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花鬼  作者: KATSUKI
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第六章   4

 

 ロックの解除される音。ドアが開いた。

 貌を覗かせた女が、伯爵の姿を認めて、驚きの表情を浮かべる。

「子供? え? どこから入ったの」

 伯爵は女の背後に眼を向けた。

 三十前後の男が立っている。知らない貌だ。女の腰に手をまわしている。行きずりの男女か恋人同士がホテル代を浮かせようと考えた――という状況に見えなくもない。

「遊んでいる間に締め出されちゃったのかな。家はどこ? 近くなら送るよ」

「放っておけよ。そんなガキ――」

「なによう。子供の前でできるわけないじゃない。おいで。ぼく――」

「この場所を選んだのはどちらなのかな」

 伯爵は口を開いた。

「え?」

「ああ?」

 女と男が同時に訊き返す。女が不思議そうに、男は殺気走った貌で。

「雨の屋上。逢瀬の場所としては一般的ではない」

 濡れながらするのが趣味なら別だが――五歳児の口から出る台詞ではない。

「な、んだ。このガキ――」

「ちっ」

 ハンドガンを抜いたのは女の方だった。

 伯爵は床を蹴った。跳ねるように後方に移動する。ドームから出た身体が雨に濡れる。

 銃声。二発。一発が肩に着弾した。血飛沫が散るが、身体に戻せない。もう一度跳ねて、屋上から飛び出す。雨の中ではカラスにもなれない。

 重力に引かれて落下する。

 何度か回転し、両手両足で着地した。衝撃で膝と肩の関節が砕け、肉が裂けた。

 周囲であがる悲鳴。通行人を押し退けながら、男達が近づいてくるのが見えた。フード付きのレインコート。コートの下は対デーモンスーツ。

 ふらつきながら立ち上がった。

 路地のひとつに滑り込む。屋根があればよかったが、どこにも雨を遮るものが無い。

 吸血鬼の再生力は分子コントロールができる場所でなければ使えない。生命体が持つ自然治癒力を限界まで高めた獣人とは違う。自然には再生しないのだ。その意味では吸血鬼は生命体ではないのかもしれない。

 壁に手をついて身体を支えながら奥に進む。角は全て曲がった。

 だが、足音は近づいてくる。この状態で心臓に杭を打ち込まれれば終わりだろう。


 ――こっち。


 ひらひらと小さな手が揺れた。

 躊躇っている余裕は無かった。手の見えた角を曲がる。そこも路地。ビルの壁に非常階段がついている。レンガ色に塗られた階段に、五、六人の子供達が坐っている。ひと目見て魔物だと知れた。姿が人間ではない。ある者は耳が異様に長く、ある者は手足のあるべき場所に植物のつるのようなものが生えている。

 ――おにいちゃん。こっち。

 小さな手が伯爵の手を握った。ひらひら揺れていた手。吸血鬼よりも冷たい。三歳にもならない幼女。青白い肌。氷の眼。幼女のまわりの空気が白い。霧のような雨が幼女の身体に触れる前に凍りついている。

 ――雪姫。雨を凍らせて。

 男の声。まだ若い。

 十五、六歳の少年が立っていた。

 艶のある黒髪。漆黒の眼。すらりとした少年特有のしなやかな身体。

 雪姫と呼ばれた幼女が、氷の眼を天に向ける。音も無く周囲の雨が凍った。さらさらとダイヤモンドダストのように散っていく。

 この状態なら分子コントロールが使える。次の雨が落ちてくるまで。一秒もあれば身体は修復できる。

 傷が消えると同時に、レインコートの男達が飛び込んできた。

 すでにリベット銃を抜いている。発射音。噴出するガス。視界に迫る数本の杭。スローモーションのように視える。吸血鬼の反応速度は人間を超える。避けるのは容易い。だが、避けたら、この場にいる幼女はどうなる。

 す、と黒い影が間に入った。

「く」の字に折れ曲がった杭が地面に落ちた。

 少年の背中が眼に入った。

 ――失せろ。

 少年の声。それで失せるわけがない。そう思った。思った瞬間、重力が増した気がした。ブラックホールのような底無しの闇が広がっている。

 なんだ。これは――

 心臓に冷たいものを感じた。冷たい手で握られたような。それは吸血鬼にとって生殺与奪権を奪われたに等しい。死の恐怖が湧き上がる。

 ――う……あ……

 呻くような悲鳴はレインコートの男達からだった。

 リベット銃の銃口が小刻みに震えている。銃口だけではない。男達の全身が震えていた。

 ひとりがよろめくように後退さった。

 ――ああああ。

 誰かが絶叫し、その瞬間、全員が背中を向けた。腕を振り回し、転びながら逃げていく姿は滑稽であったが、そう感じる余裕は無かった。

 全身が硬直している。

 少年が半身を向けてきた。闇のような眼を見た瞬間、きき、と音をたてて牙が伸びた。

 恐怖からだ。

 ――そうか。子供じゃないんだな。

 少年が苦笑を浮かべ、視線を傍らの幼女に向けた。

 ――雪姫。雨がやむまでそばにいてやって。

 幼女に言い残して去っていく。

 救けられたのだ、ということに思い至ったのは、少年の姿が消えてからだった。




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