第15話 寝坊して、部屋着のまま始めたら
目が覚めた時、ちょっと嫌な静けさがあった。
朝というより、もう少し進んだ時間の空気だ。頭が起きるより先に、その感じで分かる。やったな、と思って枕元の端末を見たら、ちゃんとやっていた。
「うわ」
思ったより普通の声が出た。
寝坊だった。
大遅刻というほどではない。でも、いつもの準備の順番がきれいに崩れるくらいには遅い。顔を洗って、なんとなく髪を整えて、部屋の見えるところだけ少し片づけて、ついでに着替えて、それから配信をつける。その流れが今日はだいぶ怪しい。
起きたばかりの頭で少しだけ考える。
休むほどではない。遅れて始めればいいだけだ。ただ、この感じだと、いつもの調子までは持っていけない。部屋着のまま、まだ少し寝起きの頭で、とりあえず座ることになる。
「……まあ、今日はもうそれでいいか」
言ってしまえば少し楽だった。
誰に許可を取るわけでもないのに、そうやって口に出すと開き直れる。顔を洗って、最低限だけ整える。髪は、正直ちょっと怪しい。部屋着も、別に見せる前提のやつではない。けど着替える時間を気にして、さらに遅くなる方がだるかった。
机の前に座る。
マイク。ライト。端に寄せた小物。棚の隅の趣味の物。前よりずいぶん物が増えた机の前に、そのまま座って配信ソフトを立ち上げる。
タイトルは迷う気力もあまりなく、そのままにした。
『ちょっと寝坊しました』
これでいいだろうと思って、配信をつけた。
【いた】
【寝坊で草】
【起きたてか?】
【今日かなり寝起き感あるな】
「おはようございます……」
自分で言ってから、ちょっと声が低いと思った。まだ喉が起きていない感じがある。
【声がまだ朝】
【寝起きじゃん】
【今日やばいな】
【部屋着のまま?】
「まあ、はい。寝坊しました」
認めたら、コメント欄が少し速くなった。
なんでそんなに盛り上がるんだと思うくらい、妙に反応がいい。こっちとしては完全に失敗側の報告なのに、向こうはそう受け取っていないらしい。
【これはレア】
【今日だいぶ生活見えてるな】
【今日すき】
【こういうのが一番好き】
「いや、こういうのが一番好きって言われても困るんですけど」
【困るな】
【でも好き】
【ちゃんと失敗してるのがいい】
【いつもより家感ある】
家感って何だよ、と思いながら水を飲む。
たしかに今日は、いつもより整っていない。声もそうだし、入り方も雑だ。部屋着のままだし、頭もまだ半分しか起きていない。配信としては、むしろあまり良くない側だと思っていた。
なのにコメント欄は、そこを雑に喜んでいた。
「いや、ほんと普通に失敗なんですよ。起きた瞬間、あ、やったなってなりました」
【分かる】
【時間で察するやつ】
【終わった時の空気ある】
【社会人の顔してる】
「ああいうのだけ、変に分かるんですよね」
言ってから、自分でちょっと笑う。
今の顔でその返しをすると、たぶん少し変だ。自分でもそう思う。でも、そういうズレごと見られているのは前からだ。
【今日いつもより返しが遅い】
【起きてないからな】
【それ込みでうまい】
【いや今日は鈍いぞ】
「鈍いは失礼だな……でも、まあ、鈍いですね」
認めるとまた少し流れる。
その流れ方も、今日は妙に柔らかかった。企画回みたいな前のめりさではない。案件回みたいな様子見でもない。ただ、「今日はそういう日なんだな」で楽しんでいる感じがある。
それが少し不思議だった。
特別なことは何もしていない。ただ寝坊して、準備が間に合わなくて、そのまま座っただけだ。普通なら隠したい寄りのやつだと思う。少なくとも、わざわざ見せるものではない。
でも今の配信だと、その失敗まで普通に配信の中に入ってくるらしい。
【寝坊報告助かる】
【助かるではない】
【いやちょっと助かる】
【生活の乱れ見えると逆に安心する】
「安心の基準がおかしくないですか」
【ちゃんとしてる配信もいいけどな】
【こういう日はこういう日で好き】
【今日の湊人かなり“いる”】
「いるって何ですか」
【存在感】
【生っぽい】
【作ってない感じ】
そこまで言われると、少しだけ黙る。
作っていない感じ。まあ、それはそうだ。今日は本当に作れていない。作る前に始まった。だからこそ近く見えるのかもしれない。
そう考えると、ちょっと変な話だった。
前までは、配信をつける前と後で、少し線を引いていた気がする。配信のために座る、みたいな感覚があった。今もゼロではない。でも今日は、その線がかなり薄い。ただ起きて、慌てて、座った。それだけなのに、もう配信になっている。
画面の端をちらっと見る。
机の上にはマイクがある。ライトもある。使いやすい位置に寄せた小物があって、コードがあって、棚には生活用品と趣味の物が一緒に置かれている。最初の頃みたいに、ノートPCだけを置いて座っていた机では、もうなかった。
「……なんか、普通に始めただけなのに成り立ってるの、ちょっと変ですね」
【今さら気づいたのか】
【だいぶそうなってたぞ】
【配信部屋ってそういうもんでは】
【生活に溶け込んでる】
「溶け込んでますね」
自分で言って、部屋をもう一度見た。
たしかに溶け込んでいた。配信のために増えた物と、ただ暮らしているうちにそこにある物が、もう自然に同じ画面に入っている。どこからが配信で、どこからが生活か、前より分かりにくい。
借り物みたいだった最初の頃とは、もう少し違う。
あの時は、若い体も、部屋も、支援で回る暮らしも、どこか一時的なものに見えていた。とりあえずそこに置かれた生活、みたいな感じがあった。
でも今は、少なくともこの机の前だけは違う。
マイクを買って、ライトを増やして、コードに少しずつ慣れて、案件を一回やって、見届け役なんて妙な文化までできた。そのあとで寝坊して、そのまま座って、それでも配信になっている。
そこまで来ると、もうただ借りているだけの場所ではなかった。
「ちゃんと起きたかったんですけどね、今日は」
【それはそう】
【でも当たり回だった】
【寝坊回、かなり好き】
【こういう日まで配信になるの強い】
「失敗のはずなんですけどね」
【失敗なのは分かる】
【でも見てる側は好き】
【近いからな】
【今日の特別感はある】
特別感。
その言い方にも少し戸惑う。
寝坊して部屋着で出てきただけで、そんなものが出るとは思っていなかった。けど、たしかに今日はいつもより距離が近い感じがある。わざとじゃないぶん、余計にそう見えるのかもしれない。
「……狙ってやることではないですけど」
【それはやめろ】
【寝坊営業は違う】
【たまたまだからいい】
【次は普通に起きろ】
「はい。それは本当にそうです」
そこは素直に返す。
コメント欄もそこはちゃんとしていた。面白がってはいるけど、無理に続けろとは言わない。そのくらいの距離感が、今の配信には合っている気がした。
話しているうちに、頭も少しずつ起きてきた。最初より喉も回るし、返しも戻ってくる。いつもの雑談に近づいていく感じはある。でも今日は、そこに入る前の少しぼやけた時間ごと配信に乗ってしまった。
それが、妙に残った。
「普通に暮らしてるだけで、もう配信になるんですね」
【なってる】
【だいぶ前からなってる】
【今さら本人が気づく回】
【でもそれはちょっと分かる】
「いや、自分で言うのも変なんですけど。前はもう少し、配信のために座る感じがあったんですよ」
【今は?】
【もう座った時点で配信】
【部屋がそうなってる】
【生活の続きになってる】
生活の続き。
その言葉が、今日はしっくり来た。
そうかもしれない。配信が生活に乗っているというより、生活の続きでそのまま配信になっている。机も部屋も、もうその形に寄ってきている。
それは少し嬉しかった。
大きなことじゃない。ただ寝坊しただけの朝だ。いや朝ではないか。もう少し進んでいる。でも、その失敗込みでちゃんと受け止められるなら、この部屋はだいぶ自分の場所になってきたんだと思う。
「まあ……ちゃんと起きるようにはします」
【そこはしろ】
【今日だけの味】
【また見たいけど常態化は違う】
【たまに出るからいい】
「分かってます。今日は事故です」
そう言うと、コメント欄がまた少し流れた。
事故ではあった。でも、悪いことばかりでもなかったらしい。企画のあとにこういう普通の回でもちゃんと見てもらえる。しかも、ちょっと失敗した日まで拾われる。
それなら、今の配信はたぶん思っているより強い。
机の前で少しだけ背もたれに体を預ける。
マイク。ライト。棚。部屋着のままの自分。寝坊した頭で始まった配信。そんなものまで含めて、今日はもう成立していた。
「……こういう日まで配信になるなら、悪くないですね」
【素直】
【今日はかなりよかった】
【寝坊から始まる神回】
【言いすぎ】
「神回はやめてください。ただ起きるのが遅かっただけなんで」
【でも好き】
【それでいい】
【普通回の強さある】
その言葉を見て、少しだけ笑う。
普通回。
たぶん、今の俺の配信はそこが一番大事なんだろう。
配信を切ったあと、部屋はまた静かになった。けど今日は、その静けさが前より自分のものに思えた。
借り物みたいだった生活の中に、気づけばちゃんと自分で増やした物がある。普通に暮らして、普通に失敗して、それでもそのまま配信になる。
この部屋はもう、ただ住んでいるだけの場所じゃなかった。
少しずつ、ちゃんと俺の生活の場所になっていた。
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