8.パリへの家出
クリスティーヌたちが去ってから毎日、エルは例の招待状を今か今かと待っていた。
そしてある日、ついに
「エル! 郵便だよ。えーと、送り主はクリスティーヌ・…」
郵便屋から受け取った手紙の送り主の名をキースが途中まで言うと、ものすごい勢いでエルは手紙をふんだくり、自室に戻って行った。
「ご無沙汰しております。先日は大変お世話になりました。こちらは、式の準備で日々バタバタ……式の日時は……つきましては挙式後の舞踏会にもご参加いただきたくーーー!? おっと!」
思わず大声で驚く。しかし、内容を知られてはまずいため、エルは自分の口を手で覆った。
彼は待ち望んでいた、クリスティーヌからの手紙を読んでいた。中には約束した通り、招待状が入っていた。
日時はどうやら約3ヶ月後のようだ。秋に咲く花を楽しむのに丁度いい季節だ。
そして、てっきり結婚式だけと思っていたのに、舞踏会にまで招待された事に、彼はとても興奮していた。
普通の家であれば、人脈作りにもなるし、ぜひ行って来なさいと送り出してくれるだろう。
だが、エルの場合はなぜかパリに行く事は禁止されていたのだ。仕事とはいえ、父親たちはそこに住んでいるというのに。住所さえ、絶対に教えてくれなかった。
……パリは野蛮な所だ。
ちょっとでも小銭を持っていると知られれば、身ぐるみ全て剥がされる。
それだけに止まらず、金髪の子供の髪の毛はカツラ用に高く売れるから、髪の毛を取るために拉致監禁されて、生きたまま頭の皮から剥がされる。
そして用が済むと息の根を止められ、セーヌ川に無造作に投げ入れられる。そんな恐ろしいことが毎日起きている。
お前にはそんな目にあって欲しくないから、パリには連れて行かないのだよ……
と教えこまれていたのだ。
エルは小さなうちはそれを本当だと信じていたが、今はもう信じていない。
なぜなら村に寄った時に、パリからやってきた旅人に、そんな物騒な所なのかとこっそり聞いたら、大笑いされ、教え込まれていたものが嘘だったと気付かされたからだ。
(旅人に教えられていなくても、大きくなれば自然と嘘だったと気がつくだろうが)
もちろん、嘘を教えられていた事に対しては腹が立った。
だが、それよりも旅人から聞いた話によって、パリに対していつか行ってみたい、という好奇心の方がエルの中で沸き起こった。
そして遂にそのチャンスが到来したのだ。絶対に逃す訳にはいかない。家のみんなには絶対にバレないよう、着々と準備を進まなければ……と彼は思うのだった。
◆◆◆
それから待ちに待った、三ヶ月後の今日が来た。細心の注意を払ったお陰で、キースたちにはパリに行く事はバレていないようだ。
幸いな事に、エルのおじたちもここ最近は忙しいとかでこちらには来ていない。
彼の作戦としては、数週間前から、いつもよりも早めに起きて羊の世話に行くようにした。
こうすることで、この日に早く出るのを不自然に思わせないためだ。
また、帰りも遅くして帰るようにした。
これに関してはキースは口酸っぱく早く帰ってこい、早く帰ってこいとうるさかったが、まだ変に思われていないようだ。
また、パリまでの地図はどうやって手に入れたかというと、村の気の弱そうな人間に金貨を数枚渡し地図をこっそり調達させた。
もう数枚渡したら、近道を教えてくれるというので、念のために渡して教えてもらった。
もちろん、村の乗合馬車を使えばパリに行くのになんて事はないのだが、村人に顔を知られてしまっているため、その案はすぐに却下した。
個人で借りる馬車も、借りたらすぐキースの耳に届くだろう。それに何より乗り心地が最悪なことを知っている。そのために、エルはこんな面倒くさい事をしているのだ。
そして今、仕立ての良いシャツに、金や銀の刺繍が入ったコートや半ズボンなど舞踏会に参加してもおかしくない服の着替(本来ならいつもこちらを着用しているはずなのだが)、飲み物、そしてそのほか必要そうなものを荷馬車に積め、藁で覆い隠した。
また、今回ばかりは本当の心配をかけてしまうため、キース達がパニックにならないように、エルは自室に手紙を残して来た。
だが、思いの外早く部屋に入られて手紙を発見されるのも困るので、規定の時間が過ぎたら書き置きが落ちるように、時計に細工を施す念の入れようだ。
幸い、今日はまだ誰も起きていない。人目になるべくつかないよう、夜明け前に彼は家を出発した。
◆◆◆
村の入り口までもう少しという所、エルは道を外れ、横に広がる雑木林の中に入っていった。
なるべく隠れやすい茂みを探すと、馬から荷車から外し、代わりに荷物の入ったカバンを取り出して馬に取り付けた。
東の空が少し赤くなっているが、まだ雑木林の中は暗い。
彼が用事深く進むと、馬が一匹通れるだけの小道が見えてくる。地図を広げ、道を確認し、パリの方向を進む。そろそろ村の出口に近いようだ。
すると、前方から茶色い馬に乗った人物がやってくる事に彼は気がついた。
どうか知り合いではありませんように!
そう祈りながら目をつぶっていると、相手は彼の目の前で止まった。
……もしかして知り合い? やっぱりこの計画はムリだったか……
そう思いながら恐る恐る目を開けると、相手は道の脇に外れて、無愛想な表情をしつつも右の手を動かしていた。
どうやら、馬が通れないので先に進めと道を譲ってくれたのだ。見たことのない顔なので、この村の住人でもなさそうだ。
エルは軽くお礼の挨拶をし、さっと馬を走らせた。
その後は誰にも会うことがなく、小道を抜る事が出来た。比較的大きな道にぶつかる。地図を見ると村からもだいぶ離れたようだ。
ここら辺なら、さすがに知り合いには遭遇しないだろうとエルは安堵した。薄暗かった空も青色に変わって、夜はすっかり明けたようだ。
耳を澄ますと、微かに水の流れる音がする。きっと川が近いのだ。馬を休ませるのに丁度いい、大きな木も見える。
自分も小腹が空いているし、よし……と、迷う事なくエルはそこに行った。
飲み物を飲んで空腹を満たすと、エルはゴロンと横になり、ふあーと大きなあくびをした。緊張から解放されて、少し疲れを感じていたのだ。
風も心地よく、日が出てきたお陰で温かさも感じられる。自然と瞼が重くなる。
ちょっとだけ、ちょっとだけ……と朝も早い事もあったので、エルは居眠りをした。
◆◆◆
ほんの少し居眠りをしたつもりだった。
だが、エルは頬にポツポツと何かが落ちてくるのを感じた。目をはっとあけると、青かった空はどんよりとした雲に覆われていた。
まずい、雨がくる! と彼は飛び起きた。
そして、懐中時計で時間を確認すると……本当だったらもうパリについていて、ブラブラと軽く観光しているはずの時間だった。
驚いたエルは大急ぎで雨具を羽織り、馬を走らせてパリに向かった。道中、少し道に迷ってしまった事もあって、パリについた時にはすっかり日が落ちてしまっていた。
ポツポツ降ってた雨も、今ではサーッとした雨に変わっている。もちろん観光どころではなかった。
そして、エルは今夜の宿を案内してくれた道先案内人に礼を言い、とある屋敷の扉をドンドンと叩いた。
「すみません!すみません!」
ガチャッと叩いていたドアの開く音が聞こえる。
すると、怪訝な顔をした、白髪だが髪はしっかりまとめている老女中がぬっと顔を出した。
一瞬、エルはビクッとした表情をしたが
「あの、ギプリー伯爵邸はこちらでよろしいですか?」
とその老女中にすぐに尋ねた。
いかにも。と彼女は答えてくれたが、彼のことを疑わしい目つきで見つめている。
それはそうだ。なぜなら、どうみても身なりは庶民風のシャツに長ズボン、しかも雨や泥で濡れた少年が一人だけで立っているのだから。
物乞いに思っているに違いない。
そのため、エルは少し雨で濡れてしまったクリスティーヌからの招待状を差し出した。
すると老女中は、警戒していた顔を驚きの表情に変えて、こう言った。
「まあ! あんたがエルっていう子なのかい。奥様から話を聞いてるよ。それにしても随分と時間がかかったねえ。待ってたよ。でも……まさか一人で来たのかい? お供の人は?」
「供してたものは途中までいたんですが、途中、水に当たってしまって。家に帰らせました。代わりの者を呼ぶのも時間がなかったので一人で来たんです。ハハッ」
エルはとっさに嘘をついて、笑ってごまかした。
それは、それは大変だったねえと老女中が憐れむ声を掛けていると、屋敷の奥から
「デボラ、どなたか来たの? もしかしてエルが来たのかしら?」
と若い女性の声が聞こえてきた。




