竜の庵と山 深つ音の決闘
ーー深つ音。
夜が最も深い頃。
ティノは目を覚ましました。
「ぴー」
普段ならここで寝てしまうところですが。
イオリの寝言がいつもと違います。
「……?」
「ぷー」
勘違いかもしれませんが、ティノは何かを感じました。
ちりっと、毛穴を刺激するような、掻き毟りたくなるような。
落ち着かない感じです。
「っ!!」
不意に。
両手を重ねるように、つながりました。
一つの事実と、もう一つの事実。
二つが重なれば、どうなるでしょう。
間違いであるのなら、あとで笑い話にすれば良い。
ティノはそう判断し、跳ね起きました。
イオリが床に落ちた音が聞こえてきます。
「ぽー」
「くっ……」
今すぐ動かなければいけないのに。
即座に、やるべきことが複数。
途上でも、複数。
寝起きと相俟って、何から手をつけるべきなのか迷ってしまいました。
「イオリっ!」
「光球」の「聖語」を刻もうとして。
魔力感知ができる自分には必要ないと、考えに行き詰まった瞬間。
ティノの最優先。
何も考えなくともできることをしました。
「あ~ぐ!」
噛みます。
どこを噛んだかは秘密です。
「ぱ~や~?」
起きはしましたが、イオリの目は開いていません。
構わずティノは、イオリのことから準備してゆきます。
「イオリは凄い! 起きていられるなんて偉い! イオリが助けてくれたら嬉しい!」
棚に走り寄って、ーーイオリを褒めます。
「イオリ袋」を引きだして。
修繕の途中だった、壊れた棚で手が傷ついてしまいましたが、ーーイオリを褒めます。
「イオリ袋」に足から入れたつもりが、間違えて頭から入れていましたが。
構わず背負って、ーーイオリを褒めます。
「まっくら~、く~らく~ら、まっくらく~、らっくらく~?」
「イオリ! 紐は結んでないから、自分で体勢を立て直して!」
褒めてもらえるから頑張る。
アリスの言葉が正しいと証明されたわけではありませんが、他に手段など思いつきません。
彼女の推測に縋って、ティノはイオリを褒めまくります。
「っ、……また」
ーー「結界」。
そう、あのときに受けた感覚と似ています。
マルの攻撃で、ロープの「結界」を抜けて届いた衝撃。
「庵」から飛びだしたティノの体は。
考えるよりも早く、山に向かっていました。
「らっくらく~、らっくらく~、マジュマジュ、らっくらく~」
いつもの調子はずれの歌だったので、もう問題ないようです。
「マジュ」が何なのか、思い至らなかったティノですが。
魔力感知に集中し、山を駆け上がってゆきました。
「あ…、と!」
自分の迂闊さをなじっている時間もありません。
二重の「結界」に辿り着くまでに、両腕に「刻印」を刻んでおくべきところだったのですが、そこまで気が回りませんでした。
渦巻くもの逆巻くもの悲鳴は閉ざせ疾く穿て
「ろにじいさくじいごさはなろ!」
「縮刻」。
威力は弱まりますが、拙速に事を運びます。
その分、イオリの魔力を上乗せ。
ティノは、賭けにでます。
「『風刺』!」
左右の人差し指で刻んでいた二つの「聖語」を。
脳裏に浮かんだ、「お爺さん」の面影を振り切って解き放ちました。
口笛を吹くのを失敗したかのような、掠れた音。
切断され、落ちてゆくロープをティノはつかみ取ります。
「ふぅー」
安堵したのも束の間、すぐにロープを体に巻きつけてゆきます。
「研究所」までロープを取りに行く余裕はありませんでした。
でも、ロープの「結界」なしでは心許ない。
そこで思いついたのが、二重の「結界」のロープを使うことです。
切断した瞬間。
「結界」の効力が失われる可能性がありましたが、ロープは変わらず浮かんでいます。
あとで修理や補修もできるかもしれません。
ロープを巻き終え、奥の「結界」であるロープを潜ります。
そこから駆けだし、三歩目ーー。
「だっ!?」
「だ~め~、だ~め~、のだのだ、だ~め~」
イオリの「のだめ歌」を聞きながら、ティノはぶつかった鼻を手で押さえます。
顔が当たった次の瞬間、体も当たったので、そこまで大きな損傷ではありませんでした。
今が深つ音でなければ、弾けた視界に惑わされていたかもしれません。
雲に隠れているのか、月明かりのない真の闇の中。
衝撃で途絶えてしまった「感知」を、即座に行います。
「……『結界』?」
焦っていて気づきませんでしたが、魔力感知に引っかかります。
そして、ーーティノの背中を戦慄が走り抜けました。
ーー壁。
天地を貫くかのような巨大な魔力の壁が、ティノの眼前に屹立していたのです。
実際には、街を囲う程度の「結界」だったのですが。
ティノの「感知」では、そこまでの判別は不可能です。
ただ、その大きさよりも何よりも。
ティノは打ちのめされます。
桁が、いえ、次元が異なります。
このような想像を絶する「結界」を破壊するなど、夢物語。
千周期鍛錬を続けたとて敵わないでしょう。
「えっと……?」
ここでティノは気づきました。
魔力感知で、この壁を「結界」だと判断しましたが、そうではないかもしれません。
これは「結界」ではなく、本当に「壁」で、壁伝いに辿って行けば回り込めるかもしれないのです。
左右を見渡し、どちらに向かうか決め兼ねていたティノの視界に。
いえ、正確には、ロープの魔力を感知しました。
「壁」の魔力と、ロープの魔力は似ていました。
同質、というわけではありませんが、侵入を拒む、という意味では同じです。
「ぱや?」
ーー可能性。
ティノの頭では、それが良いものか悪いものかわかりません。
それ以外に思いつかないのなら。
ティノは衝動的に行動に移りました。
「イオリ袋」から肩と腕を抜き、イオリを下に落とすと同時に。
体に巻いたロープを解きます。
走り寄って、外側の「結界」のロープに、切り取ったロープの先端を結びつけます。
あとは。
もう片方の先端を「壁」につければーー。
「壁」とロープの「結界」をつなぎ合わせる。
妙案のような気がしましたが、いざ実行段階に至ってみると。
両者をつなげた、その合間にいる自分は。
すべての魔力を浴びることになるのではないか。
そう考えた瞬間、ティノの足はとまってしまいました。
でも、別の「足」が見えました。
「イオリ袋」から生えた、もとい飛びだしていたイオリの両足です。
妙案、どころか、天啓。
ティノは、もそもそ動いていたイオリの足に、ロープを結わえつけました。
それから「イオリ袋」を担ぎ上げて。
「てやっ!」
「結界」に向かって投げました。
そして、投げてしまってから。
とんでもないことをしてしまったのではないか。
そう考えた瞬間、ティノの体は動いていました。
「イオリっ!!」
咫尺を弁ぜずーーティノは闇に溶けるように消えたイオリを追いかけます。
ロープの両端が歪んだかと思ったら。
「ぱぎゃ!?」
爆発。
魔力が軋み、イオリを中心に吹き荒れました。
竜巻に巻き込まれるように弾け飛んだ「イオリ袋」は、内側の「結界」付近の樹木に直撃しました。
でも、ティノは振り返ってイオリの無事を確認することができませんでした。
「壁」が取り払われた、その先にはーー。
炎天下。
ティノは本物の。
「焼きつけるような空」を初めて見ました。
肌よりも先に、心が焼かれ、身動きできません。
空には、至炎。
数十の紅い線ーー炎を線状にしたような攻撃。
炎竜の裁きが下ります。
想像を絶する光景に。
ティノは何が起きているのか、わかっているはずなのに、頭も体も理解してくれませんでした。
炎を彩る、鮮烈に飾り立てられる世界。
深つ音の空が、まるで高つ音ーー真昼のようです。
炎と炎が絡みつくような、陰影にゆれる山の斜面を。
灰色の獣が駆け巡ります。
目にもとまらぬ速さで、炎の軌跡を掻い潜る魔狼。
「炎線」はマルに掠りもしていないのですが。
「炎線」がマルの近くを通るたびに、熱の余波で毛が焼けてゆきます。
ーー万事休す。
炎竜と、老魔獣。
土台勝てるはずがありません。
見上げる間もなく、光明もなく、地で這い蹲る自分の姿をマルが幻視したとき。
その空では。
嫣然と、炎が猛っていました。
ーーまったき、炎竜。
これほどまでに、焼いて焼き尽くした、至極の微笑み。
ティノは魂を鷲づかみに、いえ、竜づかみにされます。
「イオリ……」
一番大切なもの。
何よりも優先しなくてはならないこと。
そう、今すぐイオリの許にゆき、「結界」の内側に退避しないといけません。
でも、ティノは見てしまいました。
ーーアリスの敵意が自分に向いたら。
ーーマルと視線が合った瞬間。
ーー太陽のような「炎球」が、掲げたアリスの掌の上に。
ーーマルは自分から離れていきました。
逃げ遅れたティノは、本来なら全身を焼かれ、息絶えているはずでした。
マルをーー友達を守ろうと立ち向かった刹那に。
戦った、アリスの姿。
唯一の正解を引き当てました。
魔力を纏い、踏みだしたティノは。
「アリスのっ!」
マルを追おうとするアリスの意識を自分に向ける為に。
発意のままに叫びました。
「熾火ーーっっ!!」
幸い、なのかどうか、効果があったようです。
空中を移動していたアリスは。
びたっ、と急停止。
「ーーあ?」
振り返りました。
目が合いました。
ティノの命は燃え尽きました。
もちろんティノの妄想なのですが、もう何度目でしょう。
好い加減にして欲しいものです。
命は大事にしないといけません。
さて、「熾火」とは、薪の、燃えつきて赤くなったもの。
別の言い方をするなら。
「消し炭」です。
ある意味、禁句。
そんなことを炎竜に言ったらどうなるのか。
はい。
全殺し、確定です。
でも、ティノも馬鹿ではありませんーーきっと。
この先のことを何も考えていませんでしたが、たった今、思いつきました。
内容を吟味している暇などありません。
もう、これ以上、酷いことにはならない。
そう決めつけてから、ティノはやけくそでアリスを断罪しました。
「これ以上暴れたらっ、『イオリ玉』禁止っっ!!」
どうやら。
ティノは救いようのない馬鹿だったようです。
そんな言葉で、炎竜であるアリスがとまるはずがありません。
炎竜とは、暴虐の体現者。
ひとたび暴れだせば、焦土となるまで燃え盛る天険。
竜をとめられるのは、竜だけです。
再演ならぬ再炎。
今まさに、天を焦がす極炎がーー。
「ちょっと待ちなさい! どれだけ性格が捻じ曲がっていたら、そんなことを考えつくのよ!?」
鎮火しました。
アリスの竜生で、これほど取り乱したのは初めてでしたが。
直後。
半瞬で燃え上がりました。
ティノが、纏っていた魔力を散らしたのです。
アリスの警戒を解く為だったのですが、事情を知らない彼女が勘違いしたとしても無理からぬこと。
アリスは目を疑いました。
一瞬の隙。
魔力を纏うのをやめたティノと、これ幸いと少年に駆け寄る魔獣。
「ティノっ、……は?」
方術を放とうとしたアリスは、その恰好のまま固まりました。
それも仕方がないことです。
魔狼ーーマルは、ティノの傍らに移動すると、伏せたのです。
あろうことか、緩んだ表情でティノの脇腹を顔で擦ると。
「クゥ~ン」
甘えるような鳴き声。
鼻をティノの頬にくっつけ、じゃれ始めました。
微笑ましい光景。
どこからどう見ても、仲良しです。
「何、ソレ。あなたのペット?」
ティノの前に降りてきたアリスは。
人と魔獣を燃やし尽くさないと収まりがつかない。
そんな顔をしていました。
「いえ、マルはペットではなく、僕の友達です」
「ーーティノ。あなた、人種に友達いないの?」
「そ……、そんなことはあります」
見栄を張れるほどティノは図太くなかったので、苦渋の表情で認めました。
イオリは家族です。
ティノと普通に接してくれる村の有力者たちは、皆年嵩ですので友達というわけではありません。
「私は、ティノの友達じゃないわよ」
期待の眼差しを向けられたので、アリスは一言で斬って捨てました。
情けない顔をしたティノ。
本当に、よくわからない人種です。
アリスはもう、どうでも良くなってしまいました。
「帰るわ」
「アリスさん!」
「何?」
無視しても良かったのですが、なぜかアリスは振り返ってしまいました。
そんなアリスに。
不意打ちのように、ティノの言葉が突き刺さります。
「ありがとうございます。僕たちの近くにマルが居たから、追い払おうとしてくれたんですよね」
「勘違いしないで。定期的に戦っておかないと炎が鈍るから、遊んでやっただけよ」
イオリくらいしか騙されてくれない嘘を吐いてから、アリスは飛び去ってゆきました。
アリスの姿が見えなくなってから。
ティノは崩れ落ちました。
山の斜面を転がり落ちないように、マルはティノの背中を支えます。
「ああ、ありがとう、マル」
「礼を言うは、我のほうだ。ーーそれにつけても、無茶をしよってからに」
「ーーマル。好い匂いがするね」
「植物には詳しいゆえ、人種が好むようなもので匂いをつけておいた。体の半分は毛が焼かれ、香ばしい匂いになっておるがな」
「はは、お互い大変だったね」
マルは、悪い気分ではありませんでした。
体を預けてくるティノ。
人種との触れ合いに、まだマルは慣れていないので。
この、どこか抜けた少年に、マルは教えてあげました。
「アレは、良いのか?」
「『あれ』?」
マルが鼻を向けた先には。
にょきっと、二本の足が伸びていました。
「……イオリ!?」
「イオリ袋」を見た途端。
ティノは跳ね起きて転げ落ちるように、ではなく、転げ落ちていきました。
せっかくマルが「光球」を行使したというのに、意味がありませんでした。
「何をしておるか」
「うぅ……、ありがとう、マル」
服を噛んでとめようとしたマルですが、服が裂けてしまうかもしれないので前脚でとめました。
慣れない動作でしたが、幸い上手く受け留めることができました。
「ぱー」
「……寝てる」
「騒動が収まったゆえ、安心したのであろう」
「はい。イオリらしいです」
内側の「結界」近くの樹木の下に「イオリ袋」はありました。
相当な勢いでぶつかったはずですが、ティノはまったく心配していません。
尋ねたいことは幾つもありましたが。
どうやらマルには。
他に用事ができてしまったようです。
「『結界』は、夜が明けてからにするが良かろう。それまでは、我が護ってやろう」
「そう、だね。マル、お願いするね」
「壁」を破壊した代償でしょうか。
外側の「結界」のロープは、地面に落ちてしまっていました。
状況を確認するにしても、明るいほうが良いでしょう。
ティノは、マルの判断に従いました。
「ーーマル?」
「何か?」
マルに、アリス。
立て続けに異変が起こった所為でしょうか、ティノは正体不明の不安に駆られてしまいました。
「光球」に照らされるマル。
マルを一獣にすることに、罪悪感に似た胸の痛みを覚えましたが。
「いえ。おやすみ、マル」
「ああ、良き夢を」
自分より強い魔獣を心配するなどおこがましいことですが、友達を心配することが間違いであるはずがありません。
それと同時に。
友達を信頼することも、間違いではないはずです。
ティノは「イオリ袋」を背負い。
振り返りたい衝動を抑え、山を下ってゆきました。




