第三十三章 トロッコとダイヤモンド
ラスター工房から出ると、アイリスは振り返った。その顔は、どこか微笑んでいるように見える。
「まさかお父様がここを訪れているなんて……」
本当だ。それも宝石を留めた石留職人まで生きているなど、神様のいたずらのように思える。
町はまだ昼を過ぎたところで、まだまだ外は明るい。
「もう一ヶ所くらい回れますが……どうしますか? 宿屋に戻る事もできますが」
「うーん……」と、アイリスはしばし悩んでいたが、すっと顔を上げ、「見学のできる炭鉱があるみたいだから、そこへ行ってみたいわ」
そう言った。それは気にな──
「あ、俺も気になる」
唇を開きかけた時、マウロが言った。ただついて行くとだけ言っていたマウロさん、珍しいですね。
「じゃあ行ってみるか」
懐から地図を取り出し、オリヴィエは言う。観光客に向けた地図は、この町の見所をこと細かく書いてあった。いつの間にもらったんだ。
こうして俺たちは、炭鉱のある宝石の加工工房へと足を向けた。
地図によれば、ラスター工房から塀に沿って歩いた先に、ピッケルと宝石の断面のマークが掲げられた工房があった。
「ここですね」
オリヴィエが天を見るように看板を仰ぐ。俺も見上げると、マッサマー工房と書かれた看板の文字が見えた。それに続く工房の扉は開かれ、何人かの旅人が出て行くところだった。
「よう、猫さんたち」旅人の一人が俺たちに話しかけてきた。すると彼はアイリスを見、「お姉ちゃんがこの猫さんたちのご主人かな?」
するとアイリスは、
「いえ、彼らは立派な銃士で、私の旅の護衛ですわ」
と、言った。
「そうか! どうも獣人は飼われているイメージが強くてね。すまなかった」
旅人は軽く詫びをし、先に行ってしまった仲間の元へ駆けて行った。
彼らが出てきた扉から中に入ると、すぐ近くに受付が設けられていて、受付をしている娘が、こちらを見た。受付の前には”炭鉱”と”工房”の文字が書かれた札がかけられた部屋が二つあった。
「いらっしゃいませ」
娘は笑顔を向ける。
「炭鉱の見学がしたい」
オリヴィエが言う。
「炭鉱の見学と、加工工房の見学を合わせて見る事のできるチケットもありますが、いかがなさいますか?」
「両方見られますか?」と、オリヴィエはちらとアイリスを見る。彼女が頷くと、「では、両方の見学のできるチケットを五枚」
「60オーロになります」
「わかった」
オリヴィエは言われた通りの金貨を出した。
「では炭鉱と書かれた札の扉をお開き下さい」
楽しんでくださいね、と娘は続けた。
扉を開くと、薄暗いランプの明かりに頼った洞窟が続いていた。トロッコが置かれ、レールが中へ伸びている。
「ようこそ、お客人」声のする方へ顔を向けると、くたびれた土だらけの白いシャツを着た作業員らしき男が腰を上げるところだった。「見てわかるかもしれないが、このトロッコに乗って炭鉱内を回る仕組みだ」
トロッコは案外小さいもので、五人、いや、案内役の炭鉱夫を入れて六人か。入れる気がしない。
「我々何人かは残った方が良いのか?」
オリヴィエが言うと、
「なに言ってるんだ。そこにもう一つトロッコがあるだろう。それをこのトロッコに繋げれば良い」炭鉱夫はトロッコを持ち、置かれたトロッコに繋いだ。「ほら、これなら大丈夫だろう」
確かにこれで全員乗ることができそうだ。俺たちはそれぞれトロッコに乗った。前方にアイリスとオリヴィエ、それに炭鉱夫、後方に俺とフランシス、そうしてマウロが乗った。
前を見ると、真っ暗だ。
「わくわくするね」
フランシスがここぞとばかりに腕を絡めてくる。
「なんだ恐いのか?」
その態度に、マウロが言う。どうやら俺にその台詞を言ってもらいたかった様子で、鋭い目線をマウロに向けていた。
「じゃ、行くぞ」
炭鉱夫はそう言って、トロッコのエンジンをかけた。軽く身体が揺れる。やがて、ガタガタと音を立ててトロッコは発進した。
暗闇の中で、ランプの明かりに反射した宝石が道案内するかのように煌めいている。
「わー、凄い!」
トロッコから乗り出し、フランシスは声を張り上げた。
「あんまり乗り出すと落ちるぞ。気ぃつけな」
まるで後ろを見ているかのように、炭鉱夫は注意する。
しばらく宝石の道を走った後、トロッコは止まり、炭鉱夫がランプを片手に下りた。
「ここからがこの炭鉱のメインだ。トロッコを下りてくれ」
炭鉱夫の言葉に従い、皆でトロッコを下りる。そうして彼の先導で、暗闇の中を進む。やがて狭い道が開けたかと思ったら、壮大な景色が広がっていた。
いくつもの水晶が大地から飛び出、折り重なっている。それが、どこまでも続いていた。
「神秘的だわ……」
アイリスが呟く。
「これは凄いな」
オリヴィエは腕を組んだ。
「欲しい? 一本買いぐらいなら買えるよ?」
フランシスが囁いてくる。とんでもない事を言うもんじゃない。
マウロは言葉を失ったようだった。彼の声が聞こえてこない。しばらく呆けたように、皆で自然の作り出した情景を眺めていたが、やがてオリヴィエが、
「行くぞ」
と、声をかけた。
帰りも同じ道のりで、トロッコは入口に着いた。
「お疲れさん」
そう言う炭鉱夫に、
「ありがとうございます。とても素敵な体験ができましたわ」
と、アイリスが返した。
「次は宝石の加工の工房ですね」
炭鉱の扉を開き、オリヴィエは言った。外に出ると、部屋の中の明るさにも目が眩んだ。
次いで、加工の工房の扉を開けば、高い音が耳をさした。研磨中のようだ。
「失礼します、私が案内役を勤めさせていただきます」
激しい研磨の音に混じり、声がする。振り返れば、腰の低い職人が立っていた。
「はい、よろしくお願いします」
アイリスが礼をする。その事に俺たちはおどろいてしまった。まさか、姫様が自ら礼をするなんて──?!
「と、言っても磨いてますと言うだけなんですけどね」
職人は後頭部を掻く。
「そうなのですね」
「えぇ、そんな感じで……」彼が手を差し伸べた「ダイヤモンドと水を使って石を磨いています」
「ダイヤモンド?」
アイリスが首を傾げると、
「ダイヤモンドは世界一固い石です。それをヤスリ代わりに使って、磨いているのです。水を使うのは発生する摩擦熱を抑える為でして」
職人は答えた。なるほど、勉強になる。
「今磨いているのは?」
アイリスは尋ねる。
「同じダイヤモンドです。ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けません」職人は続ける。「ダイヤモンドは出荷されて型と共に石留職人の元へと届けられます。そこから買い付けにきた商人たちによって、市場に出されるのです」
ほへー、初めて知った。学校のクラスメイトに自慢したい。もう高校生ではないけど……。
「色々とありがとう」
と、彼女は言って、扉を開いた。それに続いて外に出ると、もう夕暮れ時だった。
「宿屋で夕食を食べられるように手配してあります」
ご案内ください、と、歩きながらオリヴィエは言う。
「中々面白かったね」
と、フランシスが言った。
「そうね。興味深いものばかりだったわ」
「どこが印象に残りましたか?」
オリヴィエが尋ねる。
「やはり水晶の森がとても印象深」
「あ、それボクもー」
フランシスが同感する。
「俺もそうだな」言葉を失っていたマウロが言う。「隊長は?」
「俺か? 俺はダイヤでダイヤを削っているところだな。磨くのに同じものを使うなど、初めて知った。シャルル、お前は?」
突然話を振らないでください隊長。はっきり言って、全て面白いものばかりだった。その中から一つを選ぶとしたら──
「俺は……トロッコから見た景色かな」
と、絞り出した。
もうすぐ宿に着く。家々からは良い香りが漂ってくる。
宿の夕食も美味しいと良いな……そんな事を思いながら、俺は皆に続いて宿の中へ入った。





