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男女比1:10の世界で配信はじめました  作者: らいじんぐ


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18/25

第15話 寝坊して、部屋着のまま始めたら

 目が覚めた時、ちょっと嫌な静けさがあった。


 朝というより、もう少し進んだ時間の空気だ。頭が起きるより先に、その感じで分かる。やったな、と思って枕元の端末を見たら、ちゃんとやっていた。


「うわ」


 思ったより普通の声が出た。


 寝坊だった。


 大遅刻というほどではない。でも、いつもの準備の順番がきれいに崩れるくらいには遅い。顔を洗って、なんとなく髪を整えて、部屋の見えるところだけ少し片づけて、ついでに着替えて、それから配信をつける。その流れが今日はだいぶ怪しい。


 起きたばかりの頭で少しだけ考える。


 休むほどではない。遅れて始めればいいだけだ。ただ、この感じだと、いつもの調子までは持っていけない。部屋着のまま、まだ少し寝起きの頭で、とりあえず座ることになる。


「……まあ、今日はもうそれでいいか」


 言ってしまえば少し楽だった。


 誰に許可を取るわけでもないのに、そうやって口に出すと開き直れる。顔を洗って、最低限だけ整える。髪は、正直ちょっと怪しい。部屋着も、別に見せる前提のやつではない。けど着替える時間を気にして、さらに遅くなる方がだるかった。


 机の前に座る。


 マイク。ライト。端に寄せた小物。棚の隅の趣味の物。前よりずいぶん物が増えた机の前に、そのまま座って配信ソフトを立ち上げる。


 タイトルは迷う気力もあまりなく、そのままにした。


『ちょっと寝坊しました』


 これでいいだろうと思って、配信をつけた。


【いた】

【寝坊で草】

【起きたてか?】

【今日かなり寝起き感あるな】


「おはようございます……」


 自分で言ってから、ちょっと声が低いと思った。まだ喉が起きていない感じがある。


【声がまだ朝】

【寝起きじゃん】

【今日やばいな】

【部屋着のまま?】


「まあ、はい。寝坊しました」


 認めたら、コメント欄が少し速くなった。


 なんでそんなに盛り上がるんだと思うくらい、妙に反応がいい。こっちとしては完全に失敗側の報告なのに、向こうはそう受け取っていないらしい。


【これはレア】

【今日だいぶ生活見えてるな】

【今日すき】

【こういうのが一番好き】


「いや、こういうのが一番好きって言われても困るんですけど」


【困るな】

【でも好き】

【ちゃんと失敗してるのがいい】

【いつもより家感ある】


 家感って何だよ、と思いながら水を飲む。


 たしかに今日は、いつもより整っていない。声もそうだし、入り方も雑だ。部屋着のままだし、頭もまだ半分しか起きていない。配信としては、むしろあまり良くない側だと思っていた。


 なのにコメント欄は、そこを雑に喜んでいた。


「いや、ほんと普通に失敗なんですよ。起きた瞬間、あ、やったなってなりました」


【分かる】

【時間で察するやつ】

【終わった時の空気ある】

【社会人の顔してる】


「ああいうのだけ、変に分かるんですよね」


 言ってから、自分でちょっと笑う。


 今の顔でその返しをすると、たぶん少し変だ。自分でもそう思う。でも、そういうズレごと見られているのは前からだ。


【今日いつもより返しが遅い】

【起きてないからな】

【それ込みでうまい】

【いや今日は鈍いぞ】


「鈍いは失礼だな……でも、まあ、鈍いですね」


 認めるとまた少し流れる。


 その流れ方も、今日は妙に柔らかかった。企画回みたいな前のめりさではない。案件回みたいな様子見でもない。ただ、「今日はそういう日なんだな」で楽しんでいる感じがある。


 それが少し不思議だった。


 特別なことは何もしていない。ただ寝坊して、準備が間に合わなくて、そのまま座っただけだ。普通なら隠したい寄りのやつだと思う。少なくとも、わざわざ見せるものではない。


 でも今の配信だと、その失敗まで普通に配信の中に入ってくるらしい。


【寝坊報告助かる】

【助かるではない】

【いやちょっと助かる】

【生活の乱れ見えると逆に安心する】


「安心の基準がおかしくないですか」


【ちゃんとしてる配信もいいけどな】

【こういう日はこういう日で好き】

【今日の湊人かなり“いる”】


「いるって何ですか」


【存在感】

【生っぽい】

【作ってない感じ】


 そこまで言われると、少しだけ黙る。


 作っていない感じ。まあ、それはそうだ。今日は本当に作れていない。作る前に始まった。だからこそ近く見えるのかもしれない。


 そう考えると、ちょっと変な話だった。


 前までは、配信をつける前と後で、少し線を引いていた気がする。配信のために座る、みたいな感覚があった。今もゼロではない。でも今日は、その線がかなり薄い。ただ起きて、慌てて、座った。それだけなのに、もう配信になっている。


 画面の端をちらっと見る。


 机の上にはマイクがある。ライトもある。使いやすい位置に寄せた小物があって、コードがあって、棚には生活用品と趣味の物が一緒に置かれている。最初の頃みたいに、ノートPCだけを置いて座っていた机では、もうなかった。


「……なんか、普通に始めただけなのに成り立ってるの、ちょっと変ですね」


【今さら気づいたのか】

【だいぶそうなってたぞ】

【配信部屋ってそういうもんでは】

【生活に溶け込んでる】


「溶け込んでますね」


 自分で言って、部屋をもう一度見た。


 たしかに溶け込んでいた。配信のために増えた物と、ただ暮らしているうちにそこにある物が、もう自然に同じ画面に入っている。どこからが配信で、どこからが生活か、前より分かりにくい。


 借り物みたいだった最初の頃とは、もう少し違う。


 あの時は、若い体も、部屋も、支援で回る暮らしも、どこか一時的なものに見えていた。とりあえずそこに置かれた生活、みたいな感じがあった。


 でも今は、少なくともこの机の前だけは違う。


 マイクを買って、ライトを増やして、コードに少しずつ慣れて、案件を一回やって、見届け役なんて妙な文化までできた。そのあとで寝坊して、そのまま座って、それでも配信になっている。


 そこまで来ると、もうただ借りているだけの場所ではなかった。


「ちゃんと起きたかったんですけどね、今日は」


【それはそう】

【でも当たり回だった】

【寝坊回、かなり好き】

【こういう日まで配信になるの強い】


「失敗のはずなんですけどね」


【失敗なのは分かる】

【でも見てる側は好き】

【近いからな】

【今日の特別感はある】


 特別感。


 その言い方にも少し戸惑う。


 寝坊して部屋着で出てきただけで、そんなものが出るとは思っていなかった。けど、たしかに今日はいつもより距離が近い感じがある。わざとじゃないぶん、余計にそう見えるのかもしれない。


「……狙ってやることではないですけど」


【それはやめろ】

【寝坊営業は違う】

【たまたまだからいい】

【次は普通に起きろ】


「はい。それは本当にそうです」


 そこは素直に返す。


 コメント欄もそこはちゃんとしていた。面白がってはいるけど、無理に続けろとは言わない。そのくらいの距離感が、今の配信には合っている気がした。


 話しているうちに、頭も少しずつ起きてきた。最初より喉も回るし、返しも戻ってくる。いつもの雑談に近づいていく感じはある。でも今日は、そこに入る前の少しぼやけた時間ごと配信に乗ってしまった。


 それが、妙に残った。


「普通に暮らしてるだけで、もう配信になるんですね」


【なってる】

【だいぶ前からなってる】

【今さら本人が気づく回】

【でもそれはちょっと分かる】


「いや、自分で言うのも変なんですけど。前はもう少し、配信のために座る感じがあったんですよ」


【今は?】

【もう座った時点で配信】

【部屋がそうなってる】

【生活の続きになってる】


 生活の続き。


 その言葉が、今日はしっくり来た。


 そうかもしれない。配信が生活に乗っているというより、生活の続きでそのまま配信になっている。机も部屋も、もうその形に寄ってきている。


 それは少し嬉しかった。


 大きなことじゃない。ただ寝坊しただけの朝だ。いや朝ではないか。もう少し進んでいる。でも、その失敗込みでちゃんと受け止められるなら、この部屋はだいぶ自分の場所になってきたんだと思う。


「まあ……ちゃんと起きるようにはします」


【そこはしろ】

【今日だけの味】

【また見たいけど常態化は違う】

【たまに出るからいい】


「分かってます。今日は事故です」


 そう言うと、コメント欄がまた少し流れた。


 事故ではあった。でも、悪いことばかりでもなかったらしい。企画のあとにこういう普通の回でもちゃんと見てもらえる。しかも、ちょっと失敗した日まで拾われる。


 それなら、今の配信はたぶん思っているより強い。


 机の前で少しだけ背もたれに体を預ける。


 マイク。ライト。棚。部屋着のままの自分。寝坊した頭で始まった配信。そんなものまで含めて、今日はもう成立していた。


「……こういう日まで配信になるなら、悪くないですね」


【素直】

【今日はかなりよかった】

【寝坊から始まる神回】

【言いすぎ】


「神回はやめてください。ただ起きるのが遅かっただけなんで」


【でも好き】

【それでいい】

【普通回の強さある】


 その言葉を見て、少しだけ笑う。


 普通回。


 たぶん、今の俺の配信はそこが一番大事なんだろう。


 配信を切ったあと、部屋はまた静かになった。けど今日は、その静けさが前より自分のものに思えた。


 借り物みたいだった生活の中に、気づけばちゃんと自分で増やした物がある。普通に暮らして、普通に失敗して、それでもそのまま配信になる。


 この部屋はもう、ただ住んでいるだけの場所じゃなかった。


 少しずつ、ちゃんと俺の生活の場所になっていた。

たくさんの評価、ブックマーク本当にありがとうございます。


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