第9話 追憶
そもそも、僕がイジメられた切っ掛けになったのは当時、イジメられていたクラスメイトを庇ったせいだ。
5人で1人の子を囲み、給食のご飯に牛乳入れて、それを食べるよう強要していた。
最初に言っとくと、僕は別に正義感をふりかざしたかったわけじゃない。ただ、その時、イジメっ子達の笑い声、それを注意しない先生を見て、無性に腹が立ってしまった。
「やめなよ。そんなくだらないこと」
考える暇もなく、僕は席から立ち上がると、そんな言葉をイジメっ子に言い放つ。途端、教室は静寂に包まれ、イジメっ子達は眉間に深いシワを寄せ、僕にガンつけていた。
その時、不思議と恐怖心はなかったのだが、冷静に、ああ、やってしまった、と思った。この出来事が、次の日から、イジメのターゲットは僕に変わった切っ掛けだろう。
何故か昨日、いじめられていた子も、イジメっ子の輪に加わっていたのには驚愕したが、早い段階で、ああ、人間なんてそういうものなんだなと、子供ながらに組織の原理を悟った瞬間だったのを覚えている。
僕はこのことを、両親にも姉さんにも相談しなかった。
当時、姉さんが15歳で受験生ということもあり、心配をかけたくないという気持ちが強かったのかもしれない。
今もそうだが、基本的に僕は穏やかだし、怒りを表面上に出すこともしなかった。暴力を振られてもやり返さないため、イジメっ子にとってみれば、いいサンドバックだったはずだ。
でも、イジメがなくなる出来事が起きるのだ。
それは放課後。いつものように僕は使われていない教室に呼び出され、いつのように暴行を受けていた。痛みはあったが、もう慣れていたため、床に寝そべり、蹴られながら内心、早く終わらないかなぁ、程度に思っていた。
あの時の僕は、完全に感情がなくしていた。もしくは、こんな奴等に感情的になるのが、バカバカしいと意地を張っていたのかもしれない。
そんな時だ。いきなり、教室の出入口から「なにやってんだ!」という、怒鳴り声が聞こえた。
イジメっ子の暴行は一時的に止まり、ドアの方に視線が集まる。
「なんだよ。宇佐美じゃねぇか。何の用だよ!」
宇佐美、と呼ばれて、僕は我に返り、うつ伏せの状態で顔をあげる。
そこには拓がいた。イジメっ子の一人が、拓の前に立ち、威嚇している。拓はイジメっ子を無視し、僕の方を見る。互いに目が合った。
僕は「拓。なんでもない。早く行ってくれ」と、この場から去ることを促した。ここで、拓が僕の味方をすると、今度は拓までイジメられる。それだけは絶対に避けたかった。
僕の言葉を耳にすると、拓はニッと笑みを浮かべ、目の前にいたイジメっ子の肩を掴んだ。
「なぁ、面白そうなことやってんじゃん。俺もまぜてくれよ」
拓は笑ってそう言うと、イジメっ子をぶん殴っていた。
当時から身長も高く、スポーツをやっていた為、殴られた子は意図も簡単に机の上に引っくり返ってしまう。
「テメェ、なにすんだ!」
その瞬間、他のイジメっ子の4人が怒鳴り声をあげ、一気に拓の方へと襲いかかる。
最初、拓も負けじと争っていたが、相手は4人。いや、途中で先程殴られた1人も加わったから、5人。喧嘩の行方は考えなくても想定がつく。
不利になっていった拓は、いつしか先程の僕のように、うつ伏せ状態で、なすがままに蹴られ続けてしまう。
「はぁ、はぁ……こいつ、ぶざけやがって」
イジメっ子の5人は、呼吸を乱しながら、肩で息をする。一方、拓はピクリともしなくなった。
おいおい、大丈夫か。死んじゃいないだろうな。全く、見て見ぬ振りすれば、良かったのに。バカな奴だな、と呆れた感情も芽生える。でも、そんな感情とは別に、自分のために体を張ってくれる拓の優しくさが嬉しくて、僕の目尻は少し熱くなっていた。
「なんだ、これ?」
不意にイジメっ子の一人が、拓の鞄についている人形に目を止めた。
握り拳サイズの人形。それは男がつけるには恥ずかしいと思う、ゆるキャラみたいな人形。
僕はその人形に見覚えがあった。というか、僕も似たようなものを持っている。拓の妹が、手作りで作ってくれた人形で、拓の宝物といってもいい。
「マジ、キモ。なんだよ、これ」
鞄についている人形を無理矢理もぎ取り、イジメっ子達は汚れたような声を教室中に響かせ、嘲笑っている。
本当に汚い声だ。そう思いながら、僕は状況の一部始終を見つめていた。
「やめろ!」
拓はうつ伏せの状態で、声を荒げ、立ち上がろうとする。
イジメっ子は「うるせぇ!」といって、起き上がろうとする拓を腹に蹴りを入れた。そして、イジメっ子の一人が人形の首をもぎ取る。
その瞬間、僕の頭の中は真っ白になった。
怒りがふつふつと込み上げるかと思ったが、そうではなかった。ただ、頭の中にあるなにかがキレたような音がして、思考回路が完全に脳が無になる。
後になって知ったが、これがキレるっていう感情なんだとわかった。それからの行動は正直、曖昧になっている。
気付けば僕はその場を立ち上がっており、そいつの背中を蹴っ飛ばしていた。
生まれて一度も、取っ組み合いの喧嘩なんかしたことがなかった。何度も言うが、僕は普段から温厚だし、怒ることなんてほとんどない。だから尚更、僕は感情を制御する方法がわからなかった。僕は自分の声とも判断のつかない奇声をあげ、無言でただ我武者羅に周りのイジメっ子を殴り続けた。
僕はけして喧嘩が強かったわけじゃない。でも、イジメっ子達は僕が暴力をふるってくるなんて夢にも思わなかったのだろう。
その油断と一瞬の躊躇が、反撃を遅らせたのかもしれない。慌てて、殴り返してきた者もいたが、あの時は殴られようが、蹴られようが、痛いという感覚が遮断されていた。
僕の頭はとにかく、ここにいる拓以外の全員を、ボコボコにしなくては気が済まない。そんな怒りの感情に支配されていた。
冷静さを取り戻した頃には、僕一人だけがその場に立ち竦んでおり、周りのみんなは床に倒れていた。
椅子も振り回してしまったのか。出入り口のガラスも割れていた。
場が静かになったと思った途端、急に拳も顔も腹も、ズキズキという痛みが走る。そして、僕は虚ろな感覚で、ゆっくりと肩で呼吸をしていた。
しばらくすると、騒がしい音で周囲も気付いたのだろう。間もなくして、そこには他の生徒と先生達が集まって来て、騒動はかなり大きいものになった。
だが、僕は誰にも咎められなかった。
それは結果的に、先生を含むクラスの皆も、僕がいじめられていたことを知っていたからだ。
とはいえ、この騒ぎで母さんは学校に呼び出しを受けた。
帰り道、母さんはこの事件について、僕を怒りはしなかった。その代わり、今までイジメにあっていたことを隠していた事実については、こっぴどく怒られた。
「あんたがイジメられているの、母さん絶対助けるなんて約束は出来ない。でもね、歩。相談はしなさい。一番ダメなのは一人で抱えてしまうこと。あんたは一人じゃないのよ。もし、学校にいる全ての人達が歩の敵になっても、母さんは絶対、歩の味方でいるから安心なさい」
そう言って笑った母さんが、とてもたくましく見えたのは、今でも記憶の片隅に残っている。
家に帰った後、普段は自分の部屋で受験勉強している姉も、この時は居間に降りてきて、怪我している僕に絆創膏を貼ってくれた。
「へぇ。歩が喧嘩なんて珍しいね。でも、よくやったわ」
僕が喧嘩したのが、そんなに嬉しかったのか、姉さんは上機嫌で僕の頭を撫でてくれた。
後になっての後日談だが、その出来事が切っ掛けで、学校内では「歩はキレるとヤバイ」と噂されるようになり、僕は次の日からイジメられなくなったのだ。




