第3話 『 覚 醒 』
「ほんとに、会わなくちゃダメ?」
最近では珍しくもあるヨルの弱気な言葉が、客間にポツリと落とされた。
ゆったりとした1人掛けソファーに座り優雅なお茶タイム。
こんなステキな場所で美味しいお茶を頂いているんだから楽しまなければと思うものの、この後に待ち受けるであろう最大の試練を前にヨルの気分は絶賛下降中だ。
「会って話をするだけだよ。陛下は気さくな方だから、大丈夫。むしろ今そんなに緊張すると後で馬鹿らしくなるから普通でいいんだよヨル」
どこか遠い目をしながら、グレンが慰めてはいるが、なかなか前向きに捉えられないのも事実。
人に会う。初めての人に会う。それはヨルにとってはレベルの高い試練なのだ。
「そうそう、ウチの陛下は、アッチへフラフラ、コッチへフラフラ、奔放すぎるくらいの方で、探すコッチの身にもなれってぐらい気さくで、ほんとに悩むのは馬鹿らしいですよ?(黒笑)」
ミズトから放たれる黒い気配にドキドキしながらも、2人の言葉から察するに『皇帝陛下はかなりの困ったちゃん』という認識がヨルの中で完成されつつあるようだ。
「ん~~~だとしても、初対面の人と会うのは緊張するよ。しかも皇帝陛下なんだし・・・。」
「ほとんどの人は、皇帝陛下に会うことはおろか、姿を見ることすらなかなかできない。そんな珍獣・・・、失礼、そんな御方に会えるのは運がいいぐらいに思っていたらいいさ。」
(言っちゃったよ、グレン!珍獣だって!)
「「「・・・・・・・・・・・・」」」
2人が、何とか安心させようと必死なのは、いくら鈍感なヨルにも分かっている。
確かに不安はある。
でも、何か・・・、不安とは違う何かを感じるのだ。
心がざわつく。モヤモヤする。王城に入ってからずっとだ。
見られている?包まれている?
ヨルは、その『何か』を探るように感覚を研ぎ澄ませた。
「!!」
・・・違う。これは守られているんだ。城を包み込む暖かな優しい光の波動。
光の波動がさざ波のように絶え間なく降り注いでいる。
ヨルは、やや上向きに視線を固定したまま、息を呑んだ。
「・・・凄い。」
気付いてしまえば、何故気付いていなかったのかが不思議で、それほど自然な守り。
グレンとミズトは、ヨルが何を見て凄いと言っているのかが分かっていない様子だ。
「コレは、知ってる?昔・・・、昔?」
ヨルの様子が少しおかしいことに気付いたグレンは、すぐにソファーから立ち上がった。
まさにその瞬間、客間のドアが、ノックも無く開いた。
「やあ諸君!なかなか来ないから、こちらから来てしまったよ!私は、ライリーク・セス・セラスティリア!この国の皇帝をしてい・・・・る・・・・」
突然の皇帝陛下の訪問に、一同の視線が一斉に集まった。
が、陛下は口をあけたまま不自然な状態で停止していた。
ヨルの瞳が、音がしたほうに行くのは当然。
ライリークの瞳が、見たこともない艶やかな闇色に行くのは当然。
光と闇。昼と夜。
2人の視線が絡まる。
出会いは必然。
今は昔の、誰も知らない忘れられた約束。
どれほど時間がたったのか、ヨルの口から小さな言葉が洩れた。
目の前の、輝く純白の色を纏うライリークを見つめながら、闇色の瞳が切なく震える。
「だって・・・、だってまた、逢うって約束したよね?」
吸い込まれそうな夜の瞳からは、絶え間なく雫が溢れ、頬を濡らしている。
大きく目を見開いたまま固まっていた皇帝は、強張っていた体から力を抜き、ゆっくりとヨルに近寄っていった。
グレンもミズトも2人の異様な雰囲気に、ただ見つめることしかできないでいる。
グレンは、チラリとステラを盗み見ると、先ほどまでと変わらず子犬の姿のまま、ヨルの隣でジッとしていた。
ステラが大丈夫と判断しているなら、問題無い。
ヨルの側まで来た皇帝は、ソファーに座ったまま動けないでいるヨルの瞳を、そっと覗き込むように膝を着いた。
目線を合わせながら、まるで壊れ物のようにそっとヨルの頬に触れ、優しく雫を拭う。
わずかに手が震えてしまい、その振動がヨルの頬を微かに振るわせた。
「・・・あぁ、また逢えた。そう、何度でも言うよ。何度目覚めても君だけが、私の光だ。」
「フフッ・・・、光そのものなのは、あなたなのに?」
見つめ合う2人の瞳は、どこか遠くを・・・、まるで今は無い『時』を見つめているように、美しく煌めいている。
「もうあの時とは違う。『今』は『ココ』にいる。過去は無くならないけど、今を生きている。」
「・・・私は、沢山の人に沢山の迷惑をかけた。」
ヨルはいつもよりずっと深い、深遠の闇を宿した濡れた瞳で、ステラを見た。
「忘れてはいけないこと。沢山悲しませた。だから・・・、だから私はこの『世界』で生きなければいけない。世界に償う為に。そう、過去は無くならない。だからこそ・・・」
ヨルは、ライリーク、ステラ、ミズトと見渡していき、グレンで視線を止めた。
思い出してしまえば、魂が震えるほどの慟哭が湧き上がる。
懐かしき、優しい魂の気配。
「ッ・・・・・」
何かを語ろうと口を開きかけたが、思いは言葉にならずに、吐息だけが洩れる。
愛しさ、切なさ、苦しみ、喜び、様々な感情がヨルの中で出口を求めて暴れまわっているのだ。
ヨルの同様が伝わったのか、ライリークが優しく語りかけた。
「私の愛しい片割れ、焦ることはない。時間はあるよ?ゆっくりと自分の記憶と感情に折り合いをつけていけばいい。」
ライリークは、ヨルの心を宥めるように、ゆっくりと頭を撫でてくれている。
優しく、懐かしい片割れの心を感じ取り、ヨルの心が徐々に穏やかなものになっていった。
そのまま、緩やかな波にのまれて、ヨルは眠りに落ちた。
ソファーに身を預け、穏やかなヨルの寝息を聞きながら、ライリークは立ち上がった。
「・・・皆、聞きたいことはあるだろうが、今は聞くな。この子が自分で喋る日が来るのを待っていてやってくれ。・・・グレン、客間を用意させるから、ヨルを連れて行ってくれ。」
そう言うと、ライリークは静かに部屋を後にした。