第六節
朝も早くから訪れた事で、未だ陽が天頂に至らぬこの時間も、緑豊かな土地故か空気がとても澄んでいる。
ツィリギの案内で離れに落ち着いたものの、今日と言う日が半分残っている。何もしないでは退屈と言う事もあり、ツィリギが使いに出た後ヴァルハロスとアマンダも離れを出た。
すでに話は通っているようで、エルフたちが遠巻きに眺めて来るも、敵愾心のようなものは感じない。単に、物珍しいのだろう。
幾人かは話し掛けて来て、エルフ側が人間を必要以上に敵視していない事も窺えた。
ふと気になって、ツィリギのふた親について尋ねたところ、どちらも健在で一家揃って暮らしていると聞く。
道行く者に気軽に“生贄”について聞く事は出来ぬが、さすがに親がどう思っているのかは気に掛かった。ツィリギはひとり息子で、この里で生まれた一番若いエルフだと言う。その役割とは別に、そもそもが特別な子供とも言えるはずだ。
そうして教わった場所へ赴くと、質素な佇まいの小さな家がそこにあった。他のエルフたちの家々と変わりない、隙間風を完全には防げぬような木造りの家だ。少なくとも、特別扱いは見られない。
それがエルフの風習として正しいのか判らぬものの、アマンダは木の戸をこんこん、と数度ノックした。少しして木戸が開き、
「……どうぞ、お入り下さい。」
若い女エルフが、ふたりを家へと招き入れた。
中は外から見た通り狭く、テーブルと椅子だけでもう空間的余裕の無い居間と、その奥にさらに小さな部屋がふた間ほどありそうだが、ほとんど寝起きが精一杯の小屋と言えた。
出迎えてくれた女性は奥へと引っ込み、三つしか無い椅子のふたつを主人が客人へと勧める。きっと、普段家族が座っている椅子であり、客人を持て成すような余裕は無いのだろう。
「どうぞ、お掛け下さい。……ツィリギについて、何かお話があるのでしょう?」
ヴァルハロスたちは素直に着席し、それを確認したのか奥に引っ込んだ女性が戻って来て、ふたり分のカップを客人の前へ置き、
「どうぞ。」
そのまま主人の後ろに回った。
「ありがとう御座います。」
にこやかに微笑みながら、アマンダがひと口唇を湿らす。仮に何かが混入していても、アマンダの中の蟲が大概の毒を中和する。アマンダの現段階では、食事をまだ味わえる――今はまだ。
「あら、美味しい。これも神樹様の恩恵かしら。」
これは毒見であるが、習慣として行っているだけで他意は無い。それに、今のヴァルハロスには、あんまり必要も無かった。ヴァルハロスの現段階にも毒は効果が薄いのだ。こちらは蟲の影響では無く、吸血鬼の影響である。
あれを使いこなすと言う事は、徐々に浸食されて行くに等しい。恩恵か呪いか、ヴァルハロスには吸血鬼の能力の一端が顕現し始めている。今ならば、多少の手傷など放っておいてもすぐ治癒するだろう。
それでもまだ、ヴァルハロスは普通の人間だ。効果は薄くとも苦しみはするだろう。これもアマンダの愛――なのかも知れなかった。
アマンダに続いてヴァルハロスもひと口啜って、
「……俺は口下手でな。単刀直入に聞く。あぁ、ツィリギの事だ。いや……生贄について――と言った方が正しいか。」
がらん、と女性エルフ――ツィリギの母親が盆を取り落とした。主――父親の表情も曇る。
ふたりはとても若く見え、ツィリギの親と言うよりも兄姉のようだ。しかしそこはエルフ、見た眼通りの年齢では無いと言う事だった。
「……その様子では、全てを納得尽く――と言う訳でも無いのだな。」
「……生贄――については納得していますよ。私たちはそうして生きて来た。神樹様も生きておられる。そのお命を救う為の尊い犠牲。」
魔導器――と認識しているヴァルハロスは、生贄とは動力の補充なのだと考えた。しかし、神樹を植物と捉えれば、神樹が力を失う事は枯れる事であり、枯れると言う事は死ぬと言う事。ここにも、彼らとの認識の齟齬があった。ヴァルハロスは、自らの浅はかさを知った。
「……その生贄に、我が子が選ばれるとは考えもしなかった。いや、考えたく無かった。しかしこの百年、他に子が生まれる事は無く、ツィリギしか生贄になれる者はいなかった。」
「何か条件がありますの?」
「いや……命を捧げるのだから、若く健康な者から選ぶ、それだけだ。」
もしかすると、以前はもっと子供も多く生まれ、若く健康な候補が何人も、何十人もいたのかも知れない。長命種故か、シティ・エルフとして生きるようになったからか、現在では子供の数が減っているのだろう。
少なくとも、百年子供が生まれないなど、通常のエルフ族には無い現象だ。いくら千年を生きると言っても、それは森エルフの中でも長命な方で、平均寿命が千年を超える訳では無い。ある程度子供が生まれ続けなければ、種として数を減らしてしまう。
「今はまだ神樹様もお元気で、すぐに生贄が必要な訳では無い。もしかしたら、この先何十年もお元気でいられるかも知れない。それでも……いつお元気を無くされるか判らない以上、生贄役は決めておかなければならない。……この百年、他所に子供が授からないかと、いつも祈っていた。自分勝手な事だと判ってはいるが……」
それを責める者はいまい。皆の為、生贄を捧げる事を良しとする事と、その生贄に我が子を差し出す事は、全く違う話だ。生贄を認めたからとて、皆自分が生贄になるとは考えない。それは自然な心理であり、誰しもが持つ弱さだ。
う、っと抑え込んだ嗚咽が、父親の背後から聞こえる。母の想いも同じであった。単なる生贄と、我が子が生贄とでは、意味が違う。しかし、生贄自体を否定するものでは無い。何をどう受け止めどうすれば良いのか、割り切る事など出来はしないだろう。
「……それでも笑顔を絶やさない。強い子だな。」
その言葉に、母は耐え切れなくなって泣き崩れた。父も、もう顔を上げていられなかった。
ふたりが落ち着きを取り戻し、改めて香茶を淹れ直した時、その報せが飛び込んで来た。
「大変だ、ミディギリ、ラーラマーヤ!ツィリギが――」
飛び込んで来たエルフの青年――ふたりを呼び捨てと言う事は相応の年齢なのだろうが、そのエルフは慌てた様子で口を開き掛けたが、人間ふたりを認めて二の句を呑んだ。
「構わん、タトリア。ツィリギがどうした。」
「あ、あぁ、そうツィリギだ。街へ使いに出たところを、人間たちに捕まったらしい。今、エルヴィヴィエンドたちが助けに向かってる。」
「何?!くそ、どう言うつもりだ。いくら人間とは言え、今までそんな事は……」
「あ、貴方。」
くずおれそうになる妻の体を支える夫。
「使いと言ったな。いつも街へ出掛けているのか?」
「え、いえ、その……」
「……俺たちの所為か?」
「……」
ふた親の代わりにタトリアが、
「あぁ、族長に世話を頼まれたからと、あんたらに出す夕食の食材を、自分で買い出して来ると言ってな。」
「……そうか。」
主より先にアマンダが席を立ち、主もおもむろに立ち上がり、立て掛けた大剣を背負った。
「おい、あんた、案内を頼む。」
「え、しかし……」
「急げ!」
「あ、あぁ、判った。」
まだ立ち上がれぬ妻を介抱する夫に一度眼をやり、タトリアの後へと続くヴァルハロス。ミディギリには、とても優しい眼に見えた。
確かに、物珍しく見えた。普段、神樹様へのお務めが日課のツィリギは、滅多に人間たちの街まで出掛けない。建物も街並みも行き交う人々も珍しく、浮足立っていたのかも知れない。
だから、目障りなエルフにわざと体をぶつけようとした人間を、避ける事が出来無かった。そして、お使いの為にと持参した人間族の通貨を取り落とし、つい――
「何をするんだ!」
このひと言も余計だったが、ツィリギの見た目も問題だった。子供。歳若く非力そうに見える子供。実際には自分たちよりも長く生きていると言う事を、見た目からつい失念する。真っ直ぐで綺麗な瞳も、嗜虐心に火を点けたのかも知れない。
「何だ、こいつ!人間様に楯突く気だぜ。」
そう怒鳴る体をぶつけた人間も、また若かった。戦士でもあるまいに、肩当て肘当てを身に付けて、使った事も無い短剣を腰に差している。数人の仲間も皆、似たような格好をしている。粋がった子供。エルフの真実も知らず、大人を模倣してエルフは下等な種族と信じて疑わぬ痴れ者たち。
「おう、丁度良い。エルフたちへの見せしめに、こいつを処刑しようぜ。」
「な!?」
「おう、お前頭良いな。そうしよう。」
軽く同調する仲間たち。ツィリギには信じられなかった。だが、思い違いがある。ツィリギが思う処刑と、彼らが思う処刑では、言葉の重みが違うのだ。
エルフが処刑すると言うなら、それは許されざる罪を犯し、その償いに命を奪う事だ。
彼らにとっての処刑は、気に入らない奴を皆で痛め付ける程度のお遊びだ。
ツィリギと彼らでは、決定的に命に対する価値観が違うのだ。
「おら、こっちへ来い!」
ツィリギの両腕をふたりの人間が捕まえて、ずるずると引き摺って行く。
「や、止めろ!は、離せ―!」
命を奪われると信じるツィリギは必死に抵抗し、その必死さが嗜虐心をさらに煽る。こうして、ツィリギは馬鹿な人間たちに囚われる事となった。
そのツィリギを、エルヴィヴィエンドは町の広場で発見する。エルフと人間の若者が揉め事を起こし、エルフの少年が連れ去られたと異民族区の門番がエルフ側へ報せたのだ。それが自警団へと伝わり、屈強なエルフたちが街中を駆けずり回った。
そこで、最悪の予想が的中する。エルフの少年などと人間が表現するとしたら、それはツィリギしかいないのでは無いか。果たして、それはツィリギであった。
すぐさま使いを集落へと送り出し、自警団の他の面子を集め、再び広場へと戻って来た時、馬鹿な人間たちのパフォーマンスが始まろうとしていた。
「今日は、俺たちの街の真ん中に巣食う、害虫を一匹捕まえた!こいつを退治すれば、もっと住みやすい街になるとは思わねぇか、お前ぇら~!」
簡便に用意された処刑台の前で、破落戸のリーダーらしき男が声を張り上げる。処刑台を組み上げる作業を始めてから野次馬が集まり出していて、男はそれに向けてぶっていた。どうやらいつも騒ぎを起こす迷惑者たちのようで、今回も聴衆は決してこの騒ぎを快く思っていない様子であったが、止めに入る者もいなかった。
ツィリギは、処刑台の上に×の字に組まれた木板にロープで手足を縛られていた。しかしそれは、遊びの磔。雑に組まれた木板と適当に縛ったロープ。それこそ、エルヴィヴィエンド辺りが力を込めれば、板は継ぎ目から釘ごと抜けたり、ロープも緩むなり千切れるなりしそうないい加減さ。
しかしツィリギには、どうする事も出来無い。彼の力では、こんな雑な磔であっても、抜け出せぬ充分な枷であった。
「さぁ、まずはどこから切り刻もうか。お前ぇらの意見を聞かせてみろよ。エルフのどこを切って欲しいんだ?」
そう喚きながら、男は普段持ち慣れぬ長剣を振り回す。聴衆からは、ひ、と悲鳴のようなものも上がる。誰もそんなものを見たくないし、求めていない。だが、破落戸相手に危険を冒してまで止めるほどの正義感も無い。可哀想だとも思うが、人間では無く所詮エルフだとも思う。
だがもちろん、この場には声を上げられる者もいた。
「ふざけるな、人間!お前は自分のやっている事が解っているのかっ?!」
八人のエルフ――らしからぬ体躯をした耳の長い人影が、広場のあちこちから飛び出しじりじりと包囲を狭めて行く。
「な、何だ、手前ぇら!う、動くんじゃ無ぇ!」
見るからに屈強そうな男たちの登場に、明らかに動揺した破落戸たち。元より、自分より強い――強そうな者と争う気概などありはしない。だから、動揺したまま使い慣れぬ武器を振り回し、ツィリギに傷を付けてしまった。
「っ!……」
首筋に少し切り傷を受けたツィリギは、それでも声を漏らさなかった。それは、助けに来てくれたエルヴィヴィエンドたちに余計な心配をさせない為だが、盆暗にそんな事は判らない。
血は出たが大した傷では無いと思い込むし、筋肉の塊たちの動きも止まり、それが効果的なのだと増長する。
「へ、う、動くなよ。動けば、今度はもっと深い傷を付けてやるぜ。」
「く、卑劣な!」
ツィリギの傷は、浅くは無い。幸い、首の太い血管を傷付けはしなかったが、それなりに出血している。放っておけば、その出血が元で命を危うくする事もあるが、盆暗にそんな事は判らない。
「動くなよ。動くなよ……」
「……、……、……」
破落戸と巨漢たちは、お互い動けぬまま。相手が素人だけに、余計下手には動けない。エルヴィヴィエンドたちが焦れた頃、ふたりの人物が新たに介入する。ヴァルハロスが到着したのだ。
「な、何もんだ?!て、手前ぇも動くな!」
今度はデカい段平背負った本職の戦士に見える男と、自分たちじゃ相手にされないほどの良い女。一体どうしてこうなった。盆暗は、心の中で泣きそうだった。ただエルフの餓鬼を虐めて憂さを晴らすつもりが、事が大きくなって来た。仲間の手前、放り出して逃げる事も出来無い。この馬鹿も、どうして良いか判らなくなっていた。
「お、おいお前。一体何しに来た。人間のお前には関係無い。手を出すな。」
そう、破落戸から目を離さず背中の気配に話し掛けたエルヴィヴィエンドの横を、す、と素通りするヴァルハロス。
「相手は人間だ。関係無くは無いだろう。」
「え!?おい、ちょっと待て。」
そんなエルヴィヴィエンドは無視して歩みを進め、
「て、手前ぇ!動くなって言ってんだろうが!然もないと――」
そんな破落戸も無視して歩みを進めるヴァルハロス。き、っと睨み付けた瞳は、やれるものならやってみろと言っている。
ざ、とヴァルハロスは、破落戸のリーダーの眼の前で立ち止まった。結局、リーダーは一歩も動けなかった。
「あ……て、手前ぇ……こいつがどうなっても――」
「どいつの事だ?」
「……え?」
思わず振り返ったリーダーは、そこにエルフの子供の姿を確認出来無かった。
「……え!?」
見れば、屈強な男のひとりが、今までここにいたはずの子供を抱えていた。
「く、くそ!エルフの魔法か!?」
そんなはずは無かった。もちろん破落戸たちが知る由も無いが、エルヴィヴィエンドたちは集落を守る為己を鍛え上げた戦士だ。魔法使いでは無い。エルフと言えど、誰もが魔法を使える訳では無いのだ。
それに、当のエルヴィヴィエンドでさえ困惑していた。いきなりツィリギが腕の中に現れたのだから。
この場にいる者の中で、それが視えた者は少ない。ツィリギは自分が、客人のひとり――黒衣の偉丈夫に抱えられて、ふわり宙を舞ってエルヴィの許まで運ばれた事は判った。どうやって磔から戒めを解かれたのかは判らなかったが。
「お、おい、エッダー!どうすんだよ?!」
「ど、どうするって――!?」
エッダーと呼ばれた破落戸のリーダーは、仲間を振り返ってさらに動揺する。処刑台の左右に、先程の女と見慣れぬ黒衣の巨漢が立っていたのだ。
「な、何だこいつら?!」
アマンダは気配を消し、O・D・Iはそもそも認識されず、それぞれ左右に回り込んでいた。ヴァルハロスに気を取られていた破落戸どもは、どちらにも全く気付いていなかった。彼らからしてみれば、どちらも急に現れたように思えた――事実、O・D・Iは急に現れたのだが。
「……殺しても構わん。」
ヴァルハロスは、アマンダへ伝える為にそう口にした。そう、口にした。自分たちは殺される。その恐怖に耐えられるほど、彼らに覚悟など無かった。
「わ……うわぁ~~~!」
それぞれのすぐ眼の前、ひとりがアマンダへ、ひとりがO・D・Iへ、そして三人がヴァルハロスへと切り掛かった。使い慣れぬ長剣を無様に振り上げ、もし仮にそのまま人を切ったとて切れるものかも怪しい剣筋で、皆一様に上段へ振り被って振り下ろすだけの一連の動作。結果は、素人の聴衆にだって予想出来たろう。そして、その通りとなった。
ヴァルハロスは、ほとんどの聴衆に見えぬほどの速さで大剣を抜きざま、エッダーを袈裟に斬り伏せた。そのまま振り被る動作を兼ねてもうひとりを逆袈裟に斬り上げ、最後のひとりは真一文字に縦に斬り伏せた。
三人はひと太刀で絶命していたが、その体は両断される事無く、人の形を留めている。その結果に、ヴァルハロスは少し不満だった。これでは、ただの剣傷だ。重さを利して叩き斬った、無様な剣傷。きっとあの男の剣傷は、もっと綺麗なのだろう。
他のふたり、アマンダの相手は背後から首を掻き斬られ、O・D・Iの相手は正面から首を捩じ切られた。
きゃー、と悲鳴を上げ逃げ出す者、その場でくずおれ失神する者、ただ呆然と立ち尽くす者。その光景を見た聴衆たちは、混乱の只中にあった。それはそうだ。聴衆にも覚悟が無かった。エルフの少年が処刑されるのを見る覚悟もそうだが、まして破落戸たちが斬り殺される――凄惨な最期を遂げるなど、想像だにしていなかったのだから。
さわさわと静かな騒めきの中、ヴァルハロスは泰然自若な様子で大剣をひと振りし、それを背に戻した。本のひと呼吸ほどの間が空いて、ざかざかと軍靴が広場に響いて来た。
「そこを動くな!」
聴衆を掻き分けやって来たのは、異民族区の見張りとは装備の違う兵隊たち。街中を警邏する衛兵隊である。十数人がヴァルハロスたちを取り囲むように展開する。
「そこの三人……む、いやふたりか。抵抗せず大人しくしていろ。」
他の衛兵よりも装飾が豪華なひとり――衛兵隊長らしき男は、確かに広場へ突入する際、もうひとり黒衣の大男を視認したはずだったが、その姿はどこにも見当たらなかった。もちろん、O・D・Iはその場にいる。ただ気配を殺しただけだ。
衛兵隊長が右手を挙げると、取り囲んだ衛兵たちが斧槍を一斉に突き出した。槍壁(※)が蟻一匹逃さぬ構えである。
「白昼の街中で、善良な一般市民を手に掛けるとは言語道断。覚悟は良いな。」
「善良な一般市民?」
その言葉に、隊長の眼を射抜くように睨み付けるヴァルハロス。それだけで一気に血の気が失せた隊長だが、その肩書きがそうさせたのか、部下が大勢で取り囲んでいる状況がそうさせたのか、ぎりぎり腰は砕けず、二の句は紡がれた。
「あ――お前たちふたり……あ、あれ?もうひとりはどうした。」
気付けば、アマンダの姿も消えていた。数瞬前まで眼のやり場に困りつつ役得とにやけていた衛兵も、瞬きの間に見失っていた。
そのアマンダは、すでに聴衆に紛れ隊長の背後へ回っている。必要無いとは思いつつ、いざと言う時いつでも隊長の首を掻き斬れるように。
「と、とにかく動くな。れ、冷静に話し合おう。うん、そうしよう……」
本当は部下の手前虚勢を張りたいが、そこまでの気力は沸いて来なかった。眼の前の男が怖くて仕方無かった。その男が目前まで迫る。
「なぁ、隊長さん。この都では、エルフも立派な市民の一員だよな。」
よ、良かった、殺されなかった。まずそんな事が頭を過り、返答は一泊遅れた。
「……あ、あぁ、その通りだ。」
「その市民のひとりをかどわかし、あまつさえ処刑しようなどと縛り付け、首を斬り付け怪我まで負わせた。」
ごくり、と何とか唾を飲み込む隊長。そう、確かにそうだ。隊長も見ていた。見ていて突入せず様子を窺っていた。捕まっているのは所詮エルフ。あの破落戸どもが本気で処刑など出来る訳が無いし、もし本当に処刑などしようものなら、奴らを捕まえる良い口実になる。そんな思いまで見透かされているようで、次の唾は喉を通らなかった。
「こいつらは善良な一般市民なんかじゃ無く犯罪者だ。俺は善良な一般市民を助ける為に、その犯罪者を斬ったまで。……なぁ、隊長さん。あんたらの代わりにな。何か問題はあるか?」
「……い、いえ……何も問題は……」
ヴァルハロスは隊長に顔を近付けて、
「それに、エルフが傷付いたなんて、貴族連中に知れたら困るんじゃないか?」
そう耳打ちし、
「治療は自治区でやる。急ぎたいんだが、もう行って良いか?」
と、普通の声音で問うた。
解放された、そんな喜びを隠し切れない表情で、隊長はこくこくと大きく顔を上下させ、その後周囲に向けて声を張り上げた。
「もう終わりだ!事件は片付いた!皆解散しろ!ほらそこ、さっさと帰れ!」
一度ヴァルハロスに向き直り、
「死体はこちらで片付けておきますんで、お気になさらずに。ご苦労様でした――う、ごほん!ご苦労だったな、もう行って良いぞ!」
小声で話し掛けた後、大声で体裁を取り繕ってから、その場を逃れるように隊長は残った聴衆を追い払いに向かった。
隊員たちは、そんな隊長の様子を見ながら――誰ひとり隊長を蔑まなかった。彼らも、処刑の成り行きを窺いながら一部始終を見ていたのだ。いくら一方的な殺戮劇だったとは言え、相手は所詮破落戸連中。隊長も隊員たちも、正規の訓練を積んだ自分たちで捕らえられない相手だとは思わなかった。
それが思い違いだと、すぐにも気付いた。ある者は突入の際、黒衣の大男を間近で見てしまった。近付いただけで、もう自分は死んだのかと錯覚した。しかも、忽然と消えたのだ。
ある者は、見惚れていた妖艶な肢体が眼前から消えた。どう消えたのか、まるで判らなかった。
そして何より、あの男から発せられる鬼気。隊長だけが、血の気が失せた訳では無かった。相手の強さを感じられる程度には優秀だった事が、彼らの戦意を挫いた。自分たちが何人いたって敵わない。隊長の態度を責められない。
我先にと、衛兵隊全員がヴァルハロスに背を向けて、無害な聴衆たちへの示威行為へと移らせた。
その様子を一瞥すると、ヴァルハロスはツィリギたちの許へと近付いて行った。すでにアマンダも傍へと戻っている。ツィリギには、後ろに控えるO・D・Iの姿も視えた。
「大丈夫なの?お姉さんが治してあげましょうか。」
「あ、はい、大じょう――」
「必要無い。集落には癒し手がいる。傷が浅いとは言わないが、すぐにどうこうと言うものでも無い。」
気丈に振舞おうとしたツィリギを脇へ退かし、エルヴィヴィエンドが言葉を遮った。
「そうか。」
これだけの事をやって退けて涼しい顔のヴァルハロスに、苛立ちを覚えるエルヴィヴィエンド。助けて貰ったのだ。それは判っているのに、呑み込めない言葉が口を突く。
「……何故だ。何故助けた。」
ヴァルハロスは、無言でエルヴィヴィエンドを見据える。
「人間どもが屁垂れのお陰で事無きを得たようだが……無論、お前が遅れを取る事は無いだろうが、それでも人間の社会で行き辛くなるかも知れないだろ。何故そんな危険を冒してまでエルフを助ける。」
ヴァルハロスはしばしエルヴィヴィエンドの瞳を覗き込み、少し口元を綻ばせる。あら良い男。アマンダが見惚れる。
「ツィリギには世話になっている。そこに種族が関係あるのか?」
「ぬ……しかし――」
「それに、この街ではエルフが人間を傷付ける訳にも行かないだろう。お前たちが手出し出来ねば、ツィリギが危うい。やるべき事をやっただけだよ。」
そう言って、軽くエルヴィヴィエンドの肩を叩き、脇を擦り抜ける。
「さぁ、早く戻ろう。大事無いとは言え、そのままではツィリギが可哀想だろ。」
そのまま振り返らず歩み去る。その様子を呆と見送るエルヴィヴィエンドの肩を女の手が叩き、
「ほら、何してるの。早く帰りましょう。」
「あ、あぁ、判ってる。良し、ツィリギは俺が運ぶ。お前らも集落へ戻れ。」
他の自警団員に声を掛け、自らはツィリギに肩を貸しながら――しかし背丈があまりに違う為ほぼ肩に担ぎながら、エルヴィヴィエンドも帰路へと就くのだった。
そして陽は暮れて、離れではツィリギが夕食をテーブルに運んでいた。あの後すぐ集落の癒し手が魔法で治療し、もうすっかりツィリギは元気になっていた。
「ごめんなさい。あんな事があったから、お持て成しの食材をご用意出来無くて。」
「良いのよ、そんな事気にしなくて。それに、街で買って来るような物は私たちがいつも食べている物じゃない。むしろ、いつも貴方たちが食べているような物の方が、私たちにはご馳走になるわよ。」
「ありがとう御座います。私たちはあまり調理に凝らないので質素になりがちですが、神樹様の恩恵ですからとても美味しいですよ。」
そうして並べられた食事は、色取り取りの野菜がふんだんに使われていて、充分豪華なものに見えた。多少、茶色が足りないのが、彼らの食事の傾向なのだろう。
「……もう、傷の方は良いのか?」
興味無さげにも見える無表情で、ヴァルハロスはツィリギを気遣った。
「えぇ、もうすっかり元気ですよ。エルフの癒し手は優秀ですから。」
病気や毒相手では必ずしも魔法も万能とは言えないが、傷であれば大抵治せるものだ。高位の聖堂騎士であれば、欠損した四肢すら元通りに治せると言う。魔法の効果も及ばぬほどの重傷でさえ無ければ、そうそう怪我で命を落とす事は無い。
ただ、治すには傷の状態次第で時間は掛かるし、人間族の場合お金も掛かる。エルフ同士なら対価など必要としないが、怪我の状態次第では何日も継続的な手当てが必要となる場合はある。物の数時間で完治したツィリギは、見た目ほど重傷では無かったのだろう。
「助けて頂いて、本当にありがとう御座いました。これでお役目を全う出来ます。」
「ツィリギ……」
何と健気であろうか。その健気さは、己を殺す事になるのに。そんなところが、アマンダには天使と重なって見えた。
「……逃げたいと――いや、生きたいと思った事は無いのか?」
ヴァルハロスが、視線を合わせる事無く静かに聞いた。ツィリギは、そんなヴァルハロスを眼を見開いて見詰める。
「憧れはあります。私も、貴方たちみたいに世界を旅してみたかった。世界は広いのでしょう?見た事も聞いた事も無い景色が広がっている。それを実際に見て回るのは、とても楽しそうです。」
憧れ――確かにそうだ。世界はもっと薄汚れている。すでにふたりには、ツィリギと同じ世界は見えない。知らぬからこそ理想の景色を思い描け、憧れる事も出来る。それを否定するつもりも無い。ふたりにも、小さくて狭い世界しか知らなかった頃があったのだから。
「それじゃあ――」
アマンダは、つい詮無き事を口にしようとしたが、
「でも良いんです。私には使命があります。それは私の誇りです。」
思わずツィリギに視線を向けたヴァルハロスは、そこに輝く笑顔――そして決意を秘めた男の顔を見た。
「そうか。」
ヴァルハロスは、それ以上何も問い掛けなかった。問う事は、彼を侮辱するに等しい事――そう思った。
翌早暁、客人の世話をと早起きしたツィリギは、離れに入って驚いた。ヴァルハロスたちはすでに起きていて、その出で立ちは旅立ちを告げていた。
「ま、まさか――あ、いえ、おはよう御座います。そのお姿はどうされたのです?」
「おはよう、ツィリギ。私たちはもう行くわ。」
「そ、そんな……まだたった一日じゃないですか。あ、もしかして、私のお世話に何かご不満が――」
慌てる少年の頭に手を置いて、ヴァルハロスは微かに微笑む。
「もう出立するが、その前にもう一度神樹を見ておきたい。案内を頼めるか。」
「……も、もちろんです。ど、どうぞこちらへ。」
神樹の社に見張りはいない。と言って、無防備な訳では無い。近くの住民を始め、常に何人かの監視の眼が光っている。もし余所者が近付くような事あらば、すぐにも自警団へと連絡が行く。
今回はツィリギが一緒だった為、見咎められる事は無かった。ただ、予定に無い来訪ではあるので、族長へは報せが行った。
答えが出たのかも知れない。そう考えたアルヴォスターは、朝食の支度を放り出し神樹の許へと急いだ。
「こ、これは……」
辿り着いてみると、客人が倒れている。急いで駆け寄ると、そこには横たわるヴァルハロスの傍に寄りそうアマンダとツィリギがいた。
「これは一体、どうされたのです?」
アルヴォスターには見向きもせず、愛しい男の顔から眼を逸らさずにアマンダ、
「はぁ……どうしてこう……あぁ、心配は要らないわ。ただ気を失ってるだけだから。」
「そ……そうですか。しかし、一体何があったのです。」
その問い掛けに、アマンダは首を振っただけで、応えは無かった。
「ツィリギ。」
「え、えぇ、私も良く判りませんが――」
と前置きし、ツィリギは自分が見た事をアルヴォスターへと話して聞かせた。
ヴァルハロスは、右手を翳して神樹へ触れ、そのまましばらく黙祷していた。ツィリギはまだ、戦士や精霊使いなどどの道へ進むか定めておらず、精霊使いの修業を行っていない為、そこまではっきりと魔力を感じられない。だから、ヴァルハロスが何をしていたか良く判らなかったが、何と無く魔力が漂っていたような気はした。
その時、先日はここまで下りて来なかったO・D・Iも、ヴァルハロスの傍へ来ていた。と、突然、そのO・D・Iが灰となって地面に堆った。そしてヴァルハロスも、そのまま倒れてしまったのだ。
アマンダだけは知っている。彼が何をしたのか。
神樹も魔導器だ。そして、その動力源として生命――魂のようなものを必要とするのだろう。だが、魔導器である以上動力そのものは魔力であり、空気中の魔素を取り込み還元するだけでは足りないと言う事なのではないか。ならば、魔力自体を別の方法で充填する事は出来無いのか。
生贄を必要とするのだから、通常不可能なのだろう。では、同じ古代魔族の遺産ならばどうか。そう言う事だった。
「それで神樹は長生きするかも知れん。ツィリギが生贄の務めを果たせぬくらい。無論、本当に効果があるかは判らん。だが、少々魔力を使い過ぎて、疲労するだけの話だ。試してみても良いだろう?」
別に、アマンダに反対するつもりは無い。それでも、そんな事をすれば怒られるのではないかと姉の顔色を窺うようなヴァルハロスの言い訳に、顔がにやけるのを堪えるのが大変だった。何て可愛らしい男。
そんな危険を冒す必要など無い。アマンダはそうも思う。アマンダにとって、大事なのはヴァルハロスであり、悪いがツィリギがどうなろうと知った話では無い。でも、この人は気にする。だから好きにさせる。元より相手は主なのだから逆らう筋では無いが、女としても別の理由で逆らえなかった。
「莫迦な人。」
倒れた愛しい男の頭を膝に乗せて、アマンダは愛情を込めて罵倒した。
結局、ヴァルハロスはその日一日眠り続けた。その間、O・D・Iの灰もそのままだった。その灰が消えた事で、エルフたちはヴァルハロスが回復した事を知った。
だから早暁、黙って旅立とうとしたヴァルハロスたちを、何人かが見送りに出て来ていた。ツィリギ、そのふた親、アルヴォスター、エルヴィヴィエンドと自警団。
「も、もう……行ってしまわれるのですか?!」
ひとり踏み出し、そう声を掛けるツィリギだったが、応えは無かった。ヴァルハロスはただ黙って、見送る面々の前を通り過ぎて行く。
族長が頭を垂れ、他の者も続く。今度は息子もそれに倣った。
ひとり潤む瞳で見詰め続けるツィリギであったが、
「ありがとう御座いました!」
そう叫んで、一番深く頭を垂れた。ヴァルハロスは、右手を上げてそれに応えた。そして何も語らず、ただただ歩みを進める。
背中に大剣を背負った不愛想だが優しい偉丈夫と、艶めかしいがどこか優し気な美しき女盗賊。ツィリギとアルヴォスターにはもうひとつ、黒衣の大男。
その三つの影が見えなくなるまで、ツィリギはずっとずっと、見送り続けるのだった。
※衾――はさすがに日本語過ぎると思い、槍衾では無く槍壁とした。




