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プロローグ

 # プロローグ 白い闇


 雪が痛い。痛かった。


 痛いということは、まだ感じられるということだ。その痛みが薄れていくほうが、よほど恐ろしかった。


 桐生清馬きりゅうせいまは、自分がまだ生きているのかどうか確信が持てずにいた。


 三十六歳だった。


 清馬が最後に覚えているのは、けつくような閃光と一瞬の熱。そして意識の奥にこびりついて離れない金属音。砂の下に埋められた手製の爆弾(IED)。中東で何度も踏みかけては避けてきたものに、最後の最後で足をすくわれた。


 それが生の最後に居座る記憶。暗転――そこで途切れた。


 気がつけば、白い闇の中に漂う意識の断片と成り果てていた。


 痛みも熱も重さもない。ただ、どこまでも白い。発煙筒を焚いた霧の中に放り込まれたような、輪郭のない世界。清馬はそこで自分の死を静かに理解した。三十六年の人生――その大半を戦場か、戦場に準ずる場所で過ごした男の最期にしては、驚くほど呆気ない終わり方だった。


 だから、次に頬へ触れた感覚が「痛み」だったとき、清馬は自分の理解を疑った。


 冷たい。焼けるように冷たい。まさしく生の痛みである。


 意識が急速に浮上する。全身が震えている。歯の根が合わない。何かに刺されているような痛みが指先から這い上がってくる。紛れもなく、生きている人間の感覚だった。


 清馬はまぶたを開けようとして失敗した。睫毛まつげに張りついた霜が邪魔をしている。何度か瞬きを繰り返し、ようやく視界が開けたとき、清馬が見たのは見渡す限りの銀世界だった。


 夜。満天の星。針葉樹の梢が風に鳴っている。


 ――ここは、どこだ。


 考えようとした瞬間、体温が根こそぎ奪われていく感覚に意識が持っていかれた。自分の体を見下ろして、清馬はようやく状況を飲み込んだ。


 一糸(まと)わぬ姿だった。


 装備も衣服もない。任務中に着ていたはずのプレートキャリアも、ブーツも、跡形なく消えている。あるのは雪原に横たわる自分の肉体だけだ。しかも――清馬は自分の手のひらを見て凍りついた。


 骨ばった大人の手ではない。細く小さく、まだ骨格の定まりきらない少年のそれだった。


 ――なんだ、これは。俺の手じゃない。


 腕も、脚も、胸も、腹も。視界に映る自分の体は、清馬が知る三十六年生きた男のものとはまるで別物だった。ひとまわり、いや、ふたまわりは小さい。他人の――子供の体に無理やり押し込められたような違和感。寒さとその異常が相まって、意識がぐらりと揺らいだ。


 細い肌の上に、いくつもの古い傷痕が走っているのがぼんやりと目に入る。どこかで見た覚えがある気もしたが、凍てついた頭では像を結ばない。自分の体が自分の体でない。その一事だけが思考を塗り潰していく。


 ――どうなってる。何が、どうなってるんだ。


 死の間際に見る夢か。それとも酷い幻覚か。清馬はその不条理を前に、ただ戸惑うことしかできなかった。


 分かるのは一つ。凍える。このままでは死ぬ。頭の片隅で、その本能的な警告だけが鋭く明滅していた。


「……は」


 声を出そうとして、かすれた息しか出なかった。低体温症の初期症状。震えが止まらないのは、まだ体が生きようとしている証拠だ。震えが止まったときが本当の終わりだと、清馬は身をもって知っている。凍傷と低体温症の座学も実地訓練も、特殊作戦群、それ以前の冬季レンジャー課程時代に嫌というほど叩き込まれた。


 ――動け。動かなければ死ぬ。


 体を丸め、体幹の熱を逃がさないよう努める。だが十代前半とおぼしきこの体は、記憶している自分の体とはまるで別物だった。筋肉量が足りない。踏ん張りが利かない。サイズの合わない他人の装備を無理やり押しつけられたような感覚が、恐怖よりも先に苛立ちを連れてくる。


 状況を分析する余裕すら、この寒さは容赦なく奪っていく。


 意識が再び白く濁りかけたとき、遠くで犬の吠える声がした。


 清馬は残った力を振り絞り、声にならない声を上げた。獣の遠吠えのような掠れた叫び。届いたのかどうかは分からない。ただ、雪を踏みしめる複数の足音が近づいてくるのを、薄れゆく意識の端で確かに聞いた。


Vānatar(神々よ)……mērva sō?(子供、だと?)


 聞いたことのない言語だった。だが、そこに宿る驚愕の響きだけは何とはなしに理解できた。


 視界の端に、ランタンの灯りと毛皮の外套を纏った大柄な影が映る。


Hīvanna!(雪の中だ!) Rappe,(早く、) rappe!(早く!)


 清馬に覆いかぶさるようにして何かを喚いている。声は男のものだった。太く、しかし焦燥に満ちている。


 首筋に厚い指が押し当てられた。脈を探している。


Vire.(生きてる) Tān(この子は) vire!(生きてるぞ!)


 体が抱え上げられる感覚があった。骨まで凍りついた体に、人肌のぬくもりが直接押しつけられる。清馬の意識は、そこで完全に途切れた。


 *


 次に目を覚ましたとき、清馬は見知らぬ部屋の、見知らぬ寝台の上にいた。


 真っ先に鼻へ届いたのは煙の匂いだった。薪の煙と、それに混じる樹脂の匂い。深く息を吸えば干した草の青臭さも紛れている。天井から吊るされた乾燥ハーブの束が、その出どころだった。


 視線だけを動かす。壁は丸太を横に積み上げて組んである。角の部分は互い違いに切り欠いて噛み合わせてあった。継ぎ目には苔と粘土が詰められ、隙間風はほとんど入ってこない。素人の仕事ではない。この土地の人間が代々この造りで冬を越してきたのだと、その精度が語っていた。


 体を包んでいるのは分厚い毛皮の布団だった。獣脂の匂いがかすかに残っている。重い。だが、その重さがそのまま暖かさだった。下に敷かれているのはわらを詰めた寝床らしい。身じろぎするたび、乾いた音が背中の下で鳴った。


 暖炉で薪がぜた。


「マジで――生きてる」


 清馬はそう理解した。自分の声が少年のものだと改めて自覚する。喉の奥から絞り出した呟きは、当然ながら日本語だった。部屋の隅でつくろい物をしていた女性が、ぱっと顔を上げてこちらを見る。


 くすんだ金髪を後ろで一つに束ねた、四十絡みの女だった。目が合った瞬間、女は繕い物を放り出して寝台に駆け寄ってくる。


Alvi!(アルヴィ!) Alvi,(アルヴィ、) tolka!(来て!) Mērva(この子)……oča lukke!(目を開けたわ!) Oča lukke!(目を開けたのよ!)


 扉の外へ叫び、それからまた清馬の顔を覗き込んだ。


Ošanna sō?(大丈夫?) Kešte sō?(寒い?) Vīna()……vīna sō?(水、いる?)


 清馬にはまるで理解できない。ただ、その声色から安堵と喜びが溢れているのだけは分かった。


 女が身を乗り出したとき、その袖が清馬の頬をかすめた。厚手の羊毛だった。織りは粗く、指に引っかかるほど目が詰まっていない。だが、その粗さが空気を含んで熱を逃さないのだと、触れた一瞬で分かった。染めはくすんだ藍。おそらく草木の染料だろう。裾も袖口も幾度か繕った跡がある。継ぎ当ての糸目は丁寧だった。


 ――貧しくはある。だが、雑ではない。


 清馬の頭の片隅が勝手にそう評価を下していた。この土地の人間は物を使い潰すまで手入れをする。そういう暮らしを代々続けてきたのだと。

 勝手に回転する思考の最中、この女性の話す言語にまるで覚えがないことに思考が及ぶ。


「うわ、マジで言葉通じないんだ。詰んだかも、これ」


 清馬は乾いた笑いを漏らした。笑いでもしなければ、この状況に飲み込まれてしまいそうだった。異国どころか、見知らぬ世界に放り込まれたとしか思えない。


 つぶやきを聞いた女は清馬の額に手を当てたまま、熱を確かめる手を止めず、独りごちるように口を動かした。


Tēn,(あなた、) jēki(やっぱり) tā oskara(この村の) mērva ep――(子じゃないのね――) ep,(いいえ、) Kaleviara(カレヴィアの) mērva ep.(子じゃないのね)…… Tā hume,(この言葉) sēva ep.(知らないわ)


 ほどなくして体格の良い髭面の男が部屋に飛び込んでくる。雪原で清馬を抱え上げた男に違いなかった。


 外から入ってきたその体からは冷気と家畜の匂いがした。上着は毛皮を裏返しに仕立てたもので、毛を内側に向けてある。表面の革は脂で黒く艶が出ていた。何年も着込んで体の形に馴染んでいる。肘には当て革が縫い足されていた。


 男は清馬の顔を覗き込むと、ほっとしたように太い息を吐いた。


「……Jē. Jē.(そうか、そうか) Narva ep.(死なずに済んだ)


 それから女と何事か言葉を交わす。清馬にはやはり理解できないが、身振りから察するに「峠は越えた」といった内容だろう。


 清馬は努めて冷静に周囲を観察した。夫婦らしきこの二人。清潔ではあるが決して裕福ではない木造の家屋。暖房は薪。照明はランタンとロウソク。ここまでなら、前世で言う近世以前の農村と大差ない。


 だが、細部が噛み合わなかった。扉の蝶番ちょうつがい鋳物いものだ。壁に打たれた釘は頭の形が揃っている。ランタンの火屋ほやは歪みのないガラスだった。どれも、家で一つ二つ作るものではない。どこかに、まとめて作る場所がある。


 ――村が遅れているだけか。


 いや、それも家の中しか見ていない以上、決めつけるのは早い。ただ、これだけの品が当たり前に転がっているなら、外にはそれを作る場所と、支える仕組みがあるということだ。近世の暮らしに、工業品だけがぽつぽつ紛れている。ちぐはぐな眺めだった。


 ――この国、どこかで一足飛びに進んだのか。


 答えは、外に出てみないと分からない。清馬は、その引っかかりを腹の底に沈めた。今はまだ、判断の材料が足りなかった。


 民間軍事企業のオペレート中に死んだはずが、気づけば見知らぬ土地で蘇っている。それも現代基準だと――家の中を見た限り――技術や文明に若干の齟齬や違和感があるような場所だ。これだけでも荒唐無稽だが、何より清馬を戸惑わせたのは自分の肉体だった。


 改めて手を、腕を、体をあらためてみても、それは紛れもなく十をいくつか超えた程度の少年の体だった。三十六年生きたはずの自分が、時を巻き戻したように若返っている。


 清馬とて、この手の話をまるで知らないわけではなかった。人並みには漫画も読んだしアニメも観た。任務の合間、狭いコンテナ宿舎で隊の若い連中が回し読みしていた本を借りたこともある。死んだ人間が別の世界で目を覚ます。そういう筋書きが世に溢れていることくらいは承知していた。


 ――まさか、あれか。あの手の。


 そう思い当たった瞬間、清馬は自分の思考を鼻で笑った。三十六年、現実の泥と硝煙の中で生きてきた男が真顔で考えることではない。だが、それ以外に説明のつく理屈も一つとして浮かばなかった。


 ――まあ、思い当たる節があるだけマシだよな。何も分かってないのは変わらないけど。


 別人の体に魂だけが移ったのかとも疑ったが、それにしては奇妙な符合があった。体に残るいくつもの古傷である。改めて眺めれば、位置も形も、生前の自分が負った傷と一致しているように思えた。この体は他人のものではない。若返った桐生清馬自身のものらしい――。決定づけたのは顔を洗うために覗き込んだ、水を張った桶である。

 少年に戻った、まぎれもない桐生清馬自身の顔だったのだ。


 理屈も経緯もまるで分からなかった。死んだはずの人間が、なぜ若い体で異郷に蘇るのか。神の仕業か、何かの現象か。説明する術など何一つない。それでも、生きているという事実だけは日を追うごとに動かしがたく積み重なっていく。数日をかけて、清馬はその受け入れがたい現実と少しずつ折り合いをつけ始めていた。


 そして、清馬は気づいていた。看病するこの夫婦もまた、時折、古傷へ痛ましげな、そして怪訝けげんそうな視線を向けていることに。凍える体を温めるために服を脱がせ、体を拭いた際に目にしたのだろう。まだ十を少し超えたばかりの少年の体に刻まれた、明らかに尋常でない傷の数々。その由来をいぶかしむのは当然だった。


 だが、夫婦はそれを問い質さなかった。ただ、言葉にならない気遣わしさをもって清馬に接してくれていた。むろん、たとえ言葉が通じたところで、清馬は正直に語るつもりなど毛頭なかった。前世で戦場を渡り歩いた末に負った傷だなどと、誰が信じよう。この傷痕の意味を本当に理解しているのは、この世界で清馬ただ一人であった。


 ――死んだと思ったんだ。おまけの人生だと思えばいい。


 清馬はそう自分に言い聞かせた。割り切らなければ前に進めない。そういう図太さが清馬の性根にはいい意味で備わっていた。部隊にいた頃から、絶望的な状況ほど軽口を叩いて士気を保つ癖がある。誰かがそうしなければ隊は簡単に崩れる。清馬はいつもその「誰か」だった。


「セイマ」


 清馬は自分の胸を指差し、たどたどしくそう言った。せめて名前だけでも通じさせたい。


 夫婦は顔を見合わせ、それから赤毛の男が自分の胸を指差した。


Alvi(アルヴィ)


 続いてくすんだ金髪の女が同じ仕草をする。


Sāra(サーラ)


 夫婦は顔を見合わせ、それから声を揃えて言った。


Seima(セーマ)


 発音は少し違った。セイマというより、セーマに近い。だが確かに、清馬の名だった。


 言葉は通じずとも、名乗り合うという行為だけはこの世界でも共通らしい。清馬は自然と口元が緩むのを感じた。孤独ではない。それだけで、この状況はまだ耐えられるものに思えた。


 *


 目覚めてからの数日、清馬は寝室から出ることを許されなかった。


 世話をするのはサーラと、時折顔を出すアルヴィ、それに近隣から手伝いに来る女たちだけ。それでいて、この家には、ほかにも住人がいる気配があった。


 壁越しに、時折、軽い足音が駆ける。年少の、それも複数の。くぐもった話し声や、こらえきれずに漏れる笑い声。そのどれもが、澄んで高い。


 ――子供が、何人かいるな。それも、女の子か。


 気配だけは、そう告げていた。だが、姿は一度も見ていない。時折、扉の隙間から好奇の視線が覗くことはあったが、そのたびにサーラの鋭い声が飛び、気配は慌てて遠ざかった。どうやら、この部屋には近づくなと、きつく言い含められているらしい。


 ――警戒されてる、か。


 無理もない、と清馬は思う。素性の知れない余所者だ。おまけに、この体には、見る者が見れば絶句するような古傷がいくつも刻まれている。年頃の子を持つ親が、我が子を簡単に近づけないのは道理だった。むしろ、放り出さずに介抱してくれるだけ、この夫婦は充分に人が好い。


 だからその日、夕刻の食卓に招かれたとき、清馬はそれを一つの区切りだと理解した。ようやく、警戒が一段緩んだのだと。


 体はまだ本調子ではなかったが、寝台に横たわり続けるよりは、この家の人間を知ることを優先したかった。長年培った現場感覚がそう命じていた。状況が読めない場では、まず人間関係を把握するのが鉄則だ。


 食卓についたとき、清馬は思わず息を呑んだ。


 長テーブルの向こう側に、三人の少女が並んで座っていた。年頃は今の清馬と同じくらい。十三かそこらだろう。


 その瞬間、清馬の思考が止まった。


 異世界だの若返った肉体だの、そんな重大事のすべてが頭から吹き飛んだ。目の前の光景を処理することだけに脳の全部が持っていかれた。


 ――なんだ、これは。


 美しい、という言葉では足りない。整っている、でも足りない。人の顔というものはこんな形に収束しうるのか。造形の一つ一つが、意図を持って配置されたように寸分の破綻もなく噛み合っている。目の位置。鼻梁びりょうの高さ。唇の形。頬から顎へ落ちる線。そのどれか一つでもずらせば、この完成は崩れる。そう思わせるだけの隙のなさ。


 炉の火が揺れるたび、三人の輪郭がゆらりと陰影を変える。その陰影までもがあつらえたように似合っていた。


 清馬は前世で三十六年を生きた。世界各地の戦場を渡り歩き、その道すがら人の顔を数え切れぬほど見てきたはずだった。だが、記憶の中のどの顔を引っ張り出しても目の前の三人には遠く及ばない。物差しが違う。


 一人は燃えるような赤毛を編み込み、意志の強そうな眼差しでこちらを見据えている。もう一人は肩まで伸ばした亜麻色の髪を垂らし、儚げな微笑を浮かべながらも視線をそらさない。最後の一人は腰まで届く艶やかな栗色の直毛を揺らし、快活そうに口角を上げて身を乗り出してくる。


 顔立ちの系統はまるで違う。それでいて、纏う空気の質だけは驚くほど似通っていた。似ているというより――同じ鋳型から生まれた、異なる意匠の彫刻のようだった。


 そして、その彫刻が動く。息をする。瞬きをする。清馬を見て微笑む。


 その事実が、かえって非現実的だった。


 ――生きてる人間だぞ、これ。


 清馬は自分が半ば呆けていることに気づき、慌てて意識を引き戻した。


 むろん、そこに色めいた感情など一片もない。中身は三十六の男である。目の前にいるのはどう見ても十三かそこらの子供だ。そういう対象として見る余地は端からありはしない。ただ純粋に、造形として驚嘆していた。名匠の彫った仏像を前にしたときの、あの感覚に近い。ここまで来ると、もはや美しいというより異様なのだ。


 ――どういう血筋だ、この家は。というか俺、この面子に混ざっていいのかな。


 サーラが三人を順に指差し、名を告げる。


Erika(エリカ)」「Mīa(ミーア)」「Rīna(リーナ)


 三姉妹らしい。年の差は見て取れなかった。前世を含めても、これほど整った容姿の少女を三人同時に、しかもこれほど間近に目にする機会などなかった。手を伸ばせば届く距離。同じ食卓、同じ炉の火。昨日まで雪原で死にかけていた男が、今こうして三人と向かい合っている。


 だが、清馬の意識を最も強く引いたのは別のことだった。


 アルヴィもサーラも、この光景に何一つ気負っていない。娘たちの美しさを誇るでもなく、当たり前のものとして扱っている。


 そして清馬は、そこでもう一つのことに気づいた。この夫婦自身の顔立ちも、決して並ではない。労働に灼けた肌と刻まれた皺の下に、明らかに常軌を逸した造作が隠れている。目を凝らせばそれと知れた。寝込んでいた数日、世話をしにきた近隣の女たちも、皆そうだったのだ。


 ――そういう土地なのか。ここでは、これが当たり前なんだな。


 ひとまず、清馬はそう飲み込んだ。整った顔立ちの民族というのは、前世にもいた。ここもその類なのだろう、と。


 だが、それで得心がいったのも束の間だった。


 その「当たり前」を物差しにしてなお、目の前の三人は、明らかに突き抜けている。皆が美しい土地で、皆と同じ美しさなら、清馬もここまで戸惑いはしない。そうではないのだ。標準そのものが常軌を逸したこの土地で、この三姉妹だけが、その標準からさらに隔絶している。


 ――なんなんだ、この三人は。


 答えは出なかった。ただ、この世界が自分の知る常識とは根本のところで違うのだということだけを、清馬は思い知らされていた。


 エリカと呼ばれた赤毛の少女が、まっすぐに清馬を見つめてくる。値踏みするような、それでいて敵意はない視線だった。


「……Ken sō?(あなた、誰)


 ミーアは物怖じせず、清馬の顔を覗き込むようにして小首を傾げた。


Tuvi,(髪、) kīro.(黒い) Oča mē(目も) kīro.(黒い)


 リーナに至っては椅子から半ば身を乗り出している。


Naite!(見て!) Naite,(見てよ、) Erika!(エリカ!) Tuvi(髪が) kīro!(黒い!) Kuse(どこから) tolka sō?(来たの?) Tais(名前) loine sō?(は?) Āma,(母さん、) tais loine(この子の名前) sō?!(は?!)


Rīna.(リーナ) Rappe ep.(落ち着きなさい)


 サーラの一言で、リーナがしぶしぶ腰を下ろす。


 言葉は分からない。だが、清馬にはなんとなく理解できた。


 ――珍しい顔立ちの子供が拾われてきた。それも、この土地では見たことのない黒髪黒目の少年が。


 好奇心旺盛な少女たちにとって、これ以上ない話題だろう。清馬は苦笑しつつ、努めて人懐こい笑みを浮かべた。言葉が通じない今、表情と態度こそが唯一の武器だ。幸い、その手の愛想には自信があった。修羅場を潜り抜けてきた男ほど、存外そういう軽さを失わないものだ。


 食事の間中、三姉妹は代わる代わる清馬に話しかけてきた。むろん一言も理解できなかったが、清馬は身振り手振りで応じ、時折おどけた仕草を交えて場を和ませた。エリカの警戒が僅かに緩み、ミーアが小さく笑い、リーナが手を叩いて喜ぶ。


「セイマ」


 清馬が自分を指差してそう言うと、リーナが身を乗り出して繰り返した。


Seima!(セーマ!) Seima!(セーマ!)


 食卓の向こうで、アルヴィとサーラが顔を見合わせて目を細めていた。


 ――言葉は、いつか覚えればいい。


 清馬は暖炉の炎を見つめながらそう腹を括った。死んだと思っていた命がこんな形で続くとは思わなかった。だが、生きているなら生きる術を選ぶしかない。特殊作戦群で叩き込まれた生存の鉄則も、結局はそこに行き着く。


 窓の外では、変わらず雪が降り続いていた。

 のちにカレヴィアと知るこの国の、長く白い冬の始まり。

 その冬の向こうで、戦争はすでに国境へ近づいている事など、この時点での清馬には知る由もなかった。 

はじめまして。本作が初投稿となります。


作者に自衛官としての経験はなく、軍事関係の描写は資料を調べたうえでの想像によるものです。至らない点もあるかと思いますが、物語として楽しんでいただければ幸いです。


『戦場のヴァルキュリア』や『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』、『終末のイゼッタ』などの作品が好きで、その影響から本作を書き始めました。


現在、下書きとして十五万字ほど書き進めていますが、プロローグの推敲だけで一週間ほどかかってしまいました。特にルビにはかなり苦戦しました……。


今後は週一回程度の更新を目標に続けていく予定です。

お付き合いいただけましたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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