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10 恋慣れた彼に、からかわれているだけ

 朝乃には、ドルーアの気持ちがやっぱり分からない。おとといも彼は朝乃の進学に、最初は否定的だった。ドルーアにとって、朝乃の進路は大変ナイーブな問題なのだ。その理由は分からないが。

「はい」

 朝乃は慎重に、そして正直に答えた。朝乃の進学を後押ししたのは、信士と一郎だ。もちろん翠と功もだが。ドルーアは問いかける。

「今日は家に帰ったら、一郎君にメールを送るの?」

 朝乃はうなずいた。一郎は学校について、いろいろ教えてくれた。彼のアドバイスは有益だった。朝乃は彼に、調理師専門学校への進学を考えていると告げて、お礼を言いたい。ドルーアは苦笑した。

「ヨークは意外に、したたかだったな」

 朝乃は首をかしげる。なぜ、そこでニューヨークの名前が出てくるのか。

「とんだ伏兵だ。だが僕の方がしたたかさ。朝乃、こっちにおいで」

 ドルーアは手招きした。朝乃は彼に従って近づく。ドルーアがもっともっとと言うので、さらに近づいて、ついにはぴったりとくっついた。こんなに密着していいのか。朝乃は顔を赤らめる。ドルーアが耳もとでささやいた。

「行きの車内では言い忘れたが」

 彼の吐息に、朝乃はびくんと震える。

「愛しているよ」

 甘い言葉に、朝乃の顔に全身の熱が集まる。頭がほてって、何も考えられなくなる。そんなぐらい、ドルーアのせりふは衝撃的だった。

「僕はずるい男だけど、君を鳥かごの中に閉じこめたいと何度も思ってしまうけれど、――それでも僕を愛してくれるかい?」

 朝乃は、ぶんぶんと首を縦に振った。彼の言葉が冗談でも本気でも、どっちでもいい。大人で恋慣れた彼に、からかわれているだけでもいい。ドルーアを愛さないなんて、朝乃には無理だった。

「君を誰にも渡さない」

 ドルーアは朝乃の肩を優しく抱き寄せて、こめかみにキスを落とした。朝乃はなされるがままで、彼の手のひらで転がされている気分だ。けれどこのまま一生、転がされていたい。ドルーアは、そっと朝乃を離した。

「コリント家の後継者候補になっていることを、君に黙っていてごめん」

 いきなり神妙に、彼は謝った。朝乃はまばたきをして、彼を見つめる。ドルーアは、まじめな顔をしていた。

「君にも関係することなのに。もし僕がパオルの跡をつぐと、僕はコリント家当主に、君は当主夫人になる」

 朝乃はびっくりした。朝乃が当主夫人になるということは、朝乃とドルーアが結婚するということだ。

「当主夫人になれば、君の進路は大なり小なり変わらざるをえない。このまま浮舟に住み続けることも難しいだろう。また僕の母のように、不慣れな上流階級での社交も強いられる」

 ドルーアの顔は、冗談を言っているようにも、からかっているようにも見えなかった。むしろ、真摯に謝罪していた。不安そうにも見えた。つまり行きの車内での、「結婚してあげる」は本気だったのか。

 レストランでドルーアは、コリント家の跡取りの話を弟たちとしていた。朝乃は、家族ではない私の前でそんな話をしないでほしいと思っていた。

(でもドルーアさんは、私を家族、――将来の妻と考えていた)

 だから朝乃が隣にいる状態で、他言無用のこみいった話をした。それに、ついさっき「愛している」と言われた。いつもの冗談にしては、かなり重いせりふだ。いや、ドルーアは誰にでも冗談めかして、I love you. と言いそうだが。

 まさか、朝乃とドルーアは両想いなのか。彼は朝乃に恋しているのか? ただ、それをどうやって確かめればいいのだろう。正直に聞くしかない。

「ドルーアさんは私を好きなのですか?」

 彼は目を丸くした後で、すまなさそうに笑った。

「好きだよ。でも簡単に話せることではなくて……」

 朝乃はぽかんと口を開けて、彼の顔を見つめた。

「コリント家に関することは、慎重に動かなくてはならない。古くからある大きな家だから、大勢の人の人生や生活が左右される。僕の気持ちや都合だけでは」

 ドルーアは朝乃の様子を観察してから、首をかしげる。

「君と話がくいちがっている気がする」

「すみません、……えっと」

 朝乃は、どう説明すればいいのか分からない。顔を真っ赤にして、また同じようなことを聞いた。

「私たちは両想いですか?」

 彼は、ふふっと笑う。

「そうだよ。やっと気づいたのかい? それにしても、『両想い』はかわいい言葉だね。これからさき、積極的に使っていこう」

 ドルーアは楽しそうだ。ところが朝乃は、まだ実感がわかない。きつねにつままれたような気分だ。

「いつから両想いなのですか?」

 朝乃は、おろおろとしながら問いかけた。少し頭が混乱しているのかもしれない。ドルーアはちょっとの間、考えた。

「最初から、君は僕にとって特別だった。突然、ぱっと家の中に現れた。僕の日常は崩れさった」

 彼は懐かしそうに笑う。ごめんなさい、と朝乃は謝罪した。

「君のそばにいて、君のことが分かるたびに、僕は君を守りたくなった。君を知るほどに、君が大切な存在になった。君を悲しませたくない、泣かせたくない。君は僕のすべてだ」

 ドルーアの言葉に、朝乃は今までの人生すべてを肯定されているような気持ちになる。彼は朝乃という人間を知り、その上で好いてくれている。それが、とてもありがたく感じられた。翡翠ひすいの瞳が優しく、いつくしむように朝乃を見ている。

「それに君は僕を強くしてくれる。君は、僕がコリント家の長男であってもなくても、僕が大スターであってもなくても、僕を愛してくれる」

「でも私、おととい裕也に、朝乃は今も昔も芸能人に弱いと言われました。それから、私は面食いらしいです」

 朝乃が困って言うと、ドルーアはぷっとふき出した。

「大丈夫だよ、ダーリン。そんな程度では、僕たちの真実の愛は揺らがない」

 ドルーアは、よしよしと朝乃の頭をなでる。子ども扱いされているのに、嫌な気分にならない。彼からの確かな愛が感じられるから。今までの苦労がすべて報われたような気がする。そんなぐらい大きな人生のご褒美だ。

「僕の君への想いは、少しずつ、そして絶え間なく深くなっていった。きっと最初から、引き返せるものではなかった」

 彼の声に切なさがにじむ。瞳の奥に、別離の痛みが見えた。あるひとりの女性の優しい歌声がよみがえる。彼女の歌を、朝乃はドルーアと初めて会った日に彼とともに聴いた。タクシーの車内での、ドルーアの夢見るような横顔を覚えている。

「僕たちがいつから両想いなのか、僕には分からない。こんな答でいいかな?」

 彼はほほ笑んだ。ドルーアがうそをついたと、朝乃には感じられた。彼は多分、ジャニスではなく朝乃を選んだ。

 裕也が持ってきたジャニスからの手紙に、ドルーアは動揺していた。彼は朝乃の前から消えて、ひとりで手紙を読んだ。彼の胸中は分からない。しかしその日のうちにドルーアは、「ジャニスの手は取らない」とはっきりと朝乃に告げた。

 朝乃はすべてをのみこんで、静かにうなずく。ドルーアは、朝乃がうそを見抜いたことを分かっているように見えた。彼はおごそかに、朝乃の手を取る。

「君が大人になるのを待って、僕たちは結婚する。よって僕は君に、家のことを話さなければならない。ふたりの将来について話しあいたい。僕たちの未来は、僕たちで決めるのだから」

 朝乃は彼にほほ笑み返した。

「はい。ドルーアさんの家のことを教えてください」

 私たちは、ずっと一緒にいる。だから、ふたりで将来のことを話して決める。それは、とても幸せなことだ。胸の痛みとともに、朝乃は世界で一番、素敵な男性を手に入れた。

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