聖技場 立ちはだかる壁
ーーリフ・マイン。
ーークロウ・ダナ。
上空の名を一瞥。
もう一度観客席を見回していると、ティノが選手席からでてきました。
その、選手席では。
一足早く、ソニアに春が訪れていました。
キツイ説教のあとの、頭ナデナデ。
実は、「邪聖班」で一番単純なのは、ソニアかもしれない。
そんなことを思いながら、リフはティノに尋ねました。
「結局、ソニアは何で怒られたのだ?」
「ソニアは『新聖語』って言っていたけど。『聖語』は後戻りできないから、『実』を伴わないまま先に進みすぎたら駄目なんだ。幸い、ーーえっと、ソニア流に言うなら、暗号を解いただけだから、まだ引き返せるから大丈夫」
これまで何度か聞いたことのある話でした。
その「実」のおかげで、どれだけ苦労したことか。
苦手な分野に苦しめられた日々を、リフは思い起こします。
メイリーンだけでなくリフも、邪竜となったティノに、容赦なく基礎を叩き込まれたのです。
二学周期目からは基礎は程々に、炎竜組、地竜組と関係なく希望する分野での授業が増えるとアリスは言っていました。
リフにとっても、ここからが本番です。
その為の、一学周期目の集大成ーーだったはずなのですが。
「ってわけで、炎竜組らしく、『焚きつけ』にきたよ」
「っ!?」
再び、観客席を見回しながら、ぼんやり考え事をしていると。
間近に、邪竜が居ました。
いえ、竜が居たほうが心の平安を保てていたかもしれません。
邪竜ならぬティノが、リフの首に腕を回し、顔を近づけてきたのです。
内緒話を始めようとしたティノは。
リフの顔を見て、率直に尋ねました。
「何で、顔を赤くしているの?」
「……いや、男の友情というものに、慣れていないから仕方がない」
もちろん、嘘です。
大嘘です。
ティノは男です。
頭でも、そう理解しています。
でも、まだ男だと、確認したことはないのです。
ティノは自覚がない。
リフは体が熱くなってくるのを、とめることができませんでした。
いくら男であったとしても、こんな間近に美々しい面を寄せられると、心臓がドギマギしてしまいます。
でも、これは馴れ馴れしいティノが悪いのであって、リフは悪くありません。
リフにそんな趣味はありませんーーたぶん。
そんなとき。
ふと、顔を上げてみると。
クロウがーー微笑んでいました。
朗らかに笑っているのに。
目だけが笑っていません。
少年同士(?)の仲睦まじい友情。
ティノの行為に、「聖技場」の男子も女子もまた、おかしな雰囲気になっていましたが。
まったく意に介していないティノはさらに腕に力を籠め、リフの散漫な意識を自分に引き寄せました。
「この試合が一試合目だったら、リフの勝ちだったよ」
「え? ああ、……そうなっていただろう」
ティノの言うことは間違っていません。
勝てば良いーーというだけなら、リフの圧勝だったでしょう。
ーー対戦相手は、クロウ。
切り替えなければいけないことはリフにもわかっていますが。
いまいち頭の回転が鈍く、ティノが何を言いたいのかがわかりません。
そんなことは織り込み済みなのか、ティノは構わず言葉を継いでゆきます。
「でも、この試合は四試合目だから。僕は、リフが勝つと断言することができない」
「……どういうことだ?」
「クロウはね、弱いんだ。でも、これから強くなっていく。それだけじゃないよ。この試合の間にも、強くなっていく。ーーだからリフは。追いつかれて、追い越される前に勝負をーー短期決戦を挑んだほうがいい」
リフは。
ティノが何を言っているのか理解できませんでした。
確かに、クロウは「天才」であると幾度も耳にしてきました。
ディズルが一度も勝てなかった相手。
でもそれは、メイリーンやソニア、何よりティノを凌駕するものではないはずです。
「まぁ、そこは気にしなくてもいいよ。リフの好きに戦えばいい。僕が来たのは、さっきも言った通り、『焚きつける』為だから」
「……それで?」
「そうだね、二つある。で、一つ目。ディズルは、クロウに一度も勝ったことがない。ここでリフがクロウに勝てば、自動的にディズルにも勝ったことになる」
正しいようで、正しくない言葉でした。
問題は、それではリフが納得できないということです。
ディズルに勝つことこそが目的なのであって、クロウに勝ったところで意味はありません。
「一つ目は、ディズルを悔しがらせてやることができる、というだけのことだから、そこまでのことじゃないよね。というわけで、二つ目。リフは観客席を見回していたけど、ーー家族を見つけることはできた?」
「え、ああ、父はマホマール様の護衛役でもあるから、正面口の近くに母と一緒にいる」
「そう。じゃあ、他に誰か、見つけた?」
ーーディズル。
勝手に頭が理解し、体に浸透してゆきます。
そして、心まで侵されそうになったとき、ティノは。
言葉を吐きだしました。
「居るよ」
「……え?」
「リフの苦手なことの一つ。周辺視野の狭さ。あっ、リフは振り返ったら駄目だよ」
思わずティノと一緒に振り返りそうになったところで。
耳を引っ張られ、強引にとめられてしまいます。
「い…いだ、だ!」
「本人は変装しているつもりなんだろうけど、真面目にガチガチに変装しすぎて逆にバレバレだね。規則を破ることができないのか、ちゃんと制服は着てるし。リフの父親の、三つ後ろの席で、ーーあ、今、僕に見られていることに気づいて、目を逸らした」
小さく笑いながら、ティノはリフを解放しました。
それからリフの背中を軽く押し、選手席へ。
勝手に動きだした足は、リフをフィールドの中央まで運んでゆきます。
ーー早朝。
アリスに対戦相手の変更を告げられてから、ディズルと会っていません。
不戦勝。
始まる前に終わってしまった試合。
リフがディズルに会いに行けなかったのはーー。
「ティノと、仲が良いようだ」
「炎竜組で、『邪聖班』でも多く共に活動した友人だ。ーー正確には。私に足りないものを補うことを助けてくれた、尊敬できる友人だ」
ティノとは違う意味での、整った顔。
クロウの姿を見た瞬間、リフは素直に回答してしまっていました。
これまでクロウと行動を共にしたことがなかったので、見落としていました。
近くに、ティノやソニア、メイリーンが居たことも拍車をかけてしまいます。
「天才」ーーそんな言葉では言い表すことができない、「何か」。
追いつかれて、追い越される。
途端に、ティノの助言が脳裏を襲撃。
その意味を強制的に理解させられます。
「クロウは……、ティノの友人ではないのか?」
「私とティノはーー。友人と、そう呼べる間柄ではないのかもしれない」
クロウの言葉を聞いた瞬間。
リフは戦慄し、震えながらも言葉を絞りだしました。
「ま、まさか、ティノの……、好敵手?」
これまでそんな話は聞いたことがありませんでしたが、よくよくクロウを見てみれば。
ティノと、似ているようで異なる、存在感。
あり得ないことではありません。
目の前に居るだけで、引き寄せられるような「何か」。
譬えるなら、「光」でしょうか。
ーーアリスの弟で、規格外のティノ。
ーーダナ家の三男で、「天才」のクロウ。
「光」と「光」は引き寄せ合う。
リフがそんなことを考え、弱気になっていると。
クロウは。
「隠れ竜」で最後まで見つけてもらえず、独り、とぼとぼと家に帰る、子供のような姿を晒していました。
「ど…、どうかしたのか?」
その姿があまりに憐れで、惨めだったので、心配になったリフは思わず尋ねてしまいました。
「好敵手? いや、好敵手ではないだろう。私はティノに、一度も勝ったことがない。いいや、勝つとかそういう次元の話ではないのだ。数限りなく敗北したことで、私は自身を見つめ直す機会を得られた」
そういえば。
ティノがメイリーンやソニアと対戦しているを、これまで見たことがありません。
いえ、どちらかというと、避けているようにも見えました。
今回の「対抗戦」でも、ティノは補欠。
ディズルの棄権によって、ティノとメイリーンが戦うことになりました。
そこでリフは気づきます。
そう、メイリーンはやっと、ティノと戦うのを許されるくらい強くなったのです。
それが、どうしたことでしょう。
クロウはずっと、ティノと戦い続けてきたーー認められていたのです。
その、はずなのですが。
クロウは。
隠れる場所もなく、冷たい雨に打たれ続ける、仔犬のような姿を晒していました。
「だ…、大丈夫か?」
「ああ、問題ない。ベズ先生も待っているようだし、そろそろ始めるとしよう」
クロウはそう言いましたが。
全然、まったく、微塵も大丈夫そうではありませんでした。
ーーティノとクロウの関係。
リフは勘違いをしていますが、それも致し方ないことです。
彼はまだ、ティノの本当の力を、本性を知りません。
尊敬できる友人。
その虚像が崩れるのは、今少し先のことなのです。
ベズが「結界」の「聖語」を刻んだので、二人は開始位置まで離れてゆきます。
「焚きつける」。
ティノはそう言いました。
『それでは四試合目。クロウ・ダナとリフ・マインの試合を開始します』
ディズルに会いに行けなかった理由。
そんなもの。
自分が弱いからだと、リフは魂の底まで理解しています。
ーークロウに勝てば強くなる。
リフは炎竜の牙で噛み潰します。
ーーそうではありません。
リフは炎竜の極炎で焼き尽くします。
勝たなければいけない相手はーー。
「『隠刻』?」
試合開始直後。
クロウは左腕を前にだすと、その後ろで「聖語」を刻み始めました。
でも、「隠刻」を行うのは初めてなのか、「聖語」の一部が腕の上から見えてしまっています。
「ろいな、ろろくろろ」
刻まれた「聖語」の一部と、わずかに聞こえてきた「聖語」ーーそれは「火弾」。
それに対し、リフが無言で刻んだのは、「火矢」です。
「ひだん!」
クロウが先に放ちますが、「動刻」で歩きながら刻んでいるので、余裕をもって「火矢」をーー。
「な……?」
放った瞬間、思考が停止してしまいました。
クロウが行使したのは、「火弾」のはずなのに。
リフが放った「火矢」は、透明な液体を突き抜け、失速しました。
「『ふうへき』!」
リフは咄嗟に右腕の「刻印」ーー「風壁」を発動。
「液体」を防ぎます。
『ほう。これはなかなか、面白いですな』
『ええ、あえて『火弾』の一部を見せることで、誤認を誘う手口。『火弾』の『聖語』の最初の部分を刻んだだけで、そのすぐあとに『水』を刻み始めた』
『ですな。さらに、口では『火弾』の『聖語』と『聖名』を唱えるなど、偽装も行っておりますな』
『そして一番の見所は、最短で刻める『聖語』の一つーー『水』を放った点ね。『水』では威力がないから、『有効打』にはならない。でも、リフは咄嗟の判断で『刻印』を使った。そう、まさに、有益な手段である『刻印』を使わせる為の、考えられた『一手』というわけね』
アリスとマホマールの見解を聞き、クロウの「一手」の巧みさに「聖技場」がいったん静まりますが、すぐに歓声で満たされます。
「天才」ーークロウ・ダナ。
侮っていたわけではありませんが、まだまだ認識が甘かったようです。
クロウより「先」に進んでいる。
でも、その「先」の優位は、思った以上に少ないのかもしれません。
「『動刻』?」
次にクロウは、歩きながら右の人差し指で「火矢」を刻み始めました。
でも、それだけではありません。
遅れて、左指で「火弾」を刻んでいったのです。
「『ふうだん』!」
リフが「風弾」を放つと、遅れてクロウも「火矢」と「火弾」をーー放てませんでした。
「動刻」で刻むのに失敗したようで、刻み終える間際に「聖語」が消失してしまいます。
それから、珍しく真っ直ぐに飛んでいった「風弾」がクロウを直撃。
「有効打」となりますがーー。
『リフの『風弾』が直撃。『有効打』一つよ』
リフは、アリスの言葉を聞きながら、背筋が寒くなりました。
歩きながらの「動刻」。
時間をかけて鍛錬すれば、誰でもできるようになる「技」ではありますが。
リフは一巡りかかりました。
ソニアですら、三日間必要でした。
それをぶっつけ本番、いえ、三試合目が終了する前までにーー選手席にいる間にここまで使えるようになっていたのです。
しかも、左右の「聖語」をずらして刻んでいました。
リフも左右で別々の「聖語」を刻むことができます。
でも、刻み始めるタイミングは、左右同時です。
それは曲を奏でるのと似ていて、何度も何度も繰り返し刻み、体に覚え込ませることで使いこなせるようになるのです。
それをずらすなど、まったく出鱈目な曲を奏でるようなもので、至難の業、というより馬鹿げた行為です。
でも、クロウは完成間近まで「聖語」を刻んでいました。
もし、完成させることができたなら。
「動刻」のその部分では、クロウに追い越されたことになります。
「くっく……、ああ、何だかなぁ」
リフは。
「風弾」の「聖語」を刻みました。
「じごさ、ろろくにじく」
刻んだ「聖語」が、クロウに向いていなかったので。
彼は様子見。
リフは構わず「聖語」を刻み、刻み終える間際に。
「風弾」の「聖語」の前に移動しました。
「『ふうだん』」
正面から「風弾」を食らったリフは、仰け反りました。
自分への攻撃。
ダメージはありますが、「有効打」にはなりません。
突然のリフの奇行に、「聖技場」が静まり返りますが。
そんなことは知ったことではありません。
「あー、スッキリした」
優位、とか、追い越される、とか。
そんなことを考えているから駄目なのです。
ティノが言っていました。
短期決戦。
得意不得意が顕著なリフ。
なら、ごちゃごちゃと考えず。
得意なものだけで勝負すれば良いのです。
マホマール家に仕える一家。
それに相応しい人物になる為に、リフは自分を抑え込んできました。
元々、そんな良質な人間ではない。
自分のことだから、誰よりも知っています。
そうです。
性格も性質も、リフはもっとーーティノが認めてくれるほどに「雑」なのです。
「はぁっ!!」
気合一閃。
面倒なことはすべて置き去りに、全力で走りだします。
同時に、左右の「動刻」。
刻まれた「聖語」の淡い光が、リフの背後へと溢れてゆきます。
それは宛ら、「聖語」による光の翼。
リフは、ソニアより速く走れ、メイリーンより早く「聖語」を刻めます。
どの分野でも一番になることはできませんでした。
でも、自分なりの戦い方で「先」に進めることを知ったのです。
ーー「聖翼」。
ティノが冗談で言った二つ名でしたが。
実は、密かにリフは気に入っていました。
人気のない場所での、秘密特訓。
「聖語」が翼に見えるように試行錯誤していると。
指を曲げ、力強く刻むことで、刻んだ「聖語」が膨らんでゆくことを発見しました。
当然、威力は落ちますが。
そんなことは知ったことではありません。
それから、見回りをしていたベズに見られるという恥ずかしい目にも遭いましたが。
とても有意義な助言が得られたので、羞恥心は暗竜に食べてもらいました。
「『えんだん』!!」
「火弾」の上位の「炎弾」。
左右の「聖語」で八つの「炎」が生みだされ、クロウに殺到ーーしませんでした。
全弾、クロウに向かってではなく、明後日の方向に飛んでゆきます。
二つの「炎」が観客席に向かって飛んでゆき、アリスが張っておいた「結界」で防がれました。
「ひゃう!!」
ここでリフは。
次の「聖語」を刻み始めるのではなく、「五指」で円を描くように手を動かしました。
すると、暴発したように「聖語」が発光し、まるで翼を羽搏いたかのような光跡が描かれます。
ベズの助言による、何の意味もない「聖語」、いえ、リフの気持ちを昂らせるだけの「聖語」です。
正確でないことは、リフの強みにもなるよ。
不思議と、ティノの言葉を思いだしました。
リフは「動刻」が得意な反面、正確に刻むことを要求される「復刻」が苦手でした。
「復刻」は、二回目を刻み終えることさえ稀。
「『えんだん』!!」
狙いが正確。
それは武器にもなりますが、同時に、予測し易いという側面もあります。
リフには、そんな心配はいりません。
なぜなら、「炎弾」がどこに飛ぶか、リフにもわからないからです。
刻み終えた「炎弾」が、リフの後方から無秩序に放たれます。
振り返るなど、言語道断。
ただ、前だけを見て走り、「炎弾」をばら撒いてゆきます。
先ほどまで、歩きながら刻んでいたクロウは。
もう走っています。
しかも、「氷矢」や「土弾」といった多彩な「聖語」を放ってきます。
でも、全力で走っているリフには追いつけません。
リフの「聖翼」に「聖技場」が沸き始めると、幸運の女神エルシュテルも味方をしてくれました。
「『えんだん』!!」
八つの内の半分、四つの「炎」がクロウに向かい、飛んでいったのです。
リフの「雑」な「聖語」は、ティノが言った通り、武器にもなります。
「炎」の軌道が真っ直ぐではなく、ぐにゃりと曲がります。
「くっ!」
視界に入ったので、見えました。
これで、二つ目の「有効打」です。
『これで『有効打』二つ。でも、クロウは良い選択をしたわ』
『そうですな。軌道が読みづらい、四つの『炎』。すべて避けようとすれば、複数食らうかもしれない。ゆえに、あえて一つの『炎』に当たりにゆくことを選択し、その場で敗北するのを安全に回避しましたな』
ひたり、とクロウが迫ってきます。
ひたり、とクロウの足音が聞こえてきます。
わかっていたことです。
あと一つの「有効打」で勝利。
でも、最後まで緩めてはいけません。
『『動刻』を用いることで、これまでと異なる、『機動戦』となることもあるのですな』
『ええ、これまでは固定砲台として火力を求める傾向にあったけれど、『技』を手に入れれば当然、戦いの幅も広がる。ーーそれと『刻印』。今回、戦いに用いているから有用な『技』に見えるけれど、『刻印』が真価を発揮するのは別の分野よ』
『そうなりますな。『聖技場』に来ている研究者たちなら、もう察しているでしょう』
緩めてはーーいないつもりでしたが。
またもクロウに先手を取られてしまいます。
クロウは。
全力で走っていました。
「『えんだん』!!」
そう、「聖語」を刻むことなく、リフを壁に追い込むように向かってきたのです。
運が悪ければ敗け。
まるでそう決めているかのように、最短距離で迫ってきます。
エルシュテルに見放されたのか、「炎弾」はそれが定めであったかのようにクロウを避けてゆきます。
クロウが速度を緩め、「聖語」を刻み始めると同時に。
リフは「炎弾」を刻み始めます。
「機動戦」というだけでなく、クロウは「機略戦」も仕かけてきます。
もう、クロウが追ってこようが関係ありません。
被弾を覚悟で、「炎弾」を撃ち続けるのがリフの作戦です。
リフが覚悟を決めたとき。
クロウはリフに迫るのをやめ、別の方向に向かいました。
向かったのは、リフの進行方向です。
クロウの「聖語」を「読刻」しておけば良かった。
そう思ったとしても、もはや竜は振り返りません。
「『えんだん』!!」
「つちかべ!」
これはもう運ではありません。
クロウの、実力。
走りながら刻むことができるようになっていたクロウの策略に、リフは完全にはまってしまいました。
クロウが左右の指で刻んでいたのは、「土壁」の「聖語」。
一つはリフの進行方向に。
もう一つは「炎弾」を防ぐ為にーーと思いましたが、それだけではなかったようです。
その「土壁」のもう一つの役割は、クロウの姿を隠す為のものでした。
攻撃が来る。
「炎弾」で「土壁」が崩れる前に、左腕の「刻印」に触れるリフ。
でも、「土壁」の向こう側に、クロウは居ませんでした。
「こっちか!」
そう、クロウはリフの進行方向に出現した「土壁」の裏へと逃げ込んで、いえ、駆け込んでいたのです。
頭が理解する前に、体が動いていました。
リフは、左右の指で「火矢」を刻み始めます。
土壁に走り寄りながら、今度は頭が回転し始めます。
「土壁」の出現によって、駆け引きに持ち込まれてしまいました。
「土壁」から離れるのは悪手。
クロウの正確無比な「聖語」によって、狙い撃ちにされてしまいます。
「有効打」一つくらいなら呉れてやっても良いのですが、恐らくこの先、「動刻」での優位は時間が経過するごとに小さくなってゆきます。
短期決戦。
ここで決めなければいけないようです。
選択肢は二つ。
クロウを待ち受けるか、こちらから攻めるか。
考えるまでもありません。
ここまでの戦いで、嫌というほど思い知らされました。
駆け引きや騙し合いで、リフが勝てるはずもありません。
こちらのタイミングで接敵、「聖語」を撃ち込みます。
「土壁」の前に到着。
「土壁」の上部にも気をつけなければいけません。
壁を乗り越えて、遣って来るかもしれません。
クロウは「隠蔽」を使うかもしれない。
そう思ったところで、それはないと切り捨てます。
リフの「雑」な「聖語」の前では、あまり有効な手段ではないからです。
「火矢」の「聖語」を刻むのをやめ、一拍。
新しく「火矢」を左右の指で刻みながら、音を立てないように壁の端に。
拙速は巧遅に勝る。
そんなことを頭の中で唱えつつ、壁の向こう側へ、一歩踏みだします。
ーー「火弾」。
慣れ親しんだ火系の「聖語」なので、一瞬で「読刻」は完了。
クロウが刻み終えたのを確認し、避ける為に退こうとしたところで。
クロウは「復刻」。
右指で刻んでいた「火弾」を、次は左指でなぞり始めます。
もう、クロウが「技」を使ってくるくらいで驚いたりはしません。
何度目の「復刻」かはわかりませんが。
リフに「致命打」を与えるには「復刻」の数が足りないとクロウは判断したようです。
リフの、「雑」な「聖語」。
でも、さすがにこれは嘗めすぎです。
この距離なら、どちらかの「火矢」は必ず当たりますーーきっと。
わかります。
クロウの「才能」。
この先、あっという間に追い抜かれ、二度と追いつくことはできないでしょう。
もし、この「天才」に勝つ機会があるとしたなら。
今、この瞬間しかありません。
ディズルの為にもーー。
そんなことを考えようとした刹那に。
リフはクロウの正面に立ち、「火矢」を刻み終えます。
遅れて、クロウの「火弾」も完成。
劣勢と判断したのか、クロウの顔が歪みました。
「『ひっ!?」
背後には誰も居ないというのに、後ろから押されました。
「隠蔽」ではなく、まさか「幻影」でしょうか。
そのような上位の「聖語」。
アリスやベズしか使えないと思っていましたが、クロウなら。
そう思い、振り返ってみると、そこにはーー。
「……氷柱?」
尖った、でっかい氷が一つ、浮いていました。
「氷柱」が光に解けると、あとを追うように「土壁」も崩れてゆきます。
『『土壁』で見えにくかったので、これは説明が必要なようですな』
『そうね。先ず、リフは『火矢』を刻みながら、壁の向こう側へ移動した。それに対し、クロウは。ーー『隠刻』。自身の背後で、左指で『氷柱』を刻み始めた。しかも、そのほうが早く刻めるからと、ソニアが使った『新聖語』を使って。その後、右指で『火弾』を刻み始めた』
『その『火弾』が完成する直前に、『氷柱』は完成。刻み終えた左指で、今度はリフ選手を誘導する為に、『火弾』の『復刻』とーー。いやはや、クロウ選手の機転と技術には驚かされますな』
マホマールが話し終えると、ベズは勝者の名を告げました。
「『致命打』と判定。勝者、クロウ・ダナ」
「技」と「技」の応酬による勝負に、観客たちが惜しみない拍手を送ってきます。
外から見ていれば、そう見えたかもしれませんが。
完敗です。
試合を終えた今、クロウの手管の幾つかが見えてきました。
「リフが正面に立ってくれて良かった。『氷柱』を遠くから自身に向かって放つ。半ば賭けだったが、上手くいってくれた」
「はぁ、それだけではないだろう。もう試合は終わったのだから、すべて教えてくれ」
上空にリフとクロウの姿が映しだされます。
どうやらアリスもわかっているようです。
これからリフと同様に。
観客たちもクロウの「才能」に震撼することになります。
「ソニアの『新聖語』。ぶっつけ本番だったのか?」
「ああ、『聖語』というよりは、形で記憶した。脳内のそれを投影し、なぞっていったのだが。リフから見えないよう『隠刻』で、背後で刻まなければいけなかったので、こちらも賭けだった。不完全なものだったが、リフに当たるまで持ってくれた」
「他にあれば、一つ一つ話して欲しい」
「わかった。ーー今日の対戦は、ストーフグレフさんとの対戦の予定だったから、少しでも食い下がれるようにと、姑息な手段を様々に考えた。リフとの対戦では、その幾つかを流用した」
「姑息な手段?」
「先ず一つ。私は最初に『隠刻』を用いたが、それ以後は『隠刻』は使わなかった。最初にあえて使い、そのあとに使わないことで、もう『隠刻』は使わないとリフが思うよう仕向けた」
実際、「氷柱」を食らうまで、リフは「隠刻」のことを思考から除外していました。
それから、クロウの話はまだ続きます。
「『技』を使いこなせているリフと、使い始めたばかりの私。明らかに、使いこなせているリフのほうが有利であるというのに、不安定な私の『技』を、リフは過大評価した。もちろん、そうリフが感じるようにと、こちらも意図して仕向けた。私はかなり無理をして『技』を使っていたのだが、リフは気づいていなかっただろう?」
「そこは、実際に、それなりにクロウは使えていたのだから、過大評価したのは正解だと思うが」
「はは、そこのところの判断は任せる。あとは、観客たちの視線ーーだ」
言われてから、リフは気づきました。
敵でも味方でもなく、同時に、敵にも味方にもなる存在ーーそれが観客たちです。
リフは、「聖語」を刻むタイミングは、「運」だと思っていましたが。
そうではありませんでした。
「観客たちの視線や反応で、リフが遣って来るタイミングはだいたいわかっていた。それと、申し訳ないが、感情が激する傾向にあるリフは、きっとそのことに気づいていないだろうと、それも利用した。迎撃を選び、『氷柱』を刻む時間を稼がせてもらった」
姑息な手段、とクロウは言っていましたが。
「聖技場」の「聖語使い」たちは。
「新たな光」の誕生を目の当たりにしました。
「才能」ーーだけでない、それを超えた「何か」。
敗けたリフでさえも、悔しいという感情が湧いてきません。
「お~っ、さすが私の弟だ! 『聖域』一等賞!!」
「お~しっ、いつまでも私の可愛い弟だ! 『セレステナ聖地』竜等賞!!」
二人の健闘を称え、再び「聖技場」が拍手に包まれようとしたところで。
クロウの兄たちーー「双才」が最前列まで駆け寄って、可愛いすぎる弟を褒めまくります。
それだけでは飽き足らず、フィールドに下りようとしたので、炎竜が判決を下しました。
『警備員。そこの『双才』様を『特別室』にご案内しなさい』
当然、アリスは。
ルールを破る者は、「八創家」であろうと容赦はしません。
笑顔で「聖語」を刻みました。
トロウとカロウの姿が消えると同時に、上空にダナが映しだされました。
息子の罪は親の罪、ということのようです。
「皆様、お騒がせをし、申し訳ない。ただ、これも兄弟仲が良いということで、どうかお目こぼしをいただけると助かります」
ダナが笑顔で謝罪をすると、観客たちはおおむね好意的な評価。
ただ、言わずもがなのことですが、隣の席では。
先ほどの意趣返しとばかりに、ベルマがニヤニヤと笑っています。
「……何だか、すまない。試合後の余韻を台無しにしてしまった」
「いや、変に『聖技場』が沸いた状態で戻るより、助かる。知っているだろうが、私はーー。マホマール家側の人間だ。部下の失態を雪ぐのは、主の務め。クロウーー君に勝つのは、ディズルだ。逆に、ディズルが君に勝てないようなら、主として認めてやらん」
残念ながら。
今の会話を、アリスは「聖技場」に届けるようなことはしませんでした。
そんなわけで、リフは。
最近、アリスが大人しかったので油断していました。
アリスが「聖語」を刻んでいることに、気づいていません。
炎竜にとって、学園生たちは玩具。
大切で、愛しい、アリスを楽しませてくれる特別な存在なのです。
そうであるというのに。
ここのところ忙しく、昨夜はティノまでアリスを困らせてきたので、彼女はそろそろ限界でした。
まだ「対抗戦」の途中なので、アリスは。
少しだけ楽しませてもらうことにしました。
「もしマホマール家に失望することがあったら、ダナ家に来てくれ。リフを歓迎しよう」
「はは、考えておこう」
クロウが言った冗談。
そう、冗談なのですが。
話の流れがわからない観客たちからすれば、「八創家」間の密約に等しい言葉。
そう、アリスは最後の二人の言葉だけを、観客たちに届けてしまったのです。
さらに上空には、当事者ともいえるマホマールとダナが映しだされました。
結局リフは。
怒れるマホマールという珍かな光景にどぎまぎしながら。
誤解を避ける為、クロウと握手をすることもできず、そそくさと選手席に戻ったのでした。




