38話『顔を出す』
緊張の糸が切れたからか、佳奈は机に突っ伏して眠っていた。
俺は彼女をお姫様抱っこでソファーまで運び、薄い毛布をかけて、眠らせた。
洗い物等の細かい作業をしていると、あっという間に時間は過ぎる。
時の流れとは本当に早いものだ。
「おーい、佳奈さーん。おーい」
俺はソファーで眠っている佳奈を揺らす。
「佳奈さーん。起きないと襲っちゃうぞー」
と、声をかけもう一度揺する。
すると、目を擦りながら起き上がった。
小さな欠伸をして、目からは一粒の涙を流す。
「襲う? 同意の上になっちゃうよ?」
と、笑う佳奈。
「冗談です」
なんか寒気がしたので丁重にお断りしておく。
やっぱりね、体の関係って付き合ってから持つべきだと思うんだ。
例え一度ヤったことある相手だったとしても……ね。
「そろそろ帰れよ」
「……? げ、もう外真っ暗じゃん」
「普通に夜だぞ」
二人で窓の外を見つめる。
幾つかの星と、輝く月。
「週刊誌に情報が流れたら、私有名人になれるかな?」
寝惚けているのか、意味のわからない事を言い出す。
「佳奈の危惧してたあの男の取り巻きからは有名人になるかもな」
「世間的には?」
「流石にプライバシーの保護とかなんとかで、身元は隠されるだろ。だから、有名人にはならねぇーよ」
なんか残念そうな顔をしている。
有名人になりたいのだろうか。
承認欲求なんかはSNSでパクリ呟きでもしておけば良い。
「そろそろお暇しようかな」
「うん、そうしてくれ」
流石の俺もちょっと疲れた。
ここ最近で一番、頭を使った気がする。
使った上に結局、彼女を信用すべきなのか否かという答えにも辿り着けていない。
ま、もう投げやりに信じても良いんだけど。
「そうだ。送ってこうか」
「大丈夫だよ。そこまで迷惑かけられないし」
佳奈は首をぶんぶんと横に振る。
「夜道を女性一人で歩かせるわけにもいかないだろ」
「こんな顔じゃ襲われないよ」
「怪我人なら尚更放っておけないだろ」
もう外は真っ暗だ。
こんな中女性一人で歩かせるのは、確かにどうかと思う。
男としてここは家まで送ってやるべきだろう。
「えーっと……。じゃあ、お願いします」
佳奈は申し訳なさそうに頭を下げた。
「じゃあ、行くぞ」
「早くない?」
「早いに越したことはないだろ」
「それはそうだけど……」
ブツブツ言いつつも、佳奈はソファーから降りて、ぐーっと気持ちよさそうに背を伸ばし、帰宅の準備に取り掛かる。
口では不貞腐れてても、行動は素直なのは可愛いポイントだ。
俺たちはそのまま家を出て、栗原邸へと向かったのだった。
◇
栗原邸へと到着する。
俺はここへ来るまで少し考え事をしていた。
内容は至ってシンプル。
佳奈と佳奈ママと佳奈パパの仲が険悪になったのは間違いなく俺のせいであること。
であるならば、俺が間に入るべきなんじゃないかと考えた。
これは俺に課された使命であり、義務である。
つまり、やらなきゃいけないのだ。
ということで、インターホンを鳴らす。
佳奈はお前何してるんだというような目でこちらを見つめている。
「なにしてんの?」
遅れて、佳奈はそう言葉を口にした。
レスポンスが遅い古めのパソコンかよ。
「佳奈の親に会いに行く」
「え、なんで?」
驚くわけでもなく、怒るわけでもなく、引くわけでもない。
ただ、ボソッとそう呟くだけ。
困惑という感情が一番近そうだ。
「なんでって……。佳奈と佳奈の両親の仲を拗らせたのは俺なわけじゃん? それくらい自分で尻拭いしなきゃなって」
「別にそこまで気使わなくて良いよ。私が解決しなきゃいけない問題だと思うし」
「ってもなぁ。ほら、もう佳奈ママが見えてるぞ」
と、俺は玄関の扉を開ける佳奈ママに軽く会釈をする。
佳奈は咄嗟に左目を手で覆いながら、玄関の方を見て、小さくため息を吐いた。
「久しぶりね」
「ご無沙汰しております」
結局また一ヶ月ほど時間をあけてしまった。
いつも、久しぶりと挨拶をしている気がする。
ま、知り合いの両親ってそんなもんか。
幼馴染とかなら話は別かもしれないが、そういう訳でもないしな。
「佳奈とまた仲良くしてくれてるのね」
「色々と解決したので」
と、嘘を吐く。
まだ解決はしていない。
この問題が解決したと、堂々と宣言できるのは、長谷川が社会的に死んだタイミングだろう。
正確に言うのなら、警察に捕まるなり、ワイドショーやニュース番組で取り上げられ、長谷川周りの人間も不幸になるタイミングだと思う。
佳奈の本気度を確認する物差しにもなるわけで。
まだ、佳奈が何か企んでいるのであれば、ここで長谷川はくたばらないはずだ。
そうか。
まだ、無理に信用する必要も無いのだ。
とりあえず、上辺の付き合いだけしておけば良い。
「そう、それは良かったわ。さ、上がって」
佳奈ママはそう言うと一足先に家の中へと入る。
「んだよ、思ったより険悪じゃないじゃん」
「けーちゃんが居るからでしょ。良い顔したいんだよ」
いや、うん。
そうなんだろうけどさ。
でも、言ってやるのはやめようぜ。
親の顔が立たないからさ。
「おじゃまします」
佳奈の言葉には触れないのが正解だと思い、敢えてスルーを決め込む。
なんか不服そうに頬をふくらませながら後ろをちょこちょこと着いてくる。
まるで、産まれたばかりのヒヨコだ。
じゃあ俺はニワトリになるのか?
リビングに向かうと、佳奈ママが既にお茶の準備をしてくれていた。
手際が良すぎる。
流石、大人だ。
全員を座らせてから、飲み物を準備し始める俺とは大違いだな。
「良かったら、これも食べてね」
佳奈ママはモンブランを机上に置く。
一つだけ。
「大丈夫。それも佳奈のだから」
佳奈ママはなぜか佳奈の食べ物を差し出す習性がある。
ショートケーキといい、モンブランといい。
絶対に後で怒られるだろ……と、佳奈の方へチラッと視線を向ける。
怒っているわけじゃなかった。
ただ、羨ましそうに見つめるだけ。
君、怒る権利あるからね?
そんなことを思いつつも、口へ運ぶ。
やっぱり、誠意は無下に出来ないからね。
それに、佳奈の前で置きっぱなしはちょっと可哀想だから。
待てされた犬みたいな表情されたら、もう食べるしかないでしょ。
「あーっと。佳奈のことはあまり怒らないであげてください。もう、解決したので」
とりあえず穏便に済ませたいので、それっぽい言葉をかけておく。
「そう……。けーちゃんがそう言うなら」
許せないというような雰囲気は出ているが、仕方ないと妥協してくれたらしい。
ま、俺が良いと言っているのに怒り続けるのは、ただの暴走だからね。
「それよりも、佳奈。なんで左目隠してるの?」
そりゃそうだよな。
ずっと、左目を抑えていたら聞かれるのも無理はない。
てか、隠し通すつもりだったのだろうか。
「例の男に殴られたみたいで」
佳奈の反応を見るにはちょうど良い。
ここで何か誤魔化すなら、もう黒確定だ。
人狼ゲームであれば真っ先に吊られる所。
「ふーん、見せて?」
佳奈はゆっくりと腫れている目を見せた。
「ちゃんと殴られちゃったのね。後で警察行きましょう」
「そのつもりだったけど」
「病院も予約しなきゃね」
「うん」
特に誤魔化したりしない。
むしろ、これでもかってくらいしっかりと向き合っている。
黒ならちゃんと黒って分かるような行動をして欲しかった。
これじゃあどっちなのか判断できない。
モヤモヤしながら、しばらく居座って、そろそろ帰ろうかなって頃合。
玄関の扉が開く音が聞こえた。
どうやら、佳奈パパが帰ってきたらしい。
「お疲れ様です」
リビングに見えた佳奈パパに対して、頭を下げる。
タイミング悪かったなと、思いつつも、佳奈ママにかけた言葉に似たような言葉をかけておく。
「慧斗くんじゃないか。仲直りしたのか?」
「一応しました。なので、もう怒るのはやめてあげてください」
「終わったなら特に俺から言うことも無いからな」
と、頷く佳奈パパ。
しかし、すぐに形相を変える。
「佳奈。その目どうしたんだ?」
「殴られた」
「誰にだ?」
「……」
ふーん。
そっか、ここで黙るんだ。
佳奈ママには言って、佳奈パパには黙る理由が分からない。
最終的には佳奈パパへ情報が流れると思うのだが……。
深いこと考えていないだけなのだろうか。
「浮気相手です」
やはり裏で何かあるのだろうと勘繰ったタイミングで佳奈は口を開く。
結局、どう捉えれなよ良いのだろうか。
こういう意味あり気な行動が、さらに怪しさを増長させている。
「そうか……」
佳奈パパはそれだけ口にすると、荷物をソファーへ投げた。
「分かった。今すぐそいつを殺しに行こう。佳奈の為なら刑務所に入る覚悟もできてるぞ」
と、今すぐ出ていきそうな佳奈パパを佳奈ママが掴んで、引き止める。
「パパ。私もあの人には死んでもらいたいけれど、お金が無くなるのは困る」
冷静過ぎる反応だ。
佳奈パパが刑務所に入る覚悟できていても、残された方は困る。
「お前もお前だぞ。何黙って殴られてんだ。少しは抵抗しろ、抵抗! ってか、死んでもらいたいって思うのは慧斗くんであって、お前じゃないだろ」
「私だって被害者――」
「被害者ぶってんじゃねぇーぞ。お前は加害者でもあるんだからな。慧斗くんが許そうとも、その気持ちは絶対に忘れるなよ」
佳奈パパはヒートアップした頭で娘に的確な説教をする。
娘が殴られたのにも関わらず、被害者だと庇わないのはやはり佳奈パパの人格なのだろう。
きっと、俺が居なかったら反応は変わっていたのかもしれない。
それでも良い。
佳奈パパは間違いなく俺の味方なんだなってのが分かったから。
それだけでも大きな収穫だと俺は思う。
だからこそ、しっかりと伝える。
「命こそありますが、社会的に死ぬ予定なので大丈夫ですよ」
「どういうことだい?」
「あー、なんか週刊誌に情報売るらしいですよ。どうもあの男の父親が議員で祖父が大企業の社長らしいので」
「慧斗くんも悪い男だな」
佳奈パパは楽しそうに俺の肩を触る。
「アハハ、僕が考えたわけじゃないんですけどね」
反応に困り、髪の毛を触りながらとりあえずペコペコ頭を下げる。
そこから話は普通の世間話へ移った。
八割方は週刊誌についてなんだが。
アイドルがスクープされてたとか、お笑い芸人がスクープされてたとかそういう話だ。
そろそろお暇しようかなと、思い立ち上がる。
「じゃ、僕はこの辺で」
「ご飯食べて行かない?」
「いや、大丈夫です。この後寄らなきゃ行けない場所があるので」
「そっか。残念。またいつでも来て良いのよ?」
「慧斗くんは、佳奈の恩人だからな。
でも、ウチの娘がまた何かしたら遠慮なく教えてくれ」
「何かあればその時は」
と、笑いながら玄関まで歩く。
佳奈と佳奈ママと佳奈パパが玄関までやってきた。
「それじゃあ。佳奈を見守ってあげててください。お邪魔しました」
俺はそう言って、栗原邸を後にしたのだった。
用事なんて無いので家に帰る。
こういうのはメリハリが大事なのだ。
そう自分に言い聞かせて。




