第36話 辺境の答えは、透明な帳簿に書いてある
交易都市エルムでの会談は、予想以上に人目のある場で行われた。
市場に面した公会堂。冬の終わりを告げる交易祭の直前で、人も商人も多い。貴族院としては“穏便な話し合い”のつもりだったのだろうが、こういう場所ほど噂は早い。
私はむしろ歓迎だった。
委員会の代表は三人。
代々北方監督を名乗ってきた伯爵、監査公開に難色を示す老侯爵、そして“労務無効条項は家臣の統制を乱す”と主張する辺境子爵だ。
いずれも立派な装いだが、机の上に置かれた資料箱の数ではこちらが勝っていた。
「本日は建設的な話し合いを」
伯爵が口火を切る。
「もちろんです。ですから議事録も公開で」
私が答えると、三人そろって嫌そうな顔をした。
最初の論点は、公開監査条項だった。
「帳簿を開きすぎれば、領政の機微まで外へ漏れる」
老侯爵が言う。
「悪意ある商人や他国に利用されかねん」
「必要な機密と、負担の所在は別です」
私は返す。
「誰が何を払ったか、誰に未清算があるか、それを見せることは機密ではなく責任です」
「理想論ですな」
「現実論です。見せなかった結果、北方では三十年分腐りました」
次に子爵が前へ出た。
「健康と尊厳を損なう義務の無効? そんな条文を許せば、家臣が“つらいからやりたくない”と言い出す」
「つらいからやりたくない仕事は、まず賃金と人員を見直すべきです」
「家のために尽くす忠義はどうなる」
「忠義を“無制限に削れて当然”へ変換したのが今回の問題でしょう」
公会堂の後方がざわつく。
市場の関係者や商人たちまで見物に来ているらしい。良いことだ。聞かれたくない人ほど、聞かれている場で弱い。
私はあらかじめ用意していた比較表を配った。
北方再契約前後で、負担の記録がどう変わるか。誰がいつ確認できるか。どこが機密で、どこが公開か。
さらに、北方で共同備蓄と公開精算を始めてから、商会価格の変動がどう安定したかも数字で示す。
「透明化は統制を失うことではありません」
私は指で表を示した。
「むしろ曖昧な口約束を減らし、領主側にも“言っていないことを後から背負わせない”防衛になります」
「……」
「こちらは北方での実績です。商会の不当追補が減り、未払い申告が早くなり、配給の遅延日数も縮みました」
伯爵の眉がぴくりと動いた。
数字は面倒だが、否定しにくい。
そこへ、後方席から意外な声が上がる。
「その通りだ」
振り向くと、エドガーがいた。
監査補助の立場だからか華やかな装いではないが、少なくとも前のような空っぽの笑顔はしていない。
「王太子殿下」
伯爵が慌てて立ち上がる。
「私はもうその名で議論を押し切れる立場ではない」
エドガーは静かに言った。
「だが、見ないまま署名し、誰か一人に穴埋めを押しつけた結果がどうなるかは、身をもって学んだ。北方条項は厳しいが、必要だ」
周囲がどよめく。
さらにセレナ嬢まで一歩前へ出た。
「わたくしも賛成です。読める形で、説明できる形で残さなければ、また誰かが“善意”で騙されます」
彼女の言葉は華やかではない。けれど以前よりずっと強かった。
委員会の三人は明らかに計算を狂わされた顔をした。
王家側が黙認どころか支持へ回るなら、ただの“北方の暴走”にはできない。
最後に私は、北方で配った未清算精算金の受取記録を机へ置いた。
「これは数字です。でも、同時に顔でもあります。払われるべきものが払われること。異議を唱えた記録が消えないこと。それがあるだけで、人は冬を越えやすくなる」
公会堂はしばらく静まり返っていた。
そして老侯爵が、観念したように口を開く。
「……条文の文言調整は求める」
「はい」
「だが削除は、難しそうだ」
「ありがとうございます」
勝ち負けというより、押し戻した、が正しいのだろう。
それで十分だ。制度は一度に全部は変わらない。けれど、ここで一本通れば、次につながる。
会談のあと、公会堂の外へ出ると、交易祭の準備をしていた商人の一人が声をかけてきた。
「お嬢さん、あんたの言う帳簿、うちでも使えるか?」
「使えますよ」
「じゃあ祭りが終わったら教えてくれ」
「有料です」
「商人相手に容赦ねえな!」
「契約局ですので」
周囲に笑いが広がる。
北の答えは、どうやら少しずつ広がり始めているらしい。




