閑話:【ゆりかご】の結末
【ゆりかご】が日本各地の当選者に届けられ、千人全員が一度は【ゆりかご】を使用した。しかし、その後【ゆりかご】から出てきたのはおよそ300人ほどだった。
神の力によって、その全員が【ゆりかご】内での記憶を失っていた。【ゆりかご】が自動で開いたため、彼らは目を覚まし、体を起こす。そのほとんどは寝起きのような感覚で、【ゆりかご】が[うまく作動しなかったのか]と考え、もう一度中に入り蓋を閉めてみた。しかし、【ログイン可能】の文字が浮かび上がることはなかった。
体に不調があれば【ログイン可能】の文字が表示されないと知っていたため、不安になり病院へ駆け込む者もいた。
実際には【ゆりかご】とは、邪神イギルガブラグと聖神イリハアーナの二神が作り上げた、異世界転生のための魔道具だった。
記憶こそ失っているが、彼らの体は一度、二神の力によって異世界の手前まで運ばれていた。しかし、病院での検査では体に異常は見つからなかった。
しかし、【ゆりかご】には異常が発生する。最後の来訪者となったリュクスが転生した直後、突如として黒い煙を吐き出した。
数秒もたたないうちに煙は収まったが、【ゆりかご】の上部を閉じる蓋は二度と閉まらなくなり、魔道具としての機能も失われてしまった。
もはや異世界へと続く【ゆりかご】として使うことはできず、せいぜい安眠しやすいカプセル程度の存在になってしまったのだ。
しかし、影響はそれだけにとどまらない。すでに【ゆりかご】を使い、異世界へと旅立ってしまった人々の【ゆりかご】も、自動的に上部が開かれた。
体ごと転生されたため当然だが、中には誰もおらず、服以外の【ゆりかご】内に持ち込んだ所持品だけが残されていた。
行方不明者の存在が発覚した後、事件として扱われ、現世界に残った約300人を除き、【ゆりかご】が配布された全員の住所と氏名が各メディアによって公表された。
[秋元玄][浅井慧一][朝倉恵][有中裕毅][アレックス・デラロ][飯田和人][李詠字]と並べられた名前の中には、日本滞在中に【ゆりかご】の試験を突破した者の名前も含まれていた。
現世界に残った人々は、自分や家族、友人が無事であることに安堵し、一方で異世界へと旅立った人々の関係者は、生死も行方も分からなくなった現実に愕然とした。
当然、【ゆりかご】を製造した会社は遺族の憎悪の対象となり、政治的に裁かれるだろうと予想された。
しかし、警察が踏み込んだはずのビルは完全にもぬけの殻。確かにそこに会社が存在し、社員が働いていたはずだった。だが、奇妙なことに、その社員たちの顔も名前も、なぜか誰も思い出せなかった。
ただし、会社名だけは誰もが覚えていた。なぜなら、それは人気VRゲームを数多く生み出し、世界中にその名を轟かせていた企業だったからだ。
実際には、邪神イギルガブラグと聖神イリハアーナが作り出した、人間に模した存在が会社を運営していた。彼らは事前にゲームを開発し、実績を積み上げ続けることで、【ゆりかご】を世に出しても違和感のない企業を作り上げていたのだ。
異世界勧誘という最大の目的を果たした会社は消え去り、二神が作り上げた人間もどきたちも姿を消した。しかし、現世界の人々は神々の都合など知る由もなく、異世界へ旅立ってしまった人々の関係者たちの怒りが、会社の消滅だけで収まるはずもなかった。
次に標的となったのは配達業者だった。しかし、配達物である【ゆりかご】には配達時点での危険性はなかったと擁護され、配達業者への批判の声もすぐにかき消されてしまった。
矛先を完全に失った者たちの中には、【ゆりかご】を作った会社が開発したゲームソフトに怒りをぶつける者も少数いた。その影響で、【ゆりかご】社製のゲームは危険視され、プレイ人口は激減し、ほどなくして廃れていった。
【ゆりかご】そのものもすべて回収され、徹底的に検査された。しかし、判明したのは、単なる酸素補給機能のない酸素カプセル、つまり安眠用のカプセルに過ぎないという事実だった。コンセントは存在していたものの、そこから電子機器へとつながる配線は一切確認されなかった。
【ゆりかご】が魔道具であった頃の機能はすべて魔法的なものであり、その魔法的要素は【ゆりかご】の権利を持った者たちの選別が終わった時点で、二神によって消滅させられた。検査を行っても何も分からないのは当然のことだった。
現世界の人々にとって【ゆりかご】は、いつまた起動するかも分からない物体であった。1年ほど監視下で保管されていたが、やがてすべて解体されてしまった。
[まだ置いておけば、いなくなった人が戻ってくるかもしれない。]そんな遺族の言葉もあったが、1年という時間、千台もの【ゆりかご】を保管し続け、さらに監視を行うとなると、それだけでも相当な費用がかかる。結局、解体した方が安上がりだとされてしまったのだ。
そもそも、異世界に行った彼らが戻ってくることはないだろう。完全に手段がないわけではないが、それは転移させた二神の管轄に属し、二神はすぐに戻すつもりなどない。
もちろん、遺族たちはその事情を知るすべもなく、【ゆりかご】が解体された時には、戻らぬ人々の関係者たちが涙を流した。
だが【ゆりかご】の当選者の7割もの人々が異世界に行ったのは、そもそも彼らが異世界へ行きたいという欲望のほうが勝っていたからである。
試験の時点で神々が異世界への欲望を計り、選別していたにもかかわらず、3割もの拒否者が出たのは、むしろ多い方だったと言えるだろう。
なんにせよ、異世界と一時的に繋がった【ゆりかご】は、筐体ごと完全に消滅した。リュクスをはじめとした来訪者たちは、神にでも頼らなければそんなことを知るすべもない。たとえ神から告げられてその事実を知ったとしても、彼らは元の世界に戻るつもりはないだろう。
すでに命を落としてしまった来訪者すらいるのだから。
2023/7/18記入
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すでに三日分予約予約済みです。
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2025/2/18 記入
内容はそのまま、行間を開ける、言い回しを変えるなどの修正を多数実施