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二人目の証言者:宰相ボリス・メルヴィル

 君も知っての通り、プティ・サフィール宮殿は現在閉鎖されている。あの宮殿は、マリアンヌ様が亡くなってからの状況からほとんど手を加えられていないのだ。もちろん君や君の部下達には捜査権がある。気のすむまで調べてくれ。それで得るものがあるかは別だがね。少なくとも、ここで私達に同じ証言をさせるよりは時間を有意義に使えるだろうな。

 ふむ、気分を害したかね? それは申し訳ない。ではせめてもの詫びに、少しでも新しい証言ができるよう配慮してやろう。なに、事件を早く解決したいという気持ちは私も同じなのだ。

 前置きはここまでにして、さっそく証言させてもらおう。私はボリス・メルヴィル。枢機卿にしてリシェイユ公爵であり、ここフランカシア王国において宰相位を賜っている。この名の名誉において、私は真実しか告げぬことを誓おう。

 ……これから話すことが老人のたわごとでないと、私自身も断言はできない。しかし少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 他の者達も目撃したであろう部分は言わぬ。おそらくは私のみが目撃したであろう部分のみを語ってやろう。君が望むなら、補足の説明をしてやることもやぶさかではないが。

 さて、遺体を発見したときの状況は当然殿下から聞かされているとは思うが……あの時の殿下は軽い錯乱状態にあった。失礼ながら、まともな証言ができたとは思えない。殿下に代わり、私が詳しく説明したほうがよろしいか?


 ――――そうか、ならば語ろう。あの時マリアンヌ様の部屋に何があったのか。


 部屋の扉を叩いてもマリアンヌ様からの応答がなかったため、我々はヴァレー伯爵夫人に開錠を依頼した。夫人はためらったが、それでも鍵を開けてくれた。

 マリアンヌ様は部屋の中央で横たわっていた。室内に争った形跡はなく、窓は開け放たれていた。……部屋に踏み入ったとき、私はしかとこの目で見た。その窓から何やら黒いものが飛び出していくのをな。あれは一体何だったのか、私は今でもわからない。

 マリアンヌ様の命を奪ったのはあの方の胸に刺さったナイフだ。柄には何やらおどろおどろしい紋様が彫られていたな。あの方の血でべっとりと汚れていたせいで、余計不気味に見えたものだ。

 あの方がお召しになっていた白いドレスは、殿下があの方のためにと贈られたものだった。あの方のためだけに仕立てられた最高級のドレスは、ほかならぬあの方自身の血でもう誰にも着ることができないほど汚れていたが。

 女主人に贈られるドレスは、どんな形であれいずれ他者の手に渡るものだ。たとえ殿下からの贈り物であろうとそれは変わらない。それなのに名実ともにあのドレスはマリアンヌ様だけのものになったのだから、マリアンヌ様はお喜びになるかもしれないな。……と、つい余計なことを言ってしまった。今の言葉は忘れてくれ。さすがに不謹慎だった。私が言いたかったのは、それほどマリアンヌ様は殿下を愛していたということと、あの時の出血量は致死量に相当するに違いないということだ。


 変わり果てたマリアンヌ様を見た殿下は取り乱し、あの方の亡骸に縋った。……冷たくなった最愛の女性を抱きかかえて慟哭するさまは、痛ましいの一言に尽きたよ。

 伯爵夫人はふらりとよろめき、崩れ落ちてしまった。ご婦人にはいささか刺激が強すぎる光景だ、それも仕方あるまい。慌ててエルヴェが夫人を支えたのが見えたので、彼女のことはエルヴェに任せた。なにせ、伯爵夫人とエルヴェは実の親子なのだから。実の息子であるエルヴェなら、私よりもよほど伯爵夫人の心に寄り添えるだろう。

 エルヴェには、伯爵夫人を外にお連れして人を呼ぶように指示を出した。その際、伯爵夫人はエルヴェとともに部屋を出ている。その後、エルヴェはすぐに衛兵達を連れて戻ってきてくれた。伯爵夫人の姿は見えなかったが、きっと伯爵夫人は人の多い場所で休まれていたのだろう。あのような光景を見てしまったのだ、それも無理はあるまい。

 エルヴェ達が戻ってくるまで、私は殿下を抑えるのに必死だった。悲しみに暮れる殿下を揺さぶり、退室を促したのだが……あの時の殿下はいささか気が高ぶっていらした。殺人者への憎しみを叫び、開け放たれた窓から飛び降りようとなさったのだ。私は慌てて殿下をお止めしたのだが、なにぶんこの老体だと若い盛りの青年を捕まえるにはひどい苦労を伴う。殿下はあまり運動をたしなまれないお方なのだが、あの時の殿下はまるで人が変わったようだったのだ。

 やっとのことで殿下を落ち着かせることができたとき、私はすっかり息が上がってしまっていた。もう動きたくないと思えるほどにな。これ以上マリアンヌ様の部屋にいたら、殿下が何をなさるかわからない。そう思い、私は必死で殿下を外にお連れしたのだが……その時、私は見てしまったのだよ。

 扉を開けたとき、私は何の気なしに振り返った。マリアンヌ様の指先がさらさらと崩れていき、どんどん金の粉に変わっていく。粉はやがて蝶となり、導かれるように窓から出て行った。

 私は呆然としながら目をこすったが、同じものは二度と見えなかった。金の粉も、金の蝶も、崩れかけた亡骸も。当然、幻覚だと思った。だから私はそのまま部屋を出たのだ。

 殿下をなだめながら衛兵達が来るのを待ち、彼らとともに扉を開けた時、私はひどく驚いた。亡骸が消えているのだから。血の海の上には白いドレスのみがあり、その上には白い花びらが散りばめられていた。……その周囲に金の粉が散っていることに気づいたのは、恐らく私ぐらいのものだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私はその光景を見てしまった。一部始終ではないが、その瞬間をこの目で見てしまったのだ。

 老人のたわごとにしか思えないだろう? 私も信じられん。だが、私はこう言うしかないのだ。何故なら私は、それを目撃したのだから。

 その後は君も知っての通りだ。その日すぐに事件の捜査が始まり、こうして関係者が取り調べられている。


 他に訊きたいことは……ああ、私があの日プティ・サフィール宮殿に赴いた理由か?

 それは殿下の王位継承にかかわることゆえ――なんだ、それについてはもう知っているのかね。ならば隠す必要はないようだ。……これから話すことは他言無用で頼む。いかに君が法の番人とはいえ、正式な発表があるまで口外は許されない。事件に直接関係のないことだ、それでも白日の下に晒すなら相応の覚悟はしてくれたまえ。

 君も知っての通り、殿下はこの国の王位継承権を放棄しようと考えていらっしゃる。これはマリアンヌ様が現れる以前から考えていらしたことのようだ。……まったく、歯がゆいよ。国の総意ではなかったとはいえ、こちらから招いた方であるのにそのような肩身の狭い思いをさせてしまったなどと。

 正直に告白してしまえば、陛下がこの国に来たばかりの時は、陛下を客人としてしか……飾りの王としてしか見ていなかった。何故なら私はボリス・メルヴィル。我がメルヴィル家は、フランカシア王国でも最も歴史の長い家だ。我が家は代々リシェイユ公爵位を賜っている。この誉れ高い名に殉ずるべく、私は生まれた時よりこの命を王のために捧げた。枢機卿の任も負っているが、私が真に忠誠を捧げているのは神でも教皇でもなく、この国の王なのだ。そう、我が身は先王陛下シャルル三世のためにあると言っても過言ではない。他国から来た貴族は確かに尊い存在ではあるが、私が王と崇めて跪く相手ではないのだ。 

 しかしマリアンヌ様は先王陛下が継承権をゆだねた女性であり、そのマリアンヌ様はシモン一世とフェリックス殿下をこの国の王と認めた。ゆえに私は、シモン一世が開いたハーヴェル朝を正統な王朝として認めた。宰相として王を支えることに決めた。この気持ちに偽りはない。

 私が何故マリアンヌ様を信じるのか? 答えは簡単だ。あの方の持つ印章と遺書の偽造は不可能だからだよ。

 この世に二つとない印章……この国の王のみがはめることを許される王の指輪は、一日の大半ははめていなければならない。しかし病に伏した先王陛下はいつのころから外してしまい、指輪のありかについては“信頼できる者に預けた”とだけ言った。そのときから指輪は行方不明だ。私ですらそのありかは知らん。

 ……実はあの指輪には、小さな傷がいくつもついている。建国の祖が聖女マリアンヌから賜ったとされる指輪なのだ。何百年も前から受け継がれているものだ、どれだけ大切に扱っていても細かい傷がついてしまうのは仕方あるまい。そしてマリアンヌ様が我々に見せた指輪は、確かに歴代の傷が刻まれていた。

 もちろんこれだけでは根拠としては薄いだろう。私は記憶力には自信があるが、証拠がそれのみではな。だが、もう一つ証拠があるのだ。

 それは指輪の裏に刻まれた文字だ。本来あそこには【神の祝福あれ】と刻まれていたのだが、いささかすり減ってしまってスペルが読みづらくなり、【神の呪いあれ】と読めるように変わってしまったのだ。それを知っているのは、あの指輪の裏を見ることが許されるほどに王に近しい人物のみだ。当然、マリアンヌ様の指輪の文字もそうなっている。不吉な文字だが、だからこそまさかそんな文字が指輪に彫られているとは思わないだろう? あれが偽物ならば、それほど精巧な偽物を作り上げるその執念に敬意を示したいところだ。

 ……実はマリアンヌ様が現れる前、いくらなんでもあの指輪は古すぎるし、なくなったのをいいことにまったく同じデザインの指輪を新たに作ろうとする話が筆頭貴族の間で持ち上がっていたのだが、まさかあの年季の入った指輪がこんなところで役に立つとはな。

 それに、これは公にはなっていないことなのだが……実は陛下の遺書の存在は、筆頭貴族の間では周知の事実だったのだ。無論内容まで知り及ぶ者はいなかったが、そこに継承にまつわる事項が記されているのは明白だった。惜しむらくは、遺書のありかを誰一人として知らなかったことだがね。おそらく陛下はなんらかの意図と手段をもってしてマリアンヌ様に遺書を託されたのだろう。


 それはさておき、殿下の継承権の話だ。マリアンヌ様によりご自身の地位が保障されてからも、殿下はたびたび悩んでいらっしゃった。そして決意なさったのだ。妃殿下と離縁したのち、祖国に帰ってハーヴェル選帝侯を継ぐのだと。そのとき、殿下はマリアンヌ様に隣にいて欲しいと強く願った。

 マリアンヌ様は王子の寵姫であると同時に、我が国においては聖女の生まれ変わりと目されているお方。殿下の一存で国外に連れ出すわけにはいかない。しかし私としては、マリアンヌ様の存在が宮廷をかき乱すことのほうが困るのだ。

 すでにマリアンヌ様を担ぎあげて国家転覆をもくろむ輩の影も見つけている。こちらはとうに潰したが、新たな反乱分子が現れないとも限らない。それに、マリアンヌ様がいることでハーヴェル朝の正当性を認められては困る輩や、単純にマリアンヌ様個人を目障りに思う輩もいるのだ。

 それらの面倒事を一度に排除できるのならば、殿下とマリアンヌ様が国を出るのも必要な犠牲だと私は思った。すると私は仕えるべき王を、そしてこの国は頂くべき王を失うことになるのだが、それもやむをえまい。それに王など、私自身が認めずとも民が選べるものだ。私は国を去った“王”の(めい)に従い、新たな王を支えればいい。

 マリアンヌ様は迷っていらっしゃったようだが、殿下の説得に心を打たれて帝国に渡る決意を固めてくださった。あの日私達がプティ・サフィール宮殿に行ったのは、それについての話し合いをするためだったのだ。エルヴェ? ああ、彼はただの護衛にすぎん。護衛と言っても形式的なものだが、エルヴェが何も知らないことにかわりはない。


 ――――あの日、誰がマリアンヌ様を殺したのか。私には皆目見当もつかない。だが、こう思うのだ。フランカシアを捨てて他国に渡ろうとした“フランカシアの聖女”に、神が呪いを与えたのではないか、と。

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