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15.ベルディス侯爵邸と、薔薇園と、エレクトラの部屋

第十五話「ベルディス侯爵邸と、薔薇園と、エレクトラの部屋」





 二人を迎えに来た馬車は、外観は豪奢なものではなく、質素に見えて、実は内装は丁寧に作られているものだった。


「下町に豪華な馬車が来たら、大騒ぎになったり、お前の顔を憶えて悪さしようとする奴が増えたりする。だから、目立たない馬車を選んできたんだ、あいつも一応そういう気遣いはできるってわけさ。内装は良いものを使って丁寧に仕上げられてるからな、乗り心地は良いだろ?」


 澪にとっては人生初の馬車だ。乗り心地が良いかと聞かれると――ゴム製品のタイヤを装着していた現代の車に比べると、かなり揺れてゴツゴツする。その突き上げを緩和するためか、座面には大量の綿か何かが詰められていいる。

 それのお陰で、突き上げ感や振動は、なるべく抑えられている、そんな感じだ。


「えと、乗り心地は、けっこう、良いですね。その、目的地はどのくらいで着きますか?」


 あまり嘘が上手ではない澪だが、ガルドもそれといい勝負で、色々と鈍いところがある。澪の言葉をそのまま鵜吞みにし、安心したように頷くと、ガルドは窓の外をちらりと見た。


「そうだな、半刻と少しくらいか」


 澪の世界の一刻と同じなら、確か、三十分くらい。その半分だから、十五分強というところだろうか。澪は無意識に左手の腕時計を見ようとしていた事に気付いた。スマホもないし、腕時計もない。自分で数えるしかないけれど、一秒から十五分まで数えるのは、ちょっと無理そうだ。


「この世界の貴族って、どのくらい偉いんですか?」


 数えるのは諦めた澪が、ガルドに質問を投げかける。ガルドは「うーん」と口元を触って悩みつつ、口を開いた。


「そうだな、王様が一番偉いのは、分かるだろ? その下に、皇位継承者である、皇太子や、王族たちがいる。それから、貴族たちだ。貴族にも爵位っつー順番があってな。貴族の一番偉い爵位は、公爵。それから順番に、侯爵、伯爵、子爵、男爵、だ。俺はもともと平民の生まれだが、職人として良いものを生み出した功績を称えられて、名誉男爵の爵位を貰ってる」


 澪は高校時代の社会科の授業を思い出してちょっとげんなりした。勉強は得意なほうではなかったから。でも、そんな澪でも気になる点がある。


「ガルドさんの名誉男爵って、普通の男爵とは何か違うんですか?」


「うむ、名誉男爵ってのは、俺一代限りの爵位なんだよ。凄いことした平民に、爵位をあげまくってたら、貴族が増えて困っちまうって考えでな。普通の男爵は、何代でも続くんだが、俺は俺の代で終わり。男爵って言われても、俺の場合は職人が本業だしな。領地があるわけでもないし。俺は爵位なんてものには、興味がない」


 そういうガルドの横顔は、完全に職人そのもので。今日の服装も、いつもの作業服を少し上品にしつつ、本格的な職人の作業服といった感じだ。頑丈そうなシャツに、何かの革製の上着、それに黒い生地の腰巻のエプロンに、道具が入ったウエストポーチ。


「ガルドさんは、私みたいな服で来なくてもいいんですか?」


 澪が思い切って聞くと、ガルドは「あぁ」とため息交じりに返事をした。


「レオンハルトの奴の剣を、見なくちゃならないからな。本来なら奴が工房に持ってくるべきなんだが、今日はお前の付き添いも兼ねて、簡単な手入れや調整ならしてやろうと思ってる。と言っても、あいつの出方次第だけどな」


 ガルドは言い終えると、にやり、と笑って見せた。

 そうこう話しているうちに、馬車が停まる。御者が小窓をノックし、ガルドがそこを開けると、「到着いたしました。扉を開けても宜しいですか?」と聞かれ、頷いた。


 馬車の扉が開くと、まず先にガルドが下りて、地面までそれなりに高さのある馬車なので、澪が降りやすいようにと、片手を出して待っている。それがまるで映画や漫画の世界のようで、しかもよく見れば、御者が踏み台まで設置しているではないか。踏み台があっても、足場が安定しなかったり、ドレスで動きづらい貴族令嬢のために男性がエスコートするのは分かるが、澪は普通の日本人女性で、この世界で言えばただの平民。


 だが、ガルドの親切を、恥ずかしいからと避けてしまうのも、失礼な事は分かる。澪はそっとガルドの手に自分の手を乗せて、馬車から軽やかに降り立った。伊達に大型犬をトリミングテーブルやドッグバスに、上げ下げしていない。足腰はやたら丈夫な気がする。


「ようこそ、我が侯爵邸へ。ミオ嬢と、ガルド・アヴェロシ男爵。歓迎する」


 そこには、まるで薔薇の植物園を背景にした、イケメンハリウッド俳優が、中世の貴族を題材にした映画の撮影の中のように、堂々と立っていた。

 先日城下町で遭遇した時の、騎士団の制服と違い、今日の彼は華やかな正装をしている。白い詰襟の正装は、銀糸で刺繍が施してあり、そこに青い肩章帯(サッシュ)を付けている。それを見たガルドが小声で「そこまで正装しなくてもいいもんを……」とぶつぶつ言っている。


 澪はレオンハルトの姿より、その傍らでじっと佇むアフガンハウンド風従魔、エレクトラの方が気になって仕方なかった。レオンハルトの目の前で毛玉を取って見せたけど、その後、彼も自分なりになんとかしようとしたのか、部分的に毛玉がバッサリ半分に切られている箇所がある。


(そんな切り方したら、ほどいた後、変になっちゃうのになぁ、もう)


 澪は呆れつつも、自分でも手入れを試みたことは、良い事だ、と思った。澪が見せたトリミングについて、彼なりに思うところがあったのだろう。


 澪の視線はずっとエレクトラに注がれていて――その事が、その場にいたガルド以外の人間にとっては、不思議でしょうがなかった。

 澪達を出迎えた侯爵邸の使用人たちは、この日のことを後ほど、口を揃えてこう話したと言う。


「正装した侯爵様に、見向きもしなかったのよ。あの、隣国の王女が一目で恋に落ちた、伝説の正装姿を見て! そうでなくても、女性ならみんな侯爵様に釘付けになるものなのに、あの移民の小さな女の子は、侯爵様より従魔ばかりじっと見ていたの」

 信じられない、と使用人たちはこの話を広めて行ったのだった。


 当の本人、レオンハルトも、顔には出さないが、自分よりエレクトラばかりを見つめる黒髪の女性を、正直どう扱っていいか、わからなくなっていた。

 普通なら、女性は皆、自分のことを見つめ、エスコートを求め、会話をしたがる。それが当たり前の世界で生きてきた。こんな風に目を向けられないのは、初めてのことだった。


「コホン。ミオ穣、薔薇園の中でお茶はいかがですか」


 貴族の中での挨拶文句だ。招待した側が、お茶の場所へエスコートする。


 澪は言われてレオンハルトの方に歩き出し――片手を差し出したレオンハルトをすり抜けるようにして、隣のエレクトラに向き合って、その頭を優しく撫でた。エレクトラも目を細めて受け入れる。


 ざわっ、と使用人たちが一斉に狼狽える。

 エレクトラは、主レオンハルト以外に触られることを許さない。そういう従魔だったのだ。今この瞬間を、目の当たりにするまで。


「レオンハルトさん、お茶の前に、この子のお手入れがしたいです。お手入れができる場所は、ありますか?」


 それは、貴族社会にとっては非常に失礼な物言いだった。招待され、お茶の誘いを受けたのに、堂々と断った。普通なら、招待した側が激怒して追い返してもおかしくない。

 だが、その場の不穏な空気を変えたのは、ガルドに付いてきたジャーマンシェパード風従魔、ヴァルクだった。


「ヴァウ!!」


 太く大きな声量は、大型種ならでは。一斉に、その場の注意を自分に引き付ける。それを確認すると同時に、ヴァルクは薔薇園の中をすごい速さで駆け出した。ルーチェも嬉しそうに、光り輝く弓なりの尾を掲げ、ヴァルクの後を追いかけて駆けてゆく。


 その姿を見て、レオンハルトは目を見張った。


「どういうことだ、ガルド。ヴァルクの足は……」


「ああ。あの日、負傷してからずっと、悪かった。だが、治ったんだよ。いや、こう言った方がいいか。澪が、治してくれたんだ」


 レオンハルトはヴァルクの足のことを知っているらしい。ガルドの言葉に、「信じられない。彼女は治療師なのか?」と首を振りながら澪を見つめる。澪はエレクトラを撫でながら、初めて、この男に笑顔を向けた。


「治療師じゃないです。私は、犬の――従魔の、トリマーです」


「トリ……?」


「お手入れを行う職人、と言えば、伝わりますか?」


 澪は、いつになく堂々として。傍らに佇むエレクトラも、これから自分の身に起きるであろうことを、楽しみにしている、そんな魔力の波長が主レオンハルトに届いてきた。


「……そうですか、分かりました。エレクトラも望んでいるようですし、職人というのであれば、まずお手並み拝見と行きましょう。ヴァルクが回復したのを見るに、任せても大丈夫なのでしょう。エレクトラの部屋にご案内します、着いてきて下さい」


 レオンハルト特有の、壁を感じる慇懃無礼な敬語。だが、これで主の許可は取った、と澪は内心でガッツポーズになった。彼の言動をいちいち気にしていたら、きりがない。そう思う事にしたのだ。


 使用人たちはそれぞれ仕事に戻り、レオンハルトと二人の従者らしき人が歩き出す。薔薇園を抜けると、クリーム色の、それはそれは大きな邸宅が現れた。


(間取り、どのくらいあるんだろ……)


 澪はそんなことを考える。邸宅の入り口は大きな木製の両開きの扉で、その扉には繊細な彫刻が施してあった。そして、ドアノッカーにはエレクトラと同じ、アフガンハウンドの顔を模した物が付いている。

 レオンハルトが通る時、まるで自動ドアかのように従者が扉を開けるので、澪は笑いそうになるのをこらえた。なぜなら、その時のレオンハルトの澄ました顔が、澪の世界で言うところの「ドヤ顔」に見えてしまったから。


 そんなことを思って口元に手を当てていると、隣を歩くガルドが話しかけてきた。


「この邸宅は、王都の中でも相当デカい。そりゃ、圧倒されるよな」


 どうも、ガルドは澪が、感嘆のあまり口に手を当てているのだ、と勘違いしたらしい。

 澪は笑って、首を横に振った。


「確かにすごいお屋敷ですね。さっきのホールにある階段も、廊下の長さも、通り過ぎる部屋の数も……」


 でも、と澪は心の中で言葉を紡いだ。


(毛玉だらけの、汚れた従魔を連れていたら、彼自身がどんなに格好良くても、どんなにお金持ちでも、全て見せかけのように感じてしまう。犬は飼い主を映す鏡だから……)


 その時、レオンハルトの足が止まった。そこは、邸宅一階の一番奥まった場所にある、やはり美しい装飾を施した扉がある部屋だ。


 その扉を開けると、広さは、三十帖くらいだろうか。広々とした部屋には、柔らかなカーペットが敷き詰めており、壁には女神のような女性と美しい花々の絵が描いてある。大きな腰高の窓が三か所あり、レースのように透けているカーテンが風に揺れていた。


 もちろん家具もある。エレクトラの部屋と言っていたはずだが、人間用にしか見えないキングサイズのような大きなベッド。なぜか天蓋まで付いている。それ以外にも、座り心地の良さそうなソファが二個置かれている。


「部屋はこんなに立派なのに……」


 またしても、澪はがっかりしたように呟いたのだった。

レオンハルトとガルドの過去のお話し――ヴァルクが負傷した日の事は、そのうち、必ず書きます。

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