第67話 エピローグ 明日の板
夜、最後の灯りを落とす前に、私はいつものように板の前へ立つ。
今日の札は右端へ。
明日の札は左端へ。
終わった仕事と、これからやる仕事が、ちゃんと分かれて並んでいる。
最初はただの板と札だった。
でも使い続けるうちに、これは単なる管理道具以上のものになった気がする。
誰が何を抱えていて、どこで止まっていて、何を明日に回すのか。
それを責めるためではなく、守るために見えるようにする仕組みだ。
前世の私は、たぶんこの板が欲しかったのだと思う。
終わったことを終わったと認め、明日のことを明日に残していいと言ってくれるものが。
頑張りが足りないから終わらないのではなく、仕事には順番と量があるのだと、誰かに証明してくれるものが。
今はそれが、ここにある。
私の手で作り、みんなで使い、何度も直してきた板だ。
ミアが札の色を増やし、ヨルクが欄の配置を変え、エマが新人向けの説明を書き足し、ベルンハルトさんが余計な飾りを削った。
だからこれは、もう私一人の板ではない。
「帰るか」
背後でルシアン様の声がした。
振り向けば、彼は私の外套を片手に立っている。
昔なら執務室で会うこと自体が珍しかったのに、今ではこうして終業のころに迎えに来ることがある。
それを特別扱いだと騒ぎ立てる者は、この領地にはもういない。皆、それぞれ自分の帰る時間を持っているからだ。
「はい。最後の札も片付きました」
「倉庫局が、この板の写しを欲しいそうだ」
「本当に?」
「ああ。冬物備蓄の管理に使いたいらしい」
私は思わず笑った。
「それは、なかなか良い広がり方ですね」
「お前のやり方は、思っていたより感染力がある」
「感染ではなく普及と言ってください」
ルシアン様の口元がわずかに緩む。
私は板をもう一度見た。
今日終わったこと。
明日へ渡すこと。
今はまだ手をつけないこと。
どれもちゃんと居場所がある。
「明日の分は、明日の私たちがやります」
そう言うと、ルシアン様が短く頷いた。
「その通りだ」
灯りを落とし、扉を閉める。
外は冷えていたが、遠くの窓には夕餉の灯りが並び始めていた。帰れる家の灯りだ。待っている食卓の灯りだ。
前世の私が欲しかった夜が、今の私の前には当たり前のようにある。
「夕食は?」
「ハンナさんのところで勧められた黒パンがあります」
「ではシチューにしよう」
「賛成です」
そんな会話を交わしながら歩く。
大事件も、劇的な逆転も、もう今夜はない。
けれど私は知っている。こういう夜を積み上げた先にこそ、本当に欲しかった結末があるのだと。
そうして私は、扉の向こうのあたたかな場所へ帰っていく。
ちゃんと区切りをつけた今日を背に、明日のために。




