なにか違う気がする。
よくよく見てみると、それは草でも枝でもない。
糸の束のような・・・
「こ、これは・・・!? か、かみだ・・・。」
「なんだ・・・紙ですか。」
「いや、その紙じゃなくて・・・髪の毛だ。」
「えぇ!?」
オレが踏んでいたのは、真っ白な髪の毛のようだった。
長い、長い、とんでもなく長い髪の毛が地面を覆うほどに。
おびただしい量の髪の毛だ。まるでそういう生き物のように見えてしまう。
足で踏んだ髪の毛は、ガサっという音とともに粉々になった。
ランプの灯りで、その髪の毛の流れを辿って照らすと・・・
「あ・・・!」
「きゃっ!」
そこに、もう一人の『エルフ』の死体があった。
しかし、なんだ? 白骨化していない!?
シワシワの皮膚!? これは!?
いや・・・小動物より小さい、かすかな気配が!?
「い、生きているのか!?」
「まさか!」
有り得ない!
こんな、飲まず食わずで、真っ暗な闇の中、
たった一人で・・・どうやって生き延びたんだ!?
ガザッ ガサリッ
オレたちは、恐る恐る
その『エルフ』に近づいて行った。
地面に伸びている大量の髪を、やむを得ず踏んでしまうが
髪は踏むだけで枯れ葉のような音を立てて崩れる。
2人で、ランプの灯りで、その『エルフ』を照らしてみた。
やはり、信じられないことに白骨化していない!
病院の手術室にあるような台の上に仰向けに寝かせられている。
この『エルフ』も、服を着ていなくて全裸だ。
全身真っ白な肌、体中がシワシワ・・・全身、皮と骨しかない。
普通に考えて、白骨化していなくても、この状態なら死んでいるはずだ。
乾燥しきっていて、ミイラになる一歩手前の状態。
胸のあたり、乳房の部分が・・・水分を抜かれた、しなびた果実のように
ひょろりと皮が垂れ下がっているようだし、
さりげなく、しわくちゃの下半身、真っ白な毛が生えている部分を見れば、
男のアレがないから、こいつは女性なのだろう。
500年前から生きていたのなら、こいつは500歳以上の老婆だな。
顔もシワシワ。目の部分がくぼんでいて、頬がこけている。
口が半開きで、歯が見えている。微妙に呼吸をしているようだ。
しおれた耳は、人間よりも長く尖っているが、
左の耳だけ・・・包帯が巻かれていて小さくなっている。
耳が長いところは、教科書で見た『エルフ』の特徴とそっくりだ。
地面を這うように伸びきった髪の毛は、真っ白でガサガサしている。
手足の爪が伸び放題で、ぐるぐると伸びた爪が指先からぶら下がってる。
シワシワで分かりにくいが、体のあちこちに・・・入れ墨か?
何やら文字や記号?絵?のようなモノが黒色で書かれてある。
胸の部分、心臓の位置に、ハートの形っぽい入れ墨があり、
その入れ墨だけが、ほのかなピンク色で光っているようだ。
そして、胸のあたりが微妙に隆起している。呼吸している証拠だ。
台の下には、鎖付きの手錠が2~3個、地面に落ちていて、
首にかけられている首輪からは鎖が台の下へと伸びている。
おそらく、この台の上に張り付けられたまま、痩せていって、
手足の手錠や足枷が抜け落ち、首輪だけ残ったのだろう。
首輪さえ無ければ、こいつだけでも逃げ出せたのか?
いや、手錠や足枷が抜けてしまうぐらい痩せた後では、
自力で立ち上がることもできないか。
股の下の位置、台の下に、少しこんもりとした砂山が・・・
あれは風化した糞尿の跡か。
何もかも干からびていて『エルフ』からは何も臭ってこない。
「こ、こんな状態で、まだ生きているなんて!」
木下が興奮したような声を上げる。
いや、興奮というより恐怖を感じているのだろう。
実際、よく観察しても、やはり信じられない状態だ。
どうして、こんな状態で生きていられるのか?
まさか・・・
「もしかして・・・こいつ、魔物化してるんじゃないか?」
「え・・・まさか!?」
オレたちは、そのまま『エルフ』を観察し続けた。
尖った耳が『エルフ』の特徴だと記憶していたが、
よくよく思い出せば、『レスカテ』のあの洞窟の奥で
遭遇した『バンパイア』も耳が尖っていた。
洞窟の奥で・・・飲まず食わず・・・生き続けている・・・
あの『バンパイア』と状況や特徴が似すぎている。
これ以上、近づくのは危険か!?
「いえ・・・おじ様、この入れ墨は・・・
この紋章は、呪いの紋章です!」
「呪い!? あの奴隷たちに使われていた呪いか!?」
「はい。私の専門分野ではないので詳しくはないのですが、
この体中の入れ墨みたいな跡は、あの奴隷にされた人たちの
腕に施されていた紋章と、似たようなものです。
どんな効力なのかまでは分かりませんが・・・。
ほかの紋章は、もう効力がなさそうに見えますが、
この胸の紋章だけが、今も効力を失っていないようです。
たぶん、この人は・・・呪われて、生きている・・・。」
驚きと恐怖で冷静さを欠いていた木下だったが、
ようやく落ち着いて、目の前のことを分析できるようになったか。
「呪われて・・・。」
木下の話は、半分くらいしか理解できていないが、
どうやら魔物化しているわけではないようだ。
あの奴隷たちと似たような、呪いの紋章のせいで、
数百年、今日まで生きていたというのか・・・。
ピキッ
「!」
小さな音がミイラから・・・いや『エルフ』から聞こえた気がした。
パキ パキッ
「お、おじ様・・・め、め、目が・・・!」
木下の震える声を聞いて、注意深く見ると、
くぼんでいる目の部分、まぶたが
痙攣しているようにピクピクと!
よく見れば、まぶたには、長い睫毛があり、
その睫毛には、目ヤニらしきモノがびっしり固まって付いていた。
気が遠くなるような長い間、まぶたを開けていなかった証拠だろう。
それを無理やり開こうとしているようだ。
パキッ パキンッ
「ひ!」
目だけじゃなく、半開きだった口も少し動いた!
やはり、こいつは生きている!
パキ ピキッ
「本当に・・・生きている!」
オレは驚きながら、少し近づいてみた。
パキッ
「・・・ぁ・・・。」
声なのか呼吸なのか分かりにくいほど
小さな音を発する口が、ゆっくりと動いている。
乾ききった何かが壊れるような、
この音は、まさかアゴの骨が砕けているんじゃないだろうな?
パキィ
まぶたが半分開き、虚ろな目が空中に視線を泳がせる。
「おじ様、ランプを下へ。
暗闇に慣れきった目に強い光を当てると失明する恐れが・・・。」
「お、おぅ・・・すまん・・・。」
オレたちは、ランプを下へ下げて、
『エルフ』の目に灯りを当てないようにした。
失明する恐れ、か・・・
すでに失明していてもおかしくない状態だ。
パキンッ
やがて、近くにいるオレと『エルフ』の目が合った。
ドキっとする。
灯りで照らしていないから見づらいが、
半開きのまぶたの奥、『エルフ』の瞳は黄色のようだ。
そして『エルフ』の乾ききった口が、ゆっくり動き、
パキ コキッ
「ぃ・・・ゅ・・・ぅ・・・ぃ・・・ぁ・・・ぁ・・・。」
声が漏れてくる。
虚ろな目が、何かを訴えかけてくるように見える。
「だ、大丈夫か!?」
誰がどう見ても大丈夫ではないのだが、
こんな時、どんな言葉をかければいいのか分からず、
オレは不適切な言葉をかけてしまっていた。
声をかけたところで、耳が聞こえているかも分からない。
「おじ様、何か喋っているようですよ・・・。」
木下がささやくような小さな声で、そう言ったので、
オレは黙って、『エルフ』へ耳を傾けた。
「い・・・ゅぅ・・・いぃ・・・ぁ・・・ぁ・・・。」
さっきよりも言葉らしき声が聞こえてきた。
オレは、そのか弱い声を拾うために
さらに耳を『エルフ』の口へ近づけた。
パキ メキ ピキッ
先ほどよりも乾いた音が、耳に響いてくる。
筋肉もない、潤いもない唇を、無理やり動かして、
もしかしたら、そのまま口が裂けていくような・・・
そんな音とともに、『エルフ』の声が、はっきりとオレの耳に届いた。
「はっ!?」
その瞬間、背筋が凍り付いた。
オレは、自分の耳を疑った。
「え、今・・・なんて・・・?」
『エルフ』は、オレにこう言った。
「りゅうきしさま」と。




