サラ
隣ですやすやと眠るアンジェラの艶やかな金髪をなでながら、サラは月明りに照らされる天使の寝顔をじっと見つめていた。
サラが同じ方法でこの家にたどり着いたのは、わずか二か月前だ。一週間は休息にあてたことを思い出し、サラは口元を押さえた。サラは山越えのとき、乗り物酔いのような症状になり、ずっと気持ち悪かったのだ。
アンジェラはいつか自分の元へ来るのは、状況によっては無理かもしれないと諦めていた。少なくとも半年は来れないだろうと思っていたのに、想像以上に早かった。嬉しい誤算だ。
アンジェラから話を聞き、サラはかなり正確にいまの状況を把握できた。
娘をふたりとも失ってしまったあの家は、もはや社交界に居場所はないだろう。アンジェラを目当てに付き合っていた家ばかりだから、アンジェラがいなくなれば付き合いを控えるはずだ。
それでもきちんと付き合っている人や家がいればまだよかったが、両親はそのあたりが下手だった。何度かパーティに出れば、事実を悟るだろう。アンジェラはお金を残してきたと言ったが、どれだけ持つかもわからない。
お金がなくなり、家から宝石やドレスが消えたと騒ぎ立てでもしたら、貴族としての面目が丸つぶれで爪弾きにされる。それをしなくても、社交に必要なお金がないから、ゆるやかに疎遠になる。
そして、ふたりを探す余裕もお金もなくなる。
結局、行きつく先は同じだ。
両親のことを思うと心のどこかが鈍く痛むような気がしたが、それだけだった。サラにとって家族は、かなり前からアンジェラただひとりだった。
・・・
ふたりが暮らし始めてすこしすると、生活もリズムができて落ち着いてきた。アニタにこの家で働かないか声をかけたが、あっさり断られた。
「報酬もいただきましたし、せっかくですから私も旅をしてみようと思います。天涯孤独なんですもの。どこにでも行けるんですよ」
と言いつつも、アニタはしばらく同じ街にとどまるようだった。もうここへは来ないかもしれないから、先に観光しておくつもりなのだ。
この街は広く、いろんな人が暮らしていて、価値観も生活習慣も様々だ。よそ者も紛れやすく、そのぶん治安がすこし悪いが、警邏隊が非常に強くて多い。詰所が近いので、ここの地域は安全なほうだ。
特にサラは一人暮らしの女性なので、警邏隊は意識して見回りを増やし、気にかけてくれている。さらにこの美貌のアンジェラが住むとなると、見回りは増えるだろうが……どこの誰が、どんな行動に出るかわからない。
アンジェラは、外に出ることを嫌がった。今まで同じ家に住んでいたのに、一緒にいることすら出来なかった時間を埋めるように、どこの部屋に行くにも一緒だ。
一緒に慣れない手つきで朝食を作り、おしゃべりしながら食べる。したことのない掃除は時間がかかるが、それすらも楽しい。
サラは誰か雇うつもりだったが、アンジェラが大反対した。いつかは雇ってもいいが、今はとにかくふたりきりでいたいというアンジェラに、サラが折れた。
「でも、せっかくきれいな手なのに」
芸術品のような指先に口づけると、アンジェラがくすくすと笑った。
「私も姉さまの手が好きよ。あたたかくて優しくて、冷たい私の手とは大違い」
アンジェラは冷え性だ。
コルセットでぎゅうぎゅうに締め付けられ血行を悪くし、食事も少なかった。料理はおいしいが、太るとよくないと言われ、満足に食べられなかったのだ。
サラは勉強を許されたのに、アンジェラは貴族名鑑しか与えられなかった。それよりも美貌をみがき、男を喜ばせる話し方や仕草を習得しろと言われていた。
アンジェラにもある程度の知識は必要だと訴えたのに、余計な知識がつくことを嫌がったのか、サラのような家庭教師がつくことはなかった。結局、アンジェラは微笑むだけの人形にされた。それが許せない。
ベッドのなかで指を絡ませ、くすぐりあいながら、サラは切り出した。
「ねえ、アンジェラは結婚する気はある?」
「ないわ。絶対にしない。姉さまとするわ」
「そこで提案があるの。偽装結婚しましょう。いずれ結婚しないと、ひっきりなしに男性を紹介されてうっとうしいでしょう?」
「そうだけれど、絶対にしない」
「最後まで聞いて。この街に、わたしたちの結婚相手にぴったりな人がいるのよ。ふたりは叔父と甥で、お互い愛し合っているのよ。わたしは叔父と、アンジェラは甥と。それぞれ結婚して、この家に住んでもらいましょう。掃除や洗濯をしてもらえばいいわ」
「姉さま! 私に結婚しろと言うの!?」
「そうよ。いい、アンジェラ、すでにこの家は狙われているの。いま警邏隊に見張ってもらっているけれど、一晩に2人は忍び込もうとしているわ」
アンジェラは息をのんだ。
「誰か雇おうにも、その人が襲ってこないとは言い切れない。いいえ、絶対に襲ってくるわ。アンジェラはこんなに可愛いんですもの」
「こんな愛らしい姉さまなら、すぐに襲われてしまうわ!」
「だから、男を入れるのよ。用心棒と家事のためにね。家の向こう側に住んでもらえばいいわ」
この家は、真ん中に中庭がある。中庭を囲うようにぐるりと四角く部屋があり、ちょうど半分で仕切られている。
アンジェラが一人で住みたいと言ったときのためだ。浴室もキッチンもトイレも、全部ふたつずつ。ドアで仕切られて、左右対称の家がふたつ繋がっている構図になっていた。
「わたしたちは結婚できないわ。でも、夫婦みたいに暮らすことはできる。誰かが余計なことをする前の今こそ……いえ、もういろいろ起こってしまっているけれど」
家の前が騒がしくなり、また誰かが引きずられていく音がした。
「傷物にしたから結婚してやろうなんて、信じられないことを言ってくる人間が、たしかにいるのよ。わたしだってアンジェラ以外と結婚するのは嫌だわ。でも、アンジェラはこの家を気に入ってくれたんでしょう? わたしだってそう。旅に出ても、アンジェラと初めてふたりで過ごしたこの家に帰ってきたい」
「……姉さま」
アンジェラはしばし考え、頷いた。
「相手の方は、同性しか愛せないのね?」
「そうらしいわ。愛した人が、たまたま同性で、たまたま血がつながっていただけと言っていたけれど」
「じゃあ、私たちと同じね。結婚相手として見るのは嫌だけど、同じ境遇の、友達になれそうな人だと考えることなら、できるわ」
「今度、会ってみましょう。無理ならやめればいいわ」
それから一年後、サラとアンジェラは、同時に結婚式をあげた。二組の夫婦を、近所の人が祝う。
サラは、横に立つ輝く美しさのアンジェラを見て、喜びで頬をゆるませた。
「アンジェラ、新婚旅行はどこにする? 行きたいところが多すぎて決まらなかったわね」
「ぜんぶ回ればいいのよ! 旅行先で気に入った木があれば買いましょう。中庭にも、木陰がほしいもの」
中庭は、ふたりのお気に入りの場所だ。柔らかい木を組み合わせて作ったカウチに寝そべり、日焼けを気にすることなく太陽と風と浴びるのは、とても気持ちいい。
木陰になる木を一本ずつ植えようと話してはいるが、ひとつに絞り切れていない。
「旅行の思い出になるわね」
「姉さまに似合うものをたくさん買うの! お揃いも素敵じゃない?」
「ええ! これからたくさんいろんなところへ行って、思い出をたくさん作りましょうね」
幸福でたまらないと微笑む姉妹。その両脇にいる新郎たちも、顔を見合わせて微笑みを浮かべている。
この先しばらく話題になる結婚式は、華やかに行われた。
・・・
多様な人種が多く住む街の、中心からやや外れた場所にある家。
最初に住んでいた二組の夫婦はそれは仲睦まじかったが、子宝には恵まれなかった。住人が全員亡くなってしまったあと、サラとアンジェラが可愛がっていた近所の娘が購入した。
すると良縁に恵まれ、子供が3人うまれて死ぬまで夫婦仲がよかった。子供のうち2人が家を受け継ぐと、やはり素晴らしい相手と出会う。それが繰り返され、いつしかその家は、住めば夫婦円満で幸運が訪れると言われるようになった。
様々な人が住み続けたが、家の構造は変わらなかった。いまでも中庭には、サラとアンジェラが選んだ木が、風に揺れながら木陰を作っている。