生真面目剣士
お姉さんに悪いし、下着はもうこのままで良い事にする。
嫌だけど、凄く嫌だけど。
扉を開け、こちらも青で統一された狭い脱衣所で服を脱いでいく。
籠に衣服を入れ、最後にこの首輪をどうしようかと触ってみたが、通常の首輪と違い留める部分が指先に当たらない。
壁に提げられた鏡を覗いてみても、やはり黒い帯に中央に嵌められた紫紺の丸石以外なかった。
どういう原理か気になったが、肌が冷えてきたので諦める。
籠に入っていた短いタオルを手に浴室へ入ると、予想していない湯気が大量に肺に溜まり蒸せた。
慌ててタオルを鼻と口に当てて少し進むと、私の腰までの高さの大きな木桶が鎮座して、既にお湯が張られてあった。
何時の間に沸かしたのか興味を惹かれ、木桶の中を覗くと真ん中の底に見える赤い石から、ポコポコと気泡が沸いている。
あれがゲームで見た事のある『魔石』で、今はこのお風呂の温度を維持しているようだ。
辺りを見遣れば右側近くに小さな椅子があり、その前に桶が、こちらも木で出来た台の上置かれ、その隣に白と蜂蜜色の液体が入った二本の瓶と、石鹸が細かいネットに入れられていた。
此処で身体を洗うのは判ったが、お湯はどうすれば良いのか迷う。
取り敢えず桶でお風呂のお湯を掬い頭から被り、どれくらい減るのか見ていたが元のまま水位が変わらない。
これも魔石の影響なのかと遠慮なくお湯を使い、身体を洗い終えた。
左脇の二段の台に足を掛けて登り、片足から滑らないようにゆっくりと入る。
肩まで浸かり息を吐くと、労るような暖かさが身体を包んだ。
これも魔石の効果だろうか。
「ふぃい……余は満足じゃ」
普通は言えない台詞を、誰も居ない事で吐き出す。
兎に角、今日は疲れた。
異世界なんて、「実は夢でしたー」が一番良いに決まっている。
自業自得であるにせよ、今後どう元の世界に帰るかが問題だ。
こういう異世界トリップものって、異世界との時差があった気がする。
希望だけど、一分が一年とかだったらまだ救いがあるかも知れない。私今年が受験生だし。
捻くれてるお父さんと面白いお母さん、最近は構ってくれないけど意思疎通が双子並みのお兄ちゃん。
私が唯一親友だと思ってる天然の由紀ちゃん……ああ、早く帰りたい。
沈んでいく気持ちを叱責して、顔にお湯を掛け幾らか落ち着く。
お姉さんから、どんな風に捕まえられたのか聞いていないから分からないけれど、『転移』と言っていたから、誰かに転移魔法で連れて来られて気絶してた所を拘束されたんだろうと推測する。
何の為かは今の所分からないけれど、害意があったら私をお風呂になんか入れてくれないだろう。
ナルシストだけど優しいお姉さんだから良かったのかも。
けれど、残念に思う事が一つ。
あのディスさんの口ぶりからすると、私は神官様の所に行ける可能性があったんじゃないかと思う。
どうにかなるかも知れないと言っていたはずだ。
でも、今頃ディスさんは急に目の前から商品が居なくなったから焦ってるだろうな。
本当は怒っていて、このまま放置されるかも知れないけど。
これ以上うんうん唸っていると逆上せそうだからと浴室を出て、もう一枚大きめのタオルで水気を拭き取っていく。
首輪に触れると、不思議な事に乾いていた。これも魔道具の一つなんだろう。
無理に納得させて、下着とワンピースを着る。
驚いた事に、私に合わせて採寸したのかと聴きたくなる程身体にぴったりだった。
胸が窮屈になるでもなく、丁度良い着心地だ。
胸元の藍色のリボンは結って蝶蝶結びにしてみた。
「この服、私じゃなければ似合うのにな」
一度鏡で確認して、扉を出ようとした所で――悲鳴が上がった。
* * *
彼は、さっきお姉さんに蹴り飛ばされていた、『ウィル』と呼ばれた男性だ。
お姉さんに部屋の中で待つよう言付けられていたらしく、浴室から私が出るのを待っていたそうだ。
直に出てくるだろうと明かりを数個しか点けずに待ってくれていたようで……。
だが、私が思ったより長く入っていたので、待てど暮らせど出てこない事で、何かあったのかと中に強行突破しようとした所、扉の前でバッタリと。
「……驚かせてすまない。もう少し待てばよかったな」
はい、悲鳴を上げたのは私です。
暗い部屋からぬっと現れた必死の形相の美形は、恐怖で夢に出るかと思った。
「いえ、私の方こそすみません。待って頂いていたのに、気付かずにのんびりお風呂に浸かっていたので……」
だから、沈黙が重いです。
裸見られた訳じゃないしそんなに気に病む事はないのに、ウィルさんは沈痛な面持ちだ。
これ以上は耐えられないと、この件を終わらせるべく口火を切る。
「ウィルさん。私は服着てましたし、もう良いじゃないですか」
「いや、しかし勝手に押し入るなど……」
「緊急事態かと心配して下さったんですから、何の問題もありませんよ」
「だが、それでは」
「良いんです! はい、このお話はもう終わり!」
「それは……」
「で、私はここで待ってれば良いんですか?」
まだ少し戸惑いを浮かべて居るが、何とか立ち直ったらしく頷いた。
用意してくれていたんだろう三脚の椅子とテーブルを見て、どこに座れば良いか尋ねると、対面に置かれた一つに促された。
テーブルの上には水差しとコップが置かれていて、喉が渇いた私には有難かった。
しかし何だ、この面接の練習みたいな配置は。
「あの、私、尋問でも受けるんですか?」
恐る恐るウィルさんに聞くと、言ってる意味が分からないと首を振る。
まあいいか、と椅子に腰掛けてテーブルの横で立ったままのウィルさんを眺めた。
焦げ茶の瞳と、同じ色の短い髪に――メッシュなのかは解らないが、彼から見て左耳の下から一房黒い毛が肩まで伸びている。
お姉さん越しにちらっとだけ見た服より、幾分か軽装なこの衣服からだと十分に分かる鍛えられた体躯。
しかし惜しい事に、まだ上腕二頭筋が理想まで育っていない。
私の視線に困惑して視線を彷徨わせるウィルさんに心の中で謝り、重い沈黙を振り払うように名乗る事にした。
「えっと、私はシズク・フルカワです。シズクと呼んで下さい。お名前はウィルさんで合ってますか?」
数秒の沈黙の後、慌ててウィルさんが名乗った。
「あ、いや。俺はウィスタール・ヘルン。だが、ウィルのままで構わない」
「ありがとうございます。ウィルさん、よろしくお願いします」
「え、ああ。……シズク、宜しく頼む」
女性との会話が慣れていないのか、それとも私が規格外なのか、逐一律儀に返してくれる。
お姉さんと正反対だけど、良い人認定をしても良いかも知れない。
でも、後者じゃないだろうな? と微妙な気持ちになった。
「あ、このお水貰いますね」
喉の渇きが限界に来て、返事を待たずに水を頂く。
少しレモンが入っているみたいで酸味があり、飲み口が良く二杯目を注いで口を付けた。
温まった身体に冷たい飲み物はすっとする。
生き返る心地でウィルさんを見ると、神妙な面持ちで私を凝視していた。
穴が空く程見詰められ、何なんだと目を瞬く。
私の反応にはっとして、ウィルさんは小さな声で「すまない。」と謝った。
「そんなに警戒心なしで、よくアレの傍に居れたなと感心していた」
『アレ』ってやっぱりディスさんの事で、そこだけ棘がある気がした。
いやちょっと待て、感心てなんだ。
「感心……ですか」
「魔力なしでも、あんな近くに居るような無謀はしない」
今度は「無謀」。
私が軽率なのは否めないとして、ディスさんてどんだけ危険人物なんだろう。
本当に『魔導師』、とか?
「え、でも……ディスさん言い方はキツいですけど、お話(教科書の話)したり、ご飯(餌付け)頂いたりしました、よ?」
虐げられてません。と言うと、ウィルさんは眉を顰めた何とも言えない顔になって思案しだした。
私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。
この奇妙な空間は、お姉さんが来る事で終わりを告げた。




