第28話
『カァァァァッ!!』
「──ん、んん……っ」
コンコンと嘴で窓を叩き早く起きろと急かすカラスの鳴き声でレゼルヴの意識は覚醒する。
聞こえないフリをして二度寝を決め込んだところで魂で繋がった使い魔殿を誤魔化せる筈もなく、彼女は主人が起きるまで一切の緩みなく騒ぎ続けるのだ。
「ふわ……ぁ」
ベッドの上で身体を起こし、欠伸と共に大きく伸び。その間もしつこく騒ぎ続ける使い魔にウンザリしながら起き上がり、窓を開けて彼女を招き入れる。そして専用の木皿に木の実を適量よそって差し出すと、使い魔殿は物凄い勢いでそれを啄み始めた。
オルデン領にいた時は勝手に餌をとって食べていたので世話の必要などなかったが、ヴァイスベルクに来て以降はタンパク質はともかく食物繊維が不足しがち。使い魔殿がお通じが良くないとアピールするので、しかたなくわざわざ餌を購入して与えるようになっていた。ささやかだがこちらで一人暮らしを始めて起きた変化の一つだ。
食事を続ける使い魔殿はそのままに、レゼルヴは昨日井戸から汲んできた桶の水で顔を洗って意識を覚醒させると、竈に魔術で火をいれケトルでお湯を沸かす。
そしてもう一つの掛口で昨日の夕飯の残りの煮物を温めながら、黒パンの塊を食べる分だけ切り分けて皿に並べた。
ちょうどそのタイミングでピーッと音が鳴りお湯が沸いたのでケトルをよけてフライパンを温め、バター、ベーコン、卵を順に投入。蓋をして熱が満遍なく通るのを待つ間に、先に温まったカブと人参の煮物をテーブルの鍋敷きの上に鍋ごとドン。
次いでケトルのお湯を使いまわした茶葉が残っているポットに注ぎ──うん、まだ色が出るからいけるいける。
──カタカタ……ッ!
と、そうこうしている内に火が強かったのかフライパンの蓋が蒸気でカタカタ震えている。慌ててフライパンを火から離し、蓋を持ち上げ中身を確認。
「…………セーフ」
白身の端が多少焦げてはいたが許容範囲だろう。皿を出すのが面倒になったので、切り分けた黒パンの上にベーコンエッグを乗せて朝食の準備完了。
片づけは後回しにして一人きりの席に着き、大地母神に感謝の祈りを捧げて黒パンごと卵をパクリ。
「………うん(モゴモゴ)」
実家の食事とは比べるべくもないが、取り合えず食べれる。
ヴァイスベルクで一人暮らしを始めて三か月。まだまだ家事の腕前は発展途上だが、食材を悉く駄目にして塩と水で餓えをしのぐようなことはなくなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
朝食後。後片付けをして簡単に身支度を整えてから学院へと向かう。
その途中、まだ人通りの少ない通りに知り合いの姿を見つけ声をかけた。
「おはようございます、ファルスさん」
「……ん? ああ、レゼルヴか」
寝惚けまなこで欠伸をしながら反応した青年は、留学初日にレゼルヴと一悶着あったあの受付の見習い魔術師だ。
「随分早いな。朝一の講義にしても大分時間があるだろ?」
「師匠の世話があるので」
レゼルヴがそう答えると、ファルスは途端に同情的な表情になった。
「……お前も大変だな」
「もう慣れました。そっちこそ早いですね?」
「俺は実験の準備をクソ共に押し付けられたんだよ」
「あ~……お疲れ様です」
「もう慣れたよ」
互いに苦笑。
レゼルヴとファルスはこの三か月で大分親しくなっていた。
初対面こそ一悶着あり印象も最悪だったが、話をしてみるとファルスは案外気の良い男だった。
貧しい平民出身で、満足な学びの機会も得られない中コツコツ働いて金を貯め、努力に努力を重ねて学院に入学した苦労人。周囲の富裕層出身の学生たちからは『あの歳でまだ見習い』と馬鹿にされているが、それでも挫けることなく研鑽を積んでいる。
ただ金がないというのはどこまで行っても祟るもので、周囲から薄給で仕事を強引に押し付けられることもしばしば。レゼルヴと初めて会ったのも、年下で同期のボンボンに引き継ぎもなく突然受付を押し付けられたタイミングだったらしい。
ただでさえ貴族や金持ちに振り回され不満が溜まっているところに現れたのが、まだ幼いレゼルヴだ。この年齢で学院に入学できるということはきっとこいつも恵まれたボンボンに違いない──鬱屈した思いが爆発し、ついあんな態度をとってしまったのだと後日ファルス本人から謝罪があった。
事情があったから他人に当たって良いというものでは勿論ないが、自分の半分も生きていない子供相手に素直に頭を下げられる姿勢に好感を持ち、レゼルヴは彼の謝罪を受け入れた。今では同じ下町に下宿を借りているご近所さんとして、余った食事を融通し合う仲だ。
「……俺はホントに慣れてるからいいんだよ。貴族や金持ちの嫌味も、こういう雑用もな。だけどお前さんは一人暮らしも初めてで、自分の飯やら洗濯やらも慣れてなくて大変だろう? お嬢さんの知り合いなら、無理せずお屋敷で世話になったらどうだなんだ? もしお屋敷が居づらいなら実家の兵士もこっちに来てるって言ってたし、そっちと一緒に住むってのもありだろ」
貴族嫌いを公言し、ぬくぬくと恵まれた環境で学べる者を妬みながら、しかしそんな貴族のボンボン相手でもこうして親身に世話を焼いてくれるファルス。
レゼルヴは彼の気遣いに感謝しつつ、何でもないことのように肩を竦めてみせた。
「まぁ、そういうのも含めて師匠の育成方針ですから」
「……アウラ導師か」
「ええ──『魔術師たるもの、その力に相応しい自立した精神を養うべし』」
レゼルヴの言葉に、ファルスは何とも言えない渋面を作った。
「言いたいことは分かるんだが、その導師本人が私生活も仕事もアレだからなぁ……」
「……自立にも色んな形がありますから」
フォローになっていないフォローを口にして、レゼルヴは話題を切り替えた。
「それより、来期の履修登録って明後日からでしたっけ?」
「ああ。登録期限は余裕があるけど、人数がいっぱいになったら期限内でも募集を打ち切る講師もいるから、早めに登録は済ませとけよ──いやまあ、先に手続きしてても、締切後に申し込んだ貴族のせいで押し出されたこととかもあるんだが」
「ハハ……」
影のある表情を浮かべるファルスに、レゼルヴは何とも言えず乾いた笑みを返す。
「取りたい講義は決まってるのか?」
「う~ん、これっていう取りたい講義がある訳じゃなくて、来期は出来るだけ広く一般教養系を履修したいと思ってるんですよね。ほら、僕の知識って大半が独学で自己解釈に偏ってる部分が多いので」
「あ~、お前さん貴族って言っても碌に学問所もないド田舎の生まれだもんな──と、悪い」
「いえいえ、お気になさらず」
貴族相手に領地を馬鹿にしたともとられかねない発言をしてしまい慌てて謝罪するファルスを軽くスルー。
「ともかく実技は師匠に見てもらえるので、最悪そこは後回しでもいいかなって」
「ふむ……まぁ、実技はともかく専攻は早めに方向性を決めといた方がいいぞ。年度や在籍している生徒の数によっちゃ希望してる分野の募集がないことも珍しくないしな。アウラ導師の下で生命魔術を専攻するってんなら話は別だが──」
「無理です無理です」
「……だよな」
即座に否定したレゼルヴに、ファルスは「さもありなん」と頷く。
弟子が師匠の専門分野を専攻するのはごく自然なことに思えるが、何故彼らはそのような反応を見せたのか?
そもそも魔術師が操る呪文は『基礎魔術』『力術』『占術』『心術』『召喚術』『変成術』『幻術』『死霊術』の八つの部門に大別され、見習いはこの八部門のいずれかを選んで専攻するのが一般的だ(ちなみに『基礎魔術』とは呪文の拡大や付与等に関する技術を磨く部門)。
ではこの八部門に名前の無い『生命魔術』はどのような魔術なのかというと、『基礎魔術』『力術』『占術』『変成術』の四部門に跨る高等魔術に分類される。
そもそも生命分野は僧侶たちが扱う神の奇跡の領分で、レゼルヴたち魔術師はこれを極めて不得手としている。そしてその理由は生命というものの複雑さにあった。
魔術師はプログラムされた事象をイメージ通りに引き起こすことは得意としているが、逆に正確にイメージできないことは扱えず、生命のような複雑なものに干渉するのには向いていない。
例えばその昔、回復呪文を開発しようと治癒能力を促進させる呪文を編み出した魔術師がいたのだが、彼がその呪文を怪我をした老人に使ったところ、治癒のために体力を奪われて衰弱死してしまったというのは有名な話。
魔術師の呪文はそうした適当で曖昧な匙加減が苦手だった。
一方、僧侶たちが扱う神の奇跡は、その辺りの調整を信仰という仮想の魔術基盤が代行してくれるため、何となくのイメージで治癒という複雑な事象を実現してしまえる。
僧侶の奇跡にも信仰に沿った事象しか扱えず応用力に欠けるという欠点があるため、これはどちらが良い悪いではなく、あくまで得手不得手の話だ。
話を元に戻すが、生命魔術と言うのはその本来魔術師には扱えない領域を、極まった知識と技術で可能にした超高等魔術。いくら直弟子とは言え一学生に過ぎないレゼルヴが手を出せるような分野ではなかった。
「となると生命魔術はあくまで将来の目標ってことか?」
「や~、どうでしょうね~? 僕が師匠に弟子入りしたのは師匠のお弟子さんの紹介みたいな感じで、別に生命魔術云々に興味があったわけじゃないので」
「そうなのか?」
レゼルヴの言葉にファルスは意外そうに目を瞬かせる。
「ええ。師匠も別にその分野の後継を求めてるって訳じゃないみたいですし、好きに学べと言われてますよ」
「へぇ……」
そもそもレゼルヴが彼女のもとで学べるのは最長でも後五年弱。それまでに彼女の業の全てを受け継ぐのはまず不可能だろう。
「それに講義もそうですけど、来期からは少しバイトも始めなきゃ」
「へ? 親が出してくれるんじゃないのか?」
「仕送りはありますけど、二年目以降の研究費とか話聞いてたらいくらあっても足りないじゃないですか。今の内から少しずつでも貯めとかないと。いいバイトとかあったら教えてもらえません?」
「ああ、そりゃいいけど……でも、お前さんの場合、あんまり負担が重いと授業や生活に影響が出かねないだろうから、どんなのがいいか──」




