2
数メートル先から、低いのに不思議とあたたかさの灯る声に呼びかけられた。
風船がパチンと弾けるように我に返って、返事をした。
「っ、あ……はい、何でしょう」
男は、無遠慮にズカズカと歩み寄ってきた。
綺麗な人だった。ひとつひとつのパーツが、おさまるべき位置にぴったり配置されて、性別関係なく「美しい」という言葉がとても似合う人。
だが、彼は無表情で……厳しい目つきをしていた。
端正な顔立ちも相まって、冷たく見えてしまうのが印象的だった。
「何でしょう、じゃないだろう。君、授業はどうした。見た所、この病院の付属大学に通ってる子だろう」
この歳になってそんなことを言われると思っていなくて驚いた。なんとなくバツが悪くなって、むすっとしてしまった。
「……帰ろうと思って」
「サボりか」
「違います……」
「………………」
探る視線が突き刺さる。
まるで、すべて見透かされているみたいな心地だ。
イライラした。なんだと言うのだ。
見ず知らずのあなたに、関係ないだろう。
溜まっていたドス黒い膿が、心の傷口からネバネバとあふれてくる気がした。
「だから……っ!何なんですか!?初めて会ったあなたに、関係ないですよね!?」
「……大人として、子供を指導する責任はある。放ってはおけない。付属大学に通っているなら、後輩だしな」
「……意味わかんない。もういいんです、放っておいて下さい」
「何か不満があるなら、逃げずにぶつかれ。必ず、なにかが変わるから」
「…………」
それが、引き金となった。
津波のごとく襲い来る感情の波に、私は呑み込まれていった。
そんなの、勝手だ。『逃げずにぶつかれ』なんて、今の私にとって一番残酷な言葉だ。
逃げずにぶつかったって、ダメなものはダメなのに。変えられない運命だって、あるのに。
悔しくなって。胸の中が、ぐちゃぐちゃして。
気づけば、初対面の相手に、半ば八つ当たりのようにぶちまけていた。
「ぶつかったって、変えられないものはあるわ!
私には夢があった。
高い魔力を人のために役立てること。
そのために必死で勉強して、やっと目標に一歩近づいた。もっともっと頑張って、絶対夢を叶えるんだ。
沢山の人を助けるんだ、そう思ってた……!
でも、あっけなく崩れ去ったの。
もう私には人を助けるなんて、できない。
私はこれから、自分が生きることさえままならなくなっていく……
勉強も、魔法の練習も……私の毎日は無意味だったのよ……!」
ああ、やってしまった。
またあの視線と態度を見る羽目になるのか。
病気だと打ち明けたのだ。
彼も、私を『可哀想な』人間としか見なくなる。
だって、もうすぐ息絶えていくとわかった人間に、普段と変わらない接し方ができる人なんて、なかなかいない。ましてや、血の繋がりがある親・兄弟でもないのだし、距離の取り方に迷うはずだ。
でもーー
良い方向に期待は裏切られた。
「甘えるな」
「え……?」
「本当に変えられないのか。人を助けられないのか。君の毎日は、無意味だったのか。……僕はそうは思わない」
凛とした声。ぶちまける不満や怒りを真っ向から受け止めて、叱って、突き返す。
「……とにかく、今この瞬間に体調が悪いわけではないなら、戻って勉強したらどうだ。時間を大切にしろ。惑わされるな。.....『自分を』生きろ」
強い瞳だった。
表情筋はピクリとも動かず、淡々と告げる色調の声。表情も、声音も、氷のように冷たくてーー心の中の見えない場所は燃えるほど熱い。
驚いた。嬉しかった。
私を知っても、同情せず、叱咤してくれる彼が『優しい』と感じた。
そして、同時に理解した。
私はまだやれる、まだ夢を諦めたくない。皆と対等で居たい。自分が本心ではそう思っていることを。
さっきまであった心の中の靄が、霧散していくのを感じた。晴れやかな気持ちで彼を見つめ返す。
なのに、彼はーー
彼の瞳のずっと奥には、わずかに『後悔』や『迷い』の色が燻っていた。
ーーああ、そうなのね。
あなたはとっても不器用で.....本当は誰よりも情熱と思い遣りにあふれる人。
そして、他者に評されるよりずっとずっと冷たい人間だと自身を評価している、ちょっぴり鈍感さん。
自分の良さに気づかない、なんて。
ーーだったら、私は.....
自分の行動がどれだけ突拍子もないことか知りながら、私はあなたに告白した。
今度はあなたに気づいて欲しかった。あなたがどれだけ、魅力的なのか。愛される人なのか。
「……好きです」
「は……?」
「……あなたが、好き」
彼は間の抜けた声をあげて、かたまった。
でも、すぐにハッキリと答えた。
「断る」
フラれたことに落ち込んだりしなかった。
あなたからの愛を得ることも、お付き合いすることも、私は求めていない。これでいい。
むしろーー
ふふ、と頬が緩む。
やっぱり、あなたは優しい。
私はもっとあなたに惹きつけられた。
「ありがとう、ございます……」
同情しないでくれて。病気の私ではなく、『私自身』と向き合ってくれて。
私はそんな......不器用な愛にあふれた、あなたが好きですーー。




