表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/53

16.澪、本領発揮。トリミングとは、手入れとは、こういうこと。

第十六話「澪、本領発揮。トリミングとは、手入れとは、こういうこと」





 澪はエレクトラの部屋を見回し、部屋の隅に設置されたチェストを見つけて、それを指差した。


「あの、もし可能でしたら、あの台を、上の物をどけて、部屋の真ん中に置いてもらえませんか?」


 レオンハルトの顔を見て、真剣に言い放つ。はっきり、凛とした彼女の物言いに、レオンハルトはなぜか気圧されるような感覚を憶えながら、頷いて従者二人に従うように指示を出した。


(王国最強の騎士の私が、なぜこんな小柄な女性に圧倒された気になる……?)


 レオンハルトの心の声が聞こえたのか、ニヤニヤしたガルドが隣へやってきて、「まぁ、見てれば分かる。お前さんの従魔は特にひどいからな」と言う。


「何が、ひどいだと? 最高級のものを食べさせ、こうして最高の部屋を用意して、世話もしている。これだけ大切にされている従魔は、王族のもの以外居ないだろう」


「それだよ。俺も、ヴァルクの世話は最高に丁寧にやってきたつもりだった。澪の腕を見るまでは、な。お前も、見たら分かる。澪は、すごいぞ」


 レオンハルトは驚いて隣の長身の男を見た。この王国一の名匠が、偏屈で口も性格も悪い男が、誰かをここまで褒めるのを、初めて聞いたからだ。


 二人が話しているうちに、上の物を片付けられたチェストが、部屋の中央に設置された。

 澪はエレクトラに歩み寄り、優しく撫でながら話しかける。


「エレクトラちゃん、この上に乗ってくれる?」


 賢い従魔は頷くと、少しの距離もものとせず、音を立てること無しにチェストの上へふわりと降り立った。


 アフガンハウンドはまるで大きな猫のような、他の犬には無いしなやかさを持つ犬種だ。猫のように足音がしない不思議な歩き方に加え、全犬種の中で足の速さは五本の指に入る。


 それでも、澪の目にはしっかりと見えていた。エレクトラがジャンプした瞬間、毛玉によって脇の皮膚が引っ張られていることを。


「ごめんね、私が抱っこしてあげるべきだった」


 心から謝ると、エレクトラは澪に頭を摺り寄せた。


(いいの。これから、楽にしてくれるんでしょ?)


 また、声が聞こえた。力強く頷く。澪は胸が高鳴るのを感じ、深呼吸する。そして、そっとエレクトラに触れて、スキルを発動した。


【グルーミングEX】


 魔力ブロワーは足元に下ろし、藍色の鞄からシザーを取り出す。そのうち、ガルドにセニングシザーを作ってもらえたらいいな、と思いながら、素早い手付きで毛玉にシザーを入れてゆく。


 毛玉に対して、シザーをどう入れるか。これは、毛玉が解けた時、毛がどう切れているかという結果に直結する重要な技術だ。


 毛玉を切ってしまおう、と根元に近いところに水平にパツンとシザーを入れたら、そこの毛並はもう目も当てられない。ガタガタになってしまう。

 かといって、毛玉に対して縦にパツンと切っても、解けやすくはならない。


 セニングシザーがあったら、毛玉の固さや位置に応じて、臨機応変に対応できるのだが、今日はストレートシザー一本が、澪の持てる最大の武器だ。

 シザーを開いた状態で片手持ちで固定し、少しずつ毛玉を割いてゆく。薄く、少量で。どうしても固いものはしっかりと割く。全身の毛玉に、ある程度シザーを入れて、解けやすくしなければならない。


 特に難儀したのは、耳の毛玉だった。ゴミや何かの粘液のような汚れが毛玉に入っている。


「こういうの、毛玉のモト、って呼ぶんだよね……」


 澪は呟いた。汚れやゴミが、毛玉の核になっていることが多い。特にロングコートの犬種は、枯草の欠片一つでさえ、毛玉の原因になる。そのうえ、謎の粘液まで付いているのだ。

 一瞬、何の粘液か聞こうかと思ったが、聞いたところで解けやすくなるわけじゃない、と気付いてやめた。今は、目の前の毛玉に集中するべきだ。


 アフガンハウンドの耳はとても薄くて大きい。たれ耳で、先端が三角形になっている。そこにシザーを入れて毛玉を解くのは、至難の業だった。耳と毛玉の間に隙間が全くないから、シザーの先端を滑り込ませるのも一苦労だし、そこから怪我をさせないようにシザーを滑らせるのも神経を尖らせる作業だ。


 この世界にはトリミングテーブルはないが、それらしい高さの物に乗ってもらえば、問題無い。ソファや地べただと、作業効率が一気に下がるので、澪はテーブル(になる何か)を使う前提で考えていた。


 脇や腕の間、腹下、タックアップ、内股など、毛玉になりやすいところほど、立たせていた方が見えやすい。それに、関節が正しい位置にあるか、毛玉で縛られて痛みや赤みがないかなど、細かく確認しながらぐるっと一周作業ができる。


 流れるような速さで、澪はエレクトラの全身の毛玉に何度もシザーを入れた。それが終わると、シザーを鞄に戻し、今度は両手で毛玉を左右に優しくほぐし始める。毛を切らないよう、毛を伸ばして痛めてしまわないよう、毛と対話しながら、丁寧に。


 これもシザーを入れたところすべてに行う作業で、左右に優しくほぐすことで、毛玉自体が薄く、小さくなる。これで、コームを使って解いてゆく土台が出来上がった。


「澪、ほら、使え」


 いつの間にかそばに来たガルドが、青色のハンカチを差し出してくれた。彼にハンカチという組み合わせが似合わなくて、澪は笑いながらそれを受け取った。

 でも実際、ハンカチを額や首元に当ててみると、汗で濡れている。自分では気づかないほど、汗をかいて作業していたようだ。


 ふと、澪は自分の視界に白いワンピースが映って、ハッとした。

 慌てた様子で、ガルドの方を向く。


「ごめんなさい! ガルドさんがせっかく選んでくれたワンピースで、作業してしまって……汚しちゃってたら、本当にごめんなさい」


 最後の方は、泣きそうな声で。

 澪はすっかり忘れていたのだ。大切なワンピースを着ている事を。それより、エレクトラをトリミングすることで頭がいっぱいになってしまっていた。

 ガルドに申し訳なくて、涙がじんわり滲んできた頃。


「そのくらいのワンピースでしたら、侯爵家から送ります。私の従魔を手入れしているのですから、もし汚れが付いたら、私が弁償するので構いません」


 それは、レオンハルトの意外な申し出だった。言い方は悪いが、澪に服をプレゼントするというのだ。

 だが、それに耳を貸さなくて良い、と言わんばかりに、ガルドが澪の頭に手を置いて、ぽんぽんと撫でた。


「心配すんな。こうなることを見越して、このワンピースも魔道具にしたんだよ」


「ええっ!?」


 驚きすぎて、間の抜けた声が出た。

 レオンハルトも信じられないといった様子で、澪のワンピースを見にそばに寄ってくる。


「……あぁ、頭尾双蛇の変異種の革、ですか。何の機能を?」


 魔物退治を定期的に行っている騎士団のレオンハルトは、澪のワンピースに使われている革の素材にすぐ気付いた。そしてそれがいかに高価な物かも知っているので、こめかみに手を当てて頭痛を感じるような仕草をしている。


 ガルドはと言うと、にやりとして口を開いた。


「汚れ予防、だ。だから、安心してとりみんぐ、やっていいぞ」


「はぁ、貴重な素材をそんな用途の魔道具に……」


 レオンハルトは呆れている様子だったが、ガルドはとても満足そうだった。澪の背中を押してくれている、そんな雰囲気がしっかりと伝わってくる。


「ほんとに、大丈夫ですか? 汚れない?」


 澪が涙ぐんだ目でガルドを見上げると、ガルドはふたたび澪の頭を優しく撫でた。


「この俺が魔道具にしたんだ、効果は間違いない。安心して、お前の本気を見せてやれ」


 すると隣に来たレオンハルトが、おもむろに澪の頭を撫でるガルドの手を掴んでやめさせた。


「……婚姻前の女性に触れるのは、マナー違反ですよ」 


 自分がなぜそんな事をしたのかも、よく分からないまま、レオンハルトは胸の奥の不快な気持ちを感じて戸惑っていた。騎士道精神だろうか。婚姻前の女性に、エスコート以外で触れるのは非常識なことだ。


 レオンハルトの持つ名剣を鍛え上げた名匠が、そんな非常識な真似をするのは見ていられない、レオンハルトは自分の感情をそう結論づけた。


 ガルドは「はいはい」と軽い調子で手を引っ込め、澪はそんな二人を不思議そうに見ている。マナーにうるさい世界なんだな、と思いながら。


「ウゥ、ワン!」


 早く再開して、と催促の声がエレクトラから上がった。澪はハッとしてコームを取り出し、また真剣な表情に戻る。


「少し、毛が舞うので、離れていてくださいね」


 男性二人にそう告げると、またスキルを使って熟練の手つきでコーミングを開始する。

 毛玉に対してコームを入れる時は、なるべく毛先の方から。もつれを少しだけ取って、優しく梳かす。


 もしコームが引っかかって動かなかったら? その時は、そこの毛玉に対してコームを縦に少しだけ引っかけ、優しく左右にほぐす。ほぐせるレベルまで、ひたすらそれを繰り返す。


 流石はもふもふの神様が授けてくれたコーム。普通の金属ではあり得ない、艶めいた輝き、そしてほんのり温かい不思議な感触。

 そこに澪のトリミングテクニックが合わさり、徐々に毛玉がするり、するりとほどけて綺麗なストレートのコートが増えてゆく。


 何度か借りたハンカチで汗を拭い、集中して毛玉をほどくことに向き合い続け。ついに、その時が来た。

 あの、耳にぶらんと下がった巨大な毛玉も、胸元のガチガチの毛玉の塊も、関節すべてを痛めつけ、動けないように束縛していた毛玉たちも、リングテールと呼ばれるくるんと上がる可愛らしい尻尾の飾り毛についた小さな毛玉も。


 すべて、ほどけてコームがするすると通るようになった。


「ふぅ、やっと、ほどけました」


 澪は今度は足元にある魔力ブロワーをチェストの上に上げ、そこに魔力を通す。


【魔力ブロー】


 スキルが発動する。一瞬、くらりとめまいがした気がしたが、これだけの毛玉を処理したから少し疲れたのかもしれない、そう思った。


 ブロワーの先端から優しい風が流れ出し、それを浴びたエレクトラの毛が、みるみるうちに輝きを取り戻してゆく。


(これ、シャンプーしてたらすすぎの水が灰色になるやつだ)


 それくらい、埃や汚れが毛に付着しているのだ。

 だから毛玉になるし、ほどけにくくもなる。


 この優れもののブロワーは、シャンプーいらずで従魔の毛の汚れを落とし、トリートメントのような効果も出してくれる。傷んでいた毛に艶が戻るところを見ると、毛髪再生機能もあるのかもしれない。さすがに、切れてしまった毛が生えてくるようなことは無いが。


 もふもふの神様、ありがとうございます。澪は心の中でそう唱えた。澪が人生でやりたかったこと、それを後押ししてくれ、こんなにすごい物も授けてくれた。


 見れば、エレクトラがうっとりとブロワーの柔らかな温風を浴びている。澪の知るブロワーはうるさくて超強風だが、この魔力ブロワーは違う。音もほとんどしないし、風も柔らかい。犬の濡れた体を乾かすための物ではなく、毛に風を通せば、それで効果が得られるからだろう。

 あまりにうっとりしたエレクトラが、一瞬眠りかけたので、澪はサッとエレクトラの体を支えた。トリミング中、居眠りしてテーブルを踏み外す犬が多いので、その対応に慣れていたからだ。

 エレクトラはハッとした後、嬉しそうに澪の体に自分の体を預けた。それはまるで、二人が抱き合っているかのようで。


 それを、主であるレオンハルトは、じっと見つめていた。


 エレクトラの見事なタイガーブリンドルの毛色が、銀糸のように輝いている。毛玉によってコートのボリュームは多少損なわれているが、それでも、澪の懸命な毛玉ほどきによって、ほとんどスタンダードに近い姿で、そこにエレクトラは立っている。


「美しい、ですよね。これが、レオンハルトさん、あなたの従魔エレクトラちゃんの、本当の姿です。今まで、全身毛玉だらけでボサボサだったのが、これで分かりますよね」


 魔力ブローを全身に当て終えると、エレクトラの乾燥していた皮膚に、艶とハリが戻ってゆくのが分かった。

 最後に、澪は集中してスキルを発動する。


【皮膚再生】


 エレクトラの胸もと、耳、その周辺、脇の下、内股、そしてお尻の辺りは、やはり皮膚炎があった。それだけではない。関節の可動を毛玉によって制限されていたせいで、赤みや痛みもある。それに、全身が汚れでフケが出ていて、それは魔力ブローで綺麗になってきたので、そこを再生させるところまで持っていく。


(どうか、この子がもう二度と、毛玉で痛い思いをしませんように)


 それは、祈りであり、同時に他力本願ではなく、自分に言い聞かせるためでもあった。

 主レオンハルトが手入れできないのであれば、澪が綺麗にし続けてあげればいい。この子がもう二度と痛い思いをしなくて済むように。


 澪の手から淡い光が溢れてきて、それがエレクトラに吸い込まれてゆく。エレクトラの、強力な魔力回路の渦が、美しい芸術のように均一に大きく、滑らかに回り始めた。


「ああ……美しいな」

ワンピースで張り合う男たち、の回でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ