第1話 ②
☆
いやー、まさか辻堂の頭があんなになるなんてなぁ。実に刺激の強い朝だった。
今は一時間目終了後の休み時間。
トイレから教室に戻っている最中だ。
「お前が高坂宏彰とかいう残忍で極悪非道な人間のクズ、別名ゴミムシ野郎か」
背後からいきなり暴言を吐かれた。
振り向くと、三人の2科生徒が揃って俺を汚いものを見るような目で見据えていた。全員知らない顔だな。
「……えーっと、どちら様でしょうか?」
「おっと、こうして会ったのは初めてか。勇太郎、任せた」
ガタイがいい坊主頭の男子はニキビ肌で小柄な勇太郎という男子に説明を促す。
「はい! 沢口さん!」
この坊主頭の人は沢口って言うらしい。
勇太郎という男子は意気揚々と沢口って人の真後ろに立った。
「ってかお前、この沢口さんを知らないのか? 信じられない奴だな! 一体何しに学園に来てるんだ?」
「勉学に励むためですけど?」
めっちゃ罵倒してくるな。てか声でっか。
この勇太郎とか言う人、ずいぶんと高圧的な口調だなぁ。その割には沢口君の背後にずっと隠れたままだけど。しかも足がプルプル震えてるのはなぜ。
「このお方はなぁ! 沢口修平さんという素晴らしいお名前を備えた素晴らしいお方で! 2年8組の学級委員を務めており更に!! 柔道部で日々、純白なる汗を流しているのだ!」
「そ、そうなんだ」
純白な汗ってどんなだ。汗の色は透明のはずなんだけどな。
「ちなみに俺は高畑勇太郎だ。で、こいつは」
「どうも、富田祐介です」
高畑君よりも更に小柄で痩せ型の富田君が挨拶してきた。
どうもと言う割にポケットに手を突っ込んだままで、姿勢はふんぞり返っていた。
それは他の二人も同様で。
「はじめまして。何か用かな?」
「何か用、だって?」
沢口君は頭頂部に手を置いて俺を嘲笑してきた。そんなにおかしな質問だったか?
「お前は実に面白くない冗談を言うんだな。全然笑えないから」
別にウケ狙いで問いかけたんじゃないんだけど。
「いいか、お前にお笑い芸人は向いてない。オーディションを受けるのは諦めるのが賢明だな」
沢口君はぴしゃりと俺に指摘をしてくれた。指を差すな指を。あと俺は芸人志望じゃないから。
「なんだ貴様? 沢口さんがわざわざゴキブリ野郎の貴様にアドバイスしてくださったというのに、その態度は何様だ!? 俺は芸人になるつもりはない、と言いたげな面構えだなぁ!」
「芸人になろうだなんて人生で一度も考えたことないんだけども?」
高畑君がギャーギャー喚くけど、正直な話早く自分の教室に戻りたい。
「さっきあれほどの騒ぎを起こしておいて、他に用があると思いますか?」
富田君は目を細めて冷たい視線を浴びせてくる。
「ふぅ。まったく、一番困るのは悪事を働いておきながら本人に罪の意識がないことですね。いやはや、あなたは本当に救えない人材です」
富田君にまでボロクソに言われた。初対面なんだからもう少しソフトな対応を望むぞ。
「高坂、いいか? いいか高坂? お前さ、さっき辻堂と揉め事を起こしただろ?」
俺や辻堂じゃなくて田中さんが暴れてたんだけどね。
「クラスは違うが、学級委員としてはあまりそういう真似はしないでもらいたいんだよ。そんなことをすれば、学園の評判が下がるかもしれないだろ?」
なるほど。学級委員の立場上、俺に注意しに来たのか。
この学園には風紀委員は存在しない。だから、代わりに生徒会や学級委員に学園の治安秩序を維持する義務があるのだ。
「ごめん、気をつけるよ」
俺が謝ると沢口君は鼻を鳴らした。
「マジで頼むぜ。俺は理科大学の指定校推薦を狙ってるんだ。下手に騒ぎを起こされると来年は大学から推薦が来なくなっちまう可能性があるだろ?」
「指定校推薦を狙ってるの? 一般受験はしないんだ?」
俺の質問を聞いた高畑君がカッと目を見開いた。
「はぁ? バカか貴様は! 俺たち三人はなぁ! 1年四月の時点で全科目の授業についていけてないんだよ! そんな体たらくで一般入試を受験しても、受験料をドブに捨てるだけだろうが!」
それは得意げに豪語するような内容だろうか。高畑君の話には甚だ疑問が残る。
「なぜこの学園が1科と2科に分かれているかを察しろよ。そして1科の人間と2科の人間では性質が全く異なることも留意しておけ。1科の生徒は部活や行事で活躍し、2科の生徒は優秀な学業成績を残す。実に素晴らしい役割分担だ」
「沢口さんの言う通りだぞ! しかもだ! 沢口さんはなぁ! 2科に勉強をしろと言うが、そういう自分は勉強なんか一切合切やらずに柔道に精を出しているお方なんだよ! どうだ、感服しただろう!」
それはまた言動と行動が伴ってないダブルスタンダードだな。
しかし沢口君の意見はあながち間違ってはいない。1科と2科の特性は彼が言った通りだ。
「恋愛なんかも1科ばかりが楽しんでるしね。まさに2科は勉学だけの青春だよね」
つい自嘲的に話してしまった。2科の地位向上を目指す俺が自らこんなこと言いたくはなかったけど事実なので仕方がない。
そもそも2科は女子がいない男子校状態だしね!
とにかく、さっさとこの会話を終わらせるために今は適当に沢口君の意見に同調しておく。
「それはどうにもおかしいだろう。恋愛に1科も2科も関係ない。なぜならそれは生物として必要不可欠なものだからだ!」
あれ? そこは1科も2科もないんですか?
俺が脳内でクエスチョンマークを浮かべていると、またもや高畑君がキッと俺を見据えた。
「目が点になっているようだな! いいだろう、教えてやるよ! 沢口さんはなぁ! 既に人生で三十五人にフラれているんだよ! つまり、恋愛経験値が高いんだよ! ちなみに沢口さんに付き合った経験はない!!」
フラれてばかりじゃ恋愛経験はゼロじゃないか。それで経験値は貯まるのか? レベル1で止まってると思うんだけど。
「じゃあたくさんフラれてきて自分の何がいけないのか、何が足りないのかを学んだんだね? ならきっとそのうち――」
「はっ、寝ぼけたことを言うな。俺に落ち度はない。相手の女が見る目のない馬鹿だっただけの話だ」
女子生徒の前で今のような発言をしたら間違いなく大バッシングを受けるだろう。そんな爆弾を流暢に言葉として作り上げる沢口君の強靭な度胸に脱帽だ。
「まったくですね。沢口さんを振るなんて、彼女たちは一体何を考えて生きているのか。そんな女性が少なくともこの世に三十五人も存在することに驚きと失望を隠せません」
「俺は高校2年生にして三十五人もの女性からフラれている沢口君に驚きを隠せないよ」
高畑君も富田君も沢口君の意見を全肯定するので収拾がつかない。まるで全員がボケのトリオ漫才みたいだ。
まずい。こんなダークな会話を誰かに聞かれでもすれば、俺まで軽蔑される恐れがある。とばっちりはごめんだ。
元々の話はなんだったっけ――そうだ、受験の話だ。
「は、話は戻るけど、高畑君と富田君も推薦を狙ってるの?」
俺が二人の受験事情を問うと、高畑君が眉をぴくりと動かした。
「はぁ? バカか貴様は! 俺ら二人はなぁ! 運動だけはマシな沢口さんと違って運動も勉強もできない、おまけに友達もロクにいないんだよ! それで推薦が取れるとお前の腐った脳髄は考えやがるのか?」
高畑君の力説を聞いた富田君はうんうんと頷いた。
「僕たちはお金さえ出せば誰でも入れるボーダーフリーの大学を総合型選抜入試で受験する予定なんですよ」
さいですか。それは是非とも、志望大に受かるように頑張ってください。
「俺たち三人はなぁ! 元々超ギリギリでこの学園に入ってるから成績が悪いのは当然のことなんだよ! どうだ、尊敬に値するだろ? 敬えこのタコ! 嫌だというのなら死にやがれ!」
高畑君の俺に対する暴言はとどまるところを知らないな。
さすがに彼らのディスにも慣れてきた。
「おいおい、そしておいおい。そんなに俺を褒め讃えても何も出ないぞ」
え? 今の高畑君の台詞で沢口君を褒める要素がどこにあったというの?
「滅相もございません! 沢口さんの素晴らしさは高坂ともども、常々強く感じておりますから!」
「今、さらっと俺の名字が入ってなかった? 初対面なんだけど……」
俺は初対面でいきなり沢口君に心酔するほど酔狂な男ではない。
「なんだと? 貴様、沢口さんにたてつく気か? 命が惜しくないようだな!」
「勇太郎、よせ。人格者が凡人に嫉妬されるのは仕方がないことだ。もはや運命なのさ」
「は、はい、すみません! しかしコイツの嫉妬は見ていて実に痛々しいですね! あぁ気持ち悪い!」
なんだ? 俺はこの二人と一緒に漫才をしているのか?
だったらそろそろおいとま――――
「………………」
しようと思ったけど、富田君にガン見されていることに気がついたのでもうしばらくよく分からない空間に留まることにした。
うう、富田君に監視されてる気分だよ。
そんな俺の心境など知る由もない高畑君が再び口を開く。
「沢口さんはなぁ! 推薦を取るため、常に! 頑張っているんだぞ! 今も推薦をもらいやすくするために漢字検定の勉強に勤しんでいるのだ! しかも三級だぞ、三級! 驚いただろう!」
か、漢検……?
…………えーと。さっき理科大学の推薦を狙っていると言ってたっけ?
漢字検定の認定証を理系の大学は評価してくれるのか? そもそも、三級って中学校卒業レベルだよね?
「驚きのあまり声も出ないようですね。ま、当然ですか」
いや、理解不能なあまり思考回路がショートしてただけですね。
「沢口さんのやることはどんなことでも正しいのです。つまり、沢口さんは神が人間の姿として具現化された存在なのですよ」
はてさて、いよいよ会話の流れが本格的にカオスになってきたぞ。
沢口一団――いや、沢口教と呼んだ方が正しいか? まるで信仰団体みたいだな。高畑君と富田君は完全に沢口君を神として崇め、心酔しているように見える。
「俺は入試面接で土下座をして学園側に同情を売り、見事入学を果たした伝説の男だ。俺に不可能はない。貴様が愚かな行為を働いた場合には容赦なく鉄槌を下すから気をつけろよ」
だ、ダメだ…………ツッコミ所が多すぎる。俺ではとてもこの人たちの相手は務まらない。
誰か、誰か助けてくれ――!
――……と心の中で願ったその時、後方から廊下を全速力で駆ける音が聞こえてきた。




