聖技場 ララ・シーソニアの居場所
ひとたび凪いだ戦いの風。
「聖技場」の熱気に、逃げだしていた冬の妖精たちも舞い戻ってきます。
やや寒さを増した、緩やかなそのフィールドに。
華やかな風が吹き込みます。
選手席からでたソニアは、フィールドに立ちました。
静かです。
聞こえてくるのは、ただ一つ。
耳に快い足音。
優しくもあり華奢でありながら、逞しくもあるその腕が首に回され。
そっと、ソニアを後ろから抱きしめてきますーーと彼女は妄想を逞しくしていますが、実際には。
背後から腕を首に回され、ずるずるとティノに引き摺られてゆきます。
そんなわけで、ティノとくっついて密着しているので。
ソニアは幸せになりました。
「スカートのままで戦いとか駄目。ズボンも穿いて」
「ん。ズボンは寮に置いてある」
選手席に戻っているフィフェスはスカートを穿いておらず、男子生徒と同じズボンを着用した制服姿です。
次は女子生徒同士の試合とあって、「聖技場」は和んだ雰囲気になっています。
「もう、しょうがないなぁ。僕のを貸してあげるから、ちょっと待ってて」
ティノは、空いた椅子に置かれていたスカートを手に取りました。
罰ゲームで穿いていたものです。
良い兆候です。
ティノは女装に抵抗がなくなってきている。
ソニアは頭がお花畑になって、ぽっかぽかになりました。
でも、同時に。
あることに気づき、渋い表情になります。
ズボンを脱ぐ為に、待機所の奥に行くティノ。
ソニアの表情を見たイゴは。
「聖技場」には家族も来ているので、仕方がなく彼女を諫めました。
「うちの弟とか、子供もいんだ。ティノのズボンなら問題ねぇだろぉから、ちゃんとしろよ」
「違うよ、イゴ。ソニアさんが沈痛な面持ちになっているのは、ティノのズボンが穿けないかもしれないからだよ。イオリの料理は美味しいから、ソニアさんも通常以上に食べた。それでもソニアさんは痩せているけど、以前よりはふっくらとしているんだ。つまり、腰回りとかお腹とかお尻とか、ティノのほうが細いかもしれないってこと」
試合に敗けたことがよっぽど悔しかったのか、ナインは「腹黒」状態継続中。
ソニアの懸念を、完全に見透かしてしまいます。
男三人の視線が、ソニアのお腹辺りに集まってきます。
ティノにいつもくっついているので、彼の体のサイズは熟知しています。
御守り代わりにティノのズボンを穿きたいところでしたが。
ソニアの心が、冷や汗を流し始めました。
こうなっては致し方ありません。
ソニアは素直に、隠しておいた自分のズボンを手に取ります。
そこに、スカートを穿いたティノが現れたので。
彼の生足を見たソニアは。
竜ほど幸せになりました。
「ティノ。ソニアは自分のズボンを持参していた。問題ないから、着替えてくると良い」
こちらは早朝、ディズルの棄権を知ってから、やる気が底抜けのリフ。
彼を焚きつけるのはソニアの役目ではないので、鬱陶しくて仕方がありませんが放置決定です。
ティノは、着替える為に無言で奥に引っ込んでしまったので、ソニアはその場でズボンを穿きました。
「って、オイ、そこで着替えんなって、って、オイオイ、スカートはそんままかよ!?」
「敗けないとは思うけど、余裕ぶっこいて敗けたら嗤ってあげるから、スカートは穿いたままでいいんじゃないかな」
ソニアは、少しだけ考えました。
イゴとナインの意見についてではありません。
ソニアの宝物。
五試合目に戦う、ティノのことです。
「ん。わかっている。この試合は重要」
ソニアはスカートを外し、席に置くと。
ティノが戻ってくる前に、振り返らず歩いてゆきます。
ここからフィールドの中央に辿り着くまでに。
ティノの面影を、心の内で凍らせなければいけません。
氷の世界。
そこがソニアの居場所でした。
無色、無音、無臭、無味。
心に浮かぶのは、果てのない冷たい大地。
「聖語」という「世界」で、ソニアがいつも眺めていた光景。
唯一、ソニアの「世界」に立ち入ることができたジジは、彼女の手を放し、去ってゆきました。
「世界」には誰も居らず、追いついてくる者はなく、歩くのも億劫になっていた頃。
ラン・ティノーーファルワール・ランティノールの似姿。
彼が現れました。
彼に惹かれました。
彼に恋しているとーー思い込んでいました。
ティノは、ソニアが恋した、ランティノールではありません。
だから、彼に簡単に近づくことができました。
もし、本当に、彼がランティノールであったなら。
魂が震え、触れることすら敵わなかったでしょう。
「む。フィフェス。竜の尻尾で弾き飛ばされた、スッキリした顔」
「はい。なぜか体が軽く、それ以上に、頭が軽いのです。ーー私は戦いが嫌いでした。『聖語』はもっと、『聖域』の発展の為に使うべきだと思っていました。でも、これが私の本性なのでしょうか? 次の試合ーークロウさんの為に、私がやるべきことはわかっているのに。ーーソニアさん。私より強いあなたに、ただ純粋に、ぶつけたくて堪らないのです」
最後には想いが溢れたのか、熱いだけの「何か」をフィフェスは魂から吐きだしました。
ソニアは、ベズに視線を向けますが。
彼は正面を見たまま「結界」の「聖語」を刻み、ソニアの疑念を黙殺します。
ソニアはティノから「聖語」を教わりました。
でも、ときどき。
ティノは、不自然なタイミングでアリスに任せることがありました。
何かがある。
聡いソニアは気づきます。
ティノとメイリーン。
二試合目の、ナインとギル。
そして、フィフェスも。
その「何か」によって、「先」に進んでゆきます。
「それ」は恐らく、気づいてはいけないものです。
「聖語」の「秘密」。
それはきっと、「聖語」を創ったランティノールの「思惑」を解き明かす鍵のはず。
そうであるというのに、「それ」のことをソニアは研究するのを控えていました。
前に進むのを躊躇わせる何か。
彼女は、自分が足踏みをしている理由をいまだ見つけだすことができていません。
「ん。五試合目は、ティノとメイリーン。ティノはきっと、メイリーンの為に戦う。だから、炎竜組の勝ちが決まった状態で五試合目に回したい。悪いけど、なんてことは言わない。観客たちに見せつけたあと、確実に勝たせてもらう」
「はい。大切なものを想う心では、私も敗けません。ソニア、油断しないでください。でないと、私が勝ってしまいます」
「何か」によって高揚し、普段よりも駄々洩れのフィフェス。
制御できず、振り回されている。
ソニアは再度、ベズを見ました。
「問題ない。私が対処する。それよりも、フィフェス君が言ったように、油断しないことだ。運動音痴のソニア君と異なり、彼女は動ける」
ソニアがフィフェスを気にかけていることへの返報でしょうか。
ベズがそう言うのであれば、問題ありません。
そこそこ良い試合をした上で、勝つ。
ソニアは思考を単純化し、感情を整えました。
ーーララ・シーソニア。
ーーフィフェス・ベルマ。
空気を読んでいるのか、アリスはソニアとフィフェスの会話を観客たちには伝えていませんでした。
その代わり、ということでしょうか、空にダナとベルマの二人の姿が映しだされます。
その背後には、彼らの護衛をしている、ジジ。
「炎竜氷竜の仲」で知られている二人が並んで座っているので、観客たちが息を呑み、すきま風のような空寒いものが「聖技場」を通過してゆきます。
ダナとベルマは。
一切視線を合わせることなく、笑顔で観客たちに手をふりました。
フィフェスは集中しているのか、上空に映る父親の存在に気づいていないようです。
逆に、ソニアは。
集中しているがゆえに、周囲の状況を的確に捉えていました。
『それでは三試合目。フィフェス・ベルマとララ・シーソニアの試合を開始します』
アリスが試合開始を告げた瞬間。
フィフェスは素晴らしい反応速度を見せ、ソニアより早く「聖語」を刻み始めました。
「じごさ、ろろくにじく!」
「風弾」ーーと、ソニアは「読刻」で瞬時に読み取ります。
わずかに遅れ、ソニアは「氷壁」の「聖語」を刻み始めました。
「はてのきょうかいはうつしかがみ、ともにたちつくせ、せかいのおわりまで」
ソニアの「聖語」を、正しく理解できたのは三竜と一人だけでした。
「その先」の「聖語」どころか、「原聖語」を超えた「聖語」。
含まれた意味が、言葉が、あまりに明確で鮮明で。
逆に理解が及ばず、ただただ観客たちの耳に、魂に深甚に響き渡ります。
「ふうだん!」
「読刻」はできないと腹をくくっていたフィフェスは、構わず先制攻撃。
ソニアは、「風弾」が直撃しても意に介さず、左右の「三指」で乱れることなく「氷壁」を刻み終えます。
「『氷壁』」
左右の「三指」ーー六指で刻まれた「聖語」が発光し、砕け、縦3横4の12枚の氷板が出現。
ソニアの類まれなる技術と不可思議な「聖語」に圧倒され、観客たちが驚愕しているとーー。
『……まったく、あの娘は。ああ、そうだったわね。フィフェスの『風弾』が当たったので、『有効打』一つよ』
アリスの、溜め息交じりの声が聞こえてきます。
おかしい。
予定では、アリスはソニアの「聖語」に驚愕し、褒め称えてくるはずでした。
それがどうしたことでしょう。
詰まらない悪戯をする幼い子供を見るような、白けた雰囲気をアリスは醸しているのです。
「原聖語」の「先」の「聖語」。
ソニアにとってそれは、「原聖語」と変わらず不完全なものでした。
試験で、暗号を簡単に解かれた意趣返し。
ソニアは、アリスだけでなくティノにも秘密で、「新聖語」とも言うべき「聖語」を組み上げました。
しかも、アリスを驚かせる為に、「新聖語」の「改変」までやって退けたというのに、この有様です。
「ふうだん!」
「氷壁」から距離を取ったフィフェスが「風弾」を撃ち込み、「氷壁」の一枚に罅が入ります。
この試合の間は、ティノの姿を見ないと決めていたのですが。
思わしくない結果に、どうしても確認しないと気が済まなくなってしまったので、ティノをガン見すると。
「むぅ、むぅ、むぅ」
ティノは片手を額に当て、やっちまった、みたいな顔をしていました。
観客たちに説明が必要だと思ったマホマールが気を利かせ、アリスに尋ねます。
『アリス殿。シーソニア選手が刻んだ、あの意味深な『聖語』は如何なるものなのでしょう?』
『そうね。今のところ、彼女が自身で組み上げたーー『新しい聖語』と言ったところかしら。さらに『改変』も行っているのだけれど、実は、どちらもあまり意味はないのよ』
『つまり、パフォーマンスであると?』
『まぁ、そんなところね』
アリスから、酷い評価が下されました。
あれだけ苦労して組み上げたというのに。
何だか納得がいきません。
ソニアが剥れている間にも、フィフェスは迅速に対応。
「風弾」では効果が薄いと判断した彼女は、「氷壁」の正面から離脱すると同時に「風牙」の「聖語」を刻みます。
「ふうが!」
風の牙が「氷壁」の1枚を完全破壊。
でも、まだ10枚と、半壊の1枚が顕在です。
「氷壁」を発現したまま何もしてこないソニアを見て、フィフェスは即断。
距離を取りつつ、壁伝いにソニアの背後に回る動きを見せます。
「ん。攻撃をする。上手く防がないと、試合が終わる」
ソニアは警告を発しながら、左右の「三指」で「新聖語」を刻んでゆきますが。
先ほどと異なり、左右の「聖語」は同一のものではありませんでした。
「『振動』、及び『風巻』ーー?」
唱える必要のない「聖名」をソニアが口にした瞬間。
フィフェスは、おかしな行動を取りました。
ソニアに向かい、女性とは思えない素晴らしい速度で迫ってきたのです。
態々、死地に飛び込んでくるようなもの。
壁を背負って対応しないのであれば、すべての威力をフィフェスにぶつけることができます。
「振動」で砕けた無数の氷の破片が「風巻」によって渦を巻き、全方位からフィフェスに襲いかかります。
渦の中心でフィフェスは、左右の「一指」で「聖語」を刻み始めますが。
全弾を防ぐだけの「聖語」、或いは「結界」を張るには時間が足りな過ぎます。
『上手い!』
アリスの称賛の声が響くと同時に。
氷の破片が吹き飛びました。
『なるほど。自身を攻撃しても、『有効打』とならない。それを利用したのですな』
『ええ、そうよ。それにそれだけではないわ。あえてソニアに、全方位から攻撃させることで、『風弾』で吹き飛ばせる威力まで弱めさせたのよ。壁を背に、正面から受けていたら、試合が終わっていたわ』
ギルが肉弾戦をしていたときもそうでしたが、相手への攻撃ーーだけでなく、自分への攻撃は「有効打」にならなくても、ダメージはあるようです。
「風弾」でふらついたフィフェス。
何箇所か制服が裂けていましたが、一向に気にした素振りを見せず、視線はソニアに固定。
アリスが説明している間にも、フィフェスは肉迫してきます。
目が、獣のそれです。
ソニアを狩る、肉食獣の爛々たる輝き。
戦闘の勘では、分が悪い。
子供の頃のフィフェスは活発だと聞いていましたが、どうやら「おてんば」の水準だったようです。
ソニアは、フィフェスが近づいてくるのを待ちます。
近接戦闘ーーかと思った、その手前で、フィフェスは「聖語」を刻み始めました。
刻んでいる「聖語」は、何の変哲もない「結界」。
「結界」を張って、その間に強力な「聖語」を刻むというのなら、万に一つもフィフェスに勝ち目はありません。
「ごごろななろさ、くじじにいいいじろさ、いいろくろさ」
ただの「原聖語」です。
「読刻」を行う必要もありません。
ソニアの攻撃をフィフェスが吹き飛ばしたところから、「聖技場」は盛り上がりを見せていましたが。
どうやら、最後に「大技」で見せ場を作ってから、終わりのようです。
「けっかい!」
「む?」
フィフェスは、正式な「から」ではなく「らか」と「聖名」を唱えました。
でも、それ以上に、ソニアを驚かせたのは。
斜めの、直線。
刻み終えた「結界」の「聖語」を分断するかのような、淡い光の線が刻み加えられたのです。
その「結界」は。
反転したのか、フィフェスを護る為ではなく、ソニアを閉じ込めることを目的に発動。
いえ、それも違うようです。
「結界」は、完成していませんでした。
「やぁっ!」
ソニアが状況把握を終了する前に、またしても先手を取られました。
フィフェスは助走をつけ、「結界」を駆け上がっていったのです。
ソニアの頭上までしかない、未完成の「結界」。
その端から跳び上がったフィフェスは。
滞空しているわずかな合間に「聖語」を刻み終え、直下にいるソニアに「風弾」を放ちます。
「ぬ……?」
一瞬の判断。
フィフェスが間違えなかったのと裏腹に、ソニアは正しくない行動を取ってしまいました。
「風弾」は囮です。
右腕の「刻印」の「氷矢」を放ち、「風弾」を突き抜けた氷の矢がフィフェスに当たって「有効打」となりますが。
フィフェスは織り込み済みでした。
「てやぁっ!」
ソニアの頭上からの、フィフェスの踏み潰し。
それだけでなく、フィフェスの落下ーー体当たりが「有効打」と判定されれば、「有効打」が三つとなって、ソニアの敗けが確定します。
「ぶっ!?」
上からの衝撃。
運動神経が絶竜なソニアでは、避けられるはずもありません。
「結界」があるので痛みは感じませんが、上から押されるような力にーーソニアは逆らいませんでした。
「ふぇ……?」
「ん。逃げる」
しゃがみ込んだソニアは。
そのままの格好で、両足の「刻印」を発動。
「突風」で高速移動しつつ、「風巻」で姿勢を安定させます。
両足を抱え、座ったまま高速移動してゆく間の抜けたソニアの姿に。
「聖技場」は水竜の息吹を食らったかのように静かになりましたが。
それを打ち破る、大声が発せられます。
「フィフェス! ベルマの『聖語』とは己を信じ立ち向かうことにある! 突き進みなさい!!」
「はい! お父様!!」
ジジも助言を寄越せ。
ソニアは睨みつけてやりましたが、彼に鼻で笑われてしまいました。
ーー父の助言、というか声援の通りに、突き進んでくるフィフェス。
ーー立ち上がって大声をだしてしまったことを恥じたのか、そそくさと席に座るベルマ。
ーーそれを見て、ニヤニヤと笑うダナ。
大丈夫です。
今も周囲は見えていますし、冷静です。
フィフェスの勢いは厄介。
そんなわけで、ソニアは「動刻」で「結界」の「聖語」を刻み、一息入れることにしました。
『フィフェス選手の『聖語』も、『新技』ですかな?』
『彼女は、面白いわね。ーー『聖語使い』なら、誰でも覚えがあるでしょう。『聖語』を上手く刻めず、失敗したときのことを。でもね、フィフェスはその『失敗』を『失敗』とは捉えなかった。『失敗』ではなく、一つの現象として捉え、それを追究。一つの『技』とするまで昇華したのよ』
『となると、『裂刻』といったところですかな?』
『それでも良いのだけれど。性質からすると、『裂く』というより『割り込む』と言えるから。『割刻』が良いかしら』
「結界」で試合がだれないようにとの配慮でしょうか、先ほどのフィフェスの「割刻」をアリスが詳説してゆきます。
その最中に。
ゆっくりと歩いてくる、その姿が逆に不気味さを増します。
「優等生」の殻を脱ぎ捨てた、いえ、フィフェスは何も捨ててはいません。
新たに纏ったのです。
フィフェスへの「有効打」が一つ。
ソニアへの「有効打」が二つ。
余裕をぶっこいて、開始直後の「風弾」を食らうのではなかった。
そう思ったところで、後の祭り。
相打ちでも勝てる、フィフェスが有利な状況のように見えますが。
時間を得た撃ち合いで、ソニアが敗けるはずがありません。
「ソニア。聞こえていますか?」
「ん。この『結界』は、声が届く」
「『割刻』ーーと学園長が仰っていましたが。その『割刻』で『結界』を張るので、それで勝負を決しましょう」
「ん。わかった」
一試合目の、イゴとファロがやったような撃ち合いを所望するフィフェス。
どちらが有利とか不利とか、ソニアは考えるのをやめました。
勝たなければいけない。
その為に、あとは全力を尽くせば良いだけです。
「ごごろななろさ、くじじにいいいじろさ、いいろくろさ」
斜めの線ーー「割刻」。
前回とは「線」の角度が違います。
ソニアの「結界」が解けたあと、フィフェスは「聖名」を唱えます。
「けっかい」
ーー出来損ないの光の壁。
二人の合間に、「結界」の性質を付与された「光壁」が発現します。
でも、ソニアはそんなものには目もくれず。
全力で「読刻」を行いました。
氷の世界で追い求めていたもの。
ランティノールの面影。
それに比べれば、「原聖語」による「割り込み」など易いものです。
そう、ソニアは二度「割刻」を見ただけで。
ほぼ読み切ってしまいました。
「くろじなろは、さないなごごくにく、ごなはにななごろじごいななさな」
「爆風」の「聖語」。
観客たちの中でも気づいたのは、一握りのようです。
フィフェスの隠し玉でしょうか。
しかも彼女は、左右の「一指」ーー二指で刻んでいます。
彼女であれば、最後まで刻むことができる。
そうと確信していても、ソニアには腑に落ちないことがありました。
そう、刻むのが早すぎるのです。
二指で刻んでいるので、イゴがやったような「復刻」はできません。
「結界」はブラフで、「結界」が顕在な内から「爆風」を撃ち込むつもりかもしれない。
「結界」さえ壊せれば、「致命打」は無理でも「有効打」ならあり得ます。
「ごさなじいなじいなろさなご、いさいごさ」
そんな決着を望むのなら、それで良い。
対抗策は幾つかありましたが、ソニアは何もしませんでした。
それから、「爆風」の最も難関な部分をフィフェスは刻んでゆきます。
ここで「聖技場」がざわつきます。
フィフェスの刻む「聖語」が、並大抵のものではないと肌で感じたのでしょう。
左右の指で刻まれる、強力な二つの「聖語」に、俄然観客たちの期待が高まってゆきます。
「ろさろろないごなさいろなろ、ごなろろいいくいごじろさごごく、なないさなじいはいいごろ」
あとは「聖名」である「爆風」を唱えるだけなのですが。
どうしたことでしょう。
ソニアにはわかってしまいました。
フィフェスの眼差し。
こんなところで終わるはずがありません。
「ろごいいはいじなさいなな」
『これはーー、『逆説』!』
ソニアは。
笑ってしまいました。
フィフェスが刻み終えたあとの、アリスの驚きの声。
「割刻」といい、この「逆説」とかいうのも然り、ソニアの世界を土足で侵食してゆきます。
「くごごさろじごいくいいろろなご、ろなろいさなごいなろろさろ」
ティノだけかと思ったら、他にも居たのです。
「天才」ともまた違う、あの「世界」の住人。
ソニアの世界が再び、色づいてゆきます。
『刻み終えた『聖語』を、逆の指で最初から刻んでゆくのを『復刻』と言っていましたが、これは違うのですかな?』
『ええ、まさかこんな隠し竜を見つけるなんて、驚きよ。左右の指で刻む『爆風』。それでもソニアには勝てないーーそう判断したフィフェスは、イゴが使った『復刻』を思いだし、刻んだ『聖語』を逆から刻み直すという暴挙にでた』
『暴挙? 『逆刻』ではなく、『逆説』と呼んでいることと関係があるのですかな?』
『そう、アレも『復刻』。逆から刻んだところで、効果に違いなんてない。効果が違わないのに、あんな難易度がバカ高い、アホウなことをするなんて、ーー竜が大喜びするわ。アレはね、もう難易度とかの問題じゃないのよ。どこまで自分を信じられるか、どこまで自分の『聖語』を信じられるか、魂の純度が試されているのよ』
別に羨ましいわけではありませんが。
フィフェスがアリスに褒めまくられているので、ソニアは両手で物理的に耳を塞ぎました。
何も聞こえなくなると、心に涼風が吹き始めます。
『見なさい、フィフェスの『聖語』を。あの輝きを。ーー『聖語』はね、正しく刻めば、正しく効果を発揮する。でも、それだけではないのよ。『原聖語』でも違いがでるのだけれど、その違いはわずかで、感じ取るのがむずかしい。『聖語使い』であるなら、良く見ておきなさい。『この先』で、あなたたちはこの輝きに触れることになるのよ』
上空に映っていた、やや興奮した感じのアリスの姿が消えたので。
そろそろソニアも準備を始めます。
先ずは、心の準備です。
ーーごめんなさい、ティノ。
ソニアはティノよりも、より冷たくなった「氷の世界」を楽しむことを優先しました。
「いいいじさごいさい、ごなさろないじないじなさご」
「ふゆのかなたにきざむぼひょう、きつりつするしろのぐんぜい」
フィフェスと目が合います。
彼女の眼差しは、微塵も揺らぎません。
いえ、それどころか、その口元には。
ソニアと同じく、笑みが零れます。
左右の「五指」ーー十指で刻む「氷柱」に、「聖技場」が喧しくなりますが、もう観客たちの声は耳に届きません。
通常では刻めない「五指」を刻む為に、指を曲げ、「聖語」同士が重ならないように踊りながら刻んでゆきます。
これが今の、ソニアの最大限。
アリスは「積刻」を用いていましたが、あの高みにはまだ届きません。
「なさなないごじろごななにはなご、くにくごごないなさはろなじろく」
「つきのひかりをたくわえ、ここにちかいをたてなさい、あなたのせかいに」
フィフェスは「聖語」を刻み終えました。
ソニアは、最後の「聖語」を刻むところです。
まだ「結界」は消えていませんが。
フィフェスは「爆風」を放つと同時にーー。
「ばくふう!!」
消え去る間際の「結界」を蹴破りました。
ーー須臾。
ソニアの前面に、淡い光の壁が出現します。
「『隠刻』!?」
そう、ソニアが「五指」を踊るように刻んでいたのは。
お尻で「聖語」を刻む為でした。
頭部でも刻むことはできるのですが、それでは「陰刻」にならずフィフェスにバレてしまいます。
「隠刻」ーーというだけでなく、即興の「割刻」。
フィフェスの「光壁」を真似てーー再現してみせたのです。
「まねきいれるまで」
薄壁一枚。
そんなものは風竜の前の灯火にすぎませんが。
その小さな明かりだけで十分でした。
「『氷柱』」
荒れ狂う風の暴虐に、先の尖った凶悪な氷の柱が殺到します。
氷と風でガチャガチャと、もうメチャクチャです。
こんなもの、近距離で撃ち合うものではない。
今更ながら、ソニアはそんなことを思いました。
「む。もしかして、駄目?」
ソニアの計算では、十指の「氷柱」のほうが威力が勝っているはずでしたが。
氷がゴリゴリと削られている、破滅的な音が聞こえてきます。
せめて相打ち。
生まれて初めて、幸運の女神エルシュテルに祈ったソニアは。
衝撃で後ろに倒れました。
「お?」
氷風の狂宴は終幕を迎え、ソニアが顔を上げて見てみると。
フィフェスは立ったままでした。
彼女は立ったままーー悔しさに歯を食い縛っていました。
「『致命打』と判定。勝者、ララ・シーソニア」
ベズは、勝者の名を告げました。
相手の攻撃では、それほど衝撃はありません。
ソニアの「氷柱」を食らったフィフェスは、その場に立っていられましたが。
「爆風」で削られた氷に当たったソニアは、後ろに倒れてしまったのです。
『相手の攻撃では、さほど衝撃はない。だからフィフェスは立っていられた。逆にソニアは、自身の『聖語』の氷にぶつかって倒れた。そんなわけで、状況からするとフィフェスの勝利に見えるけれど、実際にはソニアの勝ちということね』
アリスの補足が終わったので、ソニアは立ち上がりました。
ティノが褒めてくれる。
ソニアは頭が天竜でしたが、ティノを見るなり地竜になりました。
ティノが笑顔で手招きしていました。
これから結婚式。
二人は永遠の愛を誓い、幸せに暮らしましたとさーー完竜。
いつまでも幸せな妄想に浸っていたいソニアでしたが。
「優等生」に戻ったフィフェスがぶち壊してくれます。
「私は役目が果たせたので、満足しています。でも、何かを遣らかしたらしいソニアさんは、ティノさんにしっかりと叱られてきてください」
「むぅ、むぅ、むぅ」
満足している、とフィフェスは言いましたが、その表情は。
ぷくっと頬を膨らませた、可愛らしい顔。
自分が男なら惚れていたかもしれない。
でも、ソニアにはそんな趣味はないので、未来の旦那様の許に歩いてゆきます。
それから。
これまで見たことがないくらい魅力的な笑顔を浮かべていたティノに。
「新聖語」を相談なく使ったことを、こっ酷く叱られてしまうのでした。




