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男女比1:10の世界で配信はじめました  作者: らいじんぐ


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23/25

第20話 推しを、映画館で浴びる

 試写当日の朝は、少しだけ落ち着かなかった。


 別に初出勤でも面接でもない。ただ映画を見に行くだけだ。しかも行き先は好きな作品の試写会で、普通なら楽しみだけで終わる話でもある。


 でも、今日は少し違った。


 部屋の中で配信をつけるのとは違う。ちゃんと外へ出る。時間を合わせて動く。制度の都合もあって、一人でふらっと行って終わり、という感じでもない。そのひとつひとつが、朝から少しだけ肩を固くする。


「……映画見るだけなんだけどな」


 口に出して、鏡を見る。


 服装は何度か迷った。気合いを入れすぎるのも違う。でも、あんまり適当なのも嫌だ。部屋着のまま始めた配信の日とは真逆で、今日はちゃんと外へ出る人間の格好をしている。


 持ち物を確認する。スマホ。財布。必要な案内。連絡画面。そこまでやって、ようやく少し落ち着く。


 部屋を出る前に、机の方を見た。


 途中まで組んだプラモ。マイク。ライト。棚の上の小物。いつもの配信部屋だ。その中にいる時は普通だったものが、今日は少しだけ遠く見える。


 その代わり、今日はその外へ行く。


 そう思うと、落ち着かないわりに、悪い気分ではなかった。


 待ち合わせ場所に着くと、少しだけ早かった。


 朝比奈さんは、俺より少しあとに来た。人混みの中でも見つけやすい。配信の画面越しで見ていた時と同じで、ぱっと見た時の明るさがある。


「おはようございます」


「あ、おはようございます。すみません、お待たせしてないですか?」


「全然です。むしろ早いですね」


 その一言で、少しだけ緊張が抜けた。


 外で会うのは、やっぱり少し違う。配信の中でやり取りするのとも、メッセージで事務的に話すのとも違う。今日は実際に隣を歩いて、一緒に会場へ行く。それだけのことなのに、思ったより現実味が強い。


「今日はありがとうございます」


「いえいえ。私も普通に楽しみなので」


 さらっと返ってくる。


 重くしない。恩着せがましくもしない。でも必要な確認は先に済ませている。そういうところが、朝比奈さんは本当にうまい。


 移動しながら、会場の話を軽くする。混み方とか、受付の流れとか、気をつけることとか。話している内容自体はわりと実務なのに、朝比奈さんが言うと妙に空気が固まらない。


 制度の都合で、男性一人では気軽ではない外出も、隣に彼女がいるだけでずいぶん違った。


 楽だ、と思う。


 正確には、一人じゃなくてよかった、が近い。


 道中で変に目立つわけじゃない。特別扱いされるわけでもない。でも、そういう小さい気の張り方が、今日は朝比奈さんがいるだけでだいぶ薄くなっていた。


 会場に着いて、案内に従って動く。


 受付。確認。待機。そういう流れを追いながら、ようやく実感が強くなってくる。


 本当に来たんだなと思う。


 部屋の中で好きだと騒いでいたものの続きを、今はちゃんと外で受け取りに来ている。


 それだけで、少し胸が熱くなる。


「緊張してます?」


 朝比奈さんに聞かれて、少しだけ考える。


「してますね。映画見るだけなのに」


「分かります。こういうの、内容の前に空気でちょっと緊張しますよね」


「それです」


 すぐに通じるのがありがたかった。


 好きな作品の試写だから楽しみ、で終わらない感じ。会場の空気とか、外でちゃんと参加する感じとか、そのへん込みで少しだけ落ち着かない。それを説明しなくても分かってもらえるのは、かなり楽だった。


 席について、照明が落ちる。


 そこで、もう余計なことは消えた。


 始まった、と思った瞬間に、意識が前へ持っていかれる。


 大きい画面。暗い空間。腹に来る音。部屋で見る時とは、やっぱり全然違う。同じ作品でも、立ち上がり方が違う。画面の向こうにあるはずのものが、もう少し近いところまで来る感じがした。


 息をのむ場面が何度かあった。


 音が入る瞬間とか、機体が映るタイミングとか、戦闘の圧とか、そういう一個一個が映画館のサイズで来る。好きなものを見ている、というより、浴びている、の方が近い。


 部屋の中で同時視聴した時とは別の興奮だった。


 あの時はコメント欄があって、言葉があって、一緒に反応してくれる人がいた。今日は違う。まず画面と音が来る。そのあとで、やっと気持ちが追いつく。


「……すごいな」


 たぶん、かなり小さい声で言った。


 自分でもほとんど聞こえなかった。でも、それで十分だった。


 部屋の中で見ていた時から好きだったものが、映画館ではもう少し容赦なく迫ってくる。その迫力に単純にやられていた。


 上映中、何度か隣の気配を意識した。


 朝比奈さんは当然しゃべらない。ただ、同じ場面を同じ空間で受けている人が隣にいる、という感覚だけがあった。


 一人で見るのでも、たぶん十分すごかったと思う。


 でも、隣に同じ方向を向いている相手がいると、少し違う。感情の置き場が増える。今のこれを、終わったあと誰かと共有できる、という予感が最初からある。


 それは配信でコメント欄と共有するのとも、また違っていた。


 もっと静かで、でもちゃんと人がいる感じだ。


 上映が終わって、しばらく席を立てなかった。


 照明が戻って、周りが少しずつ動き始めて、それでも体の中にまだ音が残っている。余韻というには少し強い。もう少し、まともな言葉になる前の感覚だった。


「……やばいですね」


 先に口に出たのは、それだった。


 横で朝比奈さんが少し笑う。


「それは、かなり分かります」


「いや、なんか……思ってたより、ちゃんとやばかったです」


「語彙なくなるやつですね」


「はい」


 そこでようやく少し笑えた。


 言葉が足りないのに、足りないままで通じる感じがある。それが妙に心地よかった。


 会場を出たあと、すぐに詳しい感想を言い合う感じにはならなかった。二人とも少しずつ噛みしめながら、ぽつぽつ話すくらいでちょうどよかった。


「あの場面、ずるくなかったですか」


「ずるかったですね。あれで持っていかれない方が難しいです」


「ですよね……」


 そのやり取りだけで、十分だった。


 一人で見終わったあととは違う。コメント欄とも違う。ちゃんと同じ場面を見た相手と、同じ温度で少しずつ言葉にしていく感じがある。


 推し活って、もっと一人のものだと思っていた時期もあった。


 部屋で見る。部屋で作る。部屋で満足する。


 それでも十分楽しい。今もそれは変わらない。でも今日は、その先があった。外へ出て、誰かと一緒に見て、同じ熱を受けて帰るところまで含めて、ちゃんと楽しい。


 それが、思ったより大きかった。


 帰り道、少しだけ足が軽かった。


 疲れていないわけじゃない。外へ出るだけで使う力はあるし、会場の空気も独特だったし、上映の熱量で普通に消耗もしている。でも、それ込みで満足感の方が勝っていた。


 朝比奈さんと別れる前に、もう一度頭を下げる。


「今日は本当にありがとうございました。かなり助かりました」


「いえいえ。私も楽しかったですし」


 その言い方が、いかにも朝比奈さんらしかった。


 助けた側と助けられた側、だけで終わらせない。ちゃんと自分も楽しかった側に戻してくる。その距離感が、最後までありがたかった。


 一人だったら来られなかったか、少なくとももっと固くなっていただろうな、と思う。


 でも今日は違った。


 好きなものに届いて、それに手を伸ばして、実際に受け取るところまで行けた。その途中に、ちゃんと頼れる相手もいた。


 部屋に帰ってきて、ドアを閉める。


 見慣れた空気に戻ったはずなのに、今日は少しだけ違って見えた。机の上のプラモも、マイクも、ライトも、棚の上の物も、全部そのままだ。


 でもその部屋の外で、今日ちゃんと推しを浴びてきた。


 同時視聴をして、プラモを作って、試写招待が届いて、朝比奈さんに頼んで、映画館まで行った。その流れをひとつずつ思い返すと、全部が自然につながっている。


 暇つぶしみたいに始まった配信の先に、今はこういう日がある。


 それはたぶん、かなりいいことだった。


 机の前に座って、少しだけ息を吐く。


 推し活が、もう部屋の中だけのものではなくなっている。見て、語って、作って、外で浴びて、誰かと共有する。そこまで含めて、今の暮らしの中にちゃんと入っていた。


「……いいな、これ」


 素直にそう思った。


 ご褒美とか、特別なイベントとか、そういう言い方もできる。でも、今日はそれだけじゃなかった。


 好きなものを好きでいられることが、ちゃんと生活の中にある。


 それが今の俺には、思っていたよりずっと大きかった。

たくさんの評価、ブックマーク本当にありがとうございます。


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