罠にかかった獲物
◇
その日はマカンと一緒に村の周辺を散策していた。
目的の一つは獣などの対策として仕掛けてある罠の確認だ。
獣への備えとしては頑丈な柵を張り巡らすのが一番良いのだが、村では少ない人員で建築や家具の作成といったことに手間と資材を優先して使用している関係上、村の周辺を覆えるような柵作りに着手している余裕がない。
そこで獣、それとこそこそと村に近付こうという不審人物を対象とした罠をいくつも仕掛けてある。これだってもちろん簡単なことではないのだが、外敵への備えは怠れないので、俺とブレとで手分けをして人や獣が通りやすそうな場所、それらを回避しようとした奴がひっかかりそうなところに罠を仕掛けまくった。範囲が広範なため穴だらけなのは否めないが、なるべく大きな動物の接近は妨害したり気づきやすいような罠配置を心がけている。
その結果村の住人ですらうかつに森へと踏み込めなくなってしまったが、それは正規の出入口を通ることが必要なのだときちんと認識してもらっている。
もしそれでも森に踏み入って罠にかかったとなれば自己責任だ。
ただそうは言いつつも、というよりも、そう言っておいても勝手に森に入って罠に引っかかるのが我が不肖の弟子であるところのマカンなので、たまにこうやって罠の位置や種類などを教えがてら状態の確認に連れまわしていた。
「マカン、こっちだ」
「……おけ(くっちゃくっちゃ)」
早くこいってーの。
春になって、森の中にはちらちらとこの時期にしか食べられない木の実や野草、山菜の類などが顔を出すようになっていた。
こうして森を散策するのはそういった食える物を集めるのも目的の一つだ。マカンは未だに食える植物と食えない植物の選定がいいかげんなので、俺がこうして目を光らせつつ採るべきものを指定している。
そんな中で今日見つけてしまったのが野イチゴだった。ちょうど今の時期に実をつける種類が村の周辺にけっこう自生していたらしい。
マカンは悪食なのでたいていの者なら不味くて食わないだろうものまで平気で食べてしまうが、それでも美味い物や甘い物を好む感覚も有している。そんなマカンにとって食い放題状態の野イチゴは放っておけないお宝だった。
見つけ次第確保し村に持って帰るという思考などほとんどすることなく口に放り込んでいる。
呆れつつ俺も少し食べてみたが、甘味よりも酸味が強くてそれほど美味いとは思わなかった。
「酸っぱくないかそれ」
「このさんみがあらたなしょくよくをそくしんする」
また妙な言葉を覚えてやがるな。魔力での威圧ができるようになるまで課した食事制限のせいか、最近のマカンは今まで以上に食える時に食っておけという気持ちが強くなっているようだった。
以前からよく食べる奴だったが、ここのところはふと気が付くとお腹がぽっこり膨れている。筋肉になっているうちはいいがそのうち太ってこないか心配だ。餌を与えないでくださいと書いた札でも首からかけさせようか。
「あうちっ」
カラカラカラ……。
マカンが草を編んだ罠に足をとられて転ぶと同時に乾いた音が鳴った。
大きな音ではない。村の人間に警戒を促すのではなく、音で獣をビビらせるための単純な罠だ。この程度でもたいていの獣は村から離れてくれる。そしてそういう経験をした獣はその後も村に近づきにくくなる。
「そこにあるって教えたろうが」
「……しらぬ」
言ったよ、お前が覚えてないだけだ。
村の周辺の罠は人間がかかることも考慮して殺傷力自体はほとんどないような罠ばかりだ。ただ中には自力で逃げ出せないよう捕縛したり、足に怪我を負わせるような罠もあるのでかからないにこしたことはない。
それにそういう罠は再設置も面倒だったりするので余計な仕事を増やされてはたまらん。
「ほら、余所見せずに俺が通った後をついてこい。いいか、こことあそこには罠があるから――」
「うひゃーっ」
固定されていた部位が外れて枝がしなり、マカンは足を縄で縛られてブラーンと宙吊りになった。
「言ってるそばからこいつは……」
「おろしてー」
「…………」
「あうううう」
吊られたままのマカンの体をぐらぐら揺らしてやった。しばらくこのままいさせるか。
「ちょっと疲れたな。少し休憩するとしよう。オヤツでも食うか」
たいした物ではないがマカン用に用意していた物を目の前で食べてやった。
「マカンのっ。ビィせんせ、おろしてーっ」
もうちょっと反省しろ。
そんなこんなありながら村の周辺の見回りを続けた。ぐるりと回るとけっこうな距離があり、食える物の採取や罠の再設置などをしていれば一日で終わる範囲ではない。今日はこれぐらいで終わりにするかと見切りをつけようとした時だった。
「……けて…………たす…………けて……………………ぐす」
どこかから奇妙な声が聞こえてきた。
なんだか力なく物悲しい感じで、たぶんだが助けを呼んでいる。
俺はふと気になって後ろを振り返った。マカンと目が合った。
よし、ちゃんといるな。ついさっき同じような言葉をどこぞの魔王少女が口にしていたのでまたかと思ったがどうやら違う人物の声のようだ。
「と、いかん」
だとすると村の誰かか? とにかく誰かが罠にかかっているかもしれないので急いで声の聞こえる方へと向かった。
そして向かった先ではやはり網に捕らわれ宙吊りになっている奴が見つかった。
「…………」
俺がそれを発見して、すぐに助けず一瞬固まってしまったのは仕方ないと思ってもらいたい。見なかったことにしようかなと魔が差したのだ。
「けて…………ぐすんっ…………たすけて…………だれか……たす――っ!?」
罠に使っている網は人間よりも重い獣が暴れても切れない強度があるので素手でどうこうするのは難しい。
そいつは俺が見つけた時にはすでに脱出を諦めていたのか、だらりと脱力して力のない助けを呼ぶ声だけをあげていたが、いざ俺に気づくと声を大にして泣き出した。
「ふえええええんっ、ビィさあああんっ!」
「…………」
「システィねえちゃ」
「……なにやってんだこいつ」
そこで網に捕らわれていたのは村唯一の魔術士であるシスティだった。
「うううう……ようやく……ようやく助けが来たっスぅ……」
「…………」
システィの恰好は普段村の中にいる時と変わらない姿だ。森の中に入るために準備したとかそういう感じではないので、俺が禁止しているにも関わらずあまり深く考えることなく森に足を踏み入れたのだろう。
「…………いいかマカン。網に捕らわれて吊り上げられると意外と身動きがとれなくなるものなんだ。腕もろくに動かせなくなるから、短剣を取り出して網を切って脱出するという方法も難しい。吊り上げられる時に余裕があれば脱出しやすい体勢に調整することも可能だろうが、まあ普通はそんな余裕があれば吊り上げられる前に逃げてるだろうしな」
「おけ」
「次に魔術士の使う魔術は魔法と違って発動するために複雑な手順が必要だ。やはりこんな状態ではうまく魔術を扱うことができないことが多い。ただ無詠唱魔術のように手順を簡略化した手法もあるし、それならこんな状況でも使えなくはない。例えば森の中でやられると困るが、火傷覚悟で火を出して網を焼き切ったりとかだ」
「おけ」
マカンなら魔法で焼き切るのは可能だが、こいつの場合は火力がありすぎて自分も火だるまになりかねないのが難点か。
「相手の狙いが生きて捕らえる場合は抵抗しないというのも手ではあるが、たいていの場合はその後身動き取れなくなっている間に矢を撃ち込まれたり槍で串刺しにされるのが定番だ。殺されなくとも捕まった後に何されるかわからんし、なるべく多少無茶な方法だろうと脱出できるのであれば脱出した方がいいだろう」
「おけ」
「ちなみにもし俺がこういう罠にかかった場合は――」
「――そういうの後にして欲しいっスっ! ビィさん、マカンさん、早く助けてっス~~っ!」
「ああすまん。何か変わった遊びをしているのなら邪魔しない方が良いかと思っただけだ」
「こんな遊びしないっスよ! 自分、昼前からこんな状態でもう本当に辛いんで早く助けて欲しいんス……」
いつもはおちゃらけた雰囲気のシスティだが、今はあまりバカ言ってる元気もなさそうだった。長時間満足に動けない状態というのはストレスも溜まるし、血の流れなどがおかしくなり体を壊す要因になりかねない。
「……仕方ない、事情は後で聞くか。マカン、どうすれば良いかわかるか?」
ただマカンに罠を損傷させないように解除する訓練ぐらいはさせてもらおう。網を破って開放するのが手っ取り早いが、それだと網を一つダメにしてしまう。修復はできるが手間だ。なるべく再設置が簡単な状態で下ろしたい。
「まずはかくじつにえもののいきのねをとめる」
「今はそれはいいから」
さすがに冗談ですまなくなる。
「わなごともやす」
「こいつは死ぬからやめとけ」
さっきの脱出法は大魔力によって火への抵抗力もそこそこ高いマカンだからこそだ。
「…………なわをきる?」
「まあそこらへんが無難だなあ」
網を吊っている縄の先は木に括り付けてある。これを解くのがもっとも罠を損傷させない方法だが、そう簡単には解けないように固く結んでいるのでここは切る方法を採用しよう。
「いいかマカン。切るのはここだ。結び目のこのところだけを狙って切れ」
「おけ」
切れば縄が短くなってしまうが、できるだけ全長を損なわないように位置を指定してやった。これなら結ぶ場所を変えることでこのまま使用できるだろう。
そうしてマカンが縄を切るのを見守る。一瞬でスパッとはいかない。短剣の刃を滑らせ切れ込みを入れて少しずつだ。
「できた」
「おし。退いてろ」
硬く結んでいるだけあって結び目の一か所を切っただけでは完全に解けることはなかった。もちろんそれを考慮してあり、切れ目を入れた場所を起点にして全体を解きにかかる。これはコツがわかっていれば簡単だ。
「ひやぁっとぉ」
木に固定していた縄を解けば当然吊り上げていた物は落下する。が、地面に叩きつけるのは可哀想なので縄を持って速度を調整しながらゆっくり下ろしてやった。この作業をマカンにやらせなかったのは、こいつの体重だと完全に吊り荷の重量を支え切れないからだ。
そうして下ろした網からシスティが這い出てきた。
「うう……ひどい目にあったっス。ビィさん、ありがとうっス。自分、信じてたっス。ビィさんならきっと愛する女が窮地に陥っていることにキュピーンと気が付いて、自分に何かあったら大変だと血相変えて駆けつけてきてくれるって信じてたっス!」
「そうか。期待にそえなくて良かった」
キュピーンとかいう擬音も何を指しているのかよくわからんが、お前相手に血相変わるぐらい心配もしないから安心しろ。
「でも本当に良かったっス。村の近くの筈なのに助けを呼んでもぜんぜん誰も来てくれないんで段々不安になっていって……自分このまま老いさらばえて寂しい老後を迎えることになるかもって本気で心配したっスよ」
老いる前に死ぬがな。
「しかしお前なら脱出手段の一つや二つありそうなものだと思っていたけどな。無詠唱魔術で罠を壊すなり使い魔の猫に助けを呼びに行かせるなりすれば良かっただろうに」
「無詠唱魔術は嫌いなんでポリシーに賭けて使わないっス」
「本当のところは?」
「あれは難しすぎて発動の筋道がよくわからなかったっス。あとどのみち自分の魔力量じゃ有効活用できる魔術が限られているんで習得に励む気になれなかったっス」
優秀な魔術士に入るだろうシスティがこう言うのは不思議な感じもするが、そういえば地頭は悪いとか言っていたな。こいつに記憶を転写した魔術士エイフンが生きていた時代には無詠唱魔術はまだ存在していなかったから、エイフンの記憶をほじくってもどうにもならないので諦めたか。
「とはいえ使えると便利なんだがな」
全ての魔術を無詠唱でとなると難しいだろうが、緊急時に使えそうなものを何か一つに絞って覚えてみればとは思わなくもない。
「あんなもの使えなくても困らないっス」
「困ってたじゃねえか」
「困ってないっス。ビィさんが助けに来てくれるの待ってただけっス」
泣いてたくせに何を言う。
まあこいつの年齢からいっても不得意なものの習得に時間をかけるよりも得意分野を伸ばした方が良いってのはあるかもしれん。強く言うべき内容じゃないな。
「使い魔の猫は?」
「シロさんはそこでマカンさんと遊んでるっス。自分が吊られてる間も気にせず寝てたっス」
「……お前らの関係どうなってるんだ?」
使い魔っていうのは主人に従順で忠実ってイメージだが。
「この村じゃシロさんの好物の魚が手に入らないんで機嫌悪いんスよ。そのせいであんまり積極的に働いてくれないんス」
「…………」
贅沢な猫だな。まあ俺が口を挟むことではないと思っておこう。




