第5話 ①
☆
「――なのでここはこの公式を当てはめて……」
今日は中間試験が近いにも関わらず、なぜか授業参観の日だ。
おまけに6時間目の授業が参観対象なので、授業とHR後にそのまま親と一緒に家まで帰れるおまけつき。粋なんだか無粋なんだかよく分からないね。
6組の参観科目は数学Ⅱ。
粛々と授業時間が消化されていたんだけど――
「よし、じゃあこの問題を――高坂、前に出て解いてみろ」
「え、はい」
こんな日に限って俺が当てられるのかよ。持ってないなぁ。
おまけに今日一番難しい問題なんですけど。
(ええい、持てる学力を出し切れ、俺!)
本番は気合いで乗り切る! これぞ、谷田誠司論!
えーっと、ここでこの公式を使って、計算を――
計算を終えた俺がチョークを置くと、
「惜しいなぁ高坂! 最後の計算を間違えてるぞ」
「あれっ?」
「はははっ、ケアレスミスだ。解答の導き方は完璧だったのにもったいないな。試験本番では気をつけてくれよ」
「はい……」
数学教師は爽やかな笑顔で俺のミスを指摘してきた。
ううっ、保護者たちが見守る中での失態は恥ずかしいぞ。自分の親が見に来なかったのがせめてもの救いだ。
あと太一、貴様密かに笑ってんじゃないよ。後日覚えておけよな。
思わず辱めを受けたものの、それ以外は平穏に授業は進んでいき――終了した。
ちなみに豊原の両親も欠席で太一と誠司の両親は参観した。二人は授業後そのまま家族で帰宅していった。
豊原は図書室で用事があるとのことだったので、俺は一人で下駄箱まで向かうことにした。
廊下を歩いていると、前方から人の好さそうな中年男性が歩いてきた。
会釈をすると、
「こんにちは。もうすぐ試験だね」
「こ、こんにちは。そうですね……」
目が合った男性から声をかけられた。
まさか話しかけられるとは思ってもみなかったので少し挙動不審になってしまった。
とても優しそうな人だ。裏表など一切なく、ただ人柄の良さ、聖人オーラだけが強烈に滲み出ている。
「勉強、頑張ってね」
「ありがとうございます」
再度会釈した俺に興味を持ったのか、
「君、名前は?」
「高坂です」
名前を聞かれたので素直に答えた。
「高坂君か。よろしく――」
と、ここで男性は俺の後方に視線を移すと、
「おう、帰ろうか」
男性は俺ではなく俺の背後に視線を移して手を挙げた。
「……チッ」
男性から温和な声をかけられた男子生徒はしかめっ面で心底鬱陶しそうに舌打ちした。
すぐ側のトイレから出てきたその男子生徒こそ、2科の宿敵辻堂だった。
辻堂は男性に声をかけられたことに対して露骨に嫌がっている。
俺は二人を交互に見比べる。
「えっと……お二人は親子なんですか?」
似てない。
あまりにも似てない。
顔も雰囲気も、性格もなにもかも、全部。
辻堂の父親のことだからてっきり金髪のヤンキー上がりみたいな出で立ちを勝手に想像していた。
けれど眼前にいるのはナイスミドルで。
「……あぁそうよ、コイツは俺の親父」
驚きからつい素で質問してしまったけど、辻堂は不服そうに認めた。
息子からコイツ呼ばわりされてもなお、お父さんは微笑を崩さない。
「高坂君、晴生と仲良くしてくれると助かるよ」
「え、あ、はい」
「俺はこんな奴と仲良くねぇよ。むしろ敵だ敵」
俺が曖昧に頷くや否や、即座に否定してくる辻堂。それは俺も同感だわ。
「そう言いなさんな。高坂君は晴生に好意的なんだからさ」
「あ、あはは……」
仲良くどころか犬猿の仲なんだけど、辻堂の家族を前に平然と宣える度胸などなかった俺は戸惑いを隠せずにおどついてしまった。
「連休明けは学園や2科の子たちに晴生が多大な迷惑をかけてしまったようで申し訳なかったね。でもね、こう見えても優しい良い子なんだよ」
「は、はぁ……」
見た目通りの畜生だとしか思えないけど父親に向かってそれを伝えるのは憚られた。
一方で俺たちの会話が大変面白くないのだろう、辻堂は足を揺らして貧乏揺すりをしながら、
「チッ、誰彼構わず愛想振りまいてんじゃねぇよ偽善者が」
父親に向かって好意の欠片すらない言葉を吐き捨てた。外だったら唾をも吐き散らかしてたかも。
「お父さんにそんなこと言うなよ」
ちょっと言い過ぎだろと思ってつい辻堂に物申してしまうと、キッと睨まれた。
「なんも知らねぇ他人のテメェが偉そうに口出すんじゃねぇよ……!」
「まぁ、それもそうだな……」
事実なのでそれ以上口を挟めなかった。
普段の苛烈な感情はそこにはなく、静かな怒りのオーラが奴の周りを覆っている。
「親父もいい加減性善説なんざねぇって分かれよ。無力な善意は悪意で塗りつぶされちまうだろ。赤の他人に親切にしたって見返りねぇんだよ」
「ははは」
辻堂の説得を受けても父親はのほほんとした態度を崩さない。なんか温度差がすごいぞ。
「それで一番損すんのはどこのどいつだっつー話だよ」
不思議とその言葉には妙な重みを感じた。確かな経験から発せられているかのような説得力。
「いい人ぶるのも大概にしとけや。んなことしたってよ、いいように利用されるだけだろ」
それはまるで事実に基づいた指摘のようで。
「少しは自分の心配をしろよ」
「まぁまぁ。ほら、帰ろう。高坂君、またね」
「あ、はい。お気をつけて」
父親は俺に手を振ると気だるげな息子とともに歩きはじめた。
「ったく、誰が来いっつったよ」
「たまにはいいじゃないか」
「授業参観自体がたまにしかねぇんだよ。それを毎回来られたらたまにじゃねぇだろ」
辻堂親子はあれこれと話しながら廊下の向こう側へと消えていったのだった。
肩を並べて歩いているものの、二人の間隔は開いていた。物理的な距離だけじゃない、心の距離にも隔たりがありそうだ。
彼らは顔や性格が全く似てないばかりか、親子仲さえ相当険悪なようだった。
――というよりも辻堂が一方的に父親を邪険に扱っている印象だった。
以前母親や祖母の話をしていた時は良好な感じだったのに、父親のことは嫌いなのか。
「あんなに優しくていいお父さんなのになぁ」
けれども誰もが人生のドラマがある。俺の知らない世界で二人は色々あるのだろう。事情は計り知れない。きっと一筋縄ではいかない過去が、そして今があるんだろうな。
どうして、なんで辻堂は優しそうな両親からあんな風になってしまったのか? と考えたけど、赤の他人の俺が偉そうに講釈を垂れる資格などない。俺が真相を知ることはないのだから。
衝撃的な出来事だったけど、俺は頭を試験勉強モードに切り替えて真っ直ぐ帰路に着いた。




