10 物足りなさと、贅沢すぎる期待
仕事を始めるにはまだ早い時間だったため、フレデリカは、シュトラウスが住む離れを訪ねた。
こちらにいなければ、次は執務室へ向かうつもりだ。
王城の敷地内には、王家に近い者や重要な人物を住まわせるための建物が点在している。
与えられる住まいは、本人の役職や滞在期間に応じて変化し、中には宿舎のようなものもある。
王女の婚約者であるシュトラウスには、離れの建物が一棟まるごと与えられていた。
シュトラウスの住む離れを見上げて、フレデリカはごくりと唾を飲み込む。
二階建ての、一人で住むには十分すぎるほどに大きな建物。
ここに住むのは彼のみだが、ストレザン公爵家の人間が泊まったり、こちらに来客を招いたりすることもあるため、その広さはしっかり活用されている。
終業時間が遅くなった際は、部下のブラームを泊めることもあるらしい。
正直、まだ顔を合わせづらいが、昨日のお礼を言うだけだからと自分に言い聞かせ、フレデリカは離れのベルを鳴らした。
「朝早くにごめんなさい。フレデリカです」
フレデリカの声が聞こえる範囲にいたようで、中からは、
「すぐに行く。少し待っていてくれ」
と、シュトラウスからの返事が。
言葉通りすぐに扉が開き、シュトラウスが姿を現す。
まだ朝の支度途中だったようで、黒い短髪は少しはねていて、上は白いシャツ一枚だった。
あんな場面を目撃したあとだというのに、朝ならではの色香をまとった彼に心臓がはねてしまう。
なかなか拝めない姿を前にしてフリーズするフレデリカを、シュトラウスが不思議そうに見つめる。
「フリッカ? まさか、まだ昨日の影響が……?」
「ち、違うの! 体調はもう大丈夫。薬の影響ももう残ってないって、お医者様が」
「そうか……」
フレデリカの言葉に、シュトラウスはほっとしたようだった。
些細なことだというのに、その反応が嬉しく思える。
「お父様から、シュウが私を見つけてくれたって聞いたの。……助けてくれて、ありがとう。それから、迷惑をかけてしまってごめんなさい」
「無事でよかったよ。……だが、俺が駆け付けるのがもう少し遅かったら、本当に危ないことになっていた」
「うん……」
「……城を抜け出したくなる日も、あるかもしれない。そういうときはせめて、護衛の一人でもつけて欲しい。きみは、自分で思っている以上に人目を引く。同じことが起きたとき、次も助けられる保証はない」
もっともな言葉に、フレデリカは黙って頷いた。
「フリッカ。……改めて、無事でよかった。きみになにかあれば、みんな悲しむ。今後は、もっと気を付けるように」
「……はい」
シュトラウスは、間違ったことはなにも言っていない。彼の言う通りだった。
けれど、どこか物足りなさを感じてしまう。
先ほどまで、家族や親友に「よかった」と抱きしめられていたからだろうか。
シュトラウスも同じようにしてくれるのではと、少し、期待してしまっていた。
こんなことをした理由を聞いてくれるのでは、とも。
迷惑をかけたのは自分だと言うのに、甘やかして欲しい、優しくして欲しい、もっと気にかけて欲しいと望む自分がひどく贅沢で、わがままに思える。




