君と私の新婚旅行③
ちゃぽり、と音を立てて露天風呂に足をゆっくり入れて、息を吐きながら肩まで浸かった。肩から上に触れる空気が少し冷たくて、温泉に浸かっている身体との温度差がまた心地よい。
部屋付き露天風呂は写真で見たより綺麗で、足を伸ばせる余裕もある。不特定多数で入る広い温泉と違って、これならミカンも人目を気にせずに温泉を満喫できるであろう。しかし、その肝心のミカンはまだ温泉に来ていない。
私はぐーっと体を伸ばしながら、ミカンが来るのを待っていた。
「さ、先に行っててくれ……。すぐ行くから」
温泉に入ろうと誘った直後、アメニティのお茶を淹れながらミカンはそう言って、私に背中を向けていた。せっかくなら一緒に行きたかったけど、どうせ照れているだけだろうから、私も何も言及せずに先に温泉に浸かりにきたのだ。散々裸なんて今までも見せ合っているのに、何を今更恥ずかしがっているんだろうか。まぁそんなところも可愛いんだけどね。
温泉特有の少しとろみのあるお湯を手で掬ったりして暇を潰していると、ようやく脱衣所の戸がガラリと開いた。
「もう、遅いよ〜」
「わ、悪い。なんか心の準備が……」
もじもじとしながら入ってきたミカンは、私の隣に並んでお湯に浸かる。肩と肩がぴたりと触れ合い、ミカンの身体がぴくりと震えるが、私はわざとミカンの方に寄りかかった。
寄り添いながら、温泉の心地よさに揃ってため息をつく。
「はぁ、気持ちいいな」
「気持ちいいね。ここの温泉、美肌の効能あるらしいよ」
私がお湯を掬いながらそう言うと、ミカンは「そうか」と言いながら私の頬に手を添えて、親指で肌を撫でてくる。
「でも、林檎には必要ないかもな」
そう言いながら真っ直ぐ目を見つめてくるものだから、私はなんだか無性に照れてしまい、慌てて話を逸らした。
「て、ていうかほら! 空、すごいよ!」
指差した空には満天の星が広がっている。この星空を見れるだけでも、都会から離れた旅館を選んだ甲斐があった。普段は街の明かりでここまで綺麗に星を見ることはできないだろう。
「綺麗だねぇ」
「あぁ、綺麗だな」
星空に見惚れていると、隣からずっと視線を向けられていることに気がつく。ちらと横を向くと、ミカンは空ではなく、私のことをじっと見つめていた。目が合うと、ミカンは少し照れたように柔らかく微笑みをむけてきた。その表情に、どきりと胸が高鳴る。
「星空が綺麗って話してるのに……なんで私の方見てるのかな」
「そりゃ、林檎が綺麗だからな」
さらっとそんな歯の浮くことを言いながら、私の肩に体重をかけて寄りかかってくる。私もミカンにもたれかかり、お湯の中で触れ合った手を握りしめた。
「ミカン、今日はなんかやけに素直だよね。どうしちゃったの」
何気なくそう尋ねたけれど、ミカンは星空を見上げて、しばらく考えてから口を開いた。
「……正直、こんな風に遠出できるなんて思ってなかったんだ」
私はその横顔を見つめながら、ミカンの話を待つ。
「私はこんな、狼女だし、万が一外でばれようものなら騒ぎになる。だから、林檎がもし遠出をしたいのに、私の存在が足枷になってるだろうなと思ってた」
「そんなことないって言ったじゃん」
私はムッとして言い返す。また頭突きをしてやろうかと思っていると、ミカンは「はは、そうだな」と笑ってから、こちらに真っ直ぐ向き直って目を見つめてきた。
「……でも、こうして連れてきてくれた」
ミカンに両手を取られ、優しく握りしめられる。
「少しでも私が人目を気にしないように、慣れない運転までしてくれた。色々と下調べして、私がリラックスできるよう気を配ってくれた。それが、とてもとても嬉しくて……この恩を返すには、頑張ってくれた林檎に、私の素直な想いを伝えることくらいしかできないと思ったんだ」
ミカンは私を真っ直ぐ見つめて、優しい笑みを浮かべる。
「ありがとう、林檎。大好きだ」
思わず、私はミカンに抱きついた。水面が波を立てて揺れる。
「私だって、いつも助けられてるよ。この旅行だって、日頃の感謝のつもりだよ」
ミカンを抱きしめながらそう言うも、返答がない。身体を離してミカンと再度向き合うと、少し拗ねたような顔を浮かべていた。
「……これ、恩返し旅行なのか?」
その顔がたまらなく愛おしくて、私はミカンの頬を両手で挟んでその拗ねた表情を揉みほぐす。
「ちゃんと、新婚旅行だよ」
笑顔でそう返すと、ミカンは安堵したように顔を綻ばせた。ミカンの頬に触れたまま、私は続ける。
「同居人で、友達で、家族で、恋人で……。今まで通りそれだけでも良かったけど、最近、もっと欲が出ちゃったんだ」
「ふふ、林檎は欲張りだな」
私の手にミカンが手を重ねてくる。
「二十年近い付き合いなのに、知らなかったの?」
顔を見合わせてくすくす笑う。私は小さく深呼吸してから、ミカンの綺麗な瞳を真っ直ぐ見つめた。
「ね、ミカン。これからも一生、私とずっと一緒にいて。私の……お嫁さんになって」
ミカンは私の言葉に目を潤ませながら、しっかりと、何度も頷いてくれた。
「はい、喜んで」
涙を湛えたミカンの瞳から、ぽろりと一粒の雫が流れ落ちた。どちらからともなく、身体を寄せて抱きしめ合う。
月明かりに照らされながら、私たちは誓いのキスをした。




