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異世界生活は突然に

 俺は自分を指差してこう言った。

草薙くさなぎつるぎ

 相手から「クシャナギ、ツィルギ?」と言葉が帰ってくる。

「ちがう、ちがうよ、ディック」

 俺は左右に手を振って間違っていることを指摘した。今度はさらにわかりやすいようにもっとゆっくりとした発音を心掛け、自分の名前を口にする。

「く、さ、な、ぎ、つ、る、ぎ」

《ク、シャ、ナ、ギ、ツィ、ル、ギ。これで発音は違うのですか?》

 枯葉色の髪の少年、ディックは不思議そうに首を傾ける。

 俺は頬を掻いた。

 この国の人間には「草薙剣」という発音が難しいようだ。目の前のディックを含め、この国の人間は俺を「ツィルギ」と呼ぶ。

 この館に来て、すでに一週間が経とうとしている。いや、気を失っていた時間を合わせれば、もっと経っているだろう。

 今、俺にわかるのはこの目の前の少年に自分が保護されている状態にあるということだけだった。




****************************************




 どうやら、俺こと草薙剣は異世界にいるらしい。

 薄々、自分が異世界にいるのではないかということには気付いていた。

トラックに轢かれていたはずの俺がどうして田園風景の広がるのどかな田舎にいるのか。電化製品一つない、見知らぬ世界は何なのか。

 初めは信じられなかった。だが、これが現実だ。

俺を保護してくれている彼、ディーデリク・ハイネルはこの館で一番偉い立場にいるらしい。こうして二人が暢気に会話をしている傍らで、メイド服の女性たちが忙しく立ち回っている。

居心地は悪くない。彼女たちが毎日部屋の掃除をしてくれ、清潔な服を着させてもらっている。食事も一日三食もらえて、しかもかなりおいしかった。

俺が意識を取り戻して最初の一日目は、この部屋に食事が運ばれてきた。

初めに出されたスープをおそるおそる飲んだ。俺には言葉もなかった。

俺の表情を見て、すべて理解したのだろう。ディックは満足気に頷いて、彼の傍らに立つ赤毛のコックを見やる。

《おいしいでしょう? マリアの料理は最高ですから》

 心なしかディックの言葉に始終無表情だった赤毛の美女が少しだけ口元をほころばせた気がした。

 二日目からはディックと食堂で食事を摂っている。

 本日のランチは、魚のパイに、根菜がとろけるほど煮込まれたシチュー、日本人の俺の基準からすれば少し固いパンだった。

 それにしても視線が痛い。

 俺はシチューを味わっているふりをしながら、こっそりとディックのほうを盗み見た。

 視線の主はディックではない。彼の傍らに常に立つコルネーリアという男だ。

 長身だからか、余計に投げかけられる視線に圧力を感じる。

 すでに初対面からコルネーリアに嫌われていることはわかった。まるで変質者でも見るような実に失礼な警戒心を滲ませた鋭い視線を会うたびに俺に寄越す。

(俺が何をしたって言うんだ。まったく心当たりがないぞ)

 初めのころは冷や汗をかかされたが、今に関しては呆れている。

《ツィルギさん、このシチューはおいしかったですか?うちの領地で採れた野菜を使っているんです》

自分の言葉を理解してないとわかっていてもディックがよく話しかけてくるから、俺はいくつかお決まりの単語を口にできるようになった。

「ん? ああ、《おいしい》よ。なんか俺の知っているシチューとちょっと味がちがうけど、こういうのも悪くないよな」

 ランチが終わると一時間ほどディックと過ごす。

 若いながらもディックは多忙らしく、一日三回の食事とこの一時間の休み以外は、大概を書斎に籠もって仕事をしているようだ。

《ツィルギさん、今日は散歩にしませんか? 庭師の飼っている犬に仔犬が生まれたようなので。一緒にそれを見に行きましょう》

 俺はコルネーリアに睨まれながらもディックの車椅子の後ろに回った。

 ここ二日、ディックの車椅子を押すのは俺の役目になった。

 反抗期とでもいうのだろうか。ディックがコルネーリアから離れたがっているのに気がついたのは、俺にもそういう時期があったからかかもれない。

 傍目に見ても、コルネーリアという男が始終ディックにべったり張り付いている。もちろん彼の立場上、それは当たり前のことなのだろうが、俺より少し年下なくらいの、日本で言えば中学生くらいの少年からしてみれば、常にお目付け役がいるのが時に煩わしく思う気持ちも仕方のないことだ。

 ある時、日課となってきた一時間の休憩を共に過ごそうとしたとき、部屋にメイドがコルネーリアを呼びにやって来た。

ひどく慌てたようすで今すぐにでもコルネーリアに着いて来てほしそうな素振りをしている。

《コルネーリア、行ってきなよ。僕はここでツィルギさんと待っているから》

 躊躇っているコルネーリアにディック自身が声を掛けた。

《ですが・・・、ディック様》

《行っておいで》

 俺はキッとコルネーリアに睨まれた。それでも、よほど急いでいた件なのか、それともここ数日の俺の何もない態度に考えを改めてきたのか、部屋から出て行った。

 コルネーリアがいなくなった部屋でディックが俺の袖を引いた。

「ディック?」

 悪戯っぽいディックの笑みを見た瞬間、俺は彼の意図を理解した。

そして、実行した。

 頭の中でコルネーリアに怒られるよなという不安もあったが、日頃自分よりも他人を優先する大人びたディックの態度を見ていれば、それほど重要なことにも感じられないような気がした。

「どこに行くんだ?」

 そう尋ねると、ディックが自分で車椅子のタイヤに手を掛ける。

 これもここ数日で気がついていたことだが、ディックは人に車椅子を押してもらうのがあまり好きではないようだった。周りが何くれと世話を焼くが、本当はもっと自分の体を動かしたいようだ。 

 もっとも周りが忙しく世話を焼くにはそれなりの理由がある。ディックはすぐに寝込むのだ。おそらく体が弱いのだろう。それでも回復すれば仕事に励むようだから、彼の大変な立場が窺える。

 俺はディックの好きにさせることにした。俺までディックを心配すれば彼が窮屈なような気がしたからだ。

 結局、その後は廊下に出るところをどんな手を使ったのかあっという間に問題を片付けたコルネーリアに見付かって、二人で仲良く説教をされた。

 だが、あの一件以来、ディックが何をコルネーリアに話したのか、彼の車椅子を押すのは俺の役目だ。

 ああ、視線が痛い。視線に実体があったら今頃俺は蜂の巣になっている自信がある。


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