蜘蛛との対峙
南東の扉から出た目前は東の森と同じようにすぐに森が広がっていた。違うのは木々には緑色の実が時折実っているくらいである。あれは何だろうかとリュクスは識別をかけた。
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対象:緑甘樹の実
緑甘樹の木になる実、皮の部分がとても固い。
内部から出る汁はとてつもなく甘い匂いがする
対象:緑甘樹
緑色の実を宿す木であり、樹液は甘いため、虫型の魔物が好んで樹液を食す。
実も虫型魔物の好物であるが皮が固すぎるため放置される
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識別結果を見たリュクスは、ここの蜘蛛の主食の樹液とはこれかと納得する。ギルドで手に入れていた情報ではあったが、木の実については手に入れてなかった。皮が固いとの識別結果をみたリュクスはリンゴほどの大きさのその実を一つもいでみる。蔕はリンゴと同じくへこんでいるが伸びた茎は明らかに太く、触れた感触からも確かに皮が硬い。
試しにナイフを突き立てたリュクスだが、皮がむけるどころか逆に刃こぼれしそうなほどだ。投げつけたら凶器になりそうだと、さらに顔を近づけ観察すると、リュクスはもいだ蔕の茎に違和感を持つ。
どうにも気になったリュクスはぐいぐいとねじっていく、すると見事に蔕の部分から皮が取れた。だが次の瞬間強烈な臭いに思わず実を引きはがした。
「ウゲっ!」
リュクスは何とか手放さずには済んだが、漂ってくるひどい甘ったるい匂い。思い出したのは元の世界で嗅いだチョコレートの匂いと銘打つ安価な香水だった。
それは会社の同僚が試供品で付けてきた匂いだった。本人は気にしていなかったがリュクスは眉をひそめた記憶がよみがえる。当然この実の匂いはチョコの匂いではないのだが、似た感じがするのだ。
少し時間がたち、匂いが収まってくる。これだけ甘い匂いならば味も甘いのだろう。識別結果としても人でも平気なはずと、リュクスは勇気出して舐めてみた。
その味は砂糖そのままなめてるみたいなものだった。不味くはないが、美味くもない。しかし料理には使えそうかもしれないと思いをはせる。この世界に来てから甘いものを食べていなかったのだ。
リュクス自身はパンを作っているわけではないが、うまく作れば甘いパンができるだろう。実はそこらじゅうの木に生えてるのだ。リュクスは緑甘樹の実を回収しながら進んだ。
当然森の奥にと進んできたリュクスなのだが、小サイズの袋型ポーチがいっぱいになったところで気が付く。なにかいる、リュクスをじっと見てるのだ。
それも一つや二つの気配でなく、少なくとも20はいる気配だ。緑甘樹の実に夢中で警戒を緩めてしまっていた。ここは名前の通り蜘蛛の森で蜘蛛の魔物がいるのだ。自分自身に心の中で喝を入れ、リュクスは気合を入れ直す。
しかし気配はすれども襲ってくる様子はない。今まで襲われることの連続だったリュクスだが、レイトやベードのような出会いもあったのだ。いや、レイトについては例外中の例外だろうと少し思い直す。
リュクスは気配から正面以外囲まれてる状態であることは理解している。杖を構えて臨戦態勢はととのえた。今リュクスに近づいてきているのは、周りとは少し気配の違う正面の個体だけのようだ。
木の陰から姿を現したのはやはり蜘蛛であった。しかしリュクスがギルドで仕入れた情報とはすこし違う個体のようだ。全身黒色で体毛の少ない蜘蛛という点は情報と似てる。しかし体格があきらかに違う。
情報ではアタックラビットと同じとあったが、アタックラビットの大きさはリュクスのひざ下ほどだ。目の前の個体は膝よりは大きく腰には至らない大きさである。
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対象:レッサーマザースパイダー
レッサースパイダーの生みの親たる存在
その生み出す糸は粘着性が低く、生地として編み込む糸として使用できる
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リュクスの予想通りレッサースパイダーの系統だが、生みの親ということはレッサースパイダーよりも強い可能性は高い。とはいえ対処は同じようにできるだろう。
だがやはり何もしてこないことにリュクスは疑問になる。レッサースパイダーは比較的弱い個体ではあるが、縄張りに入った相手には好戦的に襲ってくると書いてあったのだ。
ここが縄張りではないのか、すぐに戦闘が起こる雰囲気もない。マザーはさらにリュクスに近づいてくる。そしてリュクスのことを右前足で指さしてきた。いや、詳しくはリュクスでなく、腰のポーチをさしているようだ。
腰のポーチには緑甘樹の実がたっぷり入っている。おそらくリュクスに実の匂いがべっとりついるのだろう。このマザーはその匂いからポーチに木の実が入っていることに気づいたのだろう。
リュクスとしては蜘蛛は皮の剥き方を知らなくて、集めてるところも見ていてリュクスに目を付けたのだろうと考える。別に剥いた緑甘樹を渡すのは構わないと考えたリュクスだが、目的は蜘蛛たちの糸だ。リュクスは糸に関するスキルもないのだが、資料室で糸を商業者ギルドにもちこめば、格安で服を作ってもらえるのを知ったのだ。
金に困っているリュクスではないのだが、素材を集めて作ってもらうというのが冒険者らしく、ぜひやってみたいと心を躍らせたのだ。
マザーが近づいたからか他の蜘蛛も少し近づいてきたようで、リュクスは正確な蜘蛛の数を知る。正面のマザーを含め21匹。ギルドで調べたイグニッションの上位スキルアーツならば一気に燃やせるだろうが、魔素量は大丈夫だろうかと考える。
それ以前に敵対意識のない相手にこちらから攻める気にも慣れなかったリュクスは、構えた杖を一旦腰のホルダーに刺し、交渉を始めた。
「よし、木の実の中身がほしいなら取引しよう。言葉がわかるかはわからないけど、僕は君たちの糸がほしい。糸をくれたら中身をあげよう。」
リュクスの言葉にマザーは首をかしげている。やはり伝わらないかとリュクスは思ったが、マザーが体を丸めて、尻から出た糸を器用に足で丸め始めた。しばらくするとバスケボールほどの糸の塊ができていた。そしてリュクスに差し出したのだ。
リュクスは糸玉は自身の足元に置くように伝え、ポーチから木の実を一つ取り出し、蔕部分だけうまく剥いた。そうしなければ匂いがきついからだ。蔕だけ剥いた木の実はマザーにと投げた。
マザーは上手い具合に足でキャッチし、触肢を突き刺して吸い始めたようだ。ガサガサッと一気に周りから音を立てて蜘蛛がリュクスに近寄ってくる。リュクスが音に軽く振り向くと膝より少し小さいほどの蜘蛛が大量に森から姿を出していた。
「――――。」
さすがにリュクスも思わず身構えたが、蜘蛛たちはその場で動きを止めた。マザーが片前足を上げて静止させたようだ。足をあげたときマザーが何か言ったようにリュクスには思えたが、言葉としては理解できないものであった。
「――――。」
マザーが地に足を下ろすと同時に、他の蜘蛛たちが一斉に糸玉を作り始めた。マザーが作るよう指示したんだろう。リュクスは20匹分の緑甘樹の実を蔕取りすることにした。
リュクスが蔕取りを終えると、蜘蛛たちも全員同時にマザーと同じ大きさで糸玉を作り上げた。マザーの時と同じように、リュクスは一匹ずつに木の実を投げ与えていく。
皆器用にキャッチして緑甘樹の実をすい始める。リュクスは虫が平気なので実を吸う蜘蛛を眺めても問題ないが、虫嫌いならばこの蜘蛛の数に叫びをあげて逃げるだろう。
リュクスは足元に置かれた受け取った糸玉を21個を識別する。マザーのと違いを確かめるためでもあった。
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レッサーマザースパイダーの糸玉
レッサーマザースパイダーの作成した糸玉
粘着性が非常に低く、耐久性にも優れているため、生地として編み込む糸として重宝されるだろう
レッサースパイダーの糸玉
レッサースパイダーの作成した糸玉
粘着性が低く、生地として編み込む糸として使用できる
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リュクスからは全く同じ糸に見えたが、識別結果は違い、マザーのほうがよりいい素材のようだ。当の本人は木の実啜りに夢中なのだが。
リュクスはとりあえずアイテムポーチにしまいこむ。これで一応は西の森で糸を手に入れるという目的は達成できたわけだ。資料室の情報を思い出す。蜘蛛の体内に残る人の拳大の糸玉が20もあれば胴着が作れると記載されていたはずだ。この大きさならズボンも作れるだろうかと思いをはせつつ、蜘蛛たちに別れを告げようとする。
「まぁいい取引だったよ。僕は帰ることにするけど、別にいいよね?」
「――――!」
なぜかマザーは首を横に振りリュクスをひき止める。せっかく仲良くなれたとリュクスは思っていたのに戦闘なのかと杖を構える。もしかすれば糸で拘束されて蔕取りのために従属なんて想像をしてしまう。そんな結末はごめんだとリュクスは抵抗する気でいた。
木の実をすすり終えた蜘蛛たちがマザーと共にゆっくりと近づいてくる。だがそこに戦意は全く感じない。それどころかリュクスに向かって再び右前足を差し出してきた。握ろうと思えば握れるほどの距離である。
「どういう意図?いや、まって、この感じ、ちょっと心当たりが。」
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対象:レッサーマザースパイダー
種族:レッサーマザースパイダー
主人:リュクス・アルイン
スキル:〈操糸〉〈牙技〉〈毒生成〉〈統制指示〉〈分担指示〉〈技術貸借〉〈分体生命〉〈聖族言語〉
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「あぁ、やっぱり。テイムされてる。」
急激に魔物と仲良くなるという状況に思わずマザーの識別をしたリュクスだが、予想通りに主人が自身となりスキルも見える。つまりテイムした状態になっていたわけだ。
「なんだ、僕についてきたいのか?別にいいけど、他の蜘蛛たちはどうするの?」
「――――。」
「え?なに?よくわからないんだけど。」
「――――。」
リュクスにはマザーの言葉がいまいちわからなかったが、マザーがリュクスの周りの蜘蛛に声をかけると、周りの蜘蛛もマザーの真似をするように右前足を差し出していた。
まさかと思いさらにレッサースパイダー達を識別すると、すべての蜘蛛の主人がリュクスとなっている。つまり一気に21匹もの従魔を手に入れてしまったのだ。
識別中にリュクスが気づいたことだが、さきほどまで恐ろしく感じていた赤黒い眼が、青く透き通った眼になっていたのだ。レイトの時はテイム前の目の色など見た記憶はないが、今は金色の眼をしている。ベードは始めにあった時は寝た状態で、その後は戦闘中なためにおぼろげだが、思えば赤い目をしていた記憶がよみがえる。今のベードは青い目なのだ。
アタックラビットも含め魔物は赤黒い目であったことをリュクスは思い出す。青い目となったのはテイムの力の一つなのかもと考える。だがテイムしたのなら名前を付ける必要があるのだ。21匹という数に名前を付けるのはリュクスもさすがに厳しい。
「マザーだからマザでいいかな?いや、さすがにダメだよね。そうだ、モイザでいいかな?」
「――――。」
モイザはリュクスの言葉にうなずいた。そしてリュクスは悪いと思いつつ他の蜘蛛たちにの名前は粗雑につけることに決めた。
「あとはもう雑に行く!雄とか雌とかはあるの?雄は手を、じゃなくて足をあげて!」
「――――。」
リュクスの言葉をモイザが蜘蛛たちに伝えたのだろうか、蜘蛛たちのうち14匹が前足をあげた。
「モイザ、手伝ってくれてありがとう。雄だけ前に出て!左からレサキ、レサク、レサタ、レサト、レサヒ、レサム、レサヤ、レサガ、レサギ、レサグ、レサダ、レサド、レサブ、レサンだ。以上14匹!よしあと6匹が雌だな。左からレサエ、レササ、レサナ、レサミ、レサヨ、レサリだ。文句は受け付けない!よしつけ終わった!」
さすがに20匹という数の名づけをしたのだ。ネーミングセンスをリュクスに求めるのは酷だろう。そしてリュクスは蜘蛛たちの従魔証についてトレビス商長に相談しなければとさらに頭を痛めるのだった。
Lesser⇒より劣る、より小さい
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