超大型アップデート
何年も読む側だったので、書く側になってみました。
《エターナル・フロンティア》
人工知能が開発から運営までを担う、完全没入型のVRMMORPGである。専用の接続機器を使えば、五感を通してゲームの世界に触れ、自分の手足と同じ感覚で身体を動かせる。
舞台は、七つの種族が暮らす剣と魔法の世界。プレイヤーは人間として降り立つ。剣術や魔法、鍛冶などの技能――いわゆるスキルは、基本的なものだけでも五十九種類あり、自由に組み合わせて身につけていく。
冒険者として未知の土地を巡るもよし。傭兵として戦場に立つもよし。商売や物作りで生計を立ててもいいし、ゲームの住人であるNPCたちと、のんびり暮らすこともできる。
現在のプレイヤー数は、約五十万人。
俺も、その一人である。
枕元の時計は、午後十一時三十分を指していた。
もうこんな時間か。帰って飯を食って、シャワーを浴びただけなんだけどな。あの会議、やっぱり最後の一時間はいらなかっただろ。
まあ、いい。明日は有給だ。目覚ましを切り、ベッドに腰を下ろす。それだけで、少し気分が軽くなった。
今夜の零時には、超大型アップデートが予定されている。
このゲームには、今まで一度もアップデートがなかった。運営主催のイベントもない。それでも、やりたいことは尽きなかった。そんなゲームの初アップデートだ。そりゃ、楽しみにもなる。
何が変わるのかは、まだよく分かっていない。新しい土地が増えるのか、使える技能が増えるのか。どっちにしても、今夜は朝まで遊ぶつもりだ。
枕に頭を預け、接続機器を装着する。
「エターナル・フロンティア、起動」
暗い視界に、《生体情報照合》の文字が浮かんだ。
やがて表示が《完了》へと変わる。ログインを選ぶと、遠くを走っていた車の音が途切れ、背中にあった布団の感触も消えた。
◆◆◆
背中を包む、柔らかな感触。
目を開けると、金の縁取りがある天井が見えた。壁の魔導灯が淡く光り、その下では、天蓋つきの大きな寝台が白い敷布を広げている。厚いカーテンの向こうは、まだ夜のようだ。
俺は、寝台の脇に置かれた長椅子に腰を下ろしていた。
そうだった。昨日は、ここでログアウトしたんだっけ。
肘掛けから手を離し、指を軽く握って開く。立ち上がると、靴底が絨毯へ沈んだ。
相変わらず広いな。寝台から扉まで歩いたら、現実の部屋じゃ、とっくに壁にぶつかってるぞ。寝室にここまで広さって必要か? まあ、用意してもらったときは俺も喜んだけど。
長椅子の脇に立てかけてあった仕込み杖を取り、外套の裾を直す。
まずはリシェルを呼ぶか。俺がいない間、何かあったかもしれないし。
扉の取っ手を引いた。
「お帰りなさいませ、主様」
すぐ目の前で、銀色の髪が揺れた。
うわ、びっくりした。
踏み出しかけた足を慌てて止める。リシェルは、その場で静かに頭を下げていた。危ない。もう一歩出てたら、ぶつかるところだった。
「ああ。戻った」
何でもなかった顔で答える。今の、顔に出てなかったよな。
「よく、この時間に戻ると分かったな」
「最近のお戻りの時刻から、算出いたしました」
顔を上げた彼女の、紫水晶に似た瞳が細められる。
「今夜は、この頃かと」
リシェルには《万象推演》という超越技能がある。知っている情報をもとに、先の展開を予測する力だ。
算出って。そんなことまで分かるのか。俺なんて、夕方まで何時に帰れるかも分からなかったぞ。
「待たせたか?」
「いいえ。つい先ほど参ったところです」
「そうか」
廊下へ出ると、リシェルは扉を閉め、俺の斜め後ろについた。杖をつく音に、控えめな足音が重なる。
この城の管理は、彼女に任せている。備蓄も、人員も、日々の仕事も、俺が確認する頃には大抵きちんと整理されていた。
助かるんだよな、本当に。帰ってきてまで帳簿とにらめっこするのは、ちょっと勘弁してほしい。
「主様。お疲れでいらっしゃいますか」
あ、俺の顔まで見てたか。
「少々な。心配するほどではない」
「ご報告は、お休みの後でも」
「いや、聞こう」
仕事が長引いただけなんだけどな。けど、愚痴をこぼすと、この人は本気でどうにかしようとしてくれる。ただ聞いてほしいだけ、って説明するのも、何だか悪い。
それに、俺は一応、ここの主様だ。あんまり情けないところも見せられない。
高校生の俺が始めた、威厳のある主君というやつだ。忠実な臣下に囲まれて、それらしい言葉で指示を出す。当時は、これがたまらなく格好よく思えた。
一度だけ普通に喋ったら、リシェルに状態異常を疑われたことがある。城中が騒ぎになって、慌てていつもの口調に戻した。
それ以来、ずっとこの喋り方だ。今さら戻せないんだよな。
昔の俺、もう少し後のことを考えてくれ。
「各施設に異常はございません。工房の作業も予定どおりです。外部からの不審な接近はなく、監視を継続しております」
「備蓄は?」
「不足はございません」
「分かった。皆にも、助かったと伝えてくれ」
「かしこまりました」
窓の向こうを、警備の自動人形が歩いていた。庭の灯りが、その輪郭を一瞬だけ照らす。
よかった。留守の間も、何もなかったか。
「今宵のお集まりも、ご予定どおりでよろしいでしょうか」
「ああ。六冠と十二席、それから黒晶騎士団を玉座の間へ」
何が起こるか分からない。なら、とりあえず皆を集めておこう。
今夜の予定を伝えたのは、そんな理由からだった。皆が揃っていれば、更新内容を確認して、そのまま話ができる。後から探し回らなくて済むしな。
「警備はオートマトンに引き継がせろ。城塞と付属の防衛設備には、最高位の隠蔽を」
「承知いたしました」
ここはハードコア大陸だ。一度死ねば、復活はできない。楽しみにしてたアップデートで、浮かれて死にました、なんて絶対に嫌だぞ。
「それと、皆が揃ったところで、少し話をしたい」
リシェルが、こちらを見る。
「日頃の働きに、我から礼を言っておこうと思ってな」
皆を集めること自体は、これまでもあった。ただ、そういうときほど話すのは、次の予定や仕事のことばかりだ。
いつも助かったとは言ってるけど、ちゃんと皆の前で礼を言ったこと、あんまりないんだよな。せっかく集まるんだし、今夜くらいはいいか。
「皆、喜ぶと思います」
リシェルの声が、少し柔らかくなった。
「準備が整いましたら、お迎えに参ります」
彼女を見送り、廊下の窓辺で足を止める。
窓を少し開けると、木剣がぶつかる乾いた音が聞こえてきた。中庭に設けた訓練場では、魔導灯の下で兵士たちが盾を並べている。
前列が下がると、後ろに控えていた兵が間を詰めた。一人が前へ出すぎ、隣の兵に肩を叩かれる。すぐに半歩戻り、盾の列が揃った。
このゲームでは、冒険者として旅をしたり、のんびり第二の人生を楽しんだりするプレイヤーが多いらしい。
俺はというと、軍を作ってみた。
これだけ何でもできるんだ。軍を組織したら、どうなるんだろう。
最初は、そんな軽い思いつきだった。
中には「一国の主になる」と宣言したプレイヤーもいたそうだが、誰もついていかなかったらしい。このゲームのNPCは実に優秀で、ただ王様になりたいと言われたくらいでは、家来になってくれたりしない。そいつの話も、ただの戯言だと思われたようだ。
まあ、いきなり王様になるからついてこいって言われてもな。俺だって困る。
このゲームには、忠誠度という仕組みがある。仲間になったNPCが、どれだけ自分に忠実かを確かめられるのだ。もちろん、仲間にしただけで忠誠を誓ってくれるわけではない。相手にも感情や考えがある。
それでも、信頼できる仲間を探すうえでは、ありがたい仕組みだった。
何しろ、俺はハードコアを選んでしまっている。一人で戦いに出るのは怖いし、かといって、他のプレイヤーと組むのも気が進まなかった。
いざというとき、裏切られたらどうするんだ。こっちは一度死んだら終わりなんだぞ。
あと、俺がコミュ障なのもある。
ゲームだと大丈夫なんだけどな。NPCと話してるぶんには。
そんなわけで、まずはNPCの仲間を探すところから始めた。
ネットの掲示板を見る限り、軍を作ろうとしたプレイヤーはほかにもいる。ただ、大抵は途中で維持できなくなり、うまくいっても傭兵団くらいの規模に落ち着くようだ。
人数を増やせば、そのぶん食料も給金も装備も必要になる。兵を育てる者や、部隊ごとに指揮を執る者も揃えなければならない。自分の目が届く少人数の集団から先へ進むには、任せられる仲間を育てる必要がある。
ハードコアでは、その兵士も一度死ねば戻らない。時間と金をかけて訓練しても、判断を誤れば、一度の戦闘で何人も失う。指揮を任せていた者まで死ねば、残った兵をまとめるところからやり直しだ。
人数を増やせば、そのぶん楽になると思ってたんだけどな。自分一人が生き残ればいいわけじゃないんだ、これ。
窓の下で、盾の列がもう一度入れ替わる。今度は、誰も遅れなかった。
ノーマルなら簡単かというと、そうでもないらしい。
あちらでは死んでも復活できるので、多少の犠牲を出してでも勝つ、という戦い方をするプレイヤーがいる。ただ、それをNPCの兵士にもさせると、話が変わる。
プレイヤーの復活に回数制限はないが、NPCは最大五回まで。そして、復活するたびに人間性が損なわれていく。死ぬ直前までの記憶が残るため、身体が戻っても、恐怖や苦痛までなかったことにはならないのだ。
掲示板では、何度か復活させた兵が、仲間の負傷にも無関心になった、という話を見たことがある。指示されなければ隣の兵を助けようともしないのでは、指揮官が目を離したところから連携が崩れてしまう。
それに、これは人間性とは別の話だが、生き返るからと何度も死地へ送っていれば、指揮官への信頼だって失われるだろう。
また生き返るから大丈夫、なんて言われて、次もついていこうと思えるか? 俺だったら嫌だぞ。
復活を当てにして兵を動かすやり方では、長く続かないんだろうな。
うちも、俺一人ではとても続かなかったと思う。六冠や十二席が兵を育て、職人たちが装備を作り、リシェルが日々の運営を見てくれている。
俺一人だったら、傭兵団だって怪しいもんな。
訓練場の入口に、兵士が一人駆け込んできた。何かを告げると、木剣が下ろされる。皆、道具を片づけ始めた。
招集が伝わったようだ。
さて、みんなに何から話そうか。何百人もいるんだよな。変なところで噛まなきゃいいけど。
◆◆◆
待っている間に、姿見で身なりを確かめた。
黒い髪に黒い瞳。少し長い前髪を指で整えると、鏡の青年も同じように手を動かす。
十五歳でこのゲームを始めて、十二年。
当時は大人に見える顔を選んだつもりだったのに、いつの間にか、自分の年齢が追いついていた。
でも、この服装はなあ。
黒地に細かな金の刺繍が入り、肩から落ちるコートは、わずかに動くだけでも重みを感じさせる。手袋も靴も黒で揃えていた。
背筋を伸ばしてみる。うん、悪くない。普段の俺じゃ、まず着ない服だけど。
さすがに、この格好でどこへでも行く気にはなれない。目立つんだよな、これ。
手袋の袖口を整え、仕込み杖を握り直した。
「主様。準備が整いました」
鏡の中に、リシェルが映る。
彼女は俺の襟元を見ると、そっと手を差し出した。
「失礼いたします」
細い指が、外套の留め具を直していく。
あれ、まだ曲がってたのか。さっき鏡で見たんだけどな。
「これでよろしゅうございます」
「手をかけるな」
「お役に立てて何よりです」
嬉しそうな顔をされると、つい任せちゃうんだよな。
俺は小さく頷いて、鏡から離れた。
「行こう」
◆◆◆
午後十一時五十六分。
玉座の間の扉が、左右へ開かれた。
深紅の絨毯が、広間の奥まで続いている。その両側に並んだ者たちが、一斉に膝をついた。鎧の擦れる音が重なり、高い天井へと響いて、消える。
七百三十八人。
多いな。いや、人数は知ってたけど、こうして並ぶとすごい。
この中には、小さい頃に保護した者もいる。まだ武器を握る手がおぼつかなかった姿を覚えているのに、今では立派な鎧を着て、俺を迎えていた。
助けに向かった十二席がいて、面倒を見た者たちがいて、その後、自分からここで働きたいと言ってくれた者たちがいる。
こうして見ると、本当に皆に助けてもらってるんだよな。今日は、ちゃんと礼を言っておこう。
玉座の前まで進み、振り返る。リシェルが傍らに控えた。
「顔を上げてくれ」
幾つもの視線が、こちらへ向く。
最前列には、俺が六冠と呼ぶ仲間たちがいた。
黒い重鎧のガルド。その隣で背筋を伸ばすヴァルガス。ネフィラは静かにこちらを見上げ、エルネアは穏やかな顔で待っている。セレスティアとは、目が合った。嬉しそうに笑われて、俺も少しだけ肩の力が抜けた。
「今宵を境に、この世界は大きく変わるやもしれぬ。その時に備え、皆に集まってもらった。だが、その前に一つ、伝えておきたいことがある」
いつもより、自分の声が大きく聞こえる。
「日頃の働きに、礼を言う」
誰も口を挟まなかった。
「留守を預かる者。外で務めを果たす者。それを支える者。皆のおかげで、我は安心して、この城へ戻ってこられる」
ガルドへ視線を向ける。
「ガルド。お前が守りを引き受けてくれたから、我は先を考えることができた」
「はっ」
短い返事とともに、彼は深く頭を下げた。
「ヴァルガス。お前の働きにも、幾度となく助けられた。これからも頼りにしている」
「今後も、我が武勇のすべてを主様に!」
張りのある声が、広間に響いた。
相変わらず、いい声だな。後ろまで絶対聞こえてるぞ。
「ネフィラ。表に出ない務めも、確かに見ている。いつも助かっている」
「ありがたきお言葉です」
「エルネア。これからも、その知恵を貸してくれ」
「もちろんです。主様のお役に立てるのでしたら」
セレスティアへ向き直ると、彼女は少し身を乗り出した。
「セレスティア。お前と共に探したから、出会えた者たちがいる」
彼女の視線が、隣に並ぶ仲間へ、ほんの一瞬だけ動いた。
「はい!」
「これからも、頼んだぞ」
大きく頷く姿に、昔の旅を思い出す。
金がなくて、装備の値段を見ては悩んでいた頃もあった。勝てそうな相手でも、危ないと思えば帰った。せっかく遠くまで来たのに、と自分で自分に文句を言いながら。
あのときは、帰り道で何度も後悔したっけ。けど、誰も失わずにここまで来られた。それなら、まあ、よかったんだろうな。
「リシェル」
傍らへ向き直る。
「はい、主様」
「我の留守を、いつもよく守ってくれている。戻るたび、迎えてくれることにも感謝している」
彼女の唇が、わずかに開いた。
リシェルは俺を見たまま、一度だけ瞬きをした。
あれ。何か変なこと言ったか?
そう思いかけたところで、彼女は目を伏せ、ゆっくりと頭を下げた。
「これからも、お待ちしております」
その声は、普段より少し小さかった。
「ああ。頼む」
明日も、扉の前で待ってるんだろうな。あんまり待たせないようにしないと。
NPCなんだけどな。喜んでくれたら、やっぱり嬉しい。困ってたら助けたいし、いなくなったら絶対へこむ。いつの間に、こんなに入れ込んじゃったんだろうな。
十二席と、その後ろに並ぶ騎士たちへ目を向ける。
「皆の働きを、当然だと思ったことはない。この城を守り、支えてくれたことを、我は誇りに思う」
正面にいた騎士が、唇を引き結んだ。胸に当てた拳が、鎧へ強く押しつけられる。
用意していた言葉は、もう半分くらい飛んでいた。まあ、いいか。ちゃんと伝わってるみたいだし。
「これからも、共に歩んでくれ」
返事が、広間を満たした。
幾つもの声が重なり、胸の奥にまで響く。俺はそれが収まるまで待って、皆の顔を見渡した。
視界の端では、時刻が零時へ近づいていた。
「皆、大儀であった」
言い終えた直後、足元の絨毯が金色に染まった。
光が、靴の先から膝へと上ってくる。杖を握る手の甲まで照らされ、俺は目を細めた。
これがアップデートかな。ということは、いよいよか。
更新通知を開こうとして、手を止める。
あれ。隣が見えない。
さっきまでいたリシェルも、目の前の仲間たちも、白く膨らむ光の向こうへ消えていく。
「リシェル?」
返事を待つ間もなく、視界が塗りつぶされた。
◆◆◆
頬を、冷たい風が撫でた。
目を開ける。
緑色の草が、波のように揺れていた。
天井はない。見上げた先には一本の木が枝を広げ、その隙間から、青い空が覗いている。
足を引くと、靴底に柔らかな土の感触があった。コートの裾が風にはためき、葉の擦れる音が頭上で鳴った。
「おいおい」
さっきまで、俺は玉座の前にいた。
広間も、絨毯も、ない。
リシェルも、皆もいなかった。
新エリアか?
それにしても、いきなりすぎるだろ。まだ通知も読んでないんだけど。
杖を握り直し、木の向こうへ視線を巡らせる。草原は、遠くまで続いていた。
うん。なるほど。
「アップデート下手かな?」




