第一節
青く澄み切った空から降り注ぐ陽の光が、暑さよりも眩しさを増している。帰り道に眼にした落葉樹からは全ての葉が落ち、まだ空から白い遣いこそやって来ぬものの、すでに季節が変わったと言って間違い無いだろう。
ここカリムソンのような農村は、冬を迎えて休耕期に入り、皆暇を持て余しているのではないか。又候しばらく出掛けていたオリバーは、そう思いながら帰村した。
だが、オリバーが眼にした光景は、想像とは違うものだった。村人たちが忙しなく動き回り、凡そ普段のような穏やかさに欠けていた。
その意外な光景を眺めながら、村内を適当にぶらついていると、
「おう、オリバー、お帰り。どうした?おかしな顔して。」
今し方まで土を耕していたものか、汚れたままの鍬を肩に担いで額に汗したタルカスが、オリバーを見付け声を掛けて来る。
「いや……意外だったものでな。冬ともなれば、農民と言うのは暇になるものだとばかり思っていたよ。」
「あぁ~、なるほど、確かにな。場所によっちゃあ、わざわざ働かねぇかも知れねぇな。」
「そうなのか?」
「あぁ、ここは――と言うか、雪国じゃ冬場も色々あるんだよ。ま、雪が降らなきゃ降らねぇで、冬に採れる作物もあるけどな。」
「だが、ここには雪が降るのだろう?」
「あぁ、そこそこな。北の地ほどじゃ無ぇが、一面真っ白になるくらいは降るぜ。」
北の地――カリムソンより北に、人間族の住む場所は無い。人間族の領域としてはカリムソンが北限だ。ここより先は、かつて魔族が住まう魔界と称されていた。
カリムソン住人の遠い祖先は、魔族に苦しめられたと云われている。だが、住人たちの祖父母、曾祖父母と比較的近い祖先たちは、魔族の姿を見掛けた事も無い。
今もまだ魔界に魔族が住んでいるのかどうか、それを知る人間はいない。
ただ、魔界はかなり雪深く、極寒で、住むには厳しい土地だとされる。だからこそ、余計に何者かが住んでいるなど、思いも寄らない。
「ふむ。雪を被ってしまっては、作物も駄目になってしまうんじゃないか?」
「はは、それは逆さ。ほれ、夏場の暑い盛りの方が、喰いもんも腐りやすいだろ。寒い方が、作物も腐りづらくならぁ。」
「……そう言われればそうか。」
「それにな。厳しい環境で育った作物の方が、甘くて美味くなるんだよ。何でも、寒さに耐えようとすると何かが増えるそうだが、俺にゃあ理屈は良く判らねぇな。」
煙草の販路は築けなかったが、僻地とは言え農村。カリムソン産の作物は、村だけで消費するのでは無く、街へと出荷される。冬場、雪の下で貯蔵された作物は、特に評判が良かった。
「だからな、雪が降って来る前のこの時期、冬季の作業で忙しいんだわ。仕込みさえ済んじまえば、少しは暇にもなるんだがな。」
「……凄いな。」
「あん?何がだ?」
「いつも世話になっている。そう言う事なら何か少しでも手伝えれば――とも思うんだが、一体何をすれば良いのか見当も付かん。……こう言う時いつも思うんだ。私には何も出来無い。出来るのは、人を斬る事くらいだ。本当に役立たずだよ。それに比べ皆は凄い。命を――糧を生み出しているのだから。」
思わず呆れてしまうタルカス。何も出来無い――どころか、それを言ったら俺たちゃまともに害獣だって切れやしねぇ。役立たずなもんかい。
――と同時に、得心も行った。やはりこの男は、戦士なのだ。得物の類いを何も持っていないから確信を持てないでいたが、堅気の人間とは思えぬ雰囲気を纏っている。辺鄙な田舎村の自警団程度の自分にも、それを感じさせるほど特別強く。
「ほれ。」
タルカスは、オリバーへ担いだ鍬を投げ渡した。
「?」
「何も出来無ぇ事ぁ無ぇよ。力仕事ならいくらでもあらぁ。畑を耕す手伝いくらい、出来んだろ。」
珍しく、オリバーの表情が判りやすく輝いた。
「あ、あぁ、それくらいなら多分……教えてくれ。」
「へ、しょうがねぇなぁ。しかし……へへ、俺様がお前に物を教えてやれるとは、嬉しい事もあるもんだ。」
「すまんな。私は歳の割りに物を知らないんだ。」
最初に老人かと勘違いしたが、その立派な体躯を見れば老人とは決して言えぬ。それでも、その落ち着いた物腰からは年嵩の人間のそれが窺えた。やはり、それなりに歳は重ねているのだろうか。
「一日の作業が終わって飲む酒は、これが本当にいつもの安酒かと思うほどの美酒になる。今夜は美味い酒が飲めるぜ。」
「そうか……なら私も、取って置きの話を聞かせてやらねばならんな。」
「お、そいつぁ楽しみだ。オリバーの聞かせる天使の話は、最高の肴になるからな。」
そうして肩を並べて歩み行くふたりは、仲の良い農民仲間のように見えた。カリムソンへ来て数か月。オリバーはすっかり、この村の住人のようになっていた。
ここまでの道すがら、見掛ける木々の様子から冬の足音を聞いていたが、街へ至れば季節を感じさせるものは見当たらない。それでも、少し肌寒い街の空気が、もう秋も終わると告げている。
この街は少し特別だが、季節の移ろいは他と変わらない。魔法都市と呼ばれる、ハンターヴェイル公爵領都エルドリードであっても。
エンジエルたちが魔女の森を通り過ぎてから、十日ほどが経っていた。ここエルドリードは、正しく目的地である。そう、再び声が聞こえたのだ。
「それにしても……」
エンジエルは、人々が忙しなく行き交う街の通りで独り言ちた。
「無理矢理付いて来た癖に、一体どこ行っちゃったのよ。」
一緒に宿を出たはずのシェードの姿が、いつの間にか消えていた。ウーミンも見当たらない。今はデュースたちの姿も無く、エンジエルひとり切りである。
まぁ元々、単独行動するつもりだったけど――そう心で呟きながら、エンジエルは高い空を見詰めて十日ほど前の出来事に思いを馳せた。
「それじゃあ、私は帰ります。」
全てが終わった事を見届け、ラヴェンナはそう告げた。
「え、もうお帰りですか?……あのぅ、家もお庭も荒れ果ててしまいましたが、おば――お師匠様のお墓の周りくらい、すぐに片付けますけど……」
アルメドラの蔓蔦の残骸に埋もれて確認出来無かったが、開けた前庭の片隅にミンドラは眠っていた。ゴーレムに阻まれてここしばらくミランダもお参り出来ていなかったが、以前は毎日欠かさず、花を手向けていた。
当初、ミンドラが遺したゴーレムたちは、暴走せずただ動きを止めていた。暴走の切欠は、ミランダがゴーレムたちを動かそうと干渉した事。
ミンドラの思惑としては、賢者の杖を用いて安全にゴーレムたちを継承させるつもりだったのではないか。それまで下手な事をせず、待っていれば良かったのではないか。
しかし実際には、森の魔女の姉妹の勘違いもあり、どの道上手くは行かなかっただろう。
「……いいえ、別に良いわ。私は名代に過ぎないし、お婆ちゃんはミンドラさんとお話出来たって。」
「え!?」
さすがに、死者が視えるダイ・オフにも、彼らが時間も空間も超えた先で交流する様には気付けない。ラヴェンナの祖母がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
「それでは皆さん、さようなら。……エンジエルさん……また、お逢いしましょう。」
「えぇ、またどこかで。それまで元気でね、ラヴェンナ。」
素っ気無い挨拶の後、少しはにかみながらエンジエルへ送った再会への希望とその応えに、歳相応の笑顔を見せてラヴェンナは歩み去った。一同は、その黒い影が見えなくなるまで見送った。
「さて、それじゃあ、あたしたちも行きましょうか。悪いわね、ミランダ。片付け手伝えなくて。」
手伝わなくて――とは言わない。もちろん、面倒だから――なのは確かだが、これはミランダの仕事だ。ゴーレムを引き継いで、そのゴーレムたちにやらせる最初の仕事だ。彼女が一端の魔女となる為に、避けては通れぬ道。それを邪魔するほど野暮じゃ無い。
「いいえ、とんでもない。とっても助けて頂きました。もし貴女方がいらっしゃらなかったら、今頃どうなっていた事か……」
――と言う事くらい、いくら未熟なミランダでも判る。もう、充分過ぎるほど助けられた。これは本心だ。
「それで……貴方はどうするの?」
水を向けられたシェードは、丁度どこからか帰還したばかりのウーミンを、肩に乗せているところだった。そのウーミンは、やはり意味の判らない聞き慣れない言語で何事かシェードに囁いた後、首をくるくる回して一同を見回し、ぎげぎゃあとひと声静かに鳴いた。
「そうですねぇ……もうこの森も安全みたいですし、旅を続けますよ。あぁ、そうだ。これも何かの縁です。少し御一緒に――」
「いいや、結構だ。じゃあな、傀儡師。」
そう言って、ダイ・オフはさっさと歩き出した。
「え、あ、ちょっとぉ、行っちゃうの?」
「……」
「あ、じゃあ、あたしも行くね。じゃあね、ミランダ。元気でね。シェードとウーミンも。」
振り返りもせず歩み行くダイ・オフの背中を、エンジエルは小走りで追って行く。
「お元気でぇ、エンジエルさん。本当にありがとう御座いましたぁ。」
その手に持った賢者の杖を振り振り、体一杯で別れを惜しむミランダ。その隣で、笑顔で見送るシェード。後を追おうともせず、怪訝な顔で何度か振り返るエンジエルの姿が見えなくなるまで、シェードは胡散臭い笑顔のまま手を振り続けていた。
「ねぇ、良かったの?シェードの事、置いてっちゃって。」
エンジエルが追い付いた背中に問い掛けるが、
「……はぁ、問題無ぇ。いや、むしろ問題ありだ。」
不得要領なダイ・オフの答えである。
「?……どう言う事よ。」
そのまま歩き続けて、
「気にするな。多分すぐに判る。」
納得が出来無いまでも、然りとて何が出来る訳で無し。ウーミンとは気が合いそうだが、共に旅する謂れも無し。
仕方無しにそのまま黙って旅を続けると、答えはすぐにも判明した。
「やぁ、遅かったですね。今夜の宿はもう取ってありますよ。」
森を出た最初の村で、シェードが変わらぬ笑顔で出迎えたのだ。
「け、そんなこったろうたぁ、思ってたけどな。」
「どう言う事よ。」
「どうせこいつは、付いて来るなと言ったって付いて来る。だから、無視すりゃ良いんだよ、無視すりゃ。まこうとしたって、時間の無駄だろうしな。」
ダイ・オフは――男たち三人は、端から何を言っても無駄だと悟っていた。
「ふ~ん……まぁ、良いわ。実際頼りになるんだし、問題無いでしょ。よろしくね、シェード。ウーミンも。」
「ぎげぎゃあ。」
こうして、なし崩し的にシェードとウーミンは旅の道連れとなったのであった。
森を出て最初の村、その宿屋。夜が明けてすぐ、状況に変化が訪れた。
「……また聞こえて来たぜ。まだ少し遠いが、西の方だ。」
聞こえて来た。何が?そう、声だ。ダイ・オフには、古代魔族の遺産が呼び掛ける声が聞こえる。正確には、古代魔族の遺産の存在を感知するダイ・オフ自身の能力であり、それを声として認識しているに過ぎないのだから、遺産の方から呼び掛けている訳では無いが。
「……何が聞こえて来たんです?」
耳を澄ますようにしながら、シェードはそう問い掛ける。
「あ~……ち、面倒だ。おい、エンジエル。新しいお仲間に説明してやれ。」
「もう、しょうがないわねぇ。まぁ、別に良いけど。実はね――」
シェードとウーミンに事情を説明し、ここで旅の目的も明かした。ともすれば、貴重な魔導器を巡り争いになり兼ねない。軽々に明かすべき話では無いだろう。
しかし、シェードである。いくら古代魔族が遺した特級の魔導器とは言え、果たしてこの男にそんな物が必要だろうか。何より、勝手に付いて来るのである。隠し果せる話でも無かった。
「……凄いですね。……うん、やっぱり私には何も聞こえません。」
「ぎげぎゃあ!」
「ウーミンも勘の良い子ですが、何も感じないようですね。」
ウーミンはともかく、この男にも聞こえていない。その事実に、ダイ・オフが声を聞く事態は特別な事なのだと、改めて思い知る一同。
「それにしても、古代魔族ですか。確か、アルメドラさんとの会話にも出て来ましたね。……面白い。」
「面白い?」
「あ、えぇ、そうです。私これでも博識な方なんですよ。その私が、魔族はともかく古代魔族なんて聞いた事もありませんでした。……あちら側にはいなかったよな……いや、実に面白い。どんな種族だったんでしょうね。」
ぽつり呟いたあちら側とは、多分海の向こうの事だろう。エンジエルたちはそう思ったが、今回はそれで正解であった。
「さぁな。千年前の最強吸血鬼を魔導器の素材にしちまうような奴らだ。余程の化け物だったんじゃねぇか。」
「ふむ、確かに。……一度、詳しく調べてみたいですね。」
「……少なくとも、俺が過去に読んだどの書物にも、記されてはいなかった。ダイナスで話を聞かなければ、知る事も無かったろう。」
まだ故国で一時幸せに過ごしていた頃の習慣で、デュースは機会さえあれば書に眼を通すようにして来た。そんなデュースでも知らない事ばかりが起こったのが彼の地であった。数百年前の世界がそのまま残っている場所など、他にはきっと世界の何処にもありはしないだろう。であれば、古代魔族について調べる方法など、この世に遺されているのだろうか。
「まぁ、手掛かりはある訳ですよ。声――が聞こえるのでしょう?」
「なるほど、確かにな。古代魔族の遺産は共通した姿形をしていない。中には、古代魔族に繋がる何かを得られるような、そんな遺産も存在するかも知れないな。」
「ふ~ん……まぁ、良く判らないけど、とにかく旅の目的なんだもん。どの道遺産探しはする訳よ。で、西なのね。」
「ん?あぁ、そうだな。大体西だ。まだ遠過ぎて良く判らんが、もう少し近付きゃはっきりして来んだろ。」
「それじゃあ、早速西へ向かいましょ。次の街で、西にある国について調べましょう。目的地が判るかも知れないわ。」
そうして、次の街で周辺地域の事を調べた。アガペー王国の周辺諸国のさらに南西に位置する、ヴィルドアード王国。名前の由来は、健国王トマス・ヴィルドアードから。世襲制なので、現王もヴィルドアードである。
王国制だが、王家の力はそこまで強くない。何故なら、王国軍全体では十軍団、兵三万を誇るが、王家直属の軍団はその内三軍団のみだからだ。他の七軍団は、有力貴族それぞれが一軍団ずつ組織していて、軍団を持つ七人の有力貴族が諸侯会議を構成し、万事諸侯会議を通さねば政治が進まない体制なのである。
その諸侯会議筆頭貴族が、ハンターヴェイル公爵。どうやら位置的に見て、このハンターヴェイル領の領都エルドリードが目的地のようであった。その領都エルドリードは、魔法都市の異名を取る。周辺地域における魔法文化の中心地でもあり、名実共にヴィルドアード王都に次ぐ規模の街でもある。
エルドリードが魔法都市である事から、ハンターヴェイル公爵家の軍団に随伴する魔導士の数は、他に類を見ない規模だ。騎兵の数で王国軍に劣るものの、魔導士の支援魔法を受ける事が出来る上、少数とは言え一部をドワーフ戦士団が構成している事から、ヴィルドアード一の軍団との呼び声が高い。
――魔法都市。古代魔族の遺産が眠るに相応しい街と言えるだろう。
そんな目的地が判明した翌朝、さらなる状況の変化が訪れたのである。
「おい、どうしよう。どうしたら良い。あぁ~、どうしたら良いんだ!?」
旅路にあっても、身嗜みはさぼれない。何しろ、デュースと一緒にいるのだ。少しでも好く思われたいのが、乙女心と言うものだ。だからこそ、エンジエルの朝は早い。連れ立ってからこっち、エンジエルがデュースやダイ・オフより遅く起きた朝は無い。
その日も先に起きて身嗜みを整えたエンジエルは、宿の一階、飲食スペースで寛ぎながら、男連中が起き出すのを待っていた。そこへ落ち着き無くやって来たのが、挙動不審な様子のダイ・オフであった。
「……どうしたのよ、そんなに慌てて。変よ、あんた。」
その言葉に怒ったものか、足早にエンジエルの許までやって来たダイ・オフ――であったが、やはり様子が変だ。
「あぁ、エンジエル。そうだよ、エンジエルだ。ほら、今目の前にエンジエルがいるぞ。なぁ、早く起きて来いよ。どうしたんだよ、一体。」
「……変よ、あんた。」
どうもおかしい。どうやら、目の前のあたしに語り掛けている訳では無さそう。こんなダイ・オフ、初めてね。
面白いものが見られた――などとは思えなかった。確かに様子はおかしいが、真剣そのものだ。いや、深刻だ。まるで、あの日のデュースのよう。ダイナスの地下、クロドコレクターの人形によって過去に直面させられ、泣きじゃくったあの――
「なぁ、どうしよう。デュースが……デュースが起きて来ねぇ。呼び掛けても答えねぇ。こんな事――こんな事一度も、今まであった事無ぇ。」
そう語りながら、落ち着き無く右往左往するダイ・オフ。その背には、デッド・エンドすら負っていない。デッド・エンドの意思によって、直ぐ様飛んで来られるとは言え、今まで一度だってデッド・エンドを置いて来た事は無かった。当然だ。傭兵にとって、剣は命そのものだ。魂である。肌身離さぬものなのだ。
「ねぇ、落ち着いて。何があったの?ちゃんと説明して。」
エンジエルは立ち上がり、ダイ・オフの肩を掴んで詰め寄った。何とか弱い事だろう。ダイ・オフは、まるで小さな子供のように、エンジエルの力にもよろめき掛けた。膝に力が入っていない。
「だから……判らねぇ……判らねぇんだよぉ、何が何だか。」
「ダイ・オフ、あんた……」
エンジエルは絶句した。その紅い瞳が潤んだ様子は、信じられぬ光景であったから。
「一度部屋に戻りましょう。少し出立が遅れそうだと、女将さんには言っておきましたから。」
そこへシェードがやって来た。尋常ならざる事態と判断したようだ。
「そ、そうね。ほら、ダイ・オフ。詳しく話を聞くから、部屋に戻るわよ。」
エンジエルが肩を抱き、非道く弱々しいダイ・オフを部屋へと連れ戻す。エンジエルの頬にも、伝うものがあった。震えている。あのダイ・オフが、か弱いエンジエルの腕の中で、その肩を震わせている。エンジエルの心も掻き乱される。
部屋へと至り、後ろ手に扉を閉めたシェード。
「……何があったか……薄々は感じているのでしょう?貴方も感じるはずです。デッド・エンドさんも。」
ダイ・オフは、エンジエルに支えられながら、何とかベッドに腰掛けた。
「どう言う事?何か心当たりがあるの?」
エンジエルの言葉は、シェードに向けられていた。
「……魔法――絡みって事ね。」
ダイ・オフにデッド・エンド、そしてシェードに何か心当たりがあると言うなら、そう言う事なのだろう。
「あぁ、魔力の痕跡は感じる。だが、俺たちは魔法使いじゃ無いからな。判るのは魔力が働いていると言う事だけだ。お前の方が何か判るんじゃないのか?錬金術師なんだろう。」
ベッドに立て掛けられたままのデッド・エンドが、シェードへと問い返す。そうだ。この中で、シェードだけは魔法の専門家と言える。
「そう――ですね。私の専門分野では無いと思いますが……今も魔力は働き続けています。目覚めない――と言う状況から判断すれば、眠った相手に働き掛ける魔法による襲撃……」
ぴく、とダイ・オフの肩が跳ねた。
「襲撃?……」
「……えぇ、何某かの魔力の痕跡のみで、今はもう残滓のみ――と言う事であれば、呪いの類いも考えられますが、未だ魔法効果が継続中。襲撃は今も続いていると考えられます。」
「え~と……つまり?」
「つまり、今もデュースさんは、襲撃者と夢の中で――もしくは精神世界で戦っているのではないでしょうか。」
「戦って――いる……」
非道く小さかったダイ・オフの背中が見る間に隆起して行くように、エンジエルには感じられた。きっ、とシェードの方を睨み付け、
「デュースは今、敵と戦ってるんだな。」
「……恐らく。」
「相手について、何か判らねぇか。」
「そうですねぇ……状況から考えて、例の魔法都市――エルドリードでしたね。無関係とは思えません。」
「え?!どうしてそうなるの?」
シェードは、静かにエンジエルの方へ向き直って、
「深淵を覗く者は、深淵からも覗かれている。」
「?何、それ。」
「なるほど。声だな。」
古の吸血鬼ハンターには、ぴん、と来るものがあった。
「はい。声が聞こえ出した。そしてこの状況です。伺った話では、古代魔族の遺産が覚醒していても、声が聞こえる事はあるのでしょう?もしダイ・オフさんが遺産の存在に気付いた事に、遺産の所有者の方も気が付いたなら。」
かつて、古代魔族の遺産猿王は、自らの意思で別の主となるべき者を呼び寄せようとした。現所有者が不適格者であった為、猿王自身がその状況から逃れようとして。結果、その呼び掛けをダイ・オフは声として聞いた。そこに魔力的な繋がりが生じているなら、互いの存在を感じ取ったとて不思議は無かろう。
「だけど、その所有者が今もデュースと戦ってるなら、あたしたち何も出来無いじゃない。」
「……専門じゃ無いのであくまで推測ですが、相手の精神世界に入り込むなんて、生身のままで出来る所業とは思えません。となれば、術者本人の体はどこかで眠っている――もしくは仮死状態なんじゃないですかね。」
「仮死状態?」
「えぇと、まぁ寝ているのとあんまり変わりはありません。意識が戻らず、まるで死んだように眠っている状態の事です。」
医学――なんてものは、それこそ魔法など存在しない、科学が発展したような世界でしか研鑽されない傾向にある。あんまり意識されなくて当然か。シェードはたまに、自身の認識とその世界の住人の認識との違いに戸惑う事があった。
「て事ぁ、その術者を見付けてぶった斬ってやりゃあ、デュースは助かるんだな!」
いつもの調子――いや、それ以上の闘志に燃え、ダイ・オフが立ち上がった。
「で、そいつはその何とか言う魔法都市に居やがるんだな!」
「え、えぇ、多分そうだと思います……」
「多分?」
「あ、いえ、魔力の痕跡を辿れば確認出来ると思いますが、十中八九間違い無いでしょう。」
「よっしゃあ、行くぜ、エンジエル!」
デッド・エンドを引っ掴み、荷物も背負ってさっさと部屋を出て行くダイ・オフ。それを呆気に取られながら見送ったエンジエルだが、
「ふぅ、ま、取り敢えず、ダイ・オフが元気になって良かったわ。ようやく、あいつらしくなった。……良し!」
こちらも元気にすっく、と立ち上がって、
「行くわよ、シェード。ウーミン。遺産探しの前に、デュース救出よ。」
「ぎげぎゃあ。」




