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英雄の監獄カルナヴェイル  作者: 那貴


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#第46話「すれ違う影」

 中層の供給の中継場は、下へ降りる荷と、上へ上がる荷が交わる場所だった。

 

 深い階から運ばれてきた食料と素材は、ここで積み替えられ、番人の帳面に記されてから、中層の倉と市場へ回される。下へ送られる荷もここを通る。荷車の列、量りを打つ音、配給券と素材貨幣のやり取りの声。営みは整って見えた。だが、シオンがその日、三人に声をかけ、三人とも同じ名を口にしたとき、営みの下に別のものが流れていることが分かった。

 

 最初は、荷運びの男だった。男は名を名乗らず、積み荷の陰で短く語った。数週間前、騎士の身なりをした年配の男に、供給路の通行に関わる刻み札を貸したのだという。担保は、下層の素材で作られた貨幣数枚と、戻りの際に倍にして返すという約束だった。刻み札は戻らなかった。男の姿もなかった。番人に訴えても、個別の取引に原住種は関わらない決まりで、取り合ってもらえなかったという。

 

 二人目は、素材を扱う年老いた女だった。女は店先の品を拭きながら、目を合わせずに言った。下へ潜るための薬草と干し肉を、男にまとめて渡した。代わりに、深い階で得た素材を持ち帰る約束だった。身内が下で病に倒れていて、素材が要ったのだという。男は戻らなかった。素材も、薬草も、食料も消えた。

 

「約束を破る奴は、ここには珍しくねえよ。だが、あいつは違ったね。破るために、最初から丁寧に約束したんだ。相手が何を一番欲しがっているか見て、それを餌に下げた。……あれは罠だよ」

 

 三人目は、腕輪を重ねるための仲介をした若い男だった。取り分として受け取るはずだった通行の権利が反故にされ、引き合わせた相手とも連絡が取れなくなったとだけ言い、荷の列の向こうへ去った。

 

 三人の話は、細部は違った。だが、形は同じだった。相手の欲しいものを正確に見定め、それを担保と対価の形に整え、約束を結ぶ。相手が背を向けたところで、約束を捨てて消える。残されるのは、品と権利を失った者と、届かない怒りだけだった。

 

 そして、三人が口にした名は、同じだった。

 

 ガラハッド。

 

 シオンは、中継場の壁際で、自分の右手の甲を見た。そこには、楔形の紋がある。初めて打ち込んだときから歳月を重ね、今は濃く、形も大きくなっている紋だった。だが、その紋が結ぶ相手は、師ではない。シオンはガラハッドに、楔を打ったことがなかった。だから、紋をどれだけ凝らしても、師のいる方角は分からなかった。開けば位置を知ることができる結びも、結んでいなければ何も教えてはくれなかった。

 

 追う手段は、足と耳しかなかった。聞き、確かめ、残された者の言葉を繋ぐ。それが、この数日のシオンの歩き方だった。だが、他人の口から語られる師の姿は、シオンの知る姿と、少しずつずれていた。王国での師は、約束を重んじる騎士だった。監獄での師は、約束を結ぶことそのものを、潜るための道具に変えていた。

 

 三人目の若い男が去る前に、もう一つだけ、言葉を残していた。

 

「あの騎士に、本気で路を案内した男がいる。マレクって言うんだ。供給の路に顔が利いて、案内と顔つなぎで食ってた男だ。……今は、もう路には出てねえ。住まいは、東の窪みの奥だ」

 

 

 東の窪みは、中継場から外れた、住まいが岩壁に沿って並ぶ一画だった。

 

 マレクの住まいは、その一番奥にあった。戸の代わりに布が下がり、中からは咳の声がした。シオンが布の外から名を告げ、ガラハッドのことを聞きたいと伝えると、咳の合間に、入るよう促す声が返った。

 

 中の男は、壁際の寝床に腰を下ろしていた。人族の男で、四十も半ばを過ぎた頃だろう。痩せていた。頬はこけ、着ているものの肩は、布だけが余って垂れていた。だが、骨格は痩せに似合わなかった。肩の骨の張りが、かつては肩幅の広い、路の仕事に耐える体だったことを示していた。

 

「騎士のことを、聞きに来たのか」

 

 マレクの声は、咳で掠れていた。差し出された水の椀を持つ手が、小さく震えていた。震えは止まらなかった。椀の水面が、絶えず細かく揺れていた。

 

「あんたも、やられた口か」

 

「いえ。俺は、その男を追っています」

 

 マレクは短く笑い、すぐに咳き込んだ。咳が収まるまで、シオンは黙って待った。やがてマレクは、震える手で椀を置き、シオンの顔と、腰の剣と、右手の甲の紋とを順に見た。

 

「……いいよ、話してやる。どうせ、誰も信じちゃいねえ話だ」

 

 彼はもともと、中層で供給路の案内と顔つなぎをして暮らしていた。どの便がいつ出て、どの中継で誰が検めをし、どの路ならどの持ち場に触れずに済むか。そういうことを知っているのが、彼の生業だった。ガラハッドが声をかけてきたのは、数週間前のことだという。下へ降りたい。供給の路を、荷の流れとは逆に辿りたい。路を知る者に案内を頼みたい、と。

 

「供給の路を逆に辿るのは、正道じゃねえ。だが、昔からある潜り方だ。あいつは、俺の仕事をよく調べてた。路のことも、俺が顔つなぎで食ってることも。……そして、対価の出し方が、うまかった」

 

 対価は、腕輪だった。

 

 下の階の中継に、死に際の男がいる。その男とは話がついていて、自分の腕輪を、同意の上で譲る約束になっている。だが、その男はもう歩けない。案内人が同行し、受け取りに立ち会って、初めて話が成り立つ。着いたら、その腕輪は案内人――マレクのものになる。マレクはそれを重ねて格を上げ、下の階に耐えられる身になって戻る。ガラハッド自身は、別の取り決めで先へ進む。そういう話だったという。

 

「腕輪の受け取りは、本人の同意か、死んで一時間以内の回収か、そのどちらかでしか成り立たねえ。それも、あいつは正確に知ってた。同意の話がついてる、立ち会いが要る、だから案内人が要る。筋が通ってたんだ。……通りすぎてた、今思えば」

 

 シオンは、椀の水面の揺れを見ながら聞いた。囚人同士の約束は、腕輪や物資、通行の権利を担保にし、対価と条件を定めて結ぶ。だが、それは楔ではない。誓いの力を伴わない、ただの約束だ。師は、破ること自体を初めから組み込んでいたのだと、マレクの話は示していた。

 

 二人は、供給の路を逆に辿って降りた。荷の流れに逆らう路は狭く、番人の目の届かない脇道も多かった。マレクは顔の利く中継で話をつけ、ガラハッドを通した。死に際の男のいる中継にも辿り着いた。男は横たわり、息も細かったが、意識はあった。マレクが傍らに膝をつき、話を確かめようとしたとき、ガラハッドが先に口を開いたのだという。

 

「あの男は、死にかけの男に、短く何か言った。聞き取れなかった。男は頷いた。……同意だ、とあいつは言った。男の腕輪に手を伸ばしながら、俺の方も見ずに言った。同意が取れた、輪は話の通りにする、とな」

 

「輪は、あなたが受け取るはずだった」

 

「はずだった。だが、あいつはその輪を、自分の腕に重ねた。自分の輪の上に、きちんと重ねた。気配が変わるのが分かったよ。深い方へ行ける身に、その場でなったんだ」

 

 マレクは、そこで初めて、話が違うと声を上げたのだという。ガラハッドは穏やかに答えた。先の路は危険で、自分が先に格を上げて道を開く。輪は後で必ず返す。ここで騒げば、自分の戻り路もなくなる、と。それは脅しではなく、事実でもあった。格の上がっていない身で下の階に取り残されれば、取り立てに削られるだけだった。彼は、抗いきれなかったという。

 

「あいつは、そのまま深い方へ消えた。一人で。……残された俺は、戻るしかなかった。取り立てってのは、静かに来るんだ。音もねえ、痛みも初めはねえ。ただ、力が抜ける。息が浅くなる。手が、こうなったのは、そのときからだ」

 

 マレクは、震える自分の手を見た。

 

「四十八時間。格の合わねえ階にいて、持ちこたえられる刻限だ。その刻限の、際も際で、俺は中層へ這い戻った。供給の路を、今度は一人でな。……いや、辿ったんじゃねえ。壁伝いに、這ったんだ。着いたときは、もう立ってもいられなかった」

 

 それ以来、衰弱は戻らなかったという。咳は残り、手の震えは残り、路の仕事はできなくなった。彼の話を周りは信じなかった。格を上げるための話に乗って自ら降り、失敗して戻った男の言い訳だ、と。訴えは、証となる品も立ち会った者もなく、ただ彼の口の中にだけあった。

 

「あんたは、どうして俺のところへ来た」

 

「中継場で、三人に聞きました。三人とも、約束を結んで、裏切られていた。形が、あなたの話と重なります」

 

「三人。……俺を入れて、四人か。もっといるだろうな。あいつは、結ぶ相手を選ぶんだ。欲しいものを持ってる奴、欲しがってる奴。そこに、綺麗な約束を差し出す」

 

 マレクは、布の戸の方を見た。外では、中層の夕方の営みの音がしていた。

 

「路の入り口までなら、行ける。あんたに見せてやる。俺たちが降りた路と、あいつが消えた分かれ道を。……言葉だけじゃ、誰も信じねえ。だが、場所は嘘をつかねえ」

 

 

 供給路の脇口は、中継場の裏手、荷の積み替え場のさらに奥にあった。

 

 荷の流れの本道から外れ、岩壁に沿って下へ折れる細い路だった。マレクは杖代わりの棒を突き、震える足で先に立った。歩みは遅く、咳のために何度も止まった。シオンは、その歩みに合わせて歩いた。

 

 分かれ道は、脇口からしばらく降りた先の、岩の割れ目が交わる場所だった。一方は荷の本道へ戻る路、もう一方は、下の階の中継へ向かう細い降り路だった。マレクは降り路の口に立ち、棒で先を示した。

 

「ここだ。ここから先は、今の俺の格じゃ、もう長くはいられねえ場所に繋がってる。死に際の男の中継は、この先の二つ目だ。あの男は、その先で輪を重ねて、もっと深い分かれ道へ消えた」

 

 そのとき、岩の割れ目の奥で、岩を引く小さな音がした。

 

 シオンは、マレクの腕を引いて壁際に寄せ、剣を抜いた。音は一度止み、やがて、割れ目の闇の中から、原生の獣が姿を現した。岩の色に紛れる灰の体で、四肢は低く、爪は長く伸びていた。獣はシオンたちを認めると、喉を鳴らし、地を蹴った。

 

 速さはあった。だが、突進はまっすぐだった。シオンは半歩引き、体を斜めに逸らして最初の突進を空に通し、返す剣で前肢の付け根を斬った。斬りは深くなかった。獣は向きを変え、今度はマレクの方へ跳んだ。シオンは間に割って入り、剣の腹で横顔を受け流し、崩れた獣の首筋へ、二太刀目を入れた。今度は届いた。獣は岩の上に崩れ、動かなくなった。

 

 特別な技ではなかった。一人前の剣を、順序通りに使っただけだった。袖口は獣の爪で裂けたが、それだけだった。シオンは剣の血を払い、納めた。傍らでは、マレクが棒を握る手を震わせながら、獣の死骸を見下ろしていた。

 

「……あんた、本当に勇者様なんだな」

 

「立てるなら、戻りましょう。ここから先は、今日は――」

 

 言いかけたシオンは、言葉を止めた。本道へ戻る路の曲がり角に、人が立っていた。

 

 長命種の者だった。長い耳、細い体躯、旅装束の上に、葉を象った小さな印の留め具を着けていた。精霊の息吹の巡回使だと、その印が示していた。巡回使は、獣の死骸と、シオンの剣と、マレクの顔とを順に見た。表情はほとんど動かなかった。

 

「供給路に獣が入ることが増えている。巡回の途中で、剣の音を聞いた」

 

 巡回使は、降り路の方へ目をやった。

 

「その男を、追っているのか。若い勇者」

 

「知っているのですか」

 

「名を聞けば、思い当たる節はある。……少し前、その騎士は、我らの持ち場に接触してきた。エルフ側の通行路を使わせてほしい、と。深い階へ、我らの路を通って降りたいのだと言った」

 

「交渉の席で、あの男は担保を出した。精霊の加護に関わる品だと言った。加護を受けたとされる品を預けるから、路を一度だけ開け、と。だが、預けるという行為そのものが、我らには受け入れがたかった。加護に関わる品は、取引の道具ではない」

 

「結果は」

 

「断った。路は開かなかった。あの男は、怒りもせず、深く頭を下げて退いた。礼儀正しい男だったよ。だが、我らの長は、加護を担保に差し出す者を迎えることはできないと判断した。今も、その判断は変わっていない」

 

 巡回使は、協力の申し出はしなかった。路の詳細も、エルフ側の持ち場のことも、それ以上は語らなかった。ただ、去り際に一度だけ足を止め、シオンの方を見た。

 

「若い勇者。追うのなら、気を付けるといい」

 

「あの男は、結ぶことを道具としか見ていない」

 

 巡回使は、それだけを残して、本道の方へ去った。足音はすぐに、荷の音の中へ紛れた。

 

 

 マレクは、しばらく降り路の闇を見つめていた。やがて咳を一度し、震える手で自分の腕を掴んだ。そこには、彼の腕輪が一つだけあった。下へ降りるには足りない、一つだけの輪だった。

 

「聞いたか。エルフの側でも、あいつは同じことをした。担保を出して、結ぼうとして、断られた。……俺は断らなかった。欲しいものを見せられたら、人はな、自分の方から結びに行くんだ。あいつは、それを知ってる」

 

「あなたの話と重なるところは、確かにありました。約束の形については」

 

「形だけだ」

 

 マレクは、首を振った。

 

「巡回使は、俺の話を知っちゃいねえ。輪を取られた場に、誰もいなかった。死に際の男は、もう死んだ。あいつは消えた。残ってるのは、衰弱した男の言葉だけだ。言葉はな、勇者様。この監獄じゃ、一番安い。信じる奴がいねえから、安いんだ」

 

 シオンは、答えなかった。答えられる言葉が、なかったからだった。三人の話も、マレクの話も、形は重なっていた。だが、重なっていることと、証明できることは、違った。王国で師の所業を知ったときも、彼が知ったのは、結ばれた者だけが知りうる断片だったのだ。

 

 マレクは、シオンの右手を見た。楔形の紋のある、手の甲を。

 

「……あんたの、その力の話は聞いたことがある。楔の勇者、だそうだな。結んだ相手の身に起きたことを、自分の身に起きたことのように、見ることができるんだろう」

 

 シオンの指が、僅かに動いた。

 

「言葉では、誰も信じない。だから――」

 

 マレクは、震える手を、ゆっくりと差し出した。震えは、さっきよりも大きかった。手は宙で止まり、シオンの手にはまだ触れていなかった。

 

「楔で、見てほしい。俺の見たものを、あんたの目で見てほしい。それで、あんたが信じるかどうかを、決めてくれればいい」


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