◎プロローグ 300年前の夜
ーーーウォーケン領:300年前ーーー
怒号と悲鳴が、夜の闇を切り裂いていた。
剣と剣が激しくぶつかり合い、火花が散る。
馬の蹄の音、燃え盛る炎の爆ぜる音、死にゆく者の断末魔。
ここウォーケン領はその夜、修羅の巷と化していた。
少女は、血に染まった地面に膝をついていた。
「父上……」
横たわる領主の体は、もう微かにしか動かなかった。
傍らに寄り添う少女は、必死にその大きな手を握りしめていた。
冷たい。
けれど、まだ、わずかな温もりは残っている。
「私も……私も共に……」
領主は震える手で、娘の頬に触れた。
苦痛に歪んだ顔に、微かな微笑みが浮かぶ。
「生意気な……ことを……。子供は……」
その言葉は、戦場の狂騒にかき消され、他の誰にも届かなかった。
最期の言葉。
父から娘へ、ただ二人だけの、儚い約束。
領主の手が、ゆっくりと落ちる。
地面に、血の音を立てて。
世界から、音が消えた。
少女は空虚な瞳で、天を仰いだ。
少しの間。
血の涙が、一滴、ポタリと領主の手に落ちた。
その瞬間――
「ーーーーーーーーーーーーーー!!」
地を震わせ、天にまで届く慟哭が響き渡った。
眩い閃光が、少女の小さな体から迸り出る。
白銀の光が、周囲一帯を包み込んだ。
父の亡骸。戦場の屍。敵軍の将兵。
想い出の詰まった領地。
楽しかった日々。
森や山――
すべてが、光の中に飲み込まれていく。
光が消えたとき、そこに残っていたのは、ただの荒野だけだった。
何もかもが、跡形もなく消え失せていた。
―――ある一角を除いて
決死の思いで走る領民たち。
眼前の森を目指す。
「森だ!森に逃げ込め!」
だが、背後には隣国侵略軍が迫りつつあった。
「ダメだ!奴ら、もうあそこまで来てる!」
「……じゃあ、領主様は……?あの子は?」
領民が顔を顰めた。
「……たぶん……」
「……なんて事……、せめて……せめてあの娘だけでも……」
領民たちが森に逃げ込んだ。
しかし、もう敵軍はすぐ近くに迫る。
「……クソッ……ここまでか……」
暴力に酔う敵軍が徐々に近づく。
領民たちは皆絶望の表情を浮かべた。
その時――
閃光が走り、辺りを包み込んだ。
一面の白銀の世界。
その光の空間の中、ボロボロと涙を流し、泣きじゃくる少女の姿があった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!
みんなを守ってあげられなくて……ごめんなさい……!」
泣き顔の少女が、何度も何度もそう繰り返した。
領民たちは思い出す。
白銀の光の中、まるで幻のように―――
少女と過ごした平穏な日々を。
一緒にパンを食べた少女
病人の手を握った少女
子供たちと笑った少女
祭りを楽しむ少女
領主に肩車される少女
滂沱の涙する領民たち。
やがて光が薄れていき、少女の姿も少しずつ消えていく。
白銀の光が消えた。
何もかも消滅した荒野が広がる。
周辺一帯、山の尾根さえも消失している。
ただ一箇所。
立ちつくす領民たち。
彼らが立つ、そこだけを残して。
母親が、震える手で隣の子供を抱き寄せる。
涙声で子供にささやいた。
「忘れないで……。私たちは……神様と暮らしていたんだよ……」
ーーー辺境の農村(200年前)ーーー
農夫が、寝床で幼い男の子に語りかける。
その手が優しく頭を撫でる。
「その神様はとてもかわいらしかった。
わしらの側でいつも笑っていたんだ」
ーーー吹雪の山小屋(150年前)ーーー
老婆が暖炉の前で孫を抱く。
暖炉の火に手をかざす。
「でもね……、
あの子に祈っちゃいけないよ。
崇めたりしても、跪くのもだめだ」
ーーー川辺の民家(120年前)ーーー
祖父が孫に玩具を作りながら語る。
その手の中に玩具が乗っている。
「それはあの子を遠くに連れてっちまう。
遠い遠い……手の届かない遠くにな……」
ーーーテーゼ建立現場(100年前)ーーー
荒れた大地に杭を打ち、街造りを開始する開拓民たち。
そのなかのひとりに、エリシアの祖先であるソーマ・ベルベットの姿がある。
ソーマは、泥にまみれた手を見つめながら、仲間に語る。
「あの子はそんなこと喜びゃしない。
きっと、寂しがって、
『遠くに連れて行かないで、ひとりぼっちにしないで、そばにいて』って泣いちまう」
ーーー領主邸(10年前)ーーー
亡きエリシアの父が、幼いエリシアの手を包み込むように握る。
「だから、もしいつか、あの子がお前の前に現れたら……」
子に、孫に、世代を超えて伝えられる秘密の口伝だった。
「しっかりその手を握ってね……
傍にいておあげなさい」




