《後編》巡り会う
隊長はカシャンと音を立てて片膝を地面についた。私は両膝を着く。
「お前たちもどうせ女神の寄越した人間なのだろう」
魔王はしわがれた、けれど威厳のある声でそう言った。
「女神をご存知で?」と隊長。
「無論のこと。あやつは何度も何度も儂の呪詛を阻止しようと策を弄してくる。儂は魔王ゆえに過去を何度繰り返そうが全てを記憶できる。その鎧その礼服もよく知っているぞ」
「それならば本題に入らせていただきます」
すっと魔王が立ち上がる。
「女神の干渉にはうんざりなのだ。どうしようとも愛娘の首は落とされ、儂はなぶり殺される。出来ることはただひとつ、ひとりでも多くの人間を殺すこと」
魔物たちが鬨の声をあげる。
「だがな」魔王の声に、声はすっと止んだ。「目通りを願い出たのも、儂にひざまづいたのもお前たちが初めてだ。話ぐらいは聞いてやろう」
隊長が礼を述べる。彼の真面目な性分のおかげで機会ができた。ほっとして、それからどう説得するか考えていなかったことに気がついた。だが隊長は。
「王子の首は私めが獲ってまいります」
「え!」思わず叫び隊長を見る。
『なんですって』と女神もすっとんきょうな声を上げた。
「……その提案は初めてだな」魔王も意表を突かれた表情だ。
「聞いたところによるとご息女は昼寝をしていたところ、王子の自己満足のために殺されたとか。人間を苦しめていた、なんて事実もない」
「そうだ」
魔物たちからも同意の叫びが上がる。
「ならば王子は罪を償うべきですが、人間全員を根絶やしにするというのは筋が違います。そして人間と魔物の間で摩擦が起きないよう、私がその首を落とし、魔王様に献上します。それで怒りを静めてはいただけないでしょうか」
魔王は黙って隊長を見下ろしている。それをしっかと見返す隊長。
『ふたりだけで話していますね』女神の声が頭に響く。『彼はどうしても、あなたを助けたいのだと力説しています』
いずれこの魔王も倒す王子ですよね。隊長と私で勝てるのでしょうか。
女神にそう問いかける。
『難しいでしょうが、それ程に強い王子を襲う者がいるとは考えていないでしょうから、そこに勝機はあるかもしれません。ただし彼はあなたを連れて行かないでしょう』
むっと腹が立つ。
「隊長」
「何だ」
「私も行きますからね。分かってますよね」
「……君はこれ以上苦しむ必要はないのだ。人を殺めることに関わることはない」
「何をバカなことを言っているのですか!」何だかよく分からない感情が爆発する。「確かに私は苦しかった!殺されたジャンもそうでしょう!でも私たちはあなたを恨むことができた。だけどあなたは?ひとりで全てを背負いこみ誰かを恨むこともできないで、苦しみ続けているじゃないですか!私の足を切り落とすときにあなたがぐちゃぐちゃに泣いていたのは、辛かったからなのでしょう?」
「気づいて……?」
「兜があるから見えないとでも思っていましたか?バイザーの隙間から見えてましたよ!」
「……そんな奥に目をこらさないんだ、普通の人は」
「普通じゃなくてすみませんね!」
『フランカ、落ち着きなさい』女神の声がする。
「騎士の……」
「騎士の仕事とか、言わないで下さいね。この世界にいる隊長と私は同じ使命を与えられた、同等の立場です。あなたが王子の首を獲りにいくというのなら、私も行くのです」
「……ふむ。娘よ」魔王に話しかけられた。「今までのその礼服を着た娘たちは、儂に泣いて懇願するばかりだった」
「必要ならば泣いて懇願いたします。私は私だけでなく隊長も救いたい。どうぞ彼の提案をのんではいただけませんか」
「お前も王子を殺す、と」
「ええ」
強く答えてから、ふと相手の顔が気になった。シワシワの老人の顔。
「儂は娘の首も取り返したいのだ。槍に刺され掲げられている。無体すぎる」
「必ずや取り返します」と隊長。
「魔王様。お嬢様は竜と聞いていますが、魔王様は人に近いお姿です」
「儂たちは竜、人がた、どちらも真実の姿だ。人がたならば声を使える。精神内会話は、これだけの臣下を相手にするのにはちと厄介でな」
「ということはお嬢様は人の姿もお持ちなのですか」
うむ、と魔王。
「王子の元にある首を人がたに変えることは不可能ですか」
「出来るが?」
隊長と私は顔を見合わせた。
「女神様、王子とお嬢様の首は今どちらですか」
『もうそろそろ都に帰還するところです』
「ではまだ王や国民に見せていないのですか」
『都の民には。道中は掲げ晒しています』
「では、一番盛り上がるタイミングで人がたに変えましょう!邪竜と呼ばれたものが人の頭になれば人々は困惑するはずです」
「良い案だ」と隊長。「そこで私が王子を討とう」
「ちがいます!」
そうして私は計画を話した。
◇◇
眼下に城と広場が見える。大勢の群衆と騎士や兵士。はためく王国の旗。
と、歓声が上がる。広場に面した城のバルコニーに、王が出てきた。何やら演説をし、片手を背後に向ける。
先ほどよりも激しい歓声。満面の笑みの王子が出てきた。片手に装飾品のついた槍。明らかに実用品ではない。その先端には、竜の頭が刺さっていた。
熱狂する群衆。
「今です、魔王様」
すると竜の頭が女性のそれに変わった。黒く長い髪。血がこびりついた白い肌。悲しげな目に、ぽっかりと開いた口。
群衆の熱狂は波のように引いてゆき、代わりに戸惑いが広がる。首には人らしくないものは、尖った耳しかない。
私たちはゆっくりと降り、地上近くで女神に頼んでいた神隠しを解いてもらう。群衆は頭上に現れた竜に恐れおののき、騎士たちが槍や剣を構える。
「お待ち下さい」私はそう言って聖女の力を竜に向ける。すると竜は光輝き、人々は再び困惑して後ずさった。
魔王は苦しいだろうに涼しい顔を装い、背に乗っていた隊長と私を、見えない力でそっと広場のただ中に下ろし、自分も人がたになった。
バルコニーに向かって隊長はひざまずき、私は彼に教えてもらった淑女の礼というものをした。
「殿下にお願いがあって参りました」私は必死に優しく、だけど凛としているように聞こえる声を出した。「私はここではない世界の聖女、彼は騎士です。魔王からの依頼で参りました」
魔王、と群衆がざわつく。
私は背後に立つ魔王を示した。
「彼こそが魔王。そしてその槍に刺された首は彼のひとり娘です」
ざわつきが広がる。魔王はコウモリのような翼とトゲのついた尾を持っているけれど、顔はしわくちゃのただの老人だ。絶対悪とみなすには、老人すぎる。しかも邪竜と言われた首も女性のものになっているのだ。
「彼は午睡を楽しんでいたひとり娘を殺されて、深い悲しみの中にいます。彼女も魔王も魔族たちも人間と距離をおき、干渉せずに生きてきたはず。何故このようなことになったのか説明を求めております。そしてどうか首を父の元に返して欲しいと望んでいます」
重々しくうなずく魔王。
「儂は魔族でそなたたちは人間。いらぬ争いが起きぬよう、彼女たちに立ち会いを頼んだ。どうか教えてほしい。儂の娘が何をしたというのだ」
威厳はあるけれど、しわがれた老人の声。明らかに王よりも年配だ。
群衆は戸惑ったまま。魔王の近くにいる者ほどその老人ぶりに困惑しているようだ。
「何をしたかだって!」王子が叫ぶ。嫌な表情だ。「この邪竜は悪の限りを尽くし、人々を苦しめていたではないか」
「それは事実か。ならば儂の育て方が悪かったのか」
「人間ぶるな、この魔物め!」
「娘が苦しめた人々はどこにいる。誠心誠意、詫びさせてもらう」
王子が怯んだ。「……教えるものか!今度はお前が彼らをなぶるのだろう」
「そんなことはしない。だからこそ聖女と騎士に立ち会いを頼んだ」
「何が聖女だ!どうせ偽物だ」
私はすっと立ち上がる。
「どなたかケガをされている方はおりますか」
みなが顔を見合わせている。やがてひとりの旗手がおずおずと片手を上げた。何があったのか、顔にまだ新しい火傷がある。
私は彼に歩み寄ると自信満々のふりをして、その顔に両手をかざした。
治って、と心の中で繰り返す。
火傷がするすると消えていく。おぉっとどよめきが起きる。
私も、私もと治してほしがる声があがった。
すかさず隊長がそばにやって来て
「申し訳ない。この力は体力の消費が激しいため、一日に一治癒までにさせている」と押し寄せようとする人々を押し留めてくれる。「それに私たちは魔王の依頼でここへ来ている。彼の願いを聞いてもらわねばならない」
ここまでは、私たちの考えた通りに進んでいるが、人々の声が止まない。
どうしよう、と思ったけれど魔王が
「聖女を困らせないでくれ。儂の依頼が元で衰弱させてしまってはかなわない」とアドリブをしてくれて、懇願する声はやんだ。
「彼女は間違いなく聖女だ。儂が理性を持って人間に接すると分かってくれているから、あのような尊い人間が立ち会ってくれている」
広場はざわめく。騎士たちでさえ不安そうに目を動かし、顔を見合っているようだ。
ただ叫び詰る王子と、娘を殺された哀れな老人にしか見えない魔王のどちらを信じれば良いのか、分からないのだろう。
王子と魔王はふたりだけでやり取りを続けるが、どんどんと王子の分が悪くなっていく。邪竜が人を苦しめた地というのを王子は適当に上げたが、騎士のひとりが、『そこは自分の故郷だ、そんな酷いことになっているのか』といきり立ったところで王子の彼が一瞬強ばった。
王子に対しての不信感が深まるのには、十分な表情だった。
「まさか全て作り話だということはなかろうな」と魔王。「人間の王子はそんな卑劣なことをするのか。魔族にそんな者はいないのだが」
「卑劣な魔族のくせにっ」と王子。
「それと娘の首を下ろしてはくれまいか。彼女にもしなんの瑕疵もなかったのならば、あまりに非道な行いだ」
と、王が前に出てきた。
「さすが魔物とやらは、人心に付け入るのが上手いようだ。非力な老人のふりをして我が王子を貶めようとするとはな。もう茶番劇はいらぬ。総員で攻撃 。聖女は保護せよ」
騎士・兵士が武器をとり、群衆が逃げ出そうとしたその瞬間。
光が弾けて、女神が私と隊長を守る位置に現れた。良いタイミングだ。
『こちらの聖女と白騎士はわたくしが加護する者です。害をなすことは許しません』
「保護をするのだ」と怯みながらも王が答える。
『保護?嘘はなりません。わたくしはあなた方の心の中は全て見えるのですよ』
後頭部に後光がさし空宙に浮かぶ彼女は誰が見ても神と思うだろう。私たちを中心として人々は同心円を描くようにひざまずき、頭を垂れた。
『せっかくなので、王子。あなたも嘘はなりませんよ。わたくしが加護するのはそれに相応しい人間だけですが、そこの魔族はさすがに気の毒です。早く首を返して差し上げなさい。よろしいですね』
そして女神は消えた。
シナリオに沿った良いセリフだった。さすがは女神。
後は王子が謝罪して前魔王の首を返してくれれば……。
「何をしている!」王子が叫んだ。「魔族の幻術に惑わされるな。早くあの魔王を殺せ!」
そして槍を投げ出すと、近くの騎士から剣を奪いとり、バルコニーの手すりに飛び乗る。そのまま降りるつもりのようだ。二階以上の高さがあるのに。
なんて野蛮な王子だ。
隊長がさっと私の前に出て、魔王も一歩踏み出した。
その時。
王子の首がはね跳んだ。
それは地面に叩き付けられる。
バルコニーの上で血染めの剣を持った騎士が、王の首をはねた。
そうしてその騎士は魔王を見ると
「ご息女のお首を直ぐにお持ち致します」
と言って、それが刺さった槍を持って建物の中に消えた。
しばらくして数人の騎士がやって来た。恐らく王子と王を手に掛けた騎士が兜をとった格好で、台座に載せられた前魔王の首を持っている。魔王の前にひざまずくと、恭しくそれを差し出した。
「我らの王子の悪逆無道な行い、謝罪のしようもございません。先ずはご息女のお首を」
魔王は手を伸ばし、首を取った。愛しげに撫で胸に抱く。
次に騎士は他の騎士から受け取った台座を差し出した。王子と王の首が載っている。
「お収め下さい」
「……いらぬ。槍にさしてバルコニーに飾るがいい。儂の娘の無実は晴れたか」
「はい。王子と共に旅した従者に確認致しました。その者は証人にしたく考えておりますが、必要ならばお渡しします」
「それもいらぬ」
「魔の国の王よ。どうぞお許しを」騎士たちが平伏する。
「……魔族は人間に干渉しない。逆もしかり。それさえ守ってくれればよい」
魔王は私たちを見た。
「儂は帰る。お前たちを送ろう。背に乗るが良い」
そうして隊長と私は再び竜の背に乗り、空を飛んだ。魔王の城を目指して。
「どうなるかと思ったけれど、話の分かる騎士がいて良かったですね」
私が言うと隊長はゆるゆると首を横に振った。
「あの騎士は自分の野心を叶える好機と捉えただけだろう」
『その通りだ』と魔王の声が頭に響いた。『だが娘の仇はとれた。儂もなぶり殺されなさそうだ。満足している。礼を言うぞ』
『本当です。よくやりました』と今度は女神の声。
「女神様はベストタイミングでしたね。格好良かったです」
『あら。そうですか』満更でもなさそうな声だ。
「これで魔王様の呪詛はなくなった、ということでよろしいか」と隊長。
『もし呪うことがあったとしても、聖女の負担にならないものにすると約束しよう』
「ありがとうございます、と言うべきか?」隊長の声が楽しそうだ。
『そろそろ、あなた方は消えます』
女神のその言葉に、はっとした。作戦に集中しすぎてすっかり頭から消えていた。思わず隊長のマントを掴む。
『お礼に、選ぶ権利を差し上げます。もう一度生まれるときに、これまでの記憶を持ったままにするか、全て捨てておくか。聖女には、次の生では聖女にならないようにするためにと記憶を持ったままを選ぶ人が多いですね。ですがあなたにその必要はないでしょう』
隊長を見る。
『さあ、どうしますか?フランカ』
私は……。
◇◇
「フランカさん。今日は専属の白騎士隊との顔合わせがありますよ」
指導役の声に、ついにこの日が来たかと胸が高まる。
私は再びフランカとして生まれた。全ての記憶を持ったまま。今回の世界は、瘴気などないし、聖女が惨めに死んでいくこともない。王国名も国王も違う。
聖女はいるけれど、光の力を持つ者は国から手厚く保護されている。しかも力を使わず一市民として暮らすか、国家認定の治癒者になるかを選ぶことができるのだ。
治癒者はその名前の通りに光の力で他人を治癒する仕事につく者だ。やっぱり命を削る力であることは変わらないので、治癒は3日で一治療だけ、治癒者でいるのは二年間のみと決められている。
私の感覚だと、治癒は瘴気の浄化に比べれば負担などほぼ感じないようなものだ。
治癒者は国内を旅して回る。護衛につくのは白い鎧の精鋭騎士たち。
私は迷わず治癒者に志願し、都にある寄宿学校で力の使い方を学んだ。来月からついに任務につく予定だ。
そうして今日、ようやく私担当の白騎士たちに会える。
そうだ、会う前に髪を結いなおそう。顔も洗っておこう。服に変なところはないかチェックしておこう。
そんなことを考えながら廊下を進んでいると、外から馬が鼻を震わせる音がした。慌てて顔を出すと、白騎士たちがまさに到着したところだった。
足が、勝手に走り出す。
外に飛び出ると、馬を繋ぎ手持ち無沙汰になった白騎士たちが思い思いに話している。その合間にひらめくマント。
隊長が兜を外し、指導役と話している。
「隊長!」
思わず叫ぶ。だけどあの人が記憶の扱いのどちらを選んだか、私は知らない。
彼はゆっくりと振り向いて私を見ると目を見張り、それから泣きそうな顔をした。
覚えている!
隊長に駆け寄る。
「……フランカ!」隊長の声は感極まっている。
「おや、知り合いですか?」と指導役。
「ええ。昔むかしに。ね、隊長」
「ああ」隊長はうなずくとキョロキョロした。「……あそこにいるぞ、ジャンは」
振り返ると、確かにジャンが仲間と楽しそうに話していた。
「私は隊長と話がしたいのです。たくさん。色々なことを」
隊長の顔がますます泣きそうな表情になる。
「……私は君に言いたいことがあったのだ」
「私も、聞きたいことがあるのです」
どちらからともなく、私は隊長の首に、隊長は私の背中に腕を回してかたく抱き合い
「会いたかった!」
とふたり口を揃えて言ったのだった。