その5 トラブルは何処の世界でも
トラブルが起きたのは席を立った時だった。
「さぁてもう一杯いくかぁ!」
顔を赤くしたユキが立ち上がると、足をふらつかせて少し体勢を崩した。
運が悪かったのはちょうどその時に人が通りかかって、さらに手に持っていたグラスに少しだけアルコールの残りが入っていたこと。更に悪かったのは、うっかり引っかけてしまったその相手がヤクザ風味の――良く見積もってもゴロツキ――だったことである。
「おいぃ⁉ かかったぞテメエ!」
ドスの利いた声が発せられたことにより、リーチ一発ツモドラ一の満貫である。同じトラブルならTOLOVEるにしたいところです。
「見ろよ……。俺様の一張羅が台無しだ」
自分の服をつまみながら彼はそう言ったが、無色透明なアルコールだったのでパッと見は水が掛かったようにしか見えない。渇けば元通りだろう。
「いやいや、連れがすいません。悪気はないんで」
とりあえず問題が起きたらまず謝る。これ日本人の常識。円満解決の秘訣。
「謝って済む問題かよ!」
え、謝って済まないの?
「そいつはテメエの精霊か? 責任は契約主にあるだろうが。弁償してもらうぜ」
下卑た笑いを浮かべる男の言葉がいちいちテンプレ過ぎて、逆に笑いがこみあげてくるが笑ってはいけない。笑ってはいけない異世界24時。
「おい、あいつ。また悶着起こしてるぜ」「可哀想に。魔法連邦公認の冒険者連盟弾かれた腹いせだ」「これでもう5件目だぜ。都市憲兵 呼んどけって」「あれで実力は確かなのがまた困るってんだ。性格が問題なだけでよ」
彼の怒声で静まり返った休憩室では、そんな周囲からの囁きが嫌でも耳に入ってくる。どうやらここらじゃ有名な問題児のようだ。問題児は異世界から来るのが常識なんだけど。
さて面倒な事に巻き込まれたようだが別に心配はしていない。打開する方法は幾らでもある。
例えば彼は色々問題を起こしているようだから、時間を稼ぎつつその間に警察に値する組織に助けを求める。もしくは彼が受けた被害を弁償に値しない事を説く。図書館にあった『法律学習マニュアル』から引用すれば何とかなるだろう。
こちらの世界と法律は違っていても、正論を周囲に聞かせれば同情も集められる。あるいはさっさと逃げる……三十六計逃げるに如かずと『南斉書』王敬則伝でも言っている。
俺が図書館で得た豊富な知識のうちどれを行使すべきか迷っていると、
「はあ? じゃあ勝負よ勝負。ぼくのごしゅじんを舐めちゃいけないよぉ」
トラブルを起こした本人が、どれにも属さないアイデアを出してくれました。
っておい! いきなり何を言い出すのこの子は!
「この俺と勝負だぁ? そりゃつまり『魔法での対決』ってことか?」
「あったりまえじゃーん。ごしゅじんがお前みたいな汚い声の言霊に負ける訳ないじゃん?」
「テメエ。俺の言霊をバカにしてるのか?」
「うん」
ユキの返答を受けて、目の前の下卑た笑いが冷ややかな真顔へと変わる。
「……いい度胸だ。お互い納得がいく形に落とし込もうと思ったが気が変わったぜ。その大口を後悔させてやる。ちょっと顔かせや」
そう言って、彼は出口へと歩き出した。
「おい。何勝手に喧嘩売ってるんだ!」
「ちょうどいいじゃないですかぁ。ご主人様の詠唱も聞きたいですしー。ぼくの実力もみせてあげよーもん」
俺の非難を肩で躱しながら、軽い口調と足取りで出口へと向かっていくユキ。
もしかしなくても、俺はとんだトラブルメーカーと契約してしまったかもしれない。
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紹介所を出て正面の大通りの小道に入る。そこから更に幾つか裏路地を通り15分程歩いて着いた先は、体育館ほどの大きさの建物。
敷地には草が生い茂っており、ここで人の活動が行われなくなって久しい事を示していた。
「ここは私設の魔法訓練所だ。すでに廃業して廃屋だがフィールドは生きている。ここなら外にマナが漏れる事もねえし、衝撃も緩和される。……致死ダメージにならない程度にな」
建物の中に入るとゴロツキが不敵に笑いながら説明する。
内部に明かりはないが、四方を囲む窓から太陽の光が入ってきてそれなりに明るい。中央の円形の広場を囲むように観客席らしきものが取り囲んでいる。俺とゴロツキが中央に足を踏み入れると埃が舞った。
「さ、ごしゅじん。ちゃちゃっとやっちゃいましょぉ~」
「気軽に言ってくれるけど……。悪いが魔法に関しては、昨日知ったばかりの超初心者だぞ」
眠そうな眼のユキに、俺は小声で非難する。
「大丈夫、大丈夫。ごしゅじんの言霊なら多分大丈夫。余裕だよぉ」
「多分て。第一、俺は魔法は一度しか使った事がない」
「へ~。じゃあ使える魔法は何があるんですかぁ?」
「小さな発火ってやつくらいかな」
昨日練習していた魔法の名前を出す。
「初級魔法一つだけですかぁ。今日び幼少魔法学校でももう少し使えますけケド。ま、基礎的な魔法はぼくのインデックスに登録してありますから。ごしゅじんはマナを出す詠唱だけしてくれれば大丈夫ですよぉ」
「インデックス?」
「簡単にいっちゃえば魔法のショートっカットですねぇ。精霊のサポートで魔法を使う感じ。複雑な術式でなければ一つ二つの言霊だけで魔法が使えちゃいます。ま、要は詠唱をサボって使いたいって人間向けですよ~」
「そりゃ便利なもんだ。じゃあユキがインデックスしてる魔法ってのは何が……」
俺とユキが小声で話しているのに苛ついたのか、ゴロツキが声を荒げる。
「おい、何ブツブツ言ってやがる! やりもしねえのに後悔のお祈りか? 泣いて謝るなら洗濯代と迷惑料だけで許してやるぜ?」
「ええ~。あんたもしかして難聴なのぉ? ご主人があんたを倒すにはどんな魔法を使うか相談してただけだっての~。ぼくと契約した人間がゴロツキに負ける訳がないじゃん」
「……ちっ! 何度も生意気な事を言うガキどもだ、ぶっつぶしてやる!」
いやいや、今回も前回も、言ったのは俺じゃないけどな。
「契約だ。来い、風の精霊」
ゴロツキが小さく呟くと――窓も開いていないのに――微かな風が流れる。積もっていた埃が舞い、空気の流れる方向をはっきりと視認させる。それは彼の周囲を纏うかのように流れて行った。
風が収まると彼の右肩に、小さな影がいつの間にか乗っているのに気が付いた。
「妖精だ、珍しいな。彼女たちって滅多に契約しないんだけど」
「妖精?」
「有形精霊で最も小さい種族ですぅ。風のマナを生成する能力に長けた一族ですね」
ユキが小さな四枚羽の精霊を見て僅かに感嘆する。
「この俺に歯向かった事を後悔しろ……。『ゴメスが言霊をここに。それは仇為す敵 光なき風を彼の者の災いと為せ 穿ち乱舞せよ! 断ち切る風‼』」
ゴロツキが言霊を終えると当時に風の精霊が目を閉じ何かを呟く。淡い光が精霊を包み込み弾けると、ゴロツキの突き出した右手に「薄緑色の輝く剣」が握られていた。
「へぇ~魔法の手順も意外に手際良し、触媒もCプラス。言霊のチョイスも悪くないねぇ」
「ふん、余裕を噛ましていられるのも今だけだ!」
おい、お前ら俺を置いていくなっての。
どうやらそれなりの手練れだと言う事だけは、会話の雰囲気から感じ取れた。
「ユキ。あいつは何をしたんだ?」
「魔法の剣を創ったんですよぉ。右手に持ってる短剣が触媒で、そのまま魔法を乗せたみたい」
「つまり何かを飛ばす魔法ではなく、武器に魔法の力を纏わせて攻撃力を強化させたってことか」
筋肉質な見た目通り、接近戦がお好みという訳だ。そんな分析していると、ゴロツキが壁に向かって風の剣を軽く振り下ろす。
シュィンという金属が擦れる音がしたと思ったその直後、ガゴンッというコンクリートが砕けるような音が館内に鳴り響く。奴から10メートルほど離れた壁には、まるで斬ったかのような綺麗な太刀筋が残されている。
「って思いっきり飛び道具じゃねえか!」
「あははー、ご主人ん。あの風の刃の基本はぁ、何ていうかとにかくバンバン飛ばして攻撃する感じですぅ。たまに近寄って斬るみたいな。あ、ちなみに直撃すれば斬られれば真っ二つですよぉ」
「ニコニコ笑って言う話じゃないな、それ……。で、アレを防ぐにはどうしたらいい?」
「うーん、一般的な防御魔法は魔法障壁で相殺ですかねぇ。言霊の選択は比較的自由~」
「比較的自由とか言われても分からん」
「ご主人は触媒を手にして何かそれっぽいことを言えばいいです~。あとは任せて下さい」
「触媒なんてないぞ。何とかならない?」
「あはは~。触媒なしで魔法が使えるのは五大精霊王くらいですよぉ。無茶言わないでください」
「しかし無い物は、ない……。あ、いやあった」
俺はポケットから小さな色のついた石を取り出す。紹介所で配っていたのを持っていてよかった。
「しょっぱい触媒ですねそれ。ぼくならやれなくはないですけど」
「文句言うんじゃありません」
「……テメエら何ごちゃごちゃ言ってやがる。ちっ! こんな素人っぽい奴に攻撃を加えるのは気が引けるが……ま、一度くらいは痛い目に遭っとけや」
小さな舌打ちをした後、男は俺に向けて無慈悲な一撃を振り下ろした。
「ごしゅじん!」
「ああ、何かいきなりだけどやってやろうじゃねえの! いくぞ!」
『爆ぜろリアル! 弾けろシナプス! 悠久の時を超え カオスに満ち溢れた 魂魄を消散させよ!』
俺は脳裏に思い浮かんだ言霊を――一応詠唱のつもりで――放った。
それは俺が人生で最も視たアニメ『中二病でも破廉恥したい!』に出てきた魔法の詠唱。5000回は聞いた言葉の流れ。暗記すると言うよりは魂に刻み込んだという方が正しい。
俺が言い終えたのと、風の衝撃破が俺の身体に触れたのはほぼ同時だった。
先ほど見た壁の太刀筋は、俺の身体をキャンパスにして再現された――――いやされるはずだった。
だが。その風先が俺の身体に触れる寸前でまるで光の粒子が散っていくかのように霧散していく。
俺の身体に触れた風の刃の部分が光の粒子となるまで、時間にして0.1秒もなかっただろうが、俺はその様子をまるでスローモーションを見るかのように認識していた。
ガゴォン! という背後から轟音が鳴ったのはその直後だ。俺の身体に触れなかった風の刃が、そのまま壁に当たったのだろう。
振り向いた後ろの壁を見ればあの衝撃波がただのそよ風でない事は明らかだったが、胸の辺りを手で触れてみても傷はない。勿論痛みもない。
打ち消したのだ。あの強力な魔法を。俺が。
「うおおお、すげえ!」
「な……バカな! 手加減していたとはいえ、完全に打消したさせただと……⁉」
感嘆の声を出した俺と、驚嘆の声を出した相手。事後の反応は両極端となった。
「散らすのではなく打消しまでいくには……必要とされるマナが対象の魔法の5倍は必要になるはずだ! まさかAクラスの触媒を使ったのか⁉」
男が狼狽えている。良く分からないが俺の持っている触媒はかなりすごいものらしい。
「無料配布してたこれはそんなにすごいモノだったのか」
手のひらに握っていた小さな石を見る。小さく光っていたが今は少し濁って黒くなっている。
「ふっ……。どうやら玉石混交を見極めた俺の眼力は流石というべきだな」
俺は勝ち誇って手にした触媒を突き出して見せつけてやる。
「なっ……⁉ そ、そんなEクラスにすらならないゴミ触媒で俺の断ち切る風を⁉」
ウソでした。玉石の石の方でした。見る目は特にありませんでした。
だが驚愕の表情をしたゴロツキとは裏腹に、ユキは両手を頭の後ろに当てると、
「ご主人~……。今のは何ですかぁ? 超ありきたりな上に、まーったく面白くない言霊だったんだんですけどぉ? 前みたいに言ってくれればもっとマナが出せた筈なのになぁ」
呆れた口調で欠伸をした。




