32、とんでもないファンレターをもらってしまった
現在、社交界ではセレナが演じた舞台『王女の婚姻』が話題をさらっている。一夜限りの幻の公演。おまけに主演女優は正体不明というのだから、興味が尽きることはない。
しかし話題の人物であるセレナは賑わいから遠く離れ、実家であるレスタータ家の屋敷を訪ねていた。久しぶりに家族の顔が見たくなったと理由を付けて、シルヴィオ主催のパーティーの前に滞在していた。
慣れ親しんだ実家は心地良く、セレナの部屋もそのままになっている。ドレスに着替えて支度を終えたセレナは、ラシェルが迎えに現れるまでファンレターを読むつもりでいた。さすがにロットグレイ家には持ち込めないので、読者からの手紙は実家で大切に保管されている。
(契約結婚を出版してからのファンレターはこのあたりね)
ファンレターは届いた期間によってまとめられている。本当は順番に読むべきなのだが、セレナにはどうしても気になる人からの手紙があった。飾り気のない白い封筒を手にすると、自然と笑顔になる。
(また送ってくれた)
宛名に書かれた『リタ・グレイシア様へ』の文字はいつ見ても美しい。差出人は『あなたのファンより』という匿名のため性別は不明だが、リタ・グレイシアに最初にファンレターをくれた人だ。
まだ小説を書くことに不安を抱えていた頃、デビュー作『王女の婚姻』から新作を発表するたびに途絶えることなく感想をくれる。なにより驚かされるのはその熱量で、毎回便箋を余すことなく文字で埋め、封筒が破れそうなほど手紙を詰めてくれる。
『伯爵家の契約結婚』を読ませていただいた。
明言されていないので推測だが、はっきりとした文面から差出人は男性のように感じている。けれど性別なんて関係ない。
(今回も読んでくれたのね。よかった)
『王女の婚姻』から始まり、数年後の現在でも変わらず応援してくれていることが嬉しい。いつもなら発売から数日で手紙が届くのに、今回は最近届いたようで、読んでもらえたのか不安に思っていた。
だが読み進めると杞憂に終わる。発売日に購入したこと、何冊も手に入れたこと、今回も素晴らしかったこと。手紙はたくさんの文字で埋め尽くされていた。どうやら最近生活の変化があり、多忙だったらしい。そんな中でもサイン会に参加してくれたことが書かれていた。
(来てくれたのね! 嬉しいな)
ずっと応援してくれているファンの存在は励みになる。また頑張ろう。頑張ってよかったと思わせてくれる。
(ということは、近くに住んでいる人なのかも?)
長年のファンを身近に感じ、穏やかな気持ちで読み進めるが、ある一文に差し掛かったところでセレナは驚きに顔を上げた。
「とても共感できる内容だった。実は、ここだけの話で頼みたいのだが、契約結婚をしたばかりでーーえ、私と一緒!? もしかして契約結婚流行ってる?」
だとしたら流行に乗り遅れるわけには行かない。僅かな情報も見逃さないように、集中して続きを読み進めた。
「ええと、契約結婚した奥さんのことが気になっているのね。素敵! 断然読者さんを応援しちゃう!」
どうやら今回の手紙が遅れたのは結婚したからで、妻との関係に悩むあまり手紙を書く余裕がなかったと。
「そうよね。私も契約結婚をした時期は忙しかったもの」
わかるわかると頷いてしまう。
「奥さんは伯爵家出身のご令嬢で、読者さんから契約結婚を持ちかけたのね。最初は病弱かもと心配していたけど――え、嬉しい!」
どうやら二人はリタ・グレイシアの作品を切っ掛けに打ち解けることができたらしい。
「それから奥さんと距離が縮まって、友達になったのね。目が離せなくなくて、会話ができないと寂しいなんて、それってもう奥さんの事が大好きでたまらないってことよ!」
セレナは名探偵のように叫ぶ。そこでふと、「あれ? なんだか自分の身に起った事に似ているかも?」と思ったけれど、よくある事だろうと追及せず読み進めることにした。
「それで、先日は奥さんと初めての街歩きを楽しんだのね。妻とゴンドラに乗り、敬愛するセレスティーナ様が感動した景色を目にすることができた。少しでもあの方のお心に近付くことが叶いって嬉しい」
どうやらリタ・グレイシアのファンであると同時にセレスティーナにも並々ならぬ感情を抱えているらしい。まるでどこかの誰かのようだなと考えてしまった。
「念願叶って『王女の婚姻』に登場したカフェにも妻と行くことができた。おかげで素晴らしい体験ができただけでなく、特典のショートストーリーまで読むことができた、と。夫婦で利用してくれるなんて有り難いわね。そういえば私も旦那様に連れて行ってもらったっけ……」
おまけにゴンドラでの船旅も楽しんだ。
(いやいや。よくある事、よくある事!)
再度疑問を無視する。
「最高の思い出となったが、店を出たところで運悪く母と遭遇してしまった。母もカフェのために王都を訪れたそうだ。気難しい母さえ虜にする作品の素晴らしさを再確認できたが、母は妻を気に入り毎日のように連れまわすようになった。買い物に出かけたと思えば遠乗りへ。翌日には川で釣りがしたいと言い出し、さらに翌日は揃って山に登る始末。おかげで妻と会話する隙が無く困っている』
もはやファンレターと言うより愚痴である。
「だが妻は嫌な顔一つ見せず、母を好ましいと言ってくれた。心の優しい人であることを嬉しいとも感じるから複雑だ。どうやら俺は妻を想うと冷静さを欠くらしい。母にも指摘される始末だ。この感情を人は嫉妬と呼ぶのだろう。まさかこの身がロベルトの感情を理解する日が来るとは思わなかった」
ロベルトというのは『王女の婚姻』に登場するセレスティーナの相手役の王子だ。作中でセレスティーナが自分以外の人間に微笑みかける場面で嫉妬してしまう。
「先日は妻と友人が手を取り合っているのを見て嫉妬した……」
またしても身に覚えがある内容だ。
「もちろん二人のことは信じている。互いに涙を流していた理由についても納得できるものだった。二人で『王女の婚姻』について語り合っていたらしいが、それならば尚更俺も同席させてほしかった。あまつさえ友人は勝手に妻を姉と呼び慕い始め、短時間に何があったと問い詰めたいところだ。しかし妻の前では冷静な人間で在りたいと思う。大人げない態度を取ることも出来ず、このような自分は心が狭いのだろうか……すまない。話がそれてしまった。
あなたの小説はとても素晴らしい恋物語で彩られているが、妻の初恋はどうやら苦い思い出らしい。彼女のような人がどのような相手に心を奪われるのか興味はあったが、どうやら相手は最低な男のようだ。縁が切れているようで心から安堵したが、妻の初恋相手には嫉妬するばかりだ。いずれその心を俺に向けてくれたのなら……いや、すまない。また話がそれてしまった。
契約結婚から始まる二人の物語、今回も存分に楽しませていただいた。恥ずかしながら妻との馴れ初めも契約から始まったのだが、当時の俺を殴りたい。あのような条件でよくも求婚できたものだ。今なら跪いて愛を乞うというのに……っもう止めてぇぇぇ!!」
つい渾身の叫びが溢れると、部屋の外で通りすがりのメイドが驚く気配を感じる。
読み直していくうちに、文章が聞き覚えのある声で再生されるようになった。
(どうやら俺は妻を愛しているらしい。このようなことを手紙に記してしまい、申し訳なく思う。だが一人で抱えるには感情が大きくなりすぎてしまった。しかし他に打ち明けられる相手もいない……)
少し前までは平気で音読していた癖に、目を通すだけで精一杯だ。
「打ち明けちゃってる! 本人に打ち明けちゃってるよ~」
せっかく匿名で送ってくれたのに、セレナのせいで匿名性が損なわれている。
ファンレターを読むのにこれほど苦労したことはない。ファンレターというか、セレナにとってはラブレターである。次にラシェルに会った時、どんな顔をすればいいのかわからない。しかもその瞬間は迫っている。
「どうしてパーティーなんて誘っちゃったの私! いや、それは旦那様の捜査の役に立てたら嬉しいと思ったからだけど! 旦那様って私のこと好きだったんだ……」
たった今知ったばかりの事実。それを口にすると火が出そうなほど顔が熱くなる。
「とんでもないファンレターをもらってしまった」
混乱のあまり綺麗に整えられた髪を乱したくてたまらなかった。




