7.異端審問
連れて行かれたのは、僧正たちが住まう宿坊の中の一室だった。
誰もいない部屋の中心に、ぽつんと椅子が一つ。そして、それを囲むように並ぶ六脚の椅子と長机。中心の椅子に座って待て、と指示すると、二人の僧正はすぐに出て行った。
そのまま、ずいぶんと待たされた。
いっそ居眠りでもしてやろうかと思い始めた頃、ようやく扉が開く。そして、入ってきたのは六人の僧正と、大僧正。彼らは、天上の教会を率いる指導者たちである。それはつまり、この世界を率いる選良の中の選良たち、だった。
自分を取り囲む椅子に座る彼らを、アサトは無感動に眺めていた。きっと誰も彼も同じように自分を睨んでいるだろう、と思っていたのだが、あからさまに威圧感を漂わせているのは三人ほどで、それ以外は穏やかにアサトを眺めている。その顔つきを見て、思わず身を引き締めた。
あの、温和な顔つきに騙されてはいけない。
内面を容易に顔に出さない奴らほど油断がならないのは、これまでの経験からでもよく分かっている。
「では、始めようか」
口火を切ったのは、大僧正。静かな声は、不思議なほど部屋によく響いた。
「僧侶アサト。この場は、告解の場である。そなたが犯した罪、今この場で全て申し述べよ」
定められたその口上に、アサトはにこり、と笑った。この場にそぐわぬその笑みは、彼を歳相応の少年に見せる。この世の闇など何も知らぬ、無邪気な少年に。だからこそ、僧正たちにとって、彼の言葉は予想外だったことだろう。
「分かりません」
はっきりと言い切られたその言葉に、何よりも彼をここへ連れて来た二人の僧正が顔色を失った。
「そなた、何を言う?!」
悲鳴を上げるような僧正の声に、アサトは無邪気な態で首をかしげる。
「今、僧正様は告解の場だと仰せられました。しかし、この身が至らぬゆえ、わたしには分からないのです。わたしが述べなければならぬ罪とは、何でしょうか」
しれっと告げたアサトの言葉に、僧正たちは一様に顔色を変える。だが、アサトは全く引く気はなかった。
「わたしがこのたび犯した戒律とは何でしょう?わたしのどのような行いが、罪となるのでしょう?どうぞ、ご教授くださいませ」
平然とした、開き直り。僧正たちにはそう見えただろう。だが、アサトは取り繕う気がなかっただけだ。
「この期に及んで、罪を逃れようとするかっ!」
一人の僧正が、そう叫んで立ち上がる。アサトを見つけた僧正の片割れ、確か名前はレームだったな、と彼は記憶たどる。
「逃れようなどと、考えたことなどございません。戒律を犯していたのだとしましたら、己の罪と向き合い、神に許しを請うべきと心得ております。ですが、わたしには向き合うべき罪が分からず、どのように神に許しを請えばいいのか分からないのです」
「しゃあしゃあと何を言うっ。あの場にいたことが、罪の証ではないか!!」
「だから、それがなぜ罪になるというのです?」
落ち着いた声は、アサトからの宣戦布告だった。だが、対峙しているレームはその意味に気づかない。
「まだ言うか!では答えよ。あの場所へ何故入り込んだ!お前の本来の職務を全うしていたならば、あの場所へ行く必要はなかったはず!」
告げられた言葉は、すべてアサトの想定内。それが分かっているからこそ、答える言葉にもよどみはない。
「扉を見つけて、その奥に何があるかと思いましたもので」
全く悪びれもしない言葉は、彼らにとっては禁忌。案の定、口を挟んだ別の僧正の声は、やや震えている。
「それが罪だとは思わないのか」
勿論、アサトは揺らがなかった。
「思いません」
「何ということ――!!」
怒りのあまり立ち上がっていたレームは、ふらりと隣へ倒れ掛かった。その姿に、大げさな、と舌打ちしたくなったアサトであるが、勿論そんな素振りはおくびにも出さない。冷めた目で眺めるアサトの前で、レームは一人の僧正を睨みつける。
「ジェウン殿、これが本当に寺院始まって以来の神童か?そなたが強く推されたから、まだ年端もいかぬこの者をこの寺院へと招き入れたのだが、このような大罪を全くの罪の意識もなしに行うとは、考えられぬ!」
「このような場で、そのようなことをおっしゃられるか、レーム殿」
「明らかになったところで、きちんと糾弾しておかねばならぬ。この者は神童ではない。このような……もはや、魔の使いではないか!」
あ、魔物にされた、失礼な。そう言ってやりたいのは山々だが、口を挟むべきでないことは分かっている。目の前で突発的に始まった責任問題を我関せずと眺めながら、アサトは機を窺っていた。
「だいたい、そなたが――」
「いい加減になされよ、レーム殿、ジェウン殿。今はそのようなことよりも、明らかにせねばならぬことがあろう」
二人の争いを見かねた僧正が間に入る。そしてそのまま、アサトに向き直った。
「何故罪か、と問うたな。この寺院に入ることが許された身で、そのような問いが出てくるとは嘆かわしい。取り巻くものに疑問を持ってはならぬ。神はそれをそうあるべく作られた。そのことに感謝こそすれ、疑問を持つなど身の程を知らぬ思い上がり。それは神の恩寵を疑う大罪である。そう、教わってはこなかったのか」
努めて冷静であろうとしてはいるのだろう。だが、端々に苛立たしげな色が隠せてはない。それを聡く感じ取って、アサトは嗤った。
「これは、おかしなことを仰せられます。この寺院を造られたのは、神ではありませんでしょう」
「何だと?」
「この寺院は、始祖が礼堂を建てられ、それによって始まったのでしょう?その後、中堂、側堂と建ち、我らの宿坊が作られたのはずいぶん後になってからだとか。ということはつまり、ここを造ったのは人間であり、神ではありません。神が造られたわけでもない物を“神がそうあるべく作られた”と言うことの方が神の恩寵を信じぬ者なのでは?」
詭弁であるのは百も承知だった。だが、あえて挑発的な態度をとって見せれば、僧正たちは怒りで正常な判断が取れなくなるはず。それが、アサトの狙いだった。
「そして、わたしにはどうしても納得できません」
畳みかけるように言いつのったアサトの言葉を、止める者はいない。それを確認して、アサトはひたりと大僧正を見据えた。感情の読み取れない、凪いだ灰色の瞳を真っ向から見据えて、続ける。
「何故、セシェルはあんな所に、生まれてからずっと閉じ込められているのですか?」
僧正たち全てが、凍りつくさまをアサトは視界の端に捕らえてはいた。
だが、瞳を据えるのはただ一人、大僧正のみ。
彼の発言に、どのような感情の隙も見せなかった大僧正。その人が、すべての核心を握っている。そう確信して、アサトは切り込んだのだ。
「……………………セシェル、か――」
ごくわずかな声で、大僧正が呟く。そこに込められた思いは、アサトには読み取れなかった。
「何故、あの子は外に出るという選択肢を思いつきもせず、あんな地下深くに閉じ込められているんです?ただただ知識だけ、それのみしか与えてもらえない。そんな子供が存在していることが、神のご意思に本当に沿うているのですか?あの子は……外の世界を知らないあの子は、外を見てみたいと思っているのに――っ!」
自分の激情を叩き付けるように言いつのるアサトの言葉を、遮る者はいなかった。再び降りた痛いような沈黙の末、大僧正の静かな声が落ちる。
「外の世界が見たい、とあの子が言っていたのか」
「そうです」
「そうか、あの子が――」
どこか遠くを見るような大僧正の顔付を、アサトはぎりりとねめつける。自分の話の持って生き方が、全く巧くないのは分かっている。だが、神童と謳われていてもまだ十六歳。立て続けに起こったことを、自分の感情を抑えて整理するには、残念ながら圧倒的に経験が足りなかった。そんなアサトの様子を見て、大僧正は一瞬愉快げな色をその瞳にひらめかせる。
「大僧正様――」
さらに、言葉を重ねようとして、しかし紡ぐべき言葉が見つからなかった。そんな彼の脳裏に浮かんだのは、セシェルの顔だった。
ずっとずっと、笑顔だった、あの子供。
確かに、天使のように可愛らしかった。けれども、どうしようもないくらいいびつに歪んでいるように、アサトには見えた。
いつも、笑っているだけの、人形。
そんな扱いをされる子供など、居ていいわけがないと思った。
だから、言う。
他の誰も言わないのだとしたら、それを言うのは自分だ。
そのために、この僧正たちの前に立ったのだと、アサトは思った。
心の奥底では、世界に絶望していた自分が、それでもこんなところに来てしまったのは、このためだったとまで、思ったのだ。
だが、大僧正の顔が揺れたのはその一瞬だけだった。
「言うべき言葉はそれで語りつくしたか?」
冷たい言葉に、左右に並んでいた僧正たちが、はっと顔を伏せる。
「この場はそなたの好奇心を満たす場ではなく、そなたの行いを検める場所。僧侶アサト、そなたは己の行いを余すことなく語りつくしたか」
「わたしは――」
続く言葉が、見つけられない。語りつくしたなど、まだ自分の思いの一端も告げていないような気さえするのに。
「ならば、裁断を」
もはや何の反駁も許されないと、厳かなその声音だけで大僧正は告げる。そして続くのは、断罪の声。
「青の衣を持つ我が同志たちに、問う。僧侶アサト、この者に罪は在りや、なしや?」
「罪なり」
右端に座る僧正が、大僧正の顔色を窺うように、囁いた。
「罪なり」
すぐに、左端のジェウンの声が続く。
次々と、六名の僧正たちの声が響く。
全て、罪だと告げられた、その最後。大僧正は、厳かに告げた。
「僧侶アサト。全ての同輩たちは、そなたに罪在りと断じた。今一度、神の御許へまかり越し、その罪を御前にて告げるがよい」
それは、如何にも持って回った、死刑宣告だった。