チビ姫と絶壁と無能
熱い。そう感じた時には、目の前で炎が壁のように立ち塞がっていた。
「外した?おかしいなぁ〜ちぃ手加減はしてないけど」
俺の腕の中には、淡々とそんな事をほざく千夏がいて、ゆっくりと周囲を見渡すように顔を動かしながらーー
「ざっけんな!こらぁあぁあ!!」
そんな声は、唐突に頭上から降り注ぐ。
「灼熱拘束鎖」
千夏は指を鳴らし、頭上から、既に踵落としの体勢に入っていた紺のスカートが視界に映った時には、俺達の周囲を取り巻くように、真っ赤な鎖が瞬時に全周囲を包囲していた。
音も立てず、鎖は俺の足元から天井へと幾本も伸び、廊下の端から端へと、主を守護するかのように囲いを形成し、頭上から狙いを定めたピンクの髪が、鎖との結合部の隙間から何とか見えるほどで、鎖の数は尋常ではない。
「ーーッ!変則ーー」
「いいんですかぁ?先輩、無傷じゃすみませんよぉ?」
「こんの!?ーーあっつ!!」
頭上から現れた美紀はそんな千夏の一言を聞くや、踵落としの動作のまま、瞬時に体をくの字に空中で折ると、鎖目掛け自ら蹴りつけて、その反動を使い軽やかに後方宙返りをすると、それに追従するように、千夏は人指し指を美紀へと真っ直ぐ向けーー
「拘束解除、灼熱鎖演舞」
周囲を取り巻く鎖の何本かが、声に合わせ小刻みに震動しーー
瞬間、桁違いの速度で美紀へと鎖が疾走する。その速度は、宙返りをした美紀が床に降り立つ前に既に、鎖は美紀を叩きつけるように、頭上から真っ直ぐ床目掛け降り下ろされていた。
追従するかのように左右から迫る鎖は、クロスを描くように振り抜かれ、空中に滞空している美紀は、両の腕を交差させ防御の姿勢をし、ほぼ同時に3本の鎖が美紀を襲う。
「……で?遊びは終わり?悪いけど、こんなのに当たるほど私弱くないんだけど?」
鎖は美紀の正面で停滞していた。何かに防がれるように、鎖は美紀へと進行を出来ずにいるように見え、千夏が指を鳴らすと鎖は直ぐに俺達の所へと戻ってくる。
「相変わらずデタラメな出力……いいですよぉ。絶壁さんの、大気衝撃壁をぶち抜いて上げるからね♪」
「……この糞姫が、調子のってると吹き飛ばすぞ?」
売り言葉に買い言葉で互いを罵り合うと、美紀は姿勢を低くし、千夏は腕を伸ばし頭上に掲げると、俺はため息を吐く。
「もういいだろ?二人とも、そこまでにしろ。校内を壊したらまた面倒な事になるぞ?それからだ。俺が死ぬから、頼むから俺を巻き込むな」
俺の声に二人は、ゆっくりと構えを解くと、俺は頷きながら生き延びた事に安堵し、千夏は指を鳴らして鎖を撤収させていく。
「零司。空気読んでよ。私はねーーそこのチビ姫に引導を渡そうとね……おい!テメエ!!零司にそうやって、ここぞとばかりにくっついてんじゃねえ!」
「何の事ですかぁ?先輩に被害が出ないように、こうして守ってるだけですよぉ?ねえ?先輩♪」
何故か俺の首に手を回し、千夏は密着してきて、柔らかな弾力が胸に押しあてられる。
「あら?先輩……鼻の下伸びてますよぉ?何なら、触りますか?手を少し伸ばせば、事故で触れた事に出来ますよぉ?絶壁さんでは、物足りないですよね♪」
「……れ・い・じ!!今すぐ、チビを降ろせ。私に、殴られろ!」
「だが断る!!いや、嘘だ。千夏、お前も悪のりするのを止めろ。美紀、離れるから殴るのを諦めろ。いいな!絶対だからな!絶対だぞ!大事な事だから二度ーー」
言葉は続かず、綺麗に顔面に拳がめり込む。千夏は、優雅に俺の腕から抜け出て、拳をめり込ませた張本人は微笑みを俺へと向けると、俺の体は宙に浮き上がり、通路の上にある白い壁へと視界が回転しながら、背中からぶつかり、そのまま廊下の床まで落下。
「空間固定、重力操作反転空間」
落下する速度は急激に減速し、俺の体は、落ち葉のように左右に揺れながら廊下の床に落ちていく。
「絶壁さん、やり過ぎですよぉ?先輩死んだら……わかってる?」
「死ぬわけないし。大体、チビ姫が心配するような事?どうせ死なない程度にしてるのが解ってるくせにね」
「気に食わない。絶壁さんのそういう所、ちぃ嫌い」
そんなやり取りを耳にしながら、落下した俺は顔を押さえて立ち上がり、美紀はそんな俺へとこういい放つ。
「零司、さぞ満足だったでしょう?発展途上じゃない立派な胸の感触は……朝の私の体じゃ満足出来なかったもんね?」
「……朝の?今、朝のって言ったかなぁ?先輩、少しだけちぃとお話しませんかぁ?いいですよね?何があったか詳しく、出来ればちぃの炎で炭になっちゃうくらい話しても、大丈夫ですよね♪」
顔から手を退ければ、笑顔の二人がゆっくりと俺へと接近しており、俺は苦笑いを浮かべながら床に手をつき、じりじりと後退しつつ、立ち上がろうとするがそれを見越すかのように、千夏は指を鳴らす。
「接地氷壁、絶壁氷塊」
振り向いた先には、唐突に氷の山が出来上がり退路を完全に塞ぎ、慌てて振り向いた俺はその氷山に体ごと突っ込み、冷たさと痛みでフラフラと後退する体を、何かが強烈な力で押し止めーー
「残念、零司。どうなるか……予想は出来てるよね?このーー色欲がぁあぁ!!」
目の前の氷山に向かい、俺はプロレスラーがロープに走らされるように投げ出され、当然だが受け止める物は氷山しかなく、顔面と頭に腕を被せ、凄まじい衝撃が遅れて伝わり俺は後ろに倒れこむ。
「空間固定、重力操作加速」
倒れこむ俺は急激に床に叩きつけられ、辛うじて頭部を守ったままなのが幸いし、後頭部を強打することだけは回避するが、全身を強く衝撃が走り抜けたせいか、視界が波打つように揺らいでいた。
「ぐっ……お前ら……」
呻くようにそう言ったのはいいが、立ち上がる事はおろか、未だに目の前が揺らいで見えている為、床に叩きつけられた体勢を維持していた。
「チビ姫、ナイスアシスト。素直に褒めてあげる」
「絶壁さんから褒められても、ちぃは嬉しくないよ。先輩が魔が差して、何かしたか知りたかったからだよぉ〜」
「俺は何もしていない!先に言っておくが、俺は自分の命をこんなことで失いたくはない」
揺らいでいた光景はようやく像を結び、俺は視線を上に向ける。
話ながら、俺の真上に位置する所に二人とも来ていたのか、上体を起こそうと床に手をつきそこで気付いた。
二人ともスカート。俺の顔は二人を見上げるような位置にあり……要するに、紫と黒が視線の先に綺麗に映り。そこから伸びる、触れたら柔らかそうな足が見えていて、自然とその布地の中枢へと視線が向きそうになり、慌てて首を振りながら一気に起き上がる。
「起きた」
「起きましたねぇ♪先輩」
「……ああ、まあ、起きないとヤバイからな。このまま寝そべっていたら、奴等を殺すことなんて、不可能だろう?」
俺は何でも無いように、悟られないようにそれらしい事を言って、頬をかく。
「……零司。何か誤魔化してたりするの?」
「先輩、先輩の嘘言うときの癖が出てますよぉ?」
ほぼ同時にそんな事を言われ、俺は何の事だ?と思いながら首を軽く捻ると、千夏と美紀は互いに顔を見合わせ肩をすくめる。
「零司。それらしい事を言ってる時の零司は、それが正しいと思った時か、その逆しかないの。それとね?零司が誤魔化してる時は、何かを触ったり、特に頬をかいたりした時は大概が嘘っぱちの時なの」
「先輩単純ですからねぇ〜どうせ、ちぃの下着に目がいっちゃって……ああヤバイ。こんな魅力的なの見せつけられたら、襲ってしまいそうだ。とか、考えてたんじゃないですかぁ?先輩の〜ス・ケ・ベ♪」
「い……いや、違うぞ。俺はそんな事を思った訳じゃなくてだなーー」
「じゃあ見てたの?零司、私のパンツもそうやって覗いて……たりしたの?」
俺は髪をかきながら困ったような表情をし、そんな俺を愉快そうに千夏は眺め、美紀は冷ややかな視線を向けながら、そっぽを向く。
「先輩♪ちぃのでよければ、ひんむいても大丈夫ですよぉ?絶壁さんじゃ、味わえないのを披露しちゃいますね♪」
「……チビ姫。誰もテメエに欲情したとは言ってねぇだろ?大体、零司!今日のは、遊びで着けて来たの!今度は……ちょっと本気だすから」
「おい、少し落ち着け。いいか?俺は別に、二人の下着に目が行った訳じゃない。特に何かを感じた訳じゃない。ただなーー」
俺はそんな事を言いながら、何故か顔面に蹴りが入り、意味も解らずボーリング玉のようにグルグルと床を転がっていく。
「……おいこらぁあぁあ!テメエ!!私の体じゃ満足出来ない上に、下着すらダメだってか!?蹴り飛ばすぞこらぁ!?」
「……先輩最低。ちぃのもーー何ともないんだ?絶壁さんのならわかるけどさぁ〜これでも、お気に入りなんだけどなぁ。やっぱり、紐か穴あきとかの方がいいかなぁ?」
床と天井を交互に視界が映し、ようやく床に背中から落ちた俺に対し、二人はそんな事を言う。
「チビ姫。零司にそんなの通用しないから。どうせ、どうでもいいんでしょ?零司は、ずっとそうだもんね」
「先輩のソレは、病気ですからねぇ〜でも、ちぃの力でいつか変えて見せますからねぇ♪」
「はぁ……チビ姫。私は行くから、零司よろしく」
「あ、待って下さいよぉ!朝に何があったのか、ちぃに教えて下さい♪先輩だと、適当に言っちゃうかもですからぁ」
二人はそんな掛け合いをしながら、廊下を歩き出したようだ。靴音が響き、俺はそれを聞きながら、震えた小鹿のような足でようやく起き上がり、誰もいなくなった廊下で一人こう呟いた。
「既に蹴ってるからな……あのバカは」
そんな事を呟き、震える足を1歩1歩確実に前に動かしながら、廊下の壁へと向かい、背中を勢いよくぶつけながらそのまま隅の方で一人座り、煙草を取り出すと火をつける。
「……解ってんだよ、言われなくてもな。俺にはどうでもいい。どうでもいい癖にーー」
灰が俺のブレザーに落ち、適当に手で払いながら、紫煙を吐き出す。
「何でだろうな?俺は、この状況が無くなって欲しく無いんだ」
そんな独り言を言いながら暫くの間、立ち上る紫煙を眺め、ようやく元の調子に戻った体をゆっくりと起こしていく。
煙草を指で握り潰し、熱さと痛みで離しそうになるが、俺にはそれが心地よかった。
頭の中に浮かぶ言葉を、考え無くてよかったからだ。さっきから、何度も思い出す言葉。
『どうでもいいんでしょ?』
俺は何も言い返せない。その通りだからだ。俺は、俺の目的以外はどうでもいい。
それなのに、それなのにだ。
何故か浮かぶのは、こうやってバカな事をずっとーーずっとしている光景。
「……行くか、そろそろ怒られそうだしな」
吸殻を一度ポケットに突っ込み、廊下を歩き出す。どうせ向かう先に灰皿が置いてあるし、そこまで行けば捨てるのに困らない。
向かう先は、地上型の訓練室。
そして、そこに行けばーー
俺は何かを変えられると、信じている