お姉さん→お姉さん(?)
残念なお姉さんに何されるのかと怯えていると、お姉さんに隠れて見えなかったが、後ろの木で出来た扉がコンコンと素早い数回のノックの後、音も立てず内側に開いた。
「シス様、何時まで其処に――」
一度溜息を吐き出し開きながら続いた声は、耳に心地良い中低音。
その声の持ち主が常に冷静で、聴く者を静かにさせる落ち着き払った人物だと雄弁に語っている。
現れた青年は、目的の人物を見付けて話しを切り出し掛けた途端に、その肩越しにひょっこりと顔だけ見えた私を一瞥すると、目を見開いて口を閉ざした。
これまた美形が現れた事に、私は内心『眼福』だと思っている。"美人と筋肉は観賞用"って本当だな。
男性的な美しさ、と言うのか赤毛のお姉さんと並んでも遜色ない、寧ろお似合いな程容姿が整っている男性。
隠れ筋肉フェチの私が一目で分かる程度には、心身が鍛えられているのかきっちりとした所作にも隙がない。理想に近い筋肉です。
同じく、お姉さんも鍛えられているのが見て取れた所、性別不明の摩訶不思議に見えてきたんだけど、どうしよう。
「もー、駄目よウィル。乙女の寝起きを目に焼き付けないの!」
にこやかなお姉さんから無駄のない鳩尾への膝蹴りを決められ、『グッ』と唸ったウィルと呼ばれた彼が扉の外へとぶっ飛ばされて可哀想に思えたが、如何せん拘束されている私は余りにも無力な存在だった。
けれど、青年は鍛えているみたいだから大丈夫だとは思う。いや、知らないけど。
お姉さんは動きやすさ重視なんだろうラフな格好だが、"様"付けされていた所からして何処かのお偉いさんらしい。
ディスさんみたく強引っぽいし、逆らわない方が良いんだろうな。
「ねぇ、貴女も何かしてやりなさいよ。何なら、私が代わりにやってあげても良いわよ?」
「何をやるんですかっ!?」
そっちじゃないわよ、やあねぇ。
とか言ってるけど、「そっちってなんですか!?」とは恐ろしくて聞けない。
私の脳内で『殺る』に変換された言葉と、何処となく目が本気だからこれ以上言い出せないでいた。
が、はっとしてお姉さんに聞いてみる。
「あなたは良いんですか?」
「ええ、私は良いのよ。ゆっくりしてね?」
多分お姉さんに手足縛られてるからゆっくりも何もないんだけれど、と胡乱な目をして訴えてみたが効果はないらしい。
扉を閉めてこちらに向き直ったお姉さんは、椅子を引き寄せて私の目の前に陣取った。
私の身体を失礼に当たらない程度に上から下まで確認して、ゆっくりと首元に視線が戻る。
「貴女"魔力なし"なのに、よくアレの傍に居られたわね。……その瞳の色、特殊な"魔力なし"だからかしら?」
そんな、尊敬とも呆れともつかないお姉さんの呟きに、違う意味で反応する。
『魔力なし』、異世界から召喚された主人公と同じ、魔力が微塵もない読んで字の如くを体現する最弱人間。
主人公は最強の一振りの武器と、周りに鉄壁のハーレムが築かれていたから苦労はしなかったみたいだけれど、生まれた赤ん坊でも九割以上が魔力を保持している世界観からすると、こちらでは最悪の運命を背負った人間だろう。
親がこの世界の人ならば、嘆き悲しむか哀れに思って一生外界とは切り離され生きる選択肢を強いられるはずだ。
まあ、それは裕福な家庭の場合だけれども。貧しいと、何処の世界でも苦渋を飲むらしい。
私は何不自由なく育てられた現代っ子な口なので、申し訳なくは感じるが両親の苦労は未だ知る由もない。
帰れたら、急に素直にはなれないけれど優しくしようとは思った。
あともう一つの引っ掛かりは、何故か私には『言葉が分かる』という事。
というのも、散々少人数と――ディスさんとお姉さんの二人だけではあるが――言葉を交わしているから違和感はなかったが、これは盲点だった。
ただの『魔力なし』ではなく、『魔力なし』と、脳内翻訳されている。
今後何の役に立つのかは未知数、と言うか使う機会があるのかも怪しいが、一応記憶に留めておこうと思う。
何があるか予想付かないしね。
考え事でぼうっとしていたであろう私が注がれた視線に応えると、何故かお姉さんが申し訳なさそうな顔をして眉を八の字に下げた。
あ、別段お姉さんの言葉で傷付いた訳ではないですよ?
にこっと笑った私の真意を汲んだのか、お姉さんは幾らか肩の力を抜いた。
「それにしても、その首輪。禍々しい力が宿っているわね。……ねぇ、外しても良い?」
先程の表情とは打って変わって、魅了された人であれば即座に頷くだろうお強請りに似た仕草に、はっとして全力で首を振る。
「い、いや! これだけは駄目です!! 絶対!!! 断固拒否っ!!!!」
一瞬、目だけ笑っていない嘲笑を浮かべたディスさんが脳裏を過ぎった。
これだけは、これだけは着けていないと!
二度目の警報が脳内で鳴り響いて、下にした左腕を捩って気持ちだけ後退る。
その様を見遣り苦笑して、お姉さんは私の背後に回った。
「え、お姉さん?」
「んー? あら、動いちゃ駄目よ。動くと腕ごと切れるから、大人しくしてなさい」
お姉さんの脅迫、元い指示に大人しく従い、動かないように身体を強ばらせる。
後ろでお姉さんが屈んで何かをしていた。
動くだけで腕、切れるの? 何されるの? 死ぬの?
ぐるぐると際限なく頭に流れるそれらに、背中に冷や汗が流れ落ちた時だった。
「――はい、完了。言い付けを守るなんて良い子ねぇ。ほら、足も動くでしょう?」
不安が降って湧いて、手足を諌めていた物が消失した事に、お姉さんから説明されるまでは気が付かなかった。
呆気無く解放された私の手を取って立ち上がらせると、身体の土埃を払って抱き寄せられる。
抱き締められた事よりも、勢い良く顔にぶつかった胸が少しも柔らかくない事に驚いた。
女性でも、鍛えると胸は分厚い筋肉になるものなの?
『あ、お姉さん微にゅ……美乳な方だったのかな』と、頭を優しく撫でられながら失礼な事を心の中で独り言ちた。
「長い間床に寝かせててごめんなさい。私とした事が、アレの同伴だったからって女の子に配慮が欠けていたわ」
「へ、えっ……あ、ああ、あのっ?!」
「お詫びに部屋まで送るわね」
そうして、戸惑いとその他の思いは言葉を理解しない内に瞬時に思考停止し、私はお姫様抱っこで抱え上げられ、鼻歌を歌うお姉さん(?)に何処かへと連れ去られた。
* * *
もう既に夜だったのか、部屋から出て直ぐの窓から見える星空は煌々と一つ一つが存在を主張していた。
それに囲まれた僅かに欠けた月は、青白く輪郭をはっきりとさせて光を返す。
都会じゃ滅多に見られない空に、私の心は釘付けになっていた。
その手前には、歩く振動でサラサラと赤毛が揺れている。
目線をそろりと上げれば、月光で浮かび上がった肌が白磁の陶器に見えて、整った目鼻立ちはこの世の物ではないのではないのかと思ってしまうぐらい、美しい人形にも似た横顔があった。
あの部屋の照明でも透明な白い肌なのに、外に出ると淡く幻想的に彩られている。
月との対比に見蕩れていると、幾分か青身が強くなった瞳が細められた。
それから、どちらからとも何を言うでもなく、お姉さんは決して軽くはない私を軽々と持ち上げたまま悠々と進んでいった。
「はい、到着よ。この部屋には特別に浴室が付いているから、今の内に入ってらっしゃい」
私をゆっくりと解放し、何時の間に手に持っていたのかシンプルなワンピースが手渡される。
機能性の良さそうなそれは淡い水色で、綿で出来ているのか肌触りが良かった。
「あ、重ね重ねどうもすみません。ありがたくお借りします」
頭を下げてお礼を言う私を、お姉さんはちょっと困った顔で制した。
そっちが浴室よ。と左の奥を指し示してから、足早に何処かへ歩いて行く。
私より頭一つ分身長が高いからか、歩幅も段違いで広いみたいだ。
もう遠くの突き当たりの角を曲がり、そのすらっとした後ろ姿は壁に阻まれて見えなくなった。
周りを確認して、扉を閉め部屋を見渡してみる。
落ち着いた青で統一された室内は、所々に女性用と思わしき調度品であったり、薔薇で鏡の周りををあしらったドレッサーが置かれてある。
この部屋の持ち主は女性なんだろう、しかも綺麗好き。
埃が被っている形跡は見られない角に、窓でさえ曇った部分が一つもなかった。
手入れするにしても、此処まで拘られると使用しにくい気がした。
が、異世界の浴室事情とは何ぞや。と好奇心に駆られる私は、心なしか足取りは軽い。
だが潔癖そうな部屋の主が帰ってきたら怒られないようにと、何も壊さないように慎重に移動して浴室の扉の前に立つ。
ふと、手元の服を広げてみた。
「……この上等そうに見えるワンピースって」
誰の物かは聴けず了いだったが、体格的にいってお姉さんの物でないのは確かだろう。
では、誰の……もしかしなくても、部屋の主なのかとイメージしてみるが、何分想像力が足りず自分と同じスタイルが余り良くはなさそうな少女を思い浮かべただけだった。
少し寂しくなって、お姉さんが戻ってこないか振り向く。
暫くじっとしていたけれど、廊下を通る物音さえしない外は静かだった。
一向に現れない事に溜息を吐く。
そうして、今更だが重要な事を思い出した。
……お姉さん、下着はどうしたら良いんでしょうか。