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9.即席仕立てのシンデレラ

 声の主はこの屋敷の女主人、ヨハンナだった。見たところ、エルよりも4、5才上くらいだろうか。

 髪の毛や目の色はクリスティーヌとは異なっていたが、従姉妹というだけあって、どことなく目元が似ている。そしてなかなかの美人だ。


 待っていたのよと言いながら、彼女はゆっくりと階段から降りてくる。

 しかし、エルの事を見た途端

「大変、びしょ濡れじゃない。こんな所で立っていたら風邪を引いてしまうわ。さあ、中に入って体を温めてちょうだい」

と言って、心配そうな顔をしながら、彼を屋敷へ招き入れた。


 エルが用意された部屋の中に入ると、すでに暖炉が焚かれていた。彼は濡れてしまった雨具を暖炉のそばに置き、自身もその火で暖をとる。


 そして、しばらくすると、デボラが洗面器とお湯の入ったポット、そして白い布を持ってきてくれた。

「さあ、これで体をお拭き。それと客人用の寝巻きを持ってきたから、これに着替えな」

 そう言って、彼女は彼にゆったりとした寝巻きを手渡した。


「所で、いっちゃ悪いけど、あんたそんな服装のまま結婚式にでるのかい? いくら招待状をもっていても……」

 その格好じゃあ、門前払いを食らうよとでも言いたげに、デボラはエルを上から下へと見つめる。

「えっと、こ、これは派手な格好をしているとパリでは強盗に会いやすいと聞いていたので! 大丈夫、明日の衣装はきちんと持ってきています」

 思わぬ指摘に動揺しつつ、エルはカバンから明日の着替えを取り出した。

 だが、華やかなはずの衣装は茶色や黒で汚れており、まるで使い古しの雑巾のようになってしまっていた。


 実は、屋敷に来る途中、急いでいた辻馬車から泥水をかけられていたのだ。

 上手く避けたつもりだったが、カバンには泥がしっかりと跳ねており、さらに雨で濡れていたせいで、いつのまにか汚れが染み込んでいた。


「そんな……」

 エルの顔は青ざめた。

「やだ、汚れちまってるねえ。今から汚れを落とすにしても明日までに乾くかどうか。まあやってみるけど。所で、あんたお夕食は食べたのかい?」

 とデボラが聞く。

 夕食は結構ですとエルが断ると、そうかい。じゃあ今晩はよく休むんだよと言って、落ち込むエルを心配そうに見つめ、汚れた服を手に持ってデボラは部屋を出て行った。


 ……ここまで来たのに、なんてこった。はぁ……

 エルはそう思いながら深くため息をついた。

 そして、置かれていたグラスに持ってきた飲み物を注いでぐいっと飲み干し、椅子に座ってうな垂れた。


◆◆◆


 次の日の朝、天気はすっかり晴れていた。雨は昨日の晩のうちに上がっていたようだ。だが、デボラの顔は浮かない。

「うーん、乾かしてみてもダメだねえ」

と彼女は嘆いた。

 昨日の晩、彼女は洗濯をして部屋干ししておいたものの、泥汚れのほかにカバンの革から染料が落ちたせいで、あまり綺麗にならなかったのだ。


 乾かせば少しはマシになるかと思ったが、逆に輪染みになってしまうだけだった。

 ……可哀想に。あの子のガッカリした顔が目に浮かぶ。そうだ、奥様に相談してみよう……

 そう思ったデボラは、ヨハンナにこのことを話すのだった。


◆◆◆


 時計の針は、もうお昼の12時を回ろうとしている。寝ていたエルは自分の顔の上で、誰かの気配がするのを感じ取った。

「おはよう、よく眠れたかい?」

 その声に反応して、エルはゆっくりと目を開けた。

 だが、目の前にいきなり老女中が現れたせいで、びっくりしてベッドから飛び起き、ずり落ちてしまった。


 昨日はベッドに入ったものの、結婚式に無事参加できるのかが不安で、エルはなかなか眠れなかった。

 しかし、いつのまにか疲れていたせいで意識を失っていたようだ。

「もうっ、脅かさないでよ……」

 エルはベッドに腰をかけ直して、そう声を漏らす。


 すると、窓のカーテンを開けながらデボラがこう言った。

「ところでね。あんたの衣装、やっぱり汚れが落ちなかった。旦那様のを貸すにしても体型が違いすぎるしねぇ」

 やっぱりダメだった、という言葉にエルは唖然とした。

「なんてこった。嘘でしょ……はぁー」

 どうすればいいんだと言う顔をしている。

しかし、ちょっとお待ちとでも言いたげに、デボラは

「でもねぇ、奥様が妙案を思いついたの。今から準備するから、覚悟しとくんだよ」

 がっかりした様子のエルを見ながら、妙に楽しそうにそう言うのだった。


◆◆◆


 い、痛い痛い痛ーーーーーい! と屋敷全体が揺れるくらい、エルの大きな声が響きわたる。

「なんの、これくらいの痛み、出産に比べたら大したことないよ!」

 デボラの叱咤する声も負けじと響く。

「俺は男だから、そんなのわかるわけないよ!」

「うるさいねぇ、とにかく結婚式に出たいなら黙って耐えなさい!」

 二人の別の女中たちから、紐で締め上げられているエルに、デボラはさらにピシャリと言った。

 彼女らが何をしているかというと、エルにドレスを着せつけるために、コルセットで体型を整えていたのだ。


 そのやり取りより少し前の話。

 さあ! この中から好きなドレスを選んで! とヨハンナはエルを彼女の衣装部屋に連れていった。

 何故こんなところに連れてくるのかとエルはヨハンナに聞くと、彼女はニコニコしながらこう答えた。

「デボラから話を聞いたわ。私の夫はぽっちゃり体型だから、あなたが衣装を着てもブカブカでみっともなく見えるだけ。かと言って、この家には他に服を貸せる男性はいないし。でも、幸い、あなたは小柄で声も可愛らしい。だから、今日だけ女の子になってもらいます!ふふっ」


 俺が女の格好だって!? 冗談じゃない! とはじめエルは抵抗した。

「それじゃあ、他に何かいい案はあるのかしら?」

 ヨハンナにそう尋ねられ、エルはうーん……と悩んで策を巡らした。しかし、全く別の案が頭のなかに浮かび上がらない。

 そして、とうとう観念した彼は、ヨハンナの案に素直に従うほかないのであった。


 彼女に案内された衣装部屋には沢山のドレスが置かれていた。ピンク、黄色、山吹色、薄紫、茶色……様々色が目に入る。

 数が多いため、どれにしようかとエルは悩んだ。しかし、たまたま目に付いたある一枚が気にかかり、自然とそれを手に取るのだった。



 女中たちは、なんとかエルにコルセットを身につけさせ、今度は化粧を施していく。頭にはカツラをつけさせられた。

 そして先ほど選んだドレスを着させて貰うと……


「わぁ〜、やっぱり似合うと思ったのよ! 素敵だわ」

 両手を前に合わせ、ヨハンナは自分の予想通りだと嬉しそうに声を上げる。

「本当でございますわねえ、奥様。まさかここまで変わるなんて、私もびっくりしましたよ」

 厳しくエルに声を投げていたデボラも、今は目を細めている。


 二人が褒めちぎっている間、エルは鏡に見入っていた。

 緩やかにアーチを描く眉に、表情によっては可愛らしくも大人びても見える目、スッキリとした主張しすぎない鼻、そしてどこか蠱惑的な唇。異なるのは瞳の色くらいだろうか。

 もし、その場に誰もいなければ、エルは今にも泣き出してしまうかもしれなかった。


 なぜなら、目の前にいるのはもう会えないと思っていた、母親そっくりの自分がいたからだった。

 しかも、エルが選んだのは淡いブルーのドレスだ。彼の母親が好んで着ていたものに良く似ている。それがよりいっそう、母親の事を思い出させた。


◆◆◆


「では、行ってらっしゃいませ、旦那様、奥様」

 デボラはエルとヨハンナ、そして人の好さそうなヨハンナの夫が馬車に乗るのを見届ける。


「短い間だったけどありがとう、デボラ」

 先ほどまでとは変わって、にこやかなエルが別れの挨拶をする。

「こっちもね。楽しかったわ。また来なさいよ」

 デボラはニコニコしながらそう返した。

「さあ、そろそろお時間ですので出発しますよ。はあ!」

 二人の挨拶が済むのを確認し、御者はそう言って馬車の馬に向かって鞭を振るった。


 小さくなる馬車を見ながら、デボラは

 “庶民のような格好の少年に、ドレスを着せ付けて舞踏会へ送り出す” 

 この場面に、自分とおとぎ話に出てくる魔法使いのおばあさんを重ね合わせていた。


 そして、魔法使いが12時の鐘が鳴る前に帰ってきなさい、と灰被りを心配するように

 ……コルセットをキツくしめたせいか、あの子ったら、飲み物しか飲まず出て行きよった。これからが長いというのに、空腹で途中倒れなければ良いけどねぇ……

と気にかけるのだった。

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