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21.信頼なき取引

「おい、バカ女」


背後から声がした。

結界の張られた部屋のはずなのに。


ミオは夕食のスープを掬っていたスプーンを思わず皿に落とした。


恐る恐る、振り返る。

ルイがいた。

全く気配がなかったが、いつからいたのだろうか。


「なんで!?」


間違いなく、寮の自室だ。

だが、ルイの上半身が空間に浮かんでいた。

半透明で、薄っすらと向こう側が透けて見える。


「バカ女でも、この程度なら発動できるようで良かったよ」


彼の真下には、アンナから届いた手紙に同封されていた魔法陣があった。



手紙と一緒に渡されたのは、魔法基礎理論の教科書だった。

指定されたページには、魔術の説明が記載されていた。


――魔術は理論である。

魔力をどのように流し、どう変換するかを設計し、魔術式を組む技術。


魔法陣も魔術式の一つだ。

魔術式の発動条件は、それぞれだが、原動力は魔力であることは共通している。


(アンナが何か面白い魔術式でも書いてくれたのかな…)


ミオは深く考えずに、ごく微量の魔力を指先から魔法陣に注いだ。


触れた箇所が一瞬、光ったが、特に変化はなかったため、そのまま放置して夕食をとっていたのだ。


どうやら、魔法陣は、ルイの姿を投影するものだったらしい。


「…えっと、本物?」

「本物、というか投影体だ。…簡単に言えば、俺の影武者。魔法陣の上なら基本的には自由に動ける」


そう言って、ルイの投影体が左手を宙にかざすと、空間にアクアマリンの光の花が現れた。睡蓮のようなその花は、蕾を開くようにゆっくりと広がると、そのまま霧散した。


「お前の部屋、結界で魔法通せないから。魔法陣を組んだ」

「…こっちの様子も見えてるの?」

「あぁ、見えてる」


(ここ女子寮ですけど?男子禁制ですけど?)


もはや、何から指摘すべきか分からないが、彼にデリカシーという概念がないことは理解した。


「私が、服着てなかったらどうしたの?」

「お前の裸に興味はない」

「…」


ミオは自分の眉頭に力が入ったのを感じた。


「それで。なんの用ですか」

「お前、自分が何者か知りたくないか?」


(やっぱり異能のことか…)


交流戦終了後、医務室で目を覚ましたミオはすぐに寮での謹慎処分を言い渡された。

理由は立ち入り禁止区域の結界破壊。


四日間の謹慎期間のどこかで、詳しい事情の聞き取りがあると言われているが、まだ連絡は来ていない。


正直、ミオとしては“破壊”なんて感覚はなく、ただ糸に触れただけだった。まさか、こんな大事になると想像できただろうか。

 

(初めから立ち入り禁止区域の説明をしてくれていれば…)


「多分、お前は俺の監視対象から外される」


ルイの声には僅かに苛立ちが混じっていた。


「お前の異能が、学園が隠したがっている何かに関わっていることは間違いない」


――運命の支配者

――我らをこの世に生み出したのも、この村を襲わせたのもすべて、糸を視る者の仕業


立ち入り禁止区域で遭遇した魔物の言葉が蘇った。

自分の両親が、あの魔物や廃村と関わっているのかもしれない。


自分の両親は何者だったのか、糸を視る異能とは何か。一人で部屋に閉じこもっている間、ずっと頭の中を占めている疑問だ。


「運命操作」

「…?」

「お前の異能のことをテセがそう言っていた」


ルイが発した人物の名前に、ミオの心臓がギュッと痛んだ。


(やっぱりテセ先生も私を監視する側の人なんだ)


ルイが自分を監視していることを理解しても、テセについてはどこかまだ半信半疑だった。というより、彼の優しさを信じていたかったのだ。


立ち入り禁止区域から脱出し、気を失う寸前、必死な顔をして駆け寄ってくるテセの姿が見えた気がした。彼の様子を見て、どこか安心してしまっていたのだ。この人は、味方だと。


(でも、そっか…テセ先生も学園の人だもんね)


涙なんて出ない。

ただ、心臓と喉の奥がギュッと縮み、苦しいだけ。


ミオは俯き、食べかけのスープを見つめていた。

だが、ルイはそんな様子に気づくこともなく話を続ける。


「異能に関する書物、歴史書一通り探したが、“運命操作”なんてものは全く記述がなかった」

「…」

「おそらく、このままだとお前の異能も隠される。そして、学園にいいように扱われる存在になるだけだ。お前、もう逃げられないぞ」


ルイの言葉は、学園への嫌悪感や軽蔑といった冷たい感情を感じさせた。


「俺と取引をしよう」


彼は左の口角だけをゆっくりと斜め上に引き上げ、歪んだ笑みを浮かべた。


「俺は学園の監視役だから、色々なことを知っている。情報をやる代わりに、お前の情報を残さず寄越せ」


(いや、なんで?)


そもそも、彼は穏やかな笑みを浮かべながら、裏で自分を監視している立場だったのだ。突然、取引と言われて、素直に応じる人間がいるだろうか。


「…そっちにどんなメリットが?」

「あ?」

「私、取引は信頼できる人としか結びませんので」


その言葉に、彼はいつもの王子様のような笑顔を浮かべた。

だが、先ほどよりも一層低い声で言った。


「強気な女は嫌いじゃないよ」


ルイが左手を宙にかざした。

そこから、アメジスト色の光の塊が浮かび上がる。

交流戦で次々と相手の札を落としていたあの光だ。


(怖い!怖すぎる…!)


「何が知りたいんでしょうか!」


ミオが叫ぶと、ルイはフッと笑った。


(本当に、感じが悪い!)


彼を信用する気はさらさらないが、自分一人では何も出来ないことも事実。


(こっちだって、利用してやるんだから。別に、怯えたわけじゃないし)


そんな、自分への言い訳のようなことを考える。


「とりあえず、お前に視えている“糸”と何が出来るのかを教えてもらおうか」


ミオは、糸が視える瞬間や糸の様子、触れたり切ったりしたことを説明した。

ルイは特に驚くことはなく、まるで既に知っているかのように淡々としていた。


――「糸を切る時に、魔力操作はするのか」

――「異能を発動した後の魔力の流れや何らか変化はあるのか」


時折、彼が質問を挟むので、糸に触れた時の感覚やその後の耳鳴まで詳しく話した。


「俺とお前も、“糸”繋がってるんだよな」

「あぁ、うん」


ミオは糸を視るために魔力の流れを意識した。

そして、現れた無数の糸の中で、左手の小指から伸びている一本に視線を落とす。


「投影体とは繋がってないみたい」


糸は投影体ではなく、部屋の外へと伸びていた。おそらく、ルイの本体と繋がっているのだろう。


右手でその糸を掴み、数回、強く手繰り寄せてみる。

同時に、ルイが「おい」と低い声を出した。眉間にしわを寄せて、酷く不快そうな顔をしていた。


「それ。やめろ、って言ったよな」


彼には糸は視えないが、引っ張られる感覚はあるらしい。


「部屋の結界を通過しているってことは、やっぱり魔法ではないな」




一通り、異能について話終えると、ルイは声を落として言った。


「学園のことは信用しない方が、身のためだ」


やはり、彼からは学園に対する負の感情を感じる。


「…今回の件で、謹慎になったのはお前だけだ。だが、俺たち三人も各々、任務が詰め込まれている」

「エリオも?」

「あぁ」

「…でもエリオは、今日目覚めたばかりじゃ…」

「あぁ。多分、俺たちを学園の外に出している間に色々と処理がするんだろう」


処理。

何を指しているか全く見当がつかない。


「明日も夕食が回収されたタイミングで、魔法陣発動させろよ」

「…」

「分かったな」

「…はい」


ミオの返事を最後に、魔法陣から浮かび上がっていたルイの姿は消えた。


一人になった部屋で、ミオはすっかり冷めてしまった食事に口をつけた。





翌日、約束通り魔法陣を発動させると、彼の息切れが聞こえた。


「ちょっと、大丈夫?」


ミオの問いかけに返答はない。

しばらくして、ルイの投影体が現れたが、ノイズが走っていた。

彼の乱れた呼吸音と、風のような、何かが衝突するような音が流れ込む。


「任務が終わってない。一時間、いや三十分後に呼び出してくれ」

「…分かった」


ルイが息を切らしているのなんて、初めて聞いた。

立ち入り禁止区域で三つ首の魔物と遭遇した際にも、乱れることのなかった彼の呼吸。

普段とは異なる様子に、胸の奥がざわつき、落ち着かない。


「金髪女…の異能が崩れたらしい」


(金髪…アンナ)


認識すると同時に、息が止まった。


「え、どういうこと⁉」


慌てて問いかけるが、ルイの投影体は消えてしまった。


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