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一人目の証言者:王子フェリックス・ド・ハーヴェル

 改めて名乗ろう。我が名はフェリックス・ド・ハーヴェル。この国の唯一の王子だ。……この名を万人が心から認めるかどうかは別だがな。

 煩わしいことは嫌いだ。余計なことは省略させてもらおう。それで不満はないはずだ。我が寵姫マリアンヌ、彼女の死の真相を突き止めることこそそなたの今の仕事なのだから。

 我が最愛の女性、最高の友にして最大の理解者、マリアンヌ・ド・ラファイエット。私から彼女を奪う者があれば、私はその者を未来永劫許さぬであろう。それなのに、私は()()()()()()()()()

 これ以上彼女を穢すことは、何人たりとも許さない。これからそなたが為すべきは、マリアンヌに安らかな眠りが訪れるよう真実を導くことのみだ。それ以外のことを私は認めんぞ。彼女の心を土足で踏み荒らすなどもってのほかだ。この言葉、肝に銘じておくがよい。


 寵姫の名が示す通り、私とマリアンヌは深く愛し合っていた。政略で与えられた仮初の妃ではない。マリアンヌこそが我が真実の伴侶。我が愛はマリアンヌにのみ向けられるものなのだ。だが、私達の間にあったのは男女の感情だけではない。崇高な友情と、互いを尊敬し思いやる心。それもまた私達をつなぐものだった。

 私は、彼女に寵姫の地位を与えた。彼女は私に庇護を求めたし、私もまた彼女のことを何より尊く思い、慈しみ、守りたいと思っていたからな。……寵姫の地位は、彼女に対する私の想いの表れであると同時に、政治的に重要な処置だった。

 そなたも知っての通り、マリアンヌ・ド・ラファイエットはある日突然我々の前に現れた。高貴な白のドレスを身にまとい、深紅の薔薇をまとわせて佇むその姿はまさしく永遠の淑女マリアンヌ。奇しくも伝承の聖女と同じ名前を持つその少女は、何より美しかったがそれと同時に儚かった。

 このフランカシアの初代王が、天から舞い降りた聖女マリアンヌに祝福されてこの国を建国したという伝承は、いくら私が余所者であろうと知っている。ましてそれと同様のことが私の身にも降りかかったのだ、なおさら印象づけられるというものだろう。

 八年前、私は父とともにこの国に来た。私が十のときだ。しかしそれから七年間、私達は王族として認められなかった。招かれて来たと思えば冷遇されたのだ、父が在位一年目にして祖国に戻るのも無理はない。私はこの国で得難い友人と知り合うことができたし、ロジーヌと婚約したのでこの国にしばしば滞在するようになったが……。

 一年前に私達の前に現れたマリアンヌ・ド・ラファイエットは、この国の老貴族どもが執着する“正当な血統”とやらをもってして我が父の一族をこの国の王だと保証した。私こそが正当なる次の王だとした。それにより私達に対する風当たりは和らぎ、この国の民は我々を受け入れたのだ。……わずか一年前のことだ、そう簡単には忘れぬよ。

 マリアンヌが示したのは、失われたはずの前王の印章と遺書だった。【マリアンヌ・ド・ラファイエット。この者こそ新たなる王を導く者なり。彼女の指名した者がフランカシアの真の王である。もし王たるにふさわしき者いなければ、すべては天の主の御許へ戻るであろう】……はは、マリアンヌが議会であれを高らかに読み上げた時の元老院の顔は今でも忘れられん。

 印章も遺書も本物だった。どういった経緯で前王にゆかりのある品をマリアンヌが手に入れたのか、彼女は明かしはしなかったが……それも聖女の生まれ変わりがゆえの御業だと思えば十分だろう?

 前王シャルル三世、そして現代の聖女マリアンヌの託宣により、そなたらフランカシアの民は……たとえ心の奥底ではどう思っていようとも、父と私を認めざるを得なくなった。我が父を祖とするハーヴェル朝が本当の意味で開かれたのは、きっと一年前のあの日からだろうな。

 しかしマリアンヌに公的な身分は存在しなかった。彼女はあくまで“聖女の生まれ変わり”、それ以上でもそれ以下でもないのだ。ゆえに彼女はそれを求めた。己がもたらす波乱が己の身にどれほどの危険を及ぼすのか、彼女は正しく理解していたのだろう。

 だから私はそれを与えた。それこそが王子の寵姫……否。次期国王の公妾という地位だ。これでわかっただろう、私が彼女を庇護する理由が。そこに私情がなかったとは言わない。だが、愛欲に溺れただけの判断だったわけではないのだ。愛情が半分、政治的判断が半分といったところだろうな。

 当時、私にはすでに妃ロジーヌがいた。そなたも知っておるだろう。レーアン侯爵家の娘だ。方々に強い影響力を持つレーアン侯爵の後ろ盾があれば少なくとも息子は次の王として認められると、父は強く信じていた。……実際にはレーアン侯爵の名も、燃え盛る業火にコップ一杯の水を投じる程度の効果しかなかったようだが。そのレーアン侯爵も私とロジーヌが婚礼を挙げる少し前に病に倒れてしまったのだから、なおさら彼の影響力は期待できなかった。

 マリアンヌを我が寵姫とすることについて、ロジーヌは何も言わなかった。言いたいことはあったかもしれんが、それを口にすることはしなかったと言ったほうが正しいか。ロジーヌは私を愛してなどいないが、王子の名は愛している。私がマリアンヌを愛することについて、思うところはあったに違いない。たとえば、王子妃という地位をマリアンヌに奪われてしまうとか。

 だが、私はロジーヌとマリアンヌを平等に扱っていたつもりだ。私が心から愛していたのはマリアンヌだが、ロジーヌにも最大の敬意を払っていた。……ロジーヌも、寵臣を囲っていたようだからな。私からの愛が空虚なものだったとしても、ロジーヌに不満はないだろう。そもそも私達の結婚は、互いの意思を無視して行われたものだ。ロジーヌが私に求めたものなど、王子妃の地位とそれに付随する金と権力しかないさ。私が本心から彼女を愛したところで、ロジーヌは鼻で笑うだけだろう。

 私の自由を保障するロジーヌ、私の身分を保障し私の心を受け入れてくれたマリアンヌ。どちらも私にとっては大切な、得難い女性達だ。だからこそ私は、国王としてロジーヌを愛し、男としてマリアンヌを愛していた。


 マリアンヌには求められぬ支援をロジーヌは与えてくれた。彼女は我が妃。その実家であるレーアン侯爵は、マリアンヌの神性による後ろ盾とはまた違う、物質的な意味での後ろ盾だ。妻の心が私のもとになく、当主が臥せっていたとしても、家の名ぐらいは使えるさ。

 ロジーヌには吐けぬ弱音もマリアンヌになら打ち明けられた。そもそもマリアンヌがいなければ、王子の身分すら不確かなものだったのだから。今さらみっともない部分を見られたところで気にはせん。

 二人の女を都合よく利用する。これを傲慢だと、悪徳だと、そなたは嘲笑うだろうか。それならそれで構わんよ。案ずるな、不敬罪で咎めるようなことはない。


 これが私とマリアンヌの関係だった。これ以上語るとすれば、それは我らの私生活にかかわってしまう。ひとまずはこれでよしとしてくれ。

 次に話すべきは……そうだな。マリアンヌの亡骸を発見したときのことか。


 そなたも知っての通り、マリアンヌの亡骸を最初に発見したのはこの私だ。正確には私と宰相ボリス、そして近衛騎士エルヴェとナタリーの四人だが。

 あの日私は、マリアンヌのいるプティ・サフィール宮殿にボリスとエルヴェを伴って向かった。私には常に騎士が護衛としてついているのだ。それは寵姫の住まう離宮に赴くときでも変わらぬ。さすがに逢瀬を楽しむときは席を外してもらうのが常なのだが……その日は、宰相ボリスを交えての真面目な話し合いをするつもりだった。具体的に何の話をしようとしていたかは……今は語るべき理由がないな。どうしても知りたくば、ボリスに訊いてくれ。


 我々はまず客間に通されたが、マリアンヌが来るまで少し待ってほしいと言われた。すでに先触れを出してあるにもかかわらず、いまだ用意が整っていないのだろうか。私は疑問に思い、ナタリーを呼び出した。

 そなたが知っているかはわからんが、プティ・サフィール宮殿に使用人はいてもマリアンヌの側近はほとんどおらん。マリアンヌ自身に仕え、マリアンヌの尊き姿を見ることが許されているのはたった一人の侍女のみ。それこそがこのヴァレー伯爵夫人ナタリーだ。

 ナタリーは「扉越しに何度もお呼びしているのですが、一向にお姿をお見せになられないのです。お部屋には鍵がかけられていて、わたくしの入室を拒んでいらっしゃるようでした」と申し訳なさそうに言ってきた。

 ナタリーは忠義に生きる女だ。たとえ平時に女主人の姿を見ることが許されていようとも、客を待たせているからと言って扉を破るような真似はしない。さすがの私もナタリーにそのような暴挙を促すわけにはいかなかった。しかし時間は有限だ。やむを得ず、我々は自らマリアンヌの部屋へ向かった。


 男が淑女の私室へみだりに立ち入るものではないが、そうも言っていられなくてな。まず私は名を名乗り、部屋の扉を軽く叩いた。

 しかし待てど暮らせど在室の返事はない。その日の陽はすでに高く、午睡の習慣がないマリアンヌが眠っているとは考えづらかった。ナタリーに尋ねれば先ほどからその調子らしく、彼女もほとほと手を焼いていたそうだ。

 しばし扉の前で困惑していると、ボリスが神妙な顔をして告げてきた。マリアンヌの身に何かあったのかもしれない、と。ボリスは慎重な男だ。常に最悪の場合を考えて行動するような奴だ、この状況で奴の口からそういった考えが出てくるのも致し方ない。突拍子もないと笑うことは簡単だが、私もわずかに不安に思い始めていた。そこでナタリーに命じ、扉の鍵を開けさせたのだ。


 マリアンヌがなにごともなかったかのようにそこにいたのならどれほどよかったことか。貴方達の心配は杞憂なのだと笑い飛ばし、淑女の部屋に無断で立ち入った不作法を断罪する。そんな彼女の姿が、そこにあってくれたなら。

 しかし現実は非情だった。我々が見たのは、悪夢のような光景だった。胸を一突き。白いはずのドレスは何故だか赤く染まっていた。血の染みは床に広がり、彼女のためにあつらえた部屋を不気味に汚している。窓は開け放たれていて、カーテンがむなしくはためいていた。

 私はマリアンヌの名を呼んだ。一歩、一歩と近づいていき、その亡骸の前に座り込んだ。抱きかかえた身体は冷たく、紅玉の瞳は固く閉ざされている。そして胸元には深く刺さるナイフ。その死は明白だった。

 ボリスがエルヴェに何か指示を出した気がした。エルヴェはすぐに部屋を出ていったように思う。とにかくそのときはマリアンヌのことしか考えられなかった。そのため、発見前後の記憶はあいまいだ。すまないが、このときの状況についてはボリスに改めて訊いてくれ。奴ならきっと覚えているだろう。


 ややあって、私は現実に引き戻された。ボリスに強く肩を揺さぶられたからだ。マリアンヌを害した刺客がまだ近くにいるかもしれないから、ひとまず部屋を出ましょうと奴は言った。

 「だが、きっと刺客は窓から逃げたのだ。この付近にいるはずがない。いや、いるなら都合がいい。私が奴を殺してやる」……私はそう叫び、窓から飛び降りようとした。マリアンヌの部屋は三階だというのに、愚かな話だ。ボリスが私を羽交い絞めにして無理やり部屋の外に連れ出さなければ、私も無事では済まなかっただろうな。

 衛兵達が駆けつけるまで、私とボリスは部屋の外で待機していた。取り乱す私をボリスがなだめるという形でな。


 施錠? いいや、部屋の鍵はナタリーが持っていた。

 私がボリスに外へ連れ出された時にはもう、ナタリーは部屋にいなかったような気がする。おそらくエルヴェとともに退室していたのだろう。いずれにせよ、私達は部屋に鍵をかけることができなかった。


 ……だが、私達が立っていたのは扉のすぐ目の前だ。断言しよう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ほどなくして衛兵達がかけつけてきて、マリアンヌの部屋の扉を開けた。その場にいた全員が一斉に部屋になだれ込んだだろう。しかし、そこで私達は気づいたのだ――――マリアンヌの亡骸が、どこにもない。

 マリアンヌがいたはずの場所には血染めのドレスのみがあり、その上には無数の白い花弁が散っていた。ドレスの中にマリアンヌの亡骸がないこと、そして花弁が散っていること以外には現場に異変はなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 亡骸なき殺人は、果たして真実の殺人なのだろうか? まさか狂言だったのでは? そう、マリアンヌは死んでなどいないのだ。

 しかし私は確かに確認した。マリアンヌの亡骸を、彼女の命が失われた証を、私はこの目にしかと刻みつけたのだ。彼女の死が嘘だったのならばこれほど喜ばしいことはないが、それならば私が、私達が見たあの亡骸は何だったのだ?


 当然、探せるところはすべて探した。だが、結局彼女を見つけることはできなかった。現場に残る痕跡は彼女の死を表しているのに、その決定的な証拠がない。結局宮廷人が至った結論は、“聖女の生まれ変わりであったマリアンヌの身体は、その死後天の主の御許に召された”というものだったな。彼女は人知を超えた存在。地上に生きた形跡は亡骸でさえ残すことはなく、唯一花弁だけをその生の証としたのだろう。


 ……世迷い事だと思うか? だが、私は彼女の神性によって救われた。彼女が聖女の生まれ変わりだったからこそ、私の王位継承権は保障されたのだ。

 そう、つまり私は、マリアンヌ・ド・ラファイエットが聖女マリアンヌの生まれ変わりであり、その魂ごと亡骸が天の主の御許へ召されたことを疑えない。疑ってはいけないのだ。

 それを疑ってしまえば、私は我が身の正当性すら疑ってしまうことになる。マリアンヌ・ド・ラファイエットが聖女マリアンヌとはまったく無関係の稀代の詐欺師であれば、私の身は再び不確かなものになってしまうだろう――――だが、それでいいと思う自分がいるのも確かだ。


 私は近々、王位の継承権を放棄するつもりでいる。余所者と石を投げられたかと思えばあっさり手のひらを返されてごまをすられ……“聖女”に振り回される生活にはもう疲れたのだよ。

 父にはすでに話を通してある。私は近々ロジーヌと離縁して祖国に帰り、ハーヴェル選帝侯として新たな人生を歩むのだ。父の次に王位になる者は、この国の貴族達が投票でも何でもして決めればいい。私達余所者が王位につくから話がこじれたのだ、自国のことは自分達で決めるのが筋だろう。


 マリアンヌには感謝している。彼女を愛したことに後悔はない。彼女の素性が何であれ、私は彼女に救われた。

 ……だが、私は彼女を“聖女”などという幻想に閉じ込めたくはない。彼女がまるで幻想のような淑女だったことは否定しないが、彼女は“聖女マリアンヌ”ではないのだ。彼女は私が愛し、私を愛した一人の女性。ただのマリアンヌ・ド・ラファイエットだ。“聖女”という余計な装飾など、彼女には必要ない。


 私は彼女に多くを与えられた。地位や身分だけではない。私に人を愛する心を教えてくれたのは彼女だ。異性として私を心から愛してくれたのは彼女だけだ。私は彼女のお陰で人であれた。この虚飾ばかりの宮廷においても生きていけた。どれだけ嘲笑(わら)われようとも王子でいられた。

 その礼として、私は彼女に一人の女性としての安らぎを贈りたい。民はいずれ彼女を"幻想"にしてしまうだろう。"マリアンヌ・ド・ラファイエット"は忘れられ、"聖女マリアンヌ"に上書きされてしまうのだ。だからせめて私だけでも、彼女を……"マリアンヌ・ド・ラファイエット"を永遠にとどめたい。その愛おしき名を、この胸に刻みたいのだ。


 滑稽だろう? マリアンヌが“聖女”だったからこそ私は救われたのに、ほかならぬ私が彼女の神性を否定するのだから。

 それでも私はあえて否定し、そなたに問おう。マリアンヌの死の真相を。

 だが、私が求めるのは彼女の亡骸が消失した理由ではない。そんなものは真犯人に問い詰めればいい。私は、誰が彼女を殺したのかが知りたいのだ。

 私が知りたいのはその一点に尽きる。我が愛しき者達を殺めた大罪人を暴き、告解の声とともにその穢れた血と魂を天に捧げるのだ。それこそ、今は亡きマリアンヌに安らかな眠りを与える唯一の鎮魂歌となるだろう。


 これが私の語れるすべてだ。この証言がそなたの仕事に実りをもたらすことを、心から願っている。

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